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 3,勘違い


「……先生、良かったんですか?」
 ルーは書庫を歩き回るレイテの後ろをついて回りながら問いかけた。
「何が?」
「生贄になる決心までして彼女……セラはここまで来たっていうのに」
「その犠牲的精神には敬意を評しますよ。でもね、僕が動いては駄目なのです」
「何で、ですか?」
「彼女の願いを叶えてしまったら、収拾がつかなくなるからですよ。わかりませんか? 彼女の願いを叶えるということは、生贄さえ差し出せば、僕は人々の願いを叶える、そう思われてしまうからです」
「……よくわかりませんけど?」
「君はどこまでお馬鹿なのでしょうか」
 レイテがこれみよがしの深いため息を吐いて見せた。
 すみませんねー、とルーは唇を尖らせ、拗ねる。
「これ以上、生贄を差し出されてみなさい。この城の金庫はあっという間に空っぽになってしまいますよ」
「でも、先生。この城にいてお金なんて使ったことあります?」
 城の外に出ることがない二人には、お金なんて必要なかった。
 この城の地下空間にはレイテが魔法で作り上げた空間があり、そこでは家畜が飼われ、菜園が広がっていた。自給自足が成立しており、外に買出しに出かけることなどありえないだろう。
「言っておきますけれど、三年以内に城の金庫が空っぽになってしまったら、困るのは他ならぬルーなのですよ?」
「俺が何で?」
「無一文で外に出るつもりですか、君は」
「…………」
「それで構わないと言うのなら、僕は別に良いのですけれど」
「……先生はどうあっても、俺を外に追い出すつもりなんですね」
 レイテの言葉は自分を突き放すようで、ルーには寂しかった。
 優しいとは決して言えない養い親だけれど、それでも赤ん坊だった自分を拾い育ててくれたのは間違いなく彼なのだ。
「君は君の人生を歩むべきですよ。普通の人間としてね」
「今の時代、魔法使いは普通の人間とは言えないんでしょう?」
 ルーはレイテから教えてもらった知識を逆手に取る。
「確かに、魔法を僅かばかりにも扱える君は、普通ではないのかもしれませんね。でも、魔法の能力はきっと君の役に立つと思って授けたものです。ですが、それが君にとって負い目を感じるようならば、魔法を封印してあげますよ」
「負い目だなんて……そんなつもりで言ったんじゃないです」
「僕も同じですよ。僕が言った普通の人間というのは、生まれて生きて死ぬ、その一生をかけがえのないものとして生きる人間のことです」
 ルーはレイテを無言で見上げた。銀髪の青年は口元だけで笑った。
「限られた一生を懸命に生きる、君は君なりの人生を送ってください」
「……先生」
 レイテの言葉はルーを感動させた。しかし、同時に感じていた寂しさをあおった。
 自分はこの人の側にはいられない。それがハッキリとわかったのだ。
 今まで、側にいたい、とはかけらにも思わなかったけれど……。
「でも、セラは居座るつもりですよ? どうするんですか?」
 レイテはいくつかの本を書棚から引っ張り出しながら呟いた。
「本当に、どうしたものでしょうねぇ」
 ポンっと投げられた本をルーは慌てて受け止める。続けざまに四、五冊の本が投げつけられた。ルーは右往左往しながら上手にキャッチする。
 それを眺めていたレイテはパチパチと乾いた拍手をした。
「君は曲芸師としてやっていけるかも知れませんねぇ」
(落としたら鬼ジジイのように怒るくせに)
 昔話に出てきた鬼ジジイなんてものが、どういうものか知らないけれど。ルーはきっと根性腐れの悪鬼だと決め付けた。それはレイテのような……。
 ルーは腕の中で山積みになった──一冊一冊が分厚いので──本が崩れないように顎で押さえつける。
「先生、一つ聞きたいんですけれど」
「何です」
 不意に投げつけられた本を、ルーは顔面で受け止めた。報復か。じと目でレイテを見やってルーは床に落ちた本を拾い上げた。
「……生贄って、どういうことなんですか?」
「はい?」
「どうして、街の人たちは先生に生贄を差し出すようになったんですか? もしかして、要求したんですか? 生贄を差し出さないと街を滅ぼすぞ、とか言っちゃって」
「……君は僕のことを一体、どのように考えているのです? 本当に人間を食べるとでも思っているのですか?」
 レイテは水色の瞳だけでルーを見返った。
「食べるとは思いませんけど。……先生は得体が知れないから。先生を理解しようなど九百八十三年早いと、先生が言ったように、たかだか十七年生きた俺には理解できませんよ」
「理解できないでしょうね。一千年生きた人間なんていうのは」
 レイテはため息を吐いた。
「君と同じですよ。街の人たちも。僕を理解できずに化け物のイメージを勝手に作ってくれたわけです」
「化け物」
「酷いですよね。このように美麗で華麗で秀麗、鮮麗かつ優麗、さらに艶麗、端麗な僕を何上、化け物などと呼ばわるのでしょう」
「綺麗なのは認めますけど」
 その銀髪に水色の瞳。白い肌にはシミなど一点もなく滑らかで、優雅な線を描いた眉毛も鼻筋も、形のいいピンクの唇も。その一つ一つ、本や遠見の魔法で見た人間たちに勝るものながら、それらを集約した彼の顔はどんな褒め言葉を探しても最終的には美しいの、一言に尽きる。
(だけど、自分で自分のことを美麗だとか言ってしまう性格は化け物よりも性質悪くないか?)
 と、ルーは思った。
 再び、本が飛んできて顔面を強打した。
「…………で、先生」
 ルーは顔面がヒリヒリと痛むのを我慢して、レイテに問う。
「何です、ルー?」
「街の人たちが先生を化け物と勘違いしていることはわかりましたけど。どうして、そんな勘違いをされたんですか? 何か、きっかけがあったんでしょう?」
「聞きたいですか?」
「少しでも先生を理解したいと思いますので」
 しおらしいことを言ってみせるルーを、レイテは振り返ると、水色の瞳を僅かに眇めた。
「聞いて……夜、眠れなくなっても知りませんよ」
「眠れなくなるような怖いことなんですか?」
「人それぞれでしょうね。ですが、街の人たちはそれで僕を化け物と勘違いしたわけですから」
「…………止めようかな」
 一歩腰を引かせるルーに、レイテはフフフと笑うと、一歩距離を縮めてきた。
「そうですか。そんなに聞きたいのですか。ここまで生徒に懇願されたら語るしかないですね」


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