26,事件の傷跡 ガックリと頭を垂れたグレースを、レイテはマジマジと見つめた。 「…………」 間を置いて、グレースの言葉が頭の中に染みてくる。 何だって? (……死……死んだ?) 「ライラさんが、亡くなられた? ……まさか、あの青年に? 殺された?」 黒の青年がライラに対して見せていた嫌悪感を思えば、ありえない話ではなかった。 「違うスよ。……自殺スッ」 「……どう……して?」 何とか声を吐き出して、レイテは問いかけた。 「今回の生贄事件の責任を被って死んだスよ。首を吊って」 生贄事件が思わぬ形で解決したあの晩──というより、朝に近かったが──ようやく眠りについたグレースを自警団の団員が叩き起こした。何だか、慌てた様子で来てくれ、と言う。睡眠不足の寝ぼけ眼で団員の案内に続くと、街一番の大きな宿屋だった。 焼け出された町長がそこの一室を仮宿にしていた。身柄を拘束したライラも別に一室を取り、団員の見張りをつけて保護していた。 嫌な予感を覚えて、眠気は一気にぶっ飛んだ。徐々に冴えていく意識で現場に向かえば、ライラが首を吊って自殺していた。 残された遺書には自分が犯した罪に対する責任を取って死ぬ、とあった。 「何で……死んじゃうの?」 グレースの話を聞いたルーが、力のない声で問う。ギュッと、レイテのローブを掴む手は震えていた。その小さな手に自分の手を重ねてレイテは、少女の中でまだ自分が生き続けていくという選択を下したことに対しての信用がないのを知る。 死ぬことを望んでいたレイテのその心情を、ルーは誰よりも理解しているからこそ、自殺に対して敏感に反応してしまう。 (しょうがないとは思いますけどね) レイテはルーの頭を撫でて慰め、グレースを振り返った。 「……自殺に間違いはないのですか?」 「遺書の筆跡は町長に確認してもらったスよ。ライラのものスッ。現場の状況も不自然な点はなかったスッ。それに……」 「それに?」 言いよどんだグレースの言葉をレイテは促す。 「あの黒い男は、オレの印象から言わせて貰えば、自殺現場を細かに作るってタイプには見えないスよ。……むしろ、俺たちに見せ付けるように猟奇殺人染みた現場を作るような、狂人みたいな感じがするスッ」 自分だけの論理で言葉を語っていた。 しかし、正論を語っていても、あの青年自身が間違いの元ならば、その正論は何の意味も持たない狂人の戯言のように、グレースには感じられるのだ。 レイテもまた、グレースと同じように、自殺現場とあの青年が結びつかない。 「だから……自殺で間違いないと思うスよ」 「そうですね」 「若様……ライラは死ぬべきだったと思いますか?」 グレースが真摯な瞳でレイテを見上げた。 「確かにライラは騙されていたとはいえ、犯罪の片棒を担いだスよ。若様が助けてくれなければ、街の女たちは人買いに買われていた」 「そんなことはないでしょう」 「いいえ、若様のご尽力があってこそ、今回の事件は解決したスよ。オレ達、自警団があの現場に乗り込んでいてもあの黒い男が出てきていたら、オレ達は間違いなく死んでいたスッ」 「可能性の問題をとやかく言うのは止めましょう」 レイテは首を横に振った。 自分が関わったから、あの黒の青年が表に出てきたのか、否か。それはわからない。 人買いを集めたりしていた所から見れば、彼はあくまで裏側に徹して、ただレイテの名を汚すことだけを目的にしていたのかもしれない。勿論、その際は生贄の中に混じっていた自警団のメンバーは存在を抹消されていたとも思える。それは黒の青年が手を下すまでもなく、あの会場にいた者たちの手によって。 「グレースさん、あなたの問いに答えるなら、罪は償わなければならないと僕は思います」 「死をもってスか?」 「罪の償い方にはそれぞれあると思います。生きて償うという形もあるでしょう」 「でも、ライラは、死んで償うような罪じゃなかった、とオレは思うス。だって、ライラも被害者だったでしょう?」 縋るようなグレースの視線にレイテは頷いた。 「ええ……そうですね」 被害者だったら、全てが許されるわけではないだろう。 レイテとしてはライラに対して同情する気持ちは、あの廃屋で告げたようにない。でも、彼女が負った罪は死をもって、償うような重大なものであったのかと問われれば、やはり否と答える。 