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 11,雪竜の山で


 雪竜が住み着いたとされる山は、白く雪化粧していた。
 その山の麓にセラの街はあった。眼下に眺める街もまた白く染まっていた。緑など見えない。吐き出した息は白く風に流れていく。
「ぶぇっくしゅんっ!」
 盛大なくしゃみが傍らで響いた。
 振り返ったレイテの隣で、ルーが鼻先を赤くして一言。
「あ、鼻水出ちゃった」
 ズズズっと垂れ下がる鼻水に、ルーはポケットからハンカチを引っ張り出して鼻をかんだ。
「……君ねぇ。仮にも女の子なのですから、中年親父みたいなくしゃみは止めなさい。それと頼みますから、僕のローブに鼻水をつけないでくださいよ」
 スッカリ調子が戻ったレイテはそんなことを言って、ルーと距離を取った。
「先生……びぇっくしゅん」
「もう。大体、追いかけてくるにしても何なのですか、シャツ一枚で。雪竜退治に行くのですよ? それなりの防寒対策というものがあるでしょうに」
「せ、先生は寒くないんですか?」
 ガチガチと歯を鳴らすルーは、大きめのシャツに膝がむき出しの半ズボンといういつもと同じ服装だ。この格好で雪山を登ったのだから、身体は冷えて当然だろう。
「僕のローブは冷暖房完備なのですよ」
 そう言って鼻を鳴らすレイテにルーは飛びついてきたかと思うと、ローブの裾を引っつかむとバッと捲りあげた。
「わっ! スカート捲りしたがる変態ですか、君は」
 ギョッと目を剥いて、レイテは弟子から距離を取る。
「ずるい、先生っ! セーターなんか着込んでるっ!」
「だから、防寒対策は当然でしょう」
「冷暖房完備なんですよね、そのローブ。じゃあ、俺にセーター、貸してください」
「何で……」
「嘘ついたら針千本、飲ませますよ?」
 唇を強く結んで睨みつけてくる赤い瞳の迫力に、レイテは負けた。
「…………しょうがないですねぇ」
 レイテはローブを一端脱いで、セーターをルーに貸してやった。
「うわっ! ポカポカだぁ」
「当然です。羊の純毛で作った手編みのセーターなのですから」
「へぇ〜」
 織り機で編んだんじゃなくて? と、感心するルーがふと、小首を傾げるのがレイテの目に映った。
(……?)
 何事かと思いながらもレイテは再び、セラの住んでいるハリスの街を見下ろす。雪景色を目にすると、些細な疑問は消失した。
「なるほど、確かに雪竜の被害は深刻ですね。これでは夏野菜の収穫は望めないでしょう」
「もう手遅れですか?」
 ルーが小さな声で問いかけてくる。心を痛めているその様子に、安心させるようにレイテは言った。
「夏野菜は駄目にしても、今から秋に収穫できる野菜などを植えれば冬場はしのげるでしょう。セラにあげた金貨があれば、それまでの食料を確保することができるでしょうし。何にしても、雪竜を退治しませんといけませんね」
「何で、いきなり雪竜が現れたんでしょうね?」
「いや、存在的には昔からいたのかもしれませんね。ただ活動期に入ったことで、その身に宿す冷気の猛威が増したのではないでしょうか」
「活動期?」
「ドラゴン種は、休眠期と活動期を百年の割合で繰り返すようですよ。まあ、寿命が寿命ですから人間で言うところの一日の単位が百年なのでしょうね。休眠期は地中深くにもぐっているということです。人間にはありがたいことですね。四六時中、活動期で暴れられたら人の世なんて当に消えうせていたでしょう」
「ドラゴン種ってどれぐらい存在しているんですか? ええっと、読んだ本には五種、火竜、風竜、水竜、地竜、そして雪竜ってありましたけど」
「それは現在確認されているものですね。その昔はまだ他にもいましたよ。雷竜、嵐竜、海竜、天竜などなど。まあ、呼び方が違うだけというのもありますが」
「ひぇっー」
 赤い瞳を丸くするルーが面白い。勉強が嫌いと言いながら、レイテの講義には真剣に耳を傾ける弟子相手に、師匠としては話をするのは楽しかった。
「ドラゴン種族の力は、天災を引き起こします。昔はそれを神々の意志だと言っていましたけれど、人間はいつしか自分たちが至高の存在だと奢り、天地を支配するドラゴンを敵と見なして退治しました。そのせいで、ドラゴン種は数を減らし今では五種になったと。勿論、ドラゴン種の退治で犠牲になった人間も多かったのですけどね」
