6,交換条件 レイテが客間へと戻ってきた。 生贄の少女セラは、レイテやルーが部屋を出て行ったときのままに、椅子の上で身じろぎもせずに固まっていた。 少女は向かいの席に腰掛けるレイテを緑色の瞳で、真っ直ぐに見つめ返してきた。 ――不死の魔法使いを。 恐れを知らないのか、それとも恐れることを必要なしと知っているのか。 「あなたは願いを叶えてくれるのならば、自分の身がどうなっても構わないと言いましたが、それは本当ですか?」 裾まで届く白いローブの下で長い足を組みながら、レイテが問う。 「ええ」 迷いもなくセラは、即答した。 「ならば、ここで死ねと言ったら?」 肘掛に腕を預け、頬杖をついた不死の魔法使いは、斜めに彼女を見下してきた。 瞬間、セラは息を呑んだ。死ぬことに対して、彼女には迷いはなかった。しかし、自分が死んだ後、はたして、彼が願い通りに動いてくれるのか? そう考えると身動きが取れない。 戸惑うセラを前にして、不死の魔法使いは、そっと微笑んだ。見る者の魂を肉体から奪い去ってしまうような、魅惑的な微笑。 「冗談ですよ。僕はそのように極悪非道な人間ではありませんから、人の死は願ったりしません。……人の死はね」 「じゃあ、何故に、助けてくださらないのです? このままでは私の街は雪竜のせいで凍えた夏を送ってしまいます。もうこの夏に作物が育たなければ、街の人間は餓えて……」 「わかっていますよ、あなたの街の深刻さは。だからと、僕が雪竜退治に出て見事に竜退治に成功してしまったら?」 銀髪の間から、不死の魔法使いは、凍えるような冷たい視線をセラに向けてきた。 鋭い視線に、セラは太ももの上に置いた手の、握った拳の内側に、じっとりと汗をかいた。 「救いを求める人たちが僕の前に現れるでしょう。そうして彼らは、僕に生贄を差し出す」 「……それは」 「そうでもしなければ僕が動かないから、ですか?」 「だって」 「あなたも承知してくれたでしょう? 僕が生贄なんて求めていないことを」 「…………」 セラはそっと頷いた。 不死の――偉大なる魔法使いレイテ・アンドリューに、救いを求めてこの街にやってきたとき、セラは生贄になるつもりなどなかった。しかし、街では生贄の選定が行われていた。生贄を差し出さないと、レイテの怒りを買って滅ぼされると言うのだ。 セラはレイテに近づくために生贄を買って出た。真偽を確かめるには丁度いいと思ったし、彼が願いを叶えてくれるのならば死んでもいいと思っていた。 どうせ、雪竜が退治されなければ故郷の街は滅んでしまうのだから。 あの街以外で生きよう、とは思わない。もう二度と、帰ってくることなどないであろう恋人を待ち続けて死ぬのだと、討伐隊として出て行く彼を見送りながら誓ったのだから。 だから、セラは生贄になった。しかし、レイテはお金を出してきて、どこかの国に行って幸せになれ、と言う。 「生贄を差し出さないと駄目だと思い込んでいるのですよねぇ、街の人たちは」 微かにため息を吐いたレイテを、セラは見つめた。悲しげな美貌が心を突き刺す。 「僕は確かに人間としての域を超えてしまいましたが、心は人間のつもりですよ。今も昔もね。誰かを愛おしく思えば、誰かを救いたいとも思う。でもね、誰かを救うことで誰かを犠牲にしたくはないのです」 「誰かを犠牲にする?」 「君の街を救うことで、他の瀕死に喘いでいる街が僕に救いを求めてくる。そのとき、彼らは僕に生贄を差し出してくるでしょう。それは一人の人の人生を犠牲にすること、そうではありませんか? 大多数の人の命と一人の命、比べるまでもないと言うかもしれませんがね。僕は世界中の人間を救うためにルーの命を差し出せと言われたら、迷わずルーを連れて逃げます。あの子は僕が育てた命だ。どうして、他人のために犠牲にしなければならないのです? 大義のための死、犠牲的精神の死、敬意を評しますが僕は認めません。そんな理屈を押し付けられた生贄もね」 「…………」 「先程、話しましたよね。生贄になった少年の話を。彼のような人を僕はもう作りたくないのです。前例ができてしまうと、僕には止められない。街の人が僕を理解するには僕は常識から逸脱しすぎていますから」 「…………」 レイテの言は、セラにも理解できた。 そして、自分のようにレイテを理解できる人間がいたとしても、長い間に人々の意識に根付いてしまった不死の魔法使いに対する恐怖を、覆すことはできないだろう。 それは悲しいことだけれど。 「だから、偉大なる魔法使いレイテ・アンドリューは君の願いを叶えてあげられません」 やんわりとした口調でレイテは、セラの望みを退けてきた。 「だけどっ!」 食い下がろうと、声を荒げたセラをレイテが片手を上げて制す。 「……誤解しないでください。レイテ・アンドリューとしては助けて上げられませんが、一人の人間として助けてあげますよ。ただし、交換条件として僕の願いを聞いてくださるのならばの話ですけれど」 「一人の人間として……」 首を傾げるセラにレイテは微笑む。 「あなたはレイテ・アンドリューに救いなんて求めなかった。ただ、故郷の状況が嫌になってちょっと逃げただけ。この街にはこなかったし、僕にも会わなかった。そして、街に帰ってみたら雪竜は勝手に消えていた、という筋書きならまあ、あなたでも演じられますよね?」 「つまり、レイテ様が関わったことを内密にするということですか?」 「その通りです。この小芝居が通せるのなら、あなたの願いを叶えましょう。どうですか? やってみますか?」 「勿論ですっ」 セラは嬉々として頷いた。 「それは良かった」 レイテはそっと微笑んだ。それから音もなく立ち上がり呟いた。 「……失敗したときのことを心配していたのですよ」 「えっ?」 セラが耳ざとく聞きつけたその呟きに顔を上げると、レイテは遠い目をしていた。 遠くを見つめる悲しげな瞳を目の当たりにして、セラは問うことができなった。 レイテが危惧している、それを。 |