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 21,絶望からの解放


「ヒッヒッヒッ」
 引きつれを起こしたような笑い声を発するのはルーである。
 そのルーの赤い目に映るのは、ピンクのワンピースを無理矢理着込んだグレースだった。
 彼のためにと用意されたワンピースだったが、サイズが少しばかり足りなかったみたいで、厚い胸板は平のままピンと布地を張り、後ろのファスナーは肩甲骨の辺りまでしか上がっていない。スカート丈は本来、踝まであるところが寸足らずで、ふくらはぎが丸出しだ。ロングブーツを履きたいところであるが、ガタイのいい彼に合うサイズがなく、いつも使用しているショートブーツを仕方なく履いていた。当然、素足であるからスカートの裾からはすね毛が見え隠れしている。
「ひっひっひっー」
 笑うのを我慢しようとすればするだけ、ルーの声は響いた。
「し、失礼…ですよ……ルー」
 レイテは弟子をたしなめるが、彼もまた顔の筋肉がこわばるほどに笑いを堪えるのに必死だった。
「若様に嬢ちゃんも、そんなに笑わんでくださいスッよ」
 グレースは渋面を通り越して、泣きそうな顔をしていた。似合わないのは承知していたことだったが、ワンピースのサイズまでもがあわなかったことで、グレースの格好は女装にすらなっていない。
 男が長髪のカツラを被り、女性物のワンピースを無理矢理着たという、そのままの絵だ。これで美人と条件付けされている生贄の中に混じろうというのだから、その行為は無謀だ。
 レイテ・アンドリューの使者とやらがやって来れば、この怪しい男を百人の中から外すのは目に見えていた。
「しょうがないですね」
 レイテはグレースに近寄り、背伸びをして彼の額に魔法陣を書き記した。
「……?」
 レイテの冷たい指先が触れたそこをグレースは撫でた。そうして、指を目の前にもってくる。別段、血が出ているということもない。
「あー、笑いすぎて死ぬかと思ったっ!」
 首を傾げるグレースの脇で、ルーはお腹から、深く息を吐き出しながら言った。そして、グレースを見上げ、レイテを振り返り尋ねてきた。
「これって幻覚魔法ですか?」
「ええ」
「あの……」
「ああ、グレースさんにちょっと魔法をかけました。幻を重ねることによって、他人の目にはグレースさんが普通に見えます」
「……普通スッか?」
「多少、美人に見えます」
 レイテは言葉を訂正した。
「はあ……あんまり、変わらないようにも見えるんスが」
 グレースが自分の姿を見下ろしてみると、胸を詰め物で膨らませることもできないくらいにピチピチに伸びきったピンクのワンピースが目に入る。自分の姿とはいえ、あまり見ていて気持ちのいい格好ではない――そんな姿しか、映らない。
「グレースさん自身の目には幻は見えませんからね」
「何だか、便利スッね、魔法って」
「使い方さえ、間違わなければね」
 レイテはやんわりと微笑む。
「あれ? でも、だとしたら若様も嬢さんも着替える必要なんてなかったんじゃないスッか?」
「……グレースさん、人には余裕というものが必要ですよ」
 レイテとしては女装を楽しんでみたかったし、こういう機会でもなければルーに女の子の格好をさせられなかったというだけで、グレースが言うとおり、わざわざ着替える必然性はなかった。
「……はあ」


