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 5,雪竜の目覚め


 生贄の少女、セラの願いというのは、彼女が住む街ハリスの近くに居座った雪竜の退治だった。
 雪竜がハリスの街に現れて二ヶ月、その影響が深刻になってきた。雪竜とはそのままで、火竜が炎の息を吐くのなら雪竜は冷気の息を吐く古代生物ドラゴン種。
 セラの街は、ここから南に七つの山を越えた向こう。街は真夏だというのに、真冬の寒さで作物が育たなくなった。昨年は日照りで不作。もう街には余分な蓄えなどない。この作物が枯れてしまったら、お終いだ。
 そこで雪竜退治に討伐隊が組まれた。しかし、誰も帰ってこない。皆、雪竜に殺されてしまったのだろう。次々と送り込まれる討伐隊。街から男たちは減り、ついには女子供と老人だけになってしまった。
 もう、いてもたってもいられなくなったセラは偉大なる魔法使いであるレイテ・アンドリューに助けを求めにきた、と言う。
 偉大なる魔法使いレイテ・アンドリューは遥か昔、魔法が全盛期だった時代にその名を轟かせた二人の魔法使いの子供で、その両親を凌駕する桁外れの魔力の持ち主だと言う。そして、一千年の時間を生きたことによってさらに魔力を強めたとも。
 その彼の能力を持ってすれば、古代生物であるドラゴンも恐れるに足らない、とセラは考えているようだった。
「勝手に期待されても困るのですが……」
 レイテは書棚から本を引っ張り出しては、後方に投げた。背後でルーの悲鳴が上がる。
「先生っ! わざと顔を狙っているでしょうっ!」
「ルー、常識で考えてごらんなさい。頭の後ろに目の付いた人間なんていますか? 後ろが見えないのに、狙って投げるなどという芸当、できるわけがないでしょう?」
(先生なら、後ろに目が合ってもおかしくないと思う。だって、千年も生きているんだ。後ろに目玉が生えてきたっておかしくないじゃん)
 レイテは後方に本を投げつけた。ビタンと何かを叩くような音がして、ルーの呻き声が聞こえてきた。
「まったく、何度も言っているのに」
 伝心魔法で思念を飛ばすな、と何度も注意しているにも関わらず、ルーは同じ失態を繰り返す。
 言い聞かせても駄目なら、身体で覚えさせるしかない。
 もっとも、ルーの魔力はまだ弱くて、その思念を聞き取れるのはレイテぐらいの魔力を持つ者でなければ無理だろう。そんな人間はこの世界を見回したところでいないのだが。
「魔法なんて要らないのかも知れませんね」
 魔法が廃れたことを考えれば、そう思いつつ、レイテは書棚から本を抜いては後方に投げつける。
 何かが崩れるような音がした。ルーが抱えきれなくなった本をぶちまけたのだろう。
 慌てて拾い上げる気配が伝わってくる。本を汚したらレイテの鉄拳が飛んでくるとルーは信じているようだ。
 まったく、殴った後のケアはしてあげているだろうに。ちゃんと、魔法で痛みを治療してあげている。さっきの往復ビンタだって、治してあげたではないか。
 その可愛い顔に傷をつけるほど、僕は鬼畜ではないのですけれどねぇ、とレイテは笑いを噛み殺した。


