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 20,事件の裏側


 夜までまだ時間があるということで、グレースが食事を奢ってくれるということになった。
 レイテの横に陣取ったルーは、ハンバーグセットを頼んで一心不乱に食べている。レイテ以外の人間が作る料理を食べるのは初めての経験で、普段とは違う味付けに小首を傾げたり笑ったりと忙しい。
「少しお尋ねしたいことがあるのですが、よいですか?」
 レイテは、パスタ料理を正味三分でさっさと片付けたグレースに問いかけた。
「は? 何スッか?」
 二皿目を注文し、それをガツガツと平らげる。グレースはその巨体に見合った食欲を存分に見せつけながら、レイテを見上げた。
「いえね、僕はレイテ・アンドリューが偽者ではないかと、一つの可能性として考えているわけですが。グレースさんたち、自警団の皆さんはそれについてどうお考えですか?」
「偽者……」
「はい。考えませんでしたか?」
「いや、まあ、……でも、魔法を使える人間なんてそうそういないですし、生贄を要求するなんてレイテ・アンドリュー以外、しないと思うんスが」
「先生は人間なんてっ──痛いっ!」
 レイテを弁護するように口を開きかけたルーの後頭部に平手が飛んできた。頭を抱えるルーを無視して、レイテは向かいの席のグレースに笑いかける。
 グレースはパチパチと目を瞬かせた。一瞬だったが、レイテがルーを叩いたような……。
「ですがね、過去、レイテ・アンドリューは自ら生贄を要求したことはありません。それに、僕やルーを見てわかりますように、魔法自体はそう難しいものではないのですよ。独学でも学ぶことができます」
「はあ……偽者スッか。偽者だったとして、レイテ・アンドリューの名を騙って生贄を求めることにどんな意味があるんスかね?」
 レイテは細い指でそっと唇を撫でた。
「確かに、百人の美女なんて大きな要求です。もしかしたら、レイテ・アンドリューという名は目隠しで別に何かを企んでいる可能性もありますね」
「別の何か?」
「色々、考え付くことはあります。例えば、人身売買」
「人……買い」
「美女を百人、娼館に売れば、かなりの額が稼げるのでは?」
「……あ」
 グレースの口から呆気にとられた声が漏れる。
「もしくは生贄の騒動に自警団の目がそちらに向かうのに乗じて、街で何かをやらかそうという計画があるとか」
「……げっ」
 今度は、カエルのような呻き声。
「後は捜査のかく乱。町長に恨みがあった。それを──町長の屋敷を燃やし、少ない髪を完全にハゲさせたことで──晴らしたはよいが、調べればすぐにわかることなので、捜査の目をくらませるためにレイテ・アンドリューの名を騙った」
 レイテは一つ一つの可能性を上げていく。
 グレースは全く念頭になかったのか、可能性を指摘されるたびに顔色を青くしていった。
「などとね、偽者として名を騙るに十分の効果があります。勿論、本物だっていう可能性も十分に残っていますがね」
 レイテは口を休めるように水を一口飲んだ。
「そこで確認したいことが出てきました。町長を恨んでいる人間はいませんか? 先にお話を伺った町長の娘さんと恋仲になったという青年はどうですか?」
「……え、あ、ああ……」
 レイテの問いかけにグレースは顔を顰めた。
「どうかしました?」
「いや、その……恨みはね、あると思いますよ。でも、どうなんスかね? 何だか、イメージじゃないんスよね」
「イメージじゃない?」
「女に振られて──結果的にライラは大富豪のところに嫁に行くわけですから──振られたわけですよね?」
「僕に尋ねられても困るのですが、一般的に見ればその通りでしょう」
「だからって女々しく復讐なんてタイプにゃ見えんのですよ。あの男にしてみれば女なんてより取り見取りって感じなんスよ。丁度、若様みたく」
