9,ルーの奇跡 「赤い石のついた杖で床を突いたら、何だか色々文様が描かれた円陣が現われたの」 「それ魔法陣だよ」 セラに言われるままに、ルーは壁に立てかけてある魔法の杖から赤い石がついたものを探し出す。 「これかな?」 「レイテ様がお持ちになった杖に似ているわ。昔話に出てくるみたいに……魔法使いって杖を使うのね」 「いや、根本は魔法文字なんだよ。その文字一つ一つに意味があって、力が宿る。その組み合わせが魔法陣なんだ。呪文は時間差で魔法を発動するときに使う」 「時間差?」 「例えばここに魔法陣を書くよ」 ルーは指先で直に床をなぞった。何も持っていない指は当然、床に何も記すことはない。 だが、魔法文字、魔法陣を書くという行為が、魔法を発動する一種の儀式みたいなものなので書く真似だけで十分だった。 「普通は、この魔法陣が構成された時点で、火の魔法が完成する。でも、魔法陣の中に呪文を鍵にする文字を組み込めば──下がって」 ルーの言葉に従い、セラは三歩ほど後ろに下がった。 「《炎よ、燃え上がれ》」 凛とした、鈴の音のような声を響かせたルーの足元に、床から火の柱が立ち上った。 「声が届く範囲なら、時間差で魔法を発動できるってわけ。ここで、魔力をどれだけ込めるかによって、炎の大きさとかが変わってくる。後、魔力を持続的に注ぎ込めば、炎を自在に動かせるんだ。俺はまだ、その領域にはいたってないけど。呪文はまあ、そういうときに使う以外はあんまり使わない」 パチンと指を鳴らすと炎は立ち消え、床ももとのままだ。 ルーは表面上なんでもない振りをしながら、心の内側で安堵した。実はまだ、具現化魔法は得意じゃない。 「そうなの? ああ、そういえばあなたに魔法をかけているとき、レイテ様は呪文のようなものは口にされなかったわね。額に何かを書いていたような」 「うん。あれが魔法陣というか、魔法文字。で、杖は実際に魔法文字ないし魔法陣をこの杖の先端についた魔法石を通して、書くっていう行為を省略してくれるんだ」 「魔法文字を理解できれば誰にでも魔法が使えるの?」 「いや、魔法文字や魔法陣は第二段階。第一段階はとりあえず、魔力を魔法に転化することなんだ」 「魔法文字や魔法陣なしでも魔法は使えるの?」 「イメージだけでも使えるよ。ただ、魔法文字や魔法陣を使ってない場合は、魔法が固定化っていうか安定化しないんだ」 だから、垂れ流し的に伝心魔法を使ってしまうルーだった。 「安定化してない魔法は持続しないし、効果が薄い。先生の場合は文字なしでも俺の声を封印したり怪我を治したり簡単にできちゃう。先生は魔力が桁外れって理由もあるけど、ちゃんと頭の中に魔法陣が構成されているからさ」 ルーは杖についた赤い石を確認する。 「何か、問題があるの?」 「石によって魔法陣の構成スピードが変わってくるし、それは同時に魔法の安定感にも繋がる。移動魔法は高等魔法だからなるだけ良い石を使っている杖がいいんだ。ただ、この魔法石自体あんまり強度がないから、こうも一杯、予備がいるわけ」 ルーは壁に並んだ魔法の杖の束を指差した。それから石を見つめ、うん、と頷いた。 「これはまだ使えそう。良かった、予備を置いていてくれて。俺、魔法陣を書くのって得意じゃないんだ」 ルーは杖を手にし、床を突いた。と、魔法陣が床に現われた。 「違う、これは移動魔法の魔法陣じゃない」 ルーは赤毛頭を両手で掻いた。 「ちょっと、待っていて。魔法陣に関する本を持ってくる」 部屋を飛び出すルーをセラは見送った。 扉の向こうに消えたルーの背中に、セラはそっと呟いた。 「……強いのね」 ルーは、大切な人に切られた絆を繋ぎ戻そうと必死だ。本当にレイテを引き戻せると信じているのだろうか? 「……信じているから、できるのね。