 ルーは、師匠の白い背中に恐る恐る声を掛けた。
「せ、先生……思ったんですけど、俺たちこんなところで、こんなことをしていてもいいんですか?」
「こんなこととは何です? 書物を紐解き、知識を深めようとするのはとても大切なことですよ」
 レイテはルーを振り返った。ルーは両手に抱えた山積みの本の影から顔を出す。
「それはわかっていますけど。……セラのこと、このままにしていていいんですか? 追い出すなりしなくて」
「君って薄情ですね。女の子を外に放り出せと言うのですか?」
「俺をいずれ、放り出すくせに」
「ルー、二十歳過ぎた子はね、もう女の子とは言いません。立派なレディです」
「レディならなおさら、放り出したら駄目でしょう。っていうか、それなら雪竜に困っている街の人たちを助けないのは薄情じゃないんですか?」
 ルーはレイテに反論した。また、本がルーの顔面にめがけて飛んだ。
「君は竜が……ドラゴン種がどんなものか知らない。それを読んで勉強しなさい。知らなくても構わないことですが、色々知って頭のいい振りをすれば、下界に出たうぶな君を騙そうなど考える人はいなくなるでしょうから」
「読むんですか?」
 ルーはうんざりした顔を見せた。
 レイテに読み書きを教えられたルーは、今では古代文字から魔法文字まで理解しえる。しかし、その文字が並んでいるのを見ると何故か、眠くなってしまうのだ。
「何も知らないで、君は僕を竜退治に追いやるのですか? 僕は薄情な子を愛情たっぷりに育ててきた自分が情けなくて涙がこぼれてきますよ」
 レイテはやれやれ、と嘆くように首を振った。
「愛情ですか?」
 疑わしげに問い返す。ルーが思うには、レイテにとって自分はイジメ甲斐のあるオモチャのような気がするのだけれど。
「それで、先生。竜ってそんなに手強いんですか?」
「君は何を聞いていたのです? それを読んで学びなさいと言いましたでしょう。古代生物の生態について詳しく記されてあります」
「ちょっとくらい教えてくれたっていいじゃないですか」
 そう言って、ルーは頬を膨らませる。ハッキリ言って、千ページはありそうな本を読む気にはなれない。手短に掻い摘んででもいいから、レイテの口から聞いたほうが頭に入る気がする。
 目で訴えるルーにレイテは、ため息を吐いて、しょうがないですね、と肩を竦めた。
「竜は人間種族が誕生する前からいたそうですよ。その寿命は一千万年とも一億年とも言われています。かの種族、総じてドラゴン種と呼ばれるものは知能を持ち、人語を解するそうです。そして、人間で言うところの魔法に似た能力を持っていまして、一番厄介なのが死の咆哮と呼ばれる……」
 そこでレイテは言葉を切った。ハッとした顔つきでルーを見、それから視線を逸らす。
「……そうでした。そういう方法もあったのですね」
 独り言のように呟く。どうやら無意識に発したものらしい。
 ルーが声を掛けると、彼は我に返ったようにルーを振り返った。
「先生?」
「何です、ルー?」
 落ち着きのない声だ、とルーは思った。
「死の咆哮って何なんですか?」
「それは……」
 レイテは何かを言いかけるようにして口を開き、しかし閉じた。暫く沈黙して、キョトンと彼を見つめるルーにレイテは優雅に微笑んだ。
「それは自分で学びましょう」
「せこい」
 ルーは思わず反論した。そこまで教えてくれたのなら、最後まで教えてくれてもよいではないか。もったいぶったことをしないで。
 とはいえ、これはレイテらしい所業でもある。
「ルー、今日は徹夜してそれらの本を読みなさい」
「それらって……」
 複数形で語られたそれにルーは冷や汗をたらした。
 そんなルーの気持ちを知ってか知らずか、レイテは邪気のない……ぶんだけ何かを企んでいるような……笑みを見せて本のタイトルを読み上げた。
「古代生物生態についての考察論書。魔法文字による魔法形態の変異。魔法陣省略化による危険性、まあ、その三冊に限定してあげましょう」
 その三冊だけとはいうが、わからない文章に対しては辞書ないし手引書を解読しなければとてもじゃないが読めたものではない。
「明日、テストを行います」
「テストっ?」
 ルーは悲鳴じみた声を上げた。レイテから魔法や色々なことを学ぶのは好きだが、勉強自体は大っ嫌いのルーである。
「なあに、簡単なテストですよ。それらを読破すればね」
 レイテはポンとルーの赤毛頭を撫でて──その際に、魔法で顔の痛みをとってやり──くるり、と身を翻すとレイテは書庫から立ち去った。
 パタンと扉が閉じるのを確認して、ルーは自称心優しい養い親に対して、思いっきり罵った。


「――それだけ言えば、報復は易いものではないことを知っているでしょうに」
 背中を預けた扉越しに聞こえてくる罵倒の数々にレイテは肩を竦めた。その報復を与えるのはレイテ自身であるのだが、彼はルーの暗黒色の未来に同情した。
「僕に出会ってしまったことがルーの不幸ですね」
 命を主張するように泣かなければ、鬼のような養い親に拾われることなく昇天できただろうに……。
 そう呟いて、レイテは廊下を歩き出した。
「でも、大丈夫」
 レイテは水色の瞳に浮かんだ感情を全てから隠すように、自分自身にも隠すように、目を伏せた。
「明日から、君は自由ですよ」
 もう束縛したりはしないから……。

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