「……僕ですか?」
「その男ね、若様みたいに綺麗な面をしているんスよ」
 グレースの言葉にルーは、レイテの横顔を見上げた。
「先生より綺麗な人なんていないと思う」
 それからプゥと片頬を膨らませて、ルーはグレースを睨んだ。
 グレースはハハハと乾いた笑いを返す。
「いや、若様より綺麗ってわけじゃないスッよ。正直、オレは若様の方が好みスッよ」
「何とも複雑な言葉ですね」
 一応、男であるレイテは男に好かれても一つも嬉しくはない。眉をひそめるレイテを余所にグレースは少し角ばった顎を撫でながら言った。
「印象は若様が白なら、あの男は黒って感じスッね」
「黒……」
「綺麗な黒髪を背中まで伸ばしていましてね、目も黒なんス。服装も黒で統一して、それが似あうんスよ。若様が時々、白いローブを着てそれが似合っているように」
「それはどうも」
 レイテは唇だけで笑った。
「ただ、ちょっと造りモノっぽい顔立ちだなと思うんスよね。あんま、愛想よくないし。ライラはそういうところが嫌になったのかもしれませんね。素性がハッキリしていないところもあったし、一月ぐらいこの街にいましたが、誰も奴の名前を知らないっスよ」
「……それで、その彼は?」
「ライラの結婚話が本決まりになってからは、街では見かけなくなりましたね。だから、そいつが町長ん家に火をつけたとは考えられないな。付近にいればとにかく目立つ奴だから、目撃者がいてもよいはずだし」
「……でも、魔法に熟練していれば遠距離からでも放火は可能ですよ。ただ、そこまでの技術レベルがあるとは思えませんが」
 レイテは町長の屋敷の焼け跡に残ったテーブルの裏に書き記された魔法陣を思い出す。あのように魔法陣を実際に書き記すという仮定を踏む人間は、まだ魔法に対して初期レベルであると推測してよい。それに、そのことから考えれば犯人は限定される。
 だが、ここでレイテはそれを言及するつもりはなかった。犯人がレイテの考える人物であるのなら、百人の生贄をどうするつもりなのか、見届ける必要があった。
「若様は現場を見て、どれだけの腕の持ち主か、わかるんスか?」
「……え、ああ、まあ……」
 レイテは言葉を濁す。
 ルーはレイテの様子に首を傾げたが、レイテの意図がわからないので黙っていることにしたようだ。余計な口を開いてまた頭を叩かれたら嫌だ、という判断はなかなかの成長具合だが、垂れ流しの魔法が弟子の心の内を暴露する。
(せっかく、先生が人間なんか食べない人だって、弁護してやろうと思ったのに)
 ルーのその言動がレイテの正体をバラすことになるとは、弟子のお馬鹿な頭では思い至らないらしい。
「他に町長を恨んでいるような方はいますか?」
「うーん、どうだろうな。割と人に好かれるタイプだから、こんなどでかい事態を引き起こすほどの恨みってのはないんじゃないスッかね」
「そうですか。では……街自体が狙われる可能性は?」
「街スッか?」
「例えば、古代遺跡が残っているとか。魔法戦争以前の遺物はかなり貴重ですよ」
「ないスッよ、そんなの」
 グレースは顔の前で分厚い手の平を左右に振った。
「東の、何とか言う街では最近、街の地下に遺跡が発見されて、トレジャーハンターなるものがそこを荒らして困るっていう話は聞きますけどね。そいつら同士で殺しも起きているとか。でも、うちの街の地下は何も出ていませんよ。井戸を掘っても、普通に水が出ますし。……ああ、街の警備を少し強化したほうが良さそうスッね」
「ええ。生贄事件のほうにばかり目を向けていては、治安維持に問題が生じるかもしれません。悪人は常に一人とは限りませんからね」
「そうスッね。オレ、一度、詰め所に戻りますよ。着替えなきゃいけないことですし」
 五人前の食事を平らげたグレースは席を立ちかける。その彼にレイテは確認した。
