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 24,長い夜の終わり


 そこはグレースの家だった。彼は二年前に強盗に家族を殺され、以来一人で暮らしていた。
 あの生贄事件の後、レイテの魔法でひとまず街に戻ってきたグレースは再び自警団の仲間を集めてあの廃屋に向かった。そこで伸びている人買い連中らを捕らえて戻ってくる頃には空は白み始めていた。
 家に帰りついたグレースは疲れきっていたが、どうしても確かめなければならないことがあった。そこで、帰るというレイテを引き止めて、家に連れてきた。
 居間のテーブルセットにレイテとルー、そしてグレースがそれぞれ腰掛けたところで、単刀直入に切り出す。
「ええっと、あの……若様がレイテ・アンドリューなんスか?」
「そ、そんなことあるはずないでしょうっ!」
 グレースの問いにレイテは否定するが、動揺丸出しのその反応を見るに、答えはバレバレだ。
「…………レイテ・アンドリューなんスね?」
 重ねて問うグレースにレイテは視線を逸らす。
「まさか」
「…………若様、正直に言ってくださらないと俺も怒るスッよ?」
 じっと、白皙の美貌の横顔を睨む。視線が痛かったのか、レイテはやがて諦めたように息を吐いた。
「……はい、その通りです」
「どうしてっ! 本物なら本物と言えばよかったじゃないスッか!」
 グレースは顔を真っ赤にした。騙されていたというより、レイテがその身に被った実害に腹が立つ。
 自ら汚名を被りながら、街のために奔走してくれたその彼に、自分は何てことを言った? 本物以外、生贄なんて求めない? グレースは自分に対する怒りに震えた。
「本物だってんなら、こんな大騒ぎもすることなかったんスよ? 若様が怪我をすることもなかったってのに」
「でも、僕が本物だと言ったところで、誰も信じてくださらなかったでしょう」
「そんなことは……」
 ない、とは言い切れなかった。言葉に詰まるグレースにレイテは問う。
「では、グレースさんはどうして、僕が本物のレイテ・アンドリューだとわかったのですか?」
「それは……」
 胸を貫かれて、それでも生きていたからに他ならない。
「僕が本物のレイテ・アンドリューだと証明することは簡単です。皆さんの前で胸を刺して、それでも死なないことを見せれば良いのですから。でも、それはとても痛いのです」
「痛いんスか」
「痛いですよ。僕は死なない身体だけれど、痛みを感じないというわけではありませんからね」
「……そうスッよね」
 怪我をすれば痛い。だからこそ、この事件でレイテがその身に負った傷に自分は憤りを感じたのではなかったのか?
「当たり前のことを聞いて馬鹿スッね、オレ」
 グレースは頭を下げて謝った。


 レイテは謝ってきたグレースに対して、そっと微笑んで首を振る。自警団の若頭の実直なところは好ましいと思う。
 彼の怒りが騙されたことより、レイテに与えられた実害対してのものであることも、また、レイテには嬉しかった。
「いえ」
「それで……怪我のほうは大丈夫なんスか?」
 グレースの問いにレイテは「大丈夫、心配はない」と言いかけて、硬直した。真っ赤に染まった自分の胸元を見下ろして、顔色を青くする。
「大丈夫じゃないですっ! どうしましょうっ!」
「ええっ?」
 疲れからウトウトしかけていたルーがハッと我に返り、レイテを振り返ってきた。
「先生っ! 死んじゃ嫌ですっ!」
「勝手に僕を殺さないでくださいっ!」
 寝惚けてしがみ付いてくるルーの後頭部をレイテは叩いた。椅子から転げ落ちたルーは半泣きでレイテを見上げた。
「ヒドイっ! 先生の心配をしているのにっ!」
「それどころじゃありませんっ! どうしましょう? ミーナさんからお借りした服をこんなにしてしまいました」


 悲愴なレイテの叫びに、グレースは目を丸くした。
「わ、若様……怪我の心配じゃないんスか?」
「怪我? そんなもの、何てことはありません」
「……はあ」
 幾ら、不死とはいえ、胸を刺されて大丈夫だということはないと思うのだが。
 結構、出血もあったようだし……と、戸惑うグレースがチラリとレイテの様子を伺うと、彼は自分の背中を振り返り、またも声を上げた。
「ああ、後ろもっ!」
 剣は背中から胸へと貫通したわけだから、当然だろう。
「これじゃあ、言い訳できないじゃないですかっ!」
「言い訳って、若様……そんな」
 正直に話しても良いではないか? 別にわざと汚そうとして汚したわけじゃないのだし。第一に、幼馴染みとしてよく知っているミーナは、服を汚された程度で目くじらを立てるような女ではない、とグレースは思う。
 それは付き合いの短いレイテだって、わかっているはずだ。
 グレースが見守る中、レイテはやや悲愴感漂う表情で呟いた。
「こうなったら……仕方ありません」
 ガシッと弟子の手を握ったレイテは、晴れやかな笑みでグレースを振り返った。
 そのあまりにも明るく眩い、華麗な笑顔にグレースも釣られて笑みを返したところで、彼は言った。
「グレースさん、そのお金でミーナさんに服を弁償しておいてください」
「……は?」
 ぽん、と空中に現れたのは金貨がずっしり詰まった財布。慌てて両手で受け止めるグレースにレイテはさわやかな笑顔で続けた。
「それと僕が本物のレイテ・アンドリューであったことは内密にしておいてください」
「……内緒スッか?」
「ええ、でなければ」
「なければ?」
「君を呪います」
 水色の瞳がスッと険しさを湛え、細くなる。
 その視線の冷ややかさに、眼力で殺されるのではないか? と絶句するグレースに、レイテは笑顔を取り戻して告げた。
「それでは、さようなら」
「…………さ、さよならって! ええっ?」
 目を丸くするグレースの目の前から、魔法使いの若様とその弟子のコンビは姿を消した。
「────────はあ?」
 突然の出来事に混乱する頭で、グレースがこの事象について認識できたのは……ようするに、逃げられたということか?
「ちょっ、ちょっと? 若様っ?」
 待ってくれ、まだ聞きたいこと、確認したいことが山ほどあるのだ。
 ライラを騙したあの黒の青年は結局何だったんだ? 奴が意図したことは全部。レイテへの恨みからなのか? 奴が魔法使いを恨む理由は何なのだ?
「わ、若様っ!」
 呼びかけるが一向に返ってこない反応に、グレースは茶髪頭を掻いた。町長預かりにしているライラの処分だとか、街の皆への説明だとか、色々とレイテに相談したかったのに。
「……な、何なんスよ?」
 これじゃあ、あの黒の青年と変わらないではないか。
「……そんなんないスよ」
 ガックリと肩を落とし、ハアッと盛大にため息をついて、グレースはフラフラと寝室に向かった。とりあえず、今日は寝てしまおう、と思う。どうせ、そう長くは眠れないだろうけれど。
 ……色々あって、疲れた。全ては明日だ。