 時刻は約束の時間を迎えようとしていた。
 街の中央広場に集まった美女たちの顔には、それぞれ緊張の色が伺えた。グレースの珍妙な姿を見ても笑い声すら上げられないほど、彼女らは自分たちが迎える運命に絶望し震えているのだろう。
 そんな中、銀髪の麗人レイテは、グルリと周囲を水色の瞳で見回していた。彼の目には街で顔見知りの女性たちも数人、見え隠れした。その中で目を引いたのが金髪の巻き毛が美しい女性。
「先生、浮気したら駄目ですよっ!」
 ルーが一点に絞られたレイテの視線を感じ取って、グイッと彼の腕を引いて注意をそらす。
「馬鹿なことを言わないでください。僕はただ……」
「若様の好みはライラスッか?」
 グレースは、レイテの視線の先を追いかけ、彼が見つめていた先の女性の名を口にした。金髪巻き毛の美女は町長の娘のライラだ。
「グレースさんも変なことを言わないでください。僕には決まった相手がいますからね」
「え? そうなんスか? ……ミーナじゃないスッよね?」
 雑貨屋の看板娘がこの美貌の麗人に惚れているのを自警団の若頭は知っていた。幼馴染みであるミーナの恋を応援してやりたいと、グレースは思っているのだが。
「違います。あまり、言いたくはありませんが、この子が僕の特別な子です」
 レイテが自らの腕にしがみ付いた、赤毛の少女を指差した。
「若様って……ロリコンだったんスッか?」
 思わず口走って、目を丸くするグレースに、レイテは嫌そうに顔を顰めた。
「人聞きの悪いこと言わないでください。第一に、ルーは十七歳ですよ」
「十七スッか?」
 とてもそうは見えない。が、それを本人の前で言うわけにはいかないことはグレースにもわかった。
「ルーは僕の養い子で、僕の大事な家族です」
「えっ? 若様って幾つなんスか?」
「…………永遠の二十歳です」
 思いっきり胡散臭い。外見は二十歳くらいだと思うが、この若様、実はすげぇ年寄りではないのか? 思わずジト目になったグレースを無視するように、レイテが続ける。
「これから一生を共にする相手で、幼いからルーが好きというわけではありませんよ。彼女が年老いても、僕はルーを誰よりも愛しむつもりです」
「……はあ、何だか凄いスッね」
 レイテの美貌なら、この広場を埋め尽くした美女たちをオトすことも可能であるだろうに。
 男なら人形みたいに着飾って、今は可愛く見えるが、普段は少年のようなルーを選ぶより百人の美女を選ぶだろうに。
「凄くなどありませんよ。ルーが僕を選んでくれただけです」
 魂の存在を信じて、未来永劫に、何度生まれ変わってもレイテを見つけ出して孤独にしないと誓ってくれた。それは己の自由と引き換えに、レイテを選ぶということだ。そんな強い誓いを前に、浮気なんてできるはずがない。
 もっとも、浮気云々の前にまだ恋人と呼べるような関係にさえ辿り着いていないのだが。
「えへへ」
 赤い少女が、レイテの腕を抱えて笑った。その幸せそうな笑顔が、グレースには印象的に映った。


 ルーは、レイテがグレースに対して宣言した言葉の余韻に浸っていた。
 レイテは怒らせたら怖いし、ときどき意地悪なことを言って、ルーをからかってくる。でも、誰よりもルーのことを大切に思ってくれていることは、この十七年間でしっかりと感じ取っていた。
 優しくなくて時々、怖くても、やっぱり先生が一番好きなんだ、とルーは思うし、その自分の気持ちを疑わない。
 ……本当はずっと優しくして欲しいとは思うのだけれど。
 繋いだ手から、少女の心が流れてくる。レイテとしては、少女の願いを叶えてやりたいが、養い親としての義務も同時に弁えていた。
 少女の幸せな回想に、水を差すようにカランカランと時計台の鐘が六時を知らせた。
 一気に高まる緊張の中、ガラガラと石畳の車道に車輪の音を響かせて白い幌を張った馬車が十台やって来た。御者台から降りたのは黒い布で覆面をした男たち。そのうちの一人が告げた。
「十人ずつ馬車に乗れ、私語は許さん」
 そうして手にした鞭の先で、一人の女性を叩いた。その行いにカッとなったグレースとルーが飛び出そうとするのをレイテは止めた。
「今は従っていましょう。行きますよ」
 レイテは鞭で叩かれた女性の下に静かに歩み寄り、手を貸して彼女を馬車に導いた。その際に、魔法で女性の痛みをとってやったが、緊張している彼女はそれに気付いていない様子だった。レイテも続いて馬車に乗る。はぐれまいとルーが続いて、成り行きでグレースも同じ馬車に乗り込んだ。
 約二時間ばかり揺られただろうか。馬車が止まった。
「降りろ」
 覆面男に命令されて、馬車を降りると目の前には廃墟寸前の古びた屋敷があった。
「中に入れ」
 レイテはルーの手を繋ぎ、後ろにグレースを従えるようにして先頭に立ち、屋敷の中に入った。
 案内されたのは劇場のような部屋だった。丁度、舞台に当たるところにレイテたちは並ばされる。
 最前列から数列、距離を置いた座席に二十人ばかりの人影。所々に置かれた明かりに反射するのはオペラグラスか。
「……ここは」
 グレースが呻くように呟いた。
「……オークション会場ですか」
「ええ、人身売買の現場ですね」
 レイテはこちらを値踏みしてくる人々を睨み返して言った。
「じゃあ、やっぱり、若様の言っていた通り……レイテ・アンドリューは偽者?」
「そのようですね。もうこれ以上、茶番に付き合う必要はありません。ルー、後は任せましたよ?」
 レイテはルーを見下ろして、コクリと頷くのを確認してから移動魔法を発動させた。