「グレースさん、生贄に選ばれたものは街の中央広場に六時に集まるのでしたね?」
「そうスッ。六時にレイテ・アンドリューの使いって奴が迎えに来ることになっているスッ。行き先さえ、わかっていれば自警団の奴を先に張り込ませられるんスが」
「本物のレイテ・アンドリューの居場所は明確ですがね」
 だが、それはフラリスの街からすれば三日はかかる距離だ。生贄の要求から、その引渡しまでの期限は二日しかなかった。とてもではないが、間に合わない。
「……そこが、少し疑問って言えば疑問スッよ。何で、うちの街なんだか」
 グレースは小首を傾げながら、「それでは失礼しまス、若様」と言って去っていった。


「先生、やっぱり人身売買ですか?」
 ルーは、グレースが店から出て行くのを完全に見届けてから、レイテの横顔を見上げ問いかけた。
「その可能性が一番でしょうね。僕の名前を騙った偽者が食人鬼だとは考えられない。吸血鬼も伝承の中で語られているだけの存在です。その存在を証明する記録も何もありません」
「いないんですか、吸血鬼」
「さあ? 記録がないだけで実はいるかもしれませんね。でも、それがこうも人間社会に関わってくるというのも奇妙です。幾ら、レイテ・アンドリューという隠れ蓑があったとしても。だから、人身売買が目的で仕組まれた事件だと考えるのが一番妥当なところでしょうね」
「で、先生はどうするんですか?」
「とりあえず、その場までついて行きますよ。その後、君に任せたいことがありますが、大丈夫ですか?」
「何ですか? 俺にできること?」
「ええ、現場について相手の顔を確認したら、僕は生贄の皆さんを強制的に移動魔法でフラリスの街に送り返します。君も一緒に」
「ええっ? 何で? 俺、先生と一緒にいます」
 ルーはギュッとレイテの腕にしがみ付いた。
 この師匠はちょっと前まで、不死である自分に嫌気が差して、死にたがっていた。今はもう死にたいなんて、口にすることはないが、いつ何時、気が変わるかわからない、というのがルーの言い分だった。
 この人を一人にしたら駄目だと、ルーは本能的に感じていだ。
 そんなルーにレイテは軽く息をついて、告げた。
「話は最後まで聞きなさい。とりあえず、君には生贄の皆さんと一緒にこの街に戻ってもらいます。多分、そのとき、パニックが起こると思うのです。皆、魔法での移動なんて経験したことがないでしょう。見慣れた街並みでも、それが自分の住んでいる街だとわからない可能性があります」
「そういうもんですか?」
「魔法を知らないということは、そういうことなのですよ。そこで、君の出番です。君はパニックになった皆さんを冷静に導いて、家に帰してあげなさい」
「一人一人家に連れて行くの?」
「……君ね、もう少し頭を使いなさい。君は皆さんのパニックを収め、ただ指示をすればいいのです。家に帰るようにね。このとき、グレースさんにもう安心していいのだと伝えなさい。後は全て、僕が始末するから、結果を待てと」
「……はあ。それで、その後は」
「君の好きになさい。その場で僕を待つもよし、先に城に帰ってもよし」
「先生を迎えにいってもいい?」
 ルーは身を乗り出して、レイテの水色の瞳を覗いた。
 レイテが女装していなければ、傍目には恋人たちの風景に見えるのだろうが。今はどちらも完全に女になっているので、食堂の客の目には二人の組み合わせはかなり奇妙に映っただろう。
「駄目と言っても聞かないのでしょう。別に構いませんよ。君が来る頃には偽者はもう二度と僕の名前を口にできない状態になって、終わっていますから。危険もないですしね」
 レイテは小さく微笑んだ。
 このときは、一瞬で全てが終わるのだと信じて疑っていなかったのだ。

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