本当に亡くしたくないと思うから」 自分はどうだっただろう、とセラは考える。 恋人が雪竜の討伐隊メンバーに選ばれて、街を発ったとき、自分は何を思ったか。 もう二度と、帰ってくることがないことを知っていて。 「私は……なんて簡単にあの人を見送ってしまったのかしら」 討伐隊全滅の知らせを受けても、涙一つもこぼすことがなかったセラは、いまここで初めて恋人が死んだことに対する涙を流した。 「……セラ?」 本を抱えて戻ってきたルーは、泣いている少女に首を傾げる。 「ごめんなさい。何でもないの」 「それならいいけど。俺、悪いけど、あんまセラのことを構っていられないから」 ルーは床に本を置いて広げる。ページを乱暴に捲りながら、移動魔法の魔法陣についての項目を探す。 「セラにも色々、事情があると思う。でも、俺は先生のほうが大事だから……ごめん」 目線を上げたルーはただ一言、少女に謝罪した。 「……いいの。ただ、私はあなたやレイテ様がうらやましいだけ」 他の誰でもなく、互いを選び取ってしまう二人の関係が――そう、セラは小さく囁いた。 「うらやましい?」 「レイテ様は仰っていたわ。世界中の人間を救うために、あなたの命を差し出せと言われたら、自分は迷わずあなたを連れて逃げるだろうって」 「……先生、そう言ったの?」 赤い瞳をぱちくりと見開いて、ルーはセラを振り仰いだ。 「ええ」 頷いて答えるセラに、ルーは頬が熱くなるのを自覚した。 「俺にはそんなこと絶対に言ってくれないのにな」 「本人だから言えない言葉って、あると思うわ」 セラにとっては、恋人を引き止める言葉は絶対に言ってはいけないものだと思っていた。彼は街のために、しいては自分のために旅立つことを決意したのだから。 「……でも、本人相手に言わなくて誰に言うのさ?」 ルーにとっては、会話する相手はただ一人しかいない。この胸に宿った思いを告げる相手はただ一人。 「あった、移動魔法の魔法陣図式」 ルーは目的の魔法陣が描かれページにじっと目を凝らす。頭に陣形を叩き込めば、後は杖についた石が魔法陣を構成してくれる。 「よし、覚えた」 ルーは本を閉じると、それをセラに預けた。 「本を汚すと先生に怒られるから。ごめん、持っていて」 怒ると容赦ないんだから、先生は、とルーは唇を尖らせる。 それはレイテがルーを女子と扱っていないからだ。それを望んだのはルーのはずだが。 「ねぇ、あなたは何で男の子の格好をするの?」 「あれ、先生から聞いたの? 俺が女だってこと」 「声と身体つきを見れば、女の子じゃないかって何となくわかるわ」 セラの言葉に、ルーは自分の身体を見下ろした。膨らんできた胸を隠すために大きめのシャツを着ているのだが、やはりそれでは駄目なのか。 「それで疑問に思って、レイテ様にお伺いしたの。そうしたら、あなたがそう望んだから男の子として扱っていると言われたわ。あなたが女の子として振舞えば、レイテ様もあなたにもっと優しくしてくださるのではなくて?」 「あー、うん。多分ね」 「わかっていて、どうして?」 「だって、女は待っているだけじゃん」 「……え?」 セラが戸惑いの表情を見せた。自分のことを言われた気がしたのだろう。 彼女の顔に微かに浮かんだ困惑に気付いたルーは、慌てて言いつくろった。 「あー、本物の女の人はどうだか、わからないよ? 俺、先生以外の人間は遠見の魔法でしか見たことないから。……あのさ、昔話や童話に出てくるお姫様ってさ、大抵、不遇にあってそれで王子様が助けに来てくれるのを待っているじゃん。俺ね、小さい頃、俺を捨てた親が迎えに来てくれるんじゃないかって、待っていたんだよ」 「……そう」 「でも、何年経っても現れない。そういう女々しさが自分で嫌になって、先生に宣言したんだ。