 グレースは一瞬、身体が浮遊するような感覚を覚えた。その感覚に戸惑っていると、目の前の光景が一変していることに気付く。
 客席や生贄である美女たちを買わんと集まった人間たちは消えうせ、どこかで見たことがあるような街並み。
「……ここは」
「フラリスの街の中央広場だよ」
 傍らにいたルーが、グレースの疑問を晴らす。
「……えっ、でも、何でスッか? オレたちはさっきまで……」
「先生が皆を街に帰してくれたんだよ。だって、偽者相手に生贄を差し出す義理なんてないでしょう?」
「あ……ああ。……いや、しかし」
 偽者であるのはわかったが、肝心のその相手を見極めていない以上、それで終わりというわけにはいかないだろう。
「先生に任せておけば、首謀者を捕まえてくれるよ。それより……」
 ルーは息を大きく吸い込んだ。そうして、口の周りに両手を当てる。何をするのだろう、と見下ろすグレースが思わず耳を塞ぎかけるほどの大音量で、少女は叫んだ。
「──ミナサンっ!」
 リンと鈴を鳴らすようなその声は、夜の外気に速やかに広がる。
「もう大丈夫です。生贄になる必要はなくなりましたっ!」
 皆の注目を集めるようにルーは万歳をし、頭の上で両手を振った。派手な赤い衣装が効果的に視線を集める。
「ここはフラリスの街です。俺たちは先生の移動魔法で戻ってきましたっ!」
 ピョンピョンと片足で跳び、目立とうとするルーを見かねて、グレースは少女の身体を自分の肩に担ぎ上げた。
 ここで生贄の女性たちは自警団の若頭の存在を確認する。
「俺の言うことを聞いたくださいっ! 皆さんは、このまま家に帰ってください。生贄の件は白紙ですっ! レイテ・アンドリューは偽者ですっ!」
 ざわりと女性たちの間でざわめきが起こった。今まで絶望に何も考えられなかった思考に意思が戻ってくる。
「後は俺の先生に任せて、明日を待ってくださいっ! そうすれば全ては終わっています。
繰り返しますっ! 皆さん、自分の家に帰ってください」
「帰れるの?」
「帰っていいの?」
 周囲からもれる問いにルーは、ニッコリと笑って答えた。
「はーい、大丈夫ですっ! 今すぐ、お家に帰って家族を安心させてあげてくださいっ」
 その言葉に一部の女性が踵を返して駆け出した。釣られるように続々と駆け出していく。
 広場にはルーとグレース、そして、グレースと共に生贄に混じっていた自警団の者たちが残った。
 グレースは我に返って、仲間に指示を出す。
「皆を家に送り届けるんだ。それから、町長に伝えろ、レイテ・アンドリューは偽者だった。生贄の話は人身売買の売りものを集める方便だって」
 弾かれるように駆け出していく男たちのその後姿を見やって、グレースはその前に着替えさせるべきだったかと悩んだ。ピンクのワンピースの裾を振り乱してがに股で走っていく男たちの図はハッキリ言って精神的にキツイ。
 ルーがヒョイッと、グレースの肩から降りた。
「ありがとね、グレースさん。グレースさんも家に帰っていいよ」
 ルーはそう言うと腰をかがめた。地面に膝をつき石畳を指でなぞって、何かを書いているようだ。
「……嬢さん、何をしているスか?」
「先生のところに戻るの。杖があったら魔法陣を書かなくても大丈夫なんだけど」
 レイテからは頭の中で魔法陣を構成する練習として杖を使うのを、ルーは禁止されている。小さい魔法ならそれでも実行可能になりつつあるが、移動魔法のような難しい魔法はまだ魔法陣を書かないで実行するレベルまで達していない。
 ルーはもう完璧に覚えてしまった一つ一つの魔法文字を組み合わせ、魔法陣を書いていく。
「若様のところに……」
「よし、できた。じゃあね、グレースさん。明日には全部解決しているからさ」
「えっ? あ、ちょっと」
 思わずルーの腕を掴んだグレースは再び浮遊感を覚えた。


「……どうして、グレースさん、あなたまで」
 頭上から声が聞こえて見上げると舞台の上からレイテが呆れたような顔を見せた。
「若様っ!」
 じゃあ、ここは。グレースは辺りを見回すとそこはオークション会場だった。だが、少し前と光景が違っていた。客席にいた人間たちを始めとして、覆面の男たちも白目を剥いて気絶している。
「な、何……?」
「ちょっと雷撃を与えました。お仕置きです」
「雷撃ってあのビリビリするの?」
「ルー、君にもお仕置きをあげましょうか。大丈夫だと言いながら、グレースさんを再びつれてきたりなどして」
「わ、わざと連れてきたわけじゃないですよ、先生っ! 移動するときに腕を掴まれたから……もう魔法を発動していて」
 言い訳をするルーに手を差し出して、レイテは少女を舞台の上に引き上げた。
「まあ、丁度、良かったですよ。説明する手間が省けますからね。グレースさん、この茶番劇の解決編をその場で見学していてください」
「解決編?」
「ええ、そこの二人がこの事件を仕掛けた犯人ですよ」
 レイテが腕を持ち上げた先、舞台の袖に立っていたのは……。

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