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 15,後日談 もったいないお化けがでるぞ〜


「先生っ! 今日のスープは、いつもよりおダシが効いていて美味しいですねっ!」
 嬉々として語るルーに、レイテは顔を引きつらせた。
 そのおダシが、鍋の中で茹で上げられ死亡した白トカゲのピクルルちゃんから出たものだとは、ルーは夢にも思っていないのだろう。
 レイテは自分の器に盛ったスープに目を落として、さてどうしたものかと考える。
 ピクルルちゃんの尊い犠牲を思うなら、このスープを無駄にはできない。思い出と共にきちんと消化してやるべきだろう。
 そう思う。思うのだが……。
 茹で上がった無残な姿を思い出せば、あまりに哀れで食欲もうせる。
 自分が死なない人間になったために、レイテは命というものについてはかなり敏感だ。食卓に出される肉類に対しても、心から哀悼の意を述べ、最後の一切れまで無駄なく食べることを信条にしている。
 だから、このスープを失敗したと捨てることなどもっての外だ。
 しかし……。
(やっぱり……トカゲですし)
 世間では一千年の時を生きてきたレイテは、生贄の少年少女たちを屠る人食い人間と思われているようだが、本人は至ってマトモな食生活を望む。
 やはり、トカゲ入りの──具材として入っているわけではないのだが──スープはどちらかと言えばゲテモノに入るだろう。あまり食べたくはない代物だ。
「……そうですか、美味しいですか」
 ルーの褒め言葉を受けて、レイテはスプーンを手にするがそこで止まる。
(ピクルルちゃんの尊い犠牲を無駄にはできません)
 そう何度も自分に言い聞かせるが、やはり手は動かない。
「先生、おかわりしてもいい?」
 そうこうするうちに、皿を空にしたルーが尋ねてきた。
「ええ、それは勿論。沢山、食べてください」
(どうせなら、全部食べてください)
 レイテは自分の思考にハタリと気付く。そうだ。ピクルルちゃんを溺愛していたルーに食されればピクルルちゃんも本望だろう。
「ルー、それほどに今日のスープの出来は良いですか?」
 レイテはルーの皿になみなみとスープをよそって、問いかけた。
「はい、とってもっ!」
「それはとても嬉しい褒め言葉ですね。感激してしまいました。そんなに喜んで貰えるなんて、五十時間も掛けて作った甲斐があったというものですよ」
 野菜と肉と水を入れ、五十時間、魔法の火により火加減の調節の手間を掛けず、ただただ煮込んだだけだが。
「君の言葉に胸を打たれ、僕はもうお腹が一杯です」
 普通は胸が一杯になるところ。
「ルー、僕の分も食べてください」
「え? いいんですか?」
「構いません。もう鍋ごと全部、どうぞ」
 バケツのような大鍋をレイテはそのままルーの前に置いた。
「でも……こんなには」
「大丈夫、食べられますって。君なら」
「いや、でも、幾ら俺でもこれ全部は」
「残したら駄目ですよ。もったいないお化けが出てきますからね」
「……もったいないお化け?」
「ええ。知りませんか? 丁度、魔法戦争が終幕を迎えた八百五十年前に魔法戦争の余波で野菜の精霊が具現化するという現象が起きましてね」
「野菜の精霊? 具現化?」
 初めて聞くそれにルーは赤い目を丸くした。
「精霊って御伽噺の中の話じゃないんですか?」
「そう思われていましたが、実在したのですね、これが」
「本当ですか?」
「僕が君に嘘をついたことがありますか?」
 一杯あると思うけど、とルーは思った。しかし、報復が怖くてプルプルと首を横に振った。
「僕は君の知らない世界を知っています。だから、僕の話は嘘に聞こえてしまうのかもしれませんがね。ですが、僕は君に嘘はつきません。だって君は嘘が嫌いでしょう?」
「はい」
「だから、君には嘘はつきません」
(出鱈目なことは言いますけど)
 レイテは心の中で舌を出した。
 嘘とデタラメは、レイテの中ではまったくの別物と認識している。
 そう、この場合、認識自体が間違っているのだから、嘘と出鱈目が同意語であったとしても、レイテには嘘をついたと非難される言われはない。
「ふわー、野菜の精霊ですか。凄いですね」
 そして、単純なルーはレイテの出鱈目話に真顔で感心するのだった。