今日から俺は男になるって」 「……随分と思い切ったものね」 目を丸くしたセラが苦笑するのを見て、ルーも笑った。 「先生が手加減なしで殴ってくるってわかっていたら、俺もあんなこと言わなかったと思うよ。でも、それまで俺は女の子で、先生は大事に育ててくれて。あんなに変貌するなんて思わなかったんだよ」 ルーは盛大に息を吐いて、ガックリと肩を落とす。 「それだけ大切にされていたということね」 「うん……本当に、大切にしてくれたんだ。男になるって言った後、ちゃんと俺を男として扱ってくれた。それは俺の意志を尊重してくれたってことなんだよな」 「そうね」 「……俺も本当は先生の意志を尊重すべきかもしれない。でも、やっぱり、先生には死んで欲しくない。そう思うのはいけないことかな?」 ルーは答えを求めるようにセラを見上げた。同い年ぐらいだと認識しているが、ルーには全てがはじめてのことだった。 レイテを亡くしたくないと思う気持ちも、レイテの気持ちを大切にしたいと思う気持ちも。 「いけないことじゃないと思うわ。きっと、正しさなんて百通りあるのよ」 セラが答えた。彼の決断も、自分が殺した言葉の数々も間違いだったなんて思いたくない――彼女は自らの思いを確かめるように、ルーに語りかける。 「あなたにはあなたの思いがあるように、レイテ様にはレイテ様の思いがある。それぞれ、違う個人ですもの、意見の違いがあって当然だわ。大事なのは、自分とは違う思いをどれだけ理解し、受け入れられるかだわ。レイテ様の孤独を理解しているあなたは、単なるわがままで、死んで欲しくないと願うわけではないのでしょう?」 「うん。だって俺、あと八十年ぐらいは生きるよ。そりゃ、俺はいつか死んじゃうけど、その八十年は先生の孤独を晴らしてあげられる。その時間は俺にとっても先生にとっても無駄な時間じゃないはずだ」 この十七年間、散々悪態をついたけれど。 不幸だと思ったけれど。 無駄だったとは思わない。一杯、笑ったし喧嘩もした。 だから……。これからも、まだ、笑いあえるはず。 「答えが決まっているのなら、迷うことはないわ」 セラがそっと微笑む。 「そうだな」 ルーは杖で床を突いた。記憶した通りの魔法陣が魔法石を通して、床に現れる。 「次は?」 「円の中……魔法陣の中に入られたわ。そして、杖を鏡のほうに向けられると、鏡が光りだしたの」 セラから聞くレイテの行動をルーはなぞった。腕を持ち上げ、鏡に向かって杖を突き出す。しかし、鏡は光らない。 「何が悪いの?」 「…………」 (俺の魔力が足りないから? 何かミスった?) ルーは考えた。この魔法陣は空間に作る道の入り口になる。だとしたら、鏡は……。 「そうか、出口だ」 道が行く先を指し示さないと道は開かれない。 「俺が行く先はあの人のところだ」 声に出した瞬間、鏡が光る。銀色の光の中に、ルーは捜し求めるその人の姿をみつける。 銀の髪に水色の瞳。雪よりも白い肌に、純白のローブをまとった偉大なる魔法使い。 (一人になんて、させない。一人になんて、なってやらない。いつも側にいる。いつだって、あなたが側にいて、俺の孤独を癒してくれたように……俺も。だから、先生) ルーは鏡に向かって手を伸ばした。光がルーの身体を包んでいく。 (俺を残していかないで) 「俺に気付いて」 (俺を見つけて) 「俺を呼んで」 鏡に映ったその影がルーを振り返る。遠い距離を挟んで互いに姿を見合うことなどできないはずなのに。 「そしたら、俺は奇跡を起こす」 (どんな距離だって飛び越えていける) …………ルー………? 彼がその名を口にした。ルーはそっと微笑む。 ルーの身体が光に包まれた。セラは眩しさに目を閉じる。そして、見開いたときはレイテのときがそうだったように、ルーの姿も消えていた。 |