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 23,闇からの使者


 レイテが片膝をついた。吐血。点々と舞台の上に鮮血が滴り落ちる。
 それがルーの元にまで飛んできた。顔にかかった雫を拭って、ルーは己の手を見る。
 赤い血……血……血だ。
 それは自分の血ではなく……レイテの。
「いっいゃゃゃゃゃっ!」
 胸を刺し貫かれて、うずくまるレイテにルーは叫んだ。
 ずっと生きるって言ったのに。
 自分を待ってくれるって言ったのに、こんな終わり方はない。
「せっ先生っ! 先生っ!」
 ルーはレイテにしがみ付いた。彼の胸に空いた傷口を押さえる。血がダクダクと鼓動に合わせて流れ落ちる。
「止まらないっ! やだぁ、先生っ!」
 少女の悲鳴が廃墟に響き渡った。


「わっ、若様っ!」
 グレースは舞台によじ登った。
 ケホケホッとレイテが咳き込むたびに、血が舞台に散る。これは肺をかなり傷つけられているのだろう。
「わ、若様っ! だ、大丈夫スッか?」
 混乱する頭の中で妙に冷静な意識が、馬鹿な質問をしている、とグレースは思った。
 こんなに血を流していて、大丈夫なわけ、ないじゃないか。


「大丈夫ですよ……」
 あらかた、血を吐き出したレイテはルーの手の平に重ねるようにして、己の胸に空いた穴に手を当てた。切り裂かれた服の下、白い肌に刻まれた傷が跡形もなく消えていく。
「……せっ、先生……」
 驚くルーとグレースの目の前で、レイテはスクッと立ち上がる。
 そっとルーに微笑みかけ、手の甲で口元の血を拭いながら、レイテは黒の青年を振り返った。
 青年は氷の剣を肩に担いで、つまらなそうにこちらを見ていた。
「へぇ、ホントに死なないんだ」
「なるほど……あなたの真の目的は僕でしたか。僕の名前を騙ったのは僕を呼び寄せるためですか? それにしては生贄の要求から引き渡しの期日の幅が狭いですね。それでは、僕の耳に届く可能性は低いと思うのですが」
「別に今回でお前が引っかかるなんて思ってなかったよ。それに、本物のレイテ・アンドリューが出てこなくても良かったんだ」
「……わかりませんね。僕の名を騙り、僕をおびき寄せようとしながら、僕が出てこなくても良いというのはどういう意味ですか?」
「わかんねぇ? お前の悪行が広まれば、人間も発起するかもしれねぇじゃん。お前を殺すために」
 ニヤニヤと笑う青年にレイテは片目を眇めた。
「……今回のことに対してならば、ともかく。僕はあなたに恨みを買った覚えはありませんが?」
「俺、魔法使いって嫌いなんだよっ!」
 青年が憎らしげに吐き捨てた声の強さに、その憎悪を実感させられた。
 だが、しかし……。
「矛盾しますね。あなたも魔法使いであるでしょう?」
「お前、本気でそう信じられるの?」
「……どういうことです」
「偉大なる魔法使い、最強と謳われたお前が不意をつかれたからって、血を吐くような傷を負うんだ? 最強? どこが」
「……魔力が高いからと言って、戦闘能力に長けているわけではないですよ。僕は平和主義者ですからね」
「ふーん、でもさ、その心臓に刻まれた不死の魔法陣は本来なら傷を再生するはずじゃん」
「……かなり、魔法に詳しいようですね」
 レイテは青年に対する違和感を強めていった。
(何なのです? この青年は……)
 レイテの心臓に刻まれた不死の魔法陣。その秘密を知っている者は魔法が全盛期だった頃の人間だ。今の世に流通している魔法知識では心臓に刻まれた複雑な魔法陣図式を解読するのは無理だ。
 それを目の前の青年は一目で見抜いたというのか。
(そう……肉体の外傷に対して、不死の魔法は本人の意志に関わらず、再生させる)
 青年に傷つけられた傷は本来、レイテが意図的に治療しなくても再生するはずだった。
 その昔、何度もナイフで自らの心臓を傷つけた。その度に、魔法陣に組み込まれた再生魔法がレイテの傷を癒していった。
 今回も放っておいても、徐々に内側から傷を塞ぎ出血は止まる。だが、再生に若干、ずれがあった。それは青年が魔法陣に及ぼした影響の現れだ。
(……魔法陣は壊れていない。そんなことはできない)
 二人の魔法使いによって組み上げられた魔法陣。そこに込められた魔力は、レイテの魔力でもってしても傷つけることができなかった。それは青年にとっても同じはずだった。
 彼の剣は、間違いなくレイテの心臓を狙って突き出されていた。
 レイテには回避する暇もなかった。だが、心臓は鼓動を刻んでいる。強固な結界で刃の先を微妙にずらしたのだ。
(……でも、魔法陣を傷つけた)
 壊すことは不可能だ。だが、傷をつけることはある程度の魔力を有していれば可能。そうなると魔力レベルはレイテよりも上だということになる。
(僕よりも魔力レベルは上?)
