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 4,真相


「あれは七百年前のことです。細かい数字はなしにしましょう。七十六年なんて些細な誤差です」
 ……人間の一生分はあると思うのだけれど。
 ルーは心に思うけれど、突っ込むのを止めた。話の腰を折ったとして往復ビンタを食らったのではたまらない。
「僕は三百年の年月を一人で生きていました。そして、ある日、恐ろしいことに僕は」
「恐ろしいことに?」
「キレたんです」
「キレた? 何が切れたんですか? ……もしかして」
「そう。神経がブチンと」
「そ、それは……恐ろしいかも」
 ルーは顔を引きつらせた。
 ただでさえ、把握しにくいこの人が狂ったら……。そう考えるだけで恐ろしい。
「そして、僕は夜な夜な街を彷徨いました。大鎌を振り回しながら」
「ひぇぇぇぇっ」
 ルーは思わず仰け反った。
 キレたレイテが大鎌を振り回して、夜の街を毎晩彷徨っていると知ったら、確かに怖くて眠れない。
「などというのは、嘘ですけれど」
 ルーはこけた。床に散らばった本を手早く拾い集めて、本を汚さないでください、と睨みつけるレイテを見上げた。
「先生! 俺、嘘つきは嫌いですっ!」
「キレたというのは事実ですけれど、街までは降りませんよ」
 この城はガーデンの街から少し離れた位置にあり、小高い丘に建っている。丘の麓にはうっそうとした森が広がっていて街の人間が近づくことはない。たまに、山菜狩りに入る人間がいるようだけれど。
「森の中で夜な夜な雄叫びを上げましたけれど」
「……本当ですか?」
 ルーはチラリと横目でレイテを見た。彼は書棚に視線を戻しながら答える。
「嘘です」
「あのですねぇ」
「嘘を嘘と告白するのは正直者なのですよ」
「そういうことになるんですか? いまいち、納得できませんけど」
 大体、正直者ははじめから嘘なんてつかないと思うのだが?
「それで……真実はどうなんですか?」
「森を彷徨っていたのは事実ですね。自覚がないままに」
「自覚、なかったんですか?」
「ありませんでしたね。自分が生きていることを認めたくなくて、何度となくこの心臓にナイフを突き立てたりしていましたから。いくら自覚がないとはいえ、馬鹿なことをしていましたよね」
「嘘でしょう?」
「本当です。心臓にナイフが刺さる感覚で我に返るのですよ」
「だって、心臓ですよ? それを傷つけられたら、人間だって動物だって生きて行けないって先生が教えてくれたことですよ?」
「僕には不死の魔法がかけられているのです。死ぬことはありませんよ。だから、馬鹿なことをしたと言っているでしょう? 死ねないのに死のうとするなんて、馬鹿のすることです。ナイフ程度のもので死ぬのなら、それは不死の魔法なんて言わない」
 レイテは小さく唇を噛んだ。
 この不死の魔法をレイテの身にかけた彼らの魔力を思えば、ナイフ程度でこの心臓に刻まれた魔法陣は断てない。首をはねても、生き続けるだろう。永遠の痛みと共に。
「……そのとき、彼女と出会いました」
 柔らかな声音に、ルーは瞳を上げた。目に映るレイテの横顔は懐かしそうに和らいでいた。
「……彼女って」
「最初の生贄とでも言いましょうか」
 レイテは唇の端でそっと微笑んだ。
「彼女と森の中で出会ったとき、僕は胸にナイフを刺していました。彼女はビックリして自分の家に僕を連れて行き、治療してくれたのです」
「いい人ですね」
「そうですね。いい人でしたよ。僕の孤独に気付いて、側にいてあげる、と言ってくれたのです」
「先生、その人の家で暮らしたんですか?」
「彼女がこの城に来たのです」
「もしかして、それを街の人が誤解して?」
「後でわかったのですけれど、彼女……街の人たちに別れを告げるとき、こう言ったのです。『私が彼のところに行くのは街のためだ』とね」
「それを街の人たちが解釈し間違えたんですね?」
「彼女が僕の元にやって来たのは、不安定だった僕の精神を落ち着かせるためでした。あのまま一人でいたら、僕は何をやらかすのか、自分でもわからなかった。彼女は僕のために、しいては街のために」
 レイテは一息ついた。
「しかし、街の人たちは根本的なところで間違えていたのです。僕が長い間、生きていたのは他ならぬ魔法の力です。それが何を勘違いしたのか、人間を食らうことで生きながらえていると思っていたようです。遥か昔に、そういう種族がいてそれは昔話として語り継がれています。ルーにあげた本にもあったでしょう?」
「吸血鬼ですね」
「そうですね。その種族は人の生き血を啜って長寿の寿命を生きていた。僕も似たような人種と思われたようで」
「それで生贄になったと」
「はい。そして、彼女が僕の城にやって来て五十年ぐらいしたとき、一人の少年がこの城にやってきました」
「その少年が、セラに話していた?」
「ええ。街の人たちは僕の魔力を恐れていたのですね。時々、魔法実験で城を爆発させていましたから……仕方がないとも思います」
 ルーは自分が街の人間だったなら、と考えてみた。勘違いしたのも当たり前ではなかったかと思う。
 人里離れた城に住むのは美貌の青年。彼は何年も何十年も変わらない姿で生きている。その彼は森を彷徨い自分の胸にナイフを突き立て、挙句に城を爆発させてはピンピンしていた……化け物だと認識されてもしょうがない。
(どっちもどっちだという感じがしないでもない)
 ルーは密かにため息をついた。
 誤解するほうも誤解するほうなら、誤解されるほうもされるほうだ。
 レイテの魔力なら魔法実験の失敗備えて、結界魔法を張れるはずだ。面倒くさがったのだろう。時々、この人はひどくものぐさになる。
「彼は僕に食べられると怯えていました。しかし、僕は人間の域を超えてしまったとはいえ、人間を食べたりはしません。そんな悪食ではありませんからね。だから、彼を街へ帰したのですが……」
 途切れた話の顛末は、ルーも知っている。レイテが生贄の少女セラに語ったことだ。
「街の人たちは少年が逃げ帰ってきたのだと、思ったのでしょうね。僕の怒りを買わないうちにと彼を殺して、翌日、城の前に捧げられていました。それからは五十年周期に一人。何か天災が起こるたびに一人と、生贄が捧げられて……」
「先生は生贄となった人たちに金貨を与えて、別の国に逃がしたんですね」
「街へは帰せませんからね。しかし、それが生贄を食べるという出鱈目を事実と決定付けてしまったようで。今年もまた……」
 レイテは額を抱え深いため息をついた。今年やって来た生贄は、厄介なことに居座ろうとしている。
「どうしたものでしょうねぇ」
 天井を仰いでレイテは呟いた。


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