「ですが、これが怖いのですよ」
「こ、怖いんですか?」
 ルーは怖い話が苦手だった。そんな話を聞くと夜、眠れなくなってしまう。
「ええ、怖いのですよ。もったいないお化けは」
「……どれぐらい?」
「君が夜、眠れなくなるくらいです。何しろ、具現化した野菜の精霊は食べ物を粗末した人間の枕元に座って包丁を研ぐのです」
「包丁を……」
「ええ、シャリシャリスススッスススッって音をさせてね、包丁を研ぐのです。そして、寝ている人間の首筋に刃を当てて────ダンっ!」
 レイテが口から発した音に合わせて、いつの間にか手にした包丁をテーブルの天板の上に叩きつけた。
「ひぃぃぃぃぃっ!」
 突然、振り下ろされた凶器にルーは悲鳴を上げた。
 包丁の刃が、テーブルに置いた指の先にある。下手したら、指を切断されていた。なんてことをするんだ、この人は。
「とまあ、こんな風に包丁を振り下ろすのですよ」
 レイテは何事もないような顔で言った。それから、包丁を抜こうとしたが、思いのほか深く突き刺さったらしい。
 グイグイと柄を上下させては、一向に抜けない様子に途中で諦め、手を放した。
「…………」
 ルーはテーブルに刺さったままの包丁を見、それが間違って自分の手に落ちてきていたらと考えると背筋がぞっとした。
「怖いでしょう?」
 レイテが薄笑いを浮かべて問いかけてくる。
 ルーはこくこく、と頷いた。別の意味で、怖かった。
「でもね、それで即死なら、怖い思いを実感せずに済むのですけれどね」
「ち、違うんですか?」
「違うのです。何しろ、野菜の精霊ですから、力が弱い。叩き下ろしても、即死に至る致命傷にはならないのです。ギリギリ、ちょうど、首の半分、気管を潰すような形で包丁がめり込む。これは痛いですね。痛いですよ。死んだほうが良いってくらい痛いです」
「死んだら駄目だと思うけど」
「ルー、死んだらね、痛みは感じません。ですが、生きていると壮絶な痛みが襲います。まあ、死んだほうが良いと思うのは、生きているからこその思考です。誰も本気で死にたいなんて思いませんよ」
「……はあ」
 昨年の夏に、その問題で弟子をハラハラさせた張本人は、もう過去など忘れた感じで言った。
「話を戻しましょう。突然襲ってきた痛みに、勿論、眠気なんてぶっ飛んでしまいますね。そこで目が覚めると、目の前に包丁を持ったニンジンやタマネギ、ジャガイモなどの野菜の精霊がいます」
「ニンジン……」
「彼らは目が合うと言います。もったいない、もったいない、せっかくの食べ物残してもったいない」
「喋るんですか?」
「精霊は喋りますよ。普段は人間に見えないだけで、ちゃんといるのです。具現化したことにより声もこちらに聞こえてくるようになったのですね」
「へぇ〜」
「それで問いかけて来るのです。お前か、僕らを残したのは? と」
「僕って、野菜の精霊って男の子なんですか?」
「…………君、自分が女の子なのに「俺」って言っていること、忘れているでしょう」
 妙なところを気にかけるルーに、レイテは呆れたようなため息を吐いた。そんな師匠に、弟子はちょっだけ拗ねたように唇を尖らす。
「精霊の性別など、僕は知りませんよ。それで、精霊の問いかけにここでハッキリと違うと答えれば精霊は消えると言われています」
「あ、何だ……帰るんだ。良かった〜」
 ルーはホッと安堵に胸を撫で下ろした。
 お化けや幽霊が出てきて怖いのは対処法がないことだ。しかし、この場合、対処法はあるのだから、まあ、もったいないお化けが出てきても、大丈夫、とルーは考えたわけだが。
「君、もう三秒前のこと忘れているのですか」
「えっ?」
「最初の一撃で、ほぼ気管を潰されている人間が違うなんて声を出せると思いますか?」
「……あ」
「首を振ることもできません。何しろ、首に包丁が刺さっているのですから」
「…………もし、違うと言えなかったら、どうなるんですか?」
「野菜たちは言います、ならば僕らが残さずに食ってやる、とね」
「食うっ?」
「そう……ムシャムシャ、パクパクと身体を食べられて、翌朝、家人がその部屋をのぞくと血塗れのシーツの上に綺麗に肉を落とされた骸骨と血塗れの包丁が残っているのです」
「ひぃぃぃぃっ!」
「とはいえ、これは魔法戦争の頃の話で、今では精霊が具現化することはあまりありません」
「そ、そうなんだ」
「ですが……」
「えっ?」
「このスープは魔法の火によって調理されたものですからね。もしかしたら、その影響を受けてもったいないお化けが現れるかもしれませんね」
 レイテはそう笑ってルーの皿に目をやった。話に聞き入っていたため、おかわりした皿の中身は減っていない。
「ルー、残してもかまいませんが、もったいないお化けが出ても僕は君を助けてあげませんからね」
「そ、そんな……」
「食べ物を粗末にするような弟子は僕の弟子じゃありません」
「でも、こんなには食べきれないですよ〜」
 ルーは呻く。今の話を聞いて食欲はどこかへ消えうせた。
「君、美味しいって言いましたよね」
「それは言いましたけど」
「美味しいなら食べられますよね」
 美味しいから全部、食べられるわけじゃない、とルーは思う。
 が、レイテの冷たい水色の瞳が、艶然と微笑む微笑の中で反論を許さない。
「……う、あ」
「それとも、何ですか? 君は嘘をついたのですか? 本当は美味しくなくて、食べたくない?」
 若干、声音を低くしてレイテが問う。
 体感気温がみるみる下がっていくような感覚をルーは覚えた。
「そ、そんなこと言っていませんっ!」
「ならば、食べてくださいますよね? 僕が君のために丹精込めて作りましたスープを。勿論、全部」
「ふ、……ふぁい」
「そうですか、そんなに食べたいのですか。いいでしょう、沢山、食べてくださいね」
 そして、食べた先からスープを皿に注ぐレイテにルーは、もったいないお化けより先生のほうが怖い、と心の底から思った。


 翌日、腹痛に苦しむルーを看病しながらレイテは、
(……これはやはり、ピクルルちゃんの呪いでしょうか?)
 と、真剣に悩んだ。
 腹痛の原因は単なる食べ過ぎでしかない。

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