 その可能性は別に問題ではない。人は存在的に魔力を有している。グレースだって、学べば魔法を使える。この時代に桁外れの魔力を持って生まれたとて、それは不思議なことではないのだ。
 問題なのは、その魔力を使いこなせているかどうかだ。魔力をただ魔法に転化することは初心者でも割合簡単だ。だから、ライラも青年の手ほどきで魔法を使えた。
 しかし、レイテの心臓に刻まれた魔法陣を傷つけようとするならば、ただ魔力が桁外れという問題では済まされない。
(…………その魔力を魔法に転化し、この魔法陣を傷つけるまでにするには、僕でさえ千年を生きて到達できていない領域ですよ?)
 見たところ、二十歳前後のこの黒の青年がその人生で習得しえるレベルではない。
「あなたは……人間ですか?」
 レイテは問いかけた。
 見た感じは人間だ。だが、もしかしたら、伝承にある吸血鬼種族か? だとすれば「人間も発起する」という言葉。自分がまるで人間ではないような立場からの物言いも納得できる。長寿の寿命を持つのなら、レイテより長く生きているのかもしれない。ドラゴンも魔力に似た力を持っているのだから、吸血鬼も魔力を持っていておかしくはない。
「俺が何者かって? あの暗い時代に生きたお前ならば知ってるだろうっ!」
 青年の怒号と共に建物全体が軋むのをレイテは感じた。
「建物自体を壊す気ですかっ?」
 レイテは空間を圧縮し潰そうという、青年の目論見に抵抗するように、結界を張った。内側から結界を張ることで、建物を潰そうとする力を相殺する。ぶつかる二つの力が派手な音を立てて屋根を破壊した。
 青年の力が弱まるのを確認して、レイテは結界魔法を一時的に膨張させることで瓦礫を外部へと弾き飛ばす。
 その隙を突くように青年が剣を掲げて迫ってくる。
「いい加減にしなさい」
 レイテは炎の壁を作った。青年はそれを風の魔法で薙ぎ払う。
 目の前に迫る青年が剣を突き出すのを確認して、レイテは青年が使った空間圧縮を行った。氷の剣とそれを握る右腕の周辺の空間と共に押し潰し、ねじる。
 砕かれる剣。ねじ切られた腕がゴロンと床に転がった。
「…………」
 青年は落とされた自分の腕を無感動な漆黒の瞳で見下ろした。
「あーあ、取れちまった」
「……あなた」
 一滴の血も流れない。苦痛すら浮かべない青年に、レイテのほうが青くなった。
「信じられない、まさか……あなたは」
「ようやく気付いたか。ならば、俺の恨みもわかるだろう?」
 棒立ちになったレイテの胸元に青年の左手が迫る。指先に膨れ上がる熱量を感じて、レイテは背後にいるルーやグレースと共に移動魔法で飛ぶ。
 客席に転移したレイテは、青年がライラに向き直るのを目撃した。レイテに放つはずだった火の弾がライラを襲う。
「止めなさいと言っているでしょう」
 声を張り上げると同時に、レイテは二つの魔法を構成し放った。
 一つは、結界魔法でライラを青年の魔法から守る。もう一つは風の魔法で、風圧によって青年の身体を吹き飛ばす。
「あまーい」
 舞台の奥の壁に叩きつけられる寸前、移動魔法で青年は飛ぶ。
「あなたこそ、砂糖より甘いっ!」
 再びレイテの背後に回ろうとする青年を一喝した。
「二度と同じ手に引っ掛かる馬鹿ではありませんっ!」
 結界魔法で楯を作り、青年の動きを押し止めたところで、風の魔法で青年の残された左腕を切断する。転がる腕に、やはり血は流れない。
「……ど、どうして……」
 ルーが青い顔でレイテにしがみついてきた。グレースもパクパクと口を開閉させた後、ある可能性に気付いて問う。
「……義手?」
「似たようなものですがね……違います」
 レイテは顔をしかめて言った。声に僅かだが苦さ残る。
「ちぇっ、これじゃあ、お前殺せねぇじゃん」