「ほら、ほら、眠るのはいいのですけれど、靴は脱ぎなさい。靴は」
「はわわわわっ」
 喉の奥が見えそうなくらいの大口を開けて、ルーはあくびをした。それから、ベッドにパタリと上半身を倒したかと思うとスヤスヤと寝息を立て始めた。
「全く……しょうがないですねぇ」
 レイテはやれやれ、とため息を吐きつつ、ルーの靴を脱がせた。それから赤毛のカツラを外してやる。本当ならちゃんと寝巻きに着替えさせたいところだが、今日はこのまま眠らせてやることにした。
 まだ完全に魔力をコントロールしきれていない状況で、移動魔法という高等魔法を何回も使ったのだ。魔力の消費に身体が休息を欲しているのはしょうがないことだ。
「お疲れ様でした。ゆっくり眠るといいですよ」
 レイテはそっとルーの頭を撫でて、部屋を後にしようとした。しかし、ツッと服を引っ張れて二の足を踏む。振り返ると、ルーの手がロングスカートの裾を掴んでいた。
 起きているのか? と気配を探るがそんなことはなさそうだ。
 グイッとスカートを引っ張るが思いのほか、しっかり握っている様子だ。しょうがない、ここでスカートを脱ぐか。一応、下にズボンを穿いているのでレイテとしては抵抗なくウェストのホックに手を掛けたところで、ルーの声がした。
「せんせぃ〜」
 起きてしまったのか、と振り返ればルーは眠っていた。ただ、目尻に涙をためて寝言は続く。
「死んじゃ嫌ですぅぅぅぅ」
(また、勝手に僕を殺して)
 ベッドに腰を下ろして、レイテはルーの頬にこぼれた涙を拭った。
(置いていかれるのは……僕のほうだと思っていたのですがね)
 ルーを置いて自分が死ぬかもしれないなど、考えたことなかった。そんなことは絶対にありえないのだと思い込んでいた。
 でも、今日の出来事を振り返ってみれば今さらながらに背筋が震える。
(……死ぬのが怖いと思うなんて、僕にとってありえないことだと思っていのですけどね)
 ルーと死に別れる覚悟はしたつもりだった。いつか、その日は必ずやって来る。永遠を生きる自分にとって、それは瞬く間にやって来る。
(でも、その後を信じていたから……怖くなかった)
 ルーが生まれ変わって自分のところに帰ってくるのだと信じていた。信じずにはいられなかった。
(だけど……もし、僕が死ぬことになったら?)
 もう一度、自分たちは出会えるだろうか? 目印もなく、互いに知らない者同士で。
 そう神妙になっているところへ、
「死んだら許さないんだからぁぁぁぁっ!」
 と、叫んだルーの拳がレイテの顔面にヒットした。
 弟子の寝相の悪さを忘れていた。レイテは顔を抑えながら、ベッドの下にうずくまる。
(起きていて、わざとやっているではないでしょうねぇ?)
 そんなことはないとわかっている。報復を恐れるルーにそんな度胸はない。全く、この寝相の悪さはどうしたものか。
「死にませんよ、約束したでしょう。だから、安心して眠りなさい」
 レイテはルーの耳元に囁いた。瞬間、ふわりとルーの寝顔が和らぐ。
(本当に、眠っているのでしょうね?)
 疑念が湧いてきたが、可愛らしい寝顔だったので、今回は見逃してやることにした。
「それじゃあ、おやすみなさい」
 レイテはルーの部屋を出、自分の部屋に向かう。
 考えなければならないことは山ほどある。
 あの黒の青年は、自分は人間によって作られた、と言っていた。それならば彼は自ら望んで<人形>の身体に魂を移したわけではないのだろう。
(実験体? 何にしてもあれだけの魔法を操るなら、魔法使いであったと思うのですが)
 魔法使いであったのなら、実験に参加した段階で、不死の身体を手に入れることを望んだのだろうが。
 強い憎悪は何を意味するのか?
(魂転換の魔法について、調べてみたほうが……)
 確か、書庫にその魔法に対する理論書があったはずだ。あくまでも、可能性に対する理論書であって、実験の成功有無を確約している内容ではなかったと記憶しているが。
(確認する価値はあるでしょう)
 しかし、それはまた明日にしよう、とレイテは思う。
 あの黒の青年が何を企み、再びレイテの前に現れたとしても。
 全ては明日からだ。

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