「やっぱり、呪いですか?」
「ええ。死の咆哮を受けると魂は粉々に砕かれ輪廻転生も叶わないと僕たちの間では伝わっていましたね」
「本当ですか? っていうか、僕たちの間って?」
「ドラゴン種の退治に借り出されていたのは、魔法使いだったのですよ。僕の友人もドラゴンの呪いで死にました。魂が砕かれ、廃人に。肉体は生きているのですが、意識はない。それでは長くは持ちません」
 微かに目を伏せてレイテは語った。
 不意にルーが、レイテの意識を逸らすように彼の手を強く握った。
 それに気がついたレイテはルーを見下ろし笑う。
「心配しないで。魔法使いたちはドラゴン種の退治を重ねるごとに秘策を見つけましたから」
「秘策って? そんなものあるんですか?」
「ありますよ。でなければ君を連れて雪竜退治に出かけたりするものですか。危なっかしい」
「本当に、あるんですか? 途中で俺を送り返したりしませんよね? 一人で雪竜と戦おうなんて考えちゃ駄目ですよ」
「疑り深いですね、君は。秘策はありますよ。魔法戦争で魔法使いの数が減ったせいで、後世に伝わらなくなってしまったから、どんな書物にも載っていませんけれど。僕はリアルタイムでそれを学んだ身ですから」
 不安そうなルーの表情に、レイテは言い聞かせる。
「信じてください。自分から死に逝くような真似はしませんから」
 うん、と頷くルーを連れてレイテは歩き出す。
 山の中腹にある洞窟に雪竜は住み着いているという。
 そこまではもう少し登らなければならない。細い山道では手を繋いで登るのは難しく、ルーはレイテのローブの端を掴んで後ろに続いた。
「先生。俺、思ったんですけど」
「何です?」
「神様なんているんですか?」
「……君はどう思います?」
「よくわかりませんけど。もしいるとしたら、ドラゴン種が引き起こす天災は神々の意志なんでしょう? そのドラゴン種に歯向かって呪いを受けること、死の咆哮はやっぱり天罰なんですか? 神様に逆らったから、輪廻転生も叶わなくなる?」
「神が実在するかどうか、僕にもわかりません。確かに人が生まれて死んで逝く輪廻転生のからくりは人のなしえるものではありません。だから、神はいるのかもしれません。ですがね、ルー、生きているのは人なのですよ。神々に生かされているわけじゃない。僕らが生きることを定めたから、僕はここにいる。君は僕の前で生きている。そうでしょう?」
「…………」
「確かに生かされていると感じることもありますが。今、僕が君と生きることを決意したのは他でもない僕自身なのです」
「はい」
「僕らが生きているようにドラゴンもまた生きています。生きているものはその生涯において、色々なものを虐げ殺します。ドラゴンも空腹を癒すために人を食らうそうです。それは生きるために仕方のないことですね。殺さなければ、死ぬという関係が成り立ってしまった以上、神々の意志に逆らう云々はもう関係のないことだと思います。生きることを決意したのならば生きることに懸命になりましょう。どんな逆境も乗り越えて生きましょう。それはこの世に生まれて意志を持った全ての生命に言えることです。ドラゴンもね。だから、生き残るために人は刃を磨き、獣は爪を研ぐ。ドラゴンは呪いを咆える。これは生きていくための、生き残るための、意味のある争いです」
 人同士の争いははっきり言って無意味で愚かとしか言えませんが、とレイテは息を吐いた。それは生き残るための争いではなく、欲深さが生み出したものであるのだから。九百年前の魔法戦争は正しくその典型だった。
「神々が天罰を下すというのなら、初めから人など創らなければ良かったのです。でも、人も獣もドラゴンも生きています」
「うん」
「この争いを神々が否定することはできません。だから、天罰など恐れないでください」
 レイテはルーを振り返って告げた。
「君は僕が守ります。神々が天罰を下して君の魂を輪廻転生のサイクルから外し、地獄へ落とすというのなら僕が地獄の底に行き、君の魂を救ってあげます」
「先生」
「僕を信じなさい。僕は偉大なる不死の魔法使いなのですから」
 いつもは弟子に傲岸不遜だと、感じさせるであろう言葉ではあったが。
 今日は頼もしく思えたのか、ルーは白い歯を見せてレイテに応えた。
「はい!」

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