 青年は床に転がった自分の腕を踏みつけた。パキパキと乾いた音がして、それは細かく砕ける。やがて、砕けた破片はパラパラとまるで生き物のように中空に浮かび上がって、青年の腕があった部分に集う。
「……自動修復、やはり……そうなのですか?」
 レイテが呻くと同時に、青年の腕は再生されていた。青年は元に戻った左腕を眺めると、舞台のほうに視線をやる。すると右腕が飛んできて、ぴたりと彼の身体に寄り添った。
「何でっ?」
 ルーが悲鳴を上げた。
「ホント、人間って馬鹿だよなぁ。自分たちが作り出したもんに疑問を持つなよ」
 漆黒の瞳で、青年はルーを睨みつける。
「な、何のこと?」
 ルーはレイテの影に隠れながら青年に問う。
「質問に親切に答えてやるほど、俺はお人好しじゃねぇっての。答えはそいつが知ってるぜ。あの時代に生きていたお前なら、その身に不死を刻んだお前なら、知っているはずだ」
 挑戦的な青年の視線をレイテは真正面に受け止め、告げた。
「あなたは……<人形>ですね」
 青年は唇を歪めて笑う。それは肯定を意味するのだろう。
「に、にんぎょう……?」
 人形ってあの人の形をしたものか?
 目を白黒させるルーとグレースに、レイテは頷いた。
「魔法が全盛期だった時代、まだ魔法戦争が勃発する前、魔法使いの最大の関心は不死の魔法にあったのですよ。その一つが、心臓に魔法陣を刻む不死の魔法、僕の例です。そして、もう一つが魂転換の魔法」
「た、たましい……転換?」
「輪廻転生が信じられている背景は、生き物の魂は不変だという理によるものです。ならば、死なない身体に魂を移せばそれは不死となる、そう考え、移し変える魂の受け皿として作られたのが<人形>です……。だが、僕の知っている限りにおいて、当時は魂転換の魔法はまだ実験段階。後の魔法戦争により、それは永遠の秘術として消えたはず……」
「だが、ここに俺はこうしている……」
 青年は己の胸に手を当てて言った。レイテは信じたくはなかったのか、微かに首を振った。
「……そのようですね。認めたくはありませんが、実験は成功したということなのでしょう。ならば、なおのこと、あなた自身が魔法使いではないのですか? 魔法使いが魔法使いを恨むだなんて、間違っているようにも思えるのですが」
「お前、まだわかんねぇの? ああ、もういいっ!」
 青年は苛立たしげに地団駄を踏むとクルリこちらに背中を向ける。
「お前、殺すの後にするわ。魔法使いも嫌いだけどさぁ、人間自体がやっぱ嫌いだわ、俺。加害者が被害者面すんの、いい加減にしろって感じ」
 舞台にいるライラを見、青年は漆黒の瞳を細めて毒づく。
「何が、愛情だぁ? んな建前振りかざしたところで、てめぇの仕出かしたことは裏切り以外の何ものでもねぇっての。しかも、それを俺に責任転嫁しようなんざ、ふざけるなって」
「あなたが人としての道理を語ったところで、説得力はありませんよ」
 レイテは青年の言葉を遮って、冷徹に告げた。最初に騙したのは他ならないこの青年だ。どんなに正論を吐いたところで、その言葉はむなしくすり抜けていく。
 レイテを横目に見て、黒の青年は酷薄に笑う。
「俺が人間だったら、その通りさ。だが、俺は人間じゃねぇ、お前ら人間が作り出したものさ。その業に精々、苦しむがいいさっ!」
 青年は嘲笑を残して消えた。レイテは彼の気配を探るが、どこにも掴めない。完全にこの場から消えうせたらしい。
「何なんスか、あいつは……」
 グレースが尋ねてくるが、それはレイテにしても聞きたいことだった。
 ただ、一つわかるのは……厄介なことになりそうだということだけ。考えても頭が痛くなりそうなので、レイテはそこで思考を止めた。
「さて、帰りましょうか?」
 ルーとグレースを振り返って、レイテは微笑んだ。

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