それは結果的に生贄が全て助かったから、思うことなのだろうか? 同情していないと言いながら、同情しているのか? レイテにも自分の気持ちは判断しかねた。 「だから、オレは決めたスッよ。あの男を捕まえるって」 「…………グレースさん、どうしてそこまで」 レイテの問いかけにグレースは「町長が泣かないんス」と応えた。 「町長……ライラさんのお父上ですね」 「はい。事件はライラの仕業ってことで、町長は街の皆に土下座までして謝ったスよ。ライラに全く、責任がないわけじゃないスッから、オレとしても止めろとは言えないスよ。けど、娘の葬式にも町長は泣かないんス」 「……あなたにはそれが不自然に見えるのですね」 「オレ自身、両親を強盗に殺されて、直ぐには死んだことを理解できなくて泣けなかったス。町長もそうなのかなと思っていたけど、あれは悲しみに感情が飽和状態で泣けないってのとは違って、泣くのを堪えているんスよ」 グレースは唇を噛んで続けた。 「まるで、犯罪者のために泣いてはいけない、みたいに自戒して」 「街の方の手前もあるのでしょう」 「そうスね。オレ、町長には両親の死後、世話になったスよ。だから、何かできればと思って、……ならば、せめてライラも被害者であったことを証明しようと思ったんスよ」 一度、伏せた目を見開いてグレースは言った。 「それに、ライラが死んだことで事件の責任をライラが全て背負ってしまったら、あの男は誰にも罪に問われずに逃げてしまうス。それだけは許せないスッよ、首謀者はあの男なんだ。それを知っていて見逃せるはずない。だから捕まえるスッ」 強い決意を覗かせる自警団の若頭にレイテは冷酷に告げた。 「あなたには無理ですよ、グレースさん」 「若様っ?」 「冷静に考えなさい。相手は魔法を使い、不死身の身体を持っているのですよ? そんな相手に生身のあなたが立ち向かえるはずないでしょう。第一に、あの青年の足取りをどう追うつもりですか」 「それは……若様ス」 「僕?」 「あいつの狙いは若様でしょう。だったら、若様に張り付いていれば、アイツはいつかきっと現れるスよ」 グレースの言葉にルーはなるほど、と唸るが、レイテは落胆の吐息を吐いた。全くもってわかっていない。 「そんな……途方もない。あのですね、お忘れかも知れませんが、彼も僕も不死です。あなたが考えるように短期間に決着をつけなくても、時間は余りあります。彼がその気になるのはもしかしたら百年後かもしれませんよ」 「……だったら、こっちから奴を追うス」 「そんな……相手の正体すらわかっていないのに」 「もしかしたら、わかるかも知れないスよ」 「えっ?」 レイテはグレースを見つめた。彼は真っ直ぐレイテに視線を返す。 「ある場所に行けば、あいつの正体がわかるかも知れないスよ」 「ある場所とは?」 尋ねたレイテにグレースは首を振った。 「若様には交換条件をのんでもらってから話をするスよ」 「交換条件?」 「まず、オレを弟子にしてください」 「…………」 「アイツと渡り合えなくてもいいス。アイツの攻撃を支えられるぐらいの、あの見えない壁のような魔法を教えてくださいっ。後はオレの剣技でなんとかするスよ。自警団の団長を任されるぐらいの腕前ですから、結構やれるスよ」 グレースの言葉が単なる自慢ではないことは、レイテも知っていた。 昔、街中での喧嘩騒ぎを瞬く間に片付けた場面を目撃していた。血の気に敵味方もわからなくなった十名ほどの男たちを、グレースはたった一人で対処した。その的確な動きにレイテは思わず感嘆の吐息をこぼしたのを記憶している。 「グレースさんの腕前は知っていますが。魔法とは結界魔法のことですか?」 「それ……だと思うス。後、オレをここに泊めてください」 「……枕を持ってきているのは、もう最初からここに居座るつもりだったのですね?」 レイテはグレースの背後に広がった荷物を指差して頭を抱えた。 「オレ、枕が変わると眠れないスよ」 グレースは枕を抱え込みながら笑った。ニッと唇に力を込めて笑うその笑顔は、子供のようだ。 「……交換条件が二つというのはずるいですね」 「じゃあ、若様がオレの家に来ますか? 魔法の修行には場所は関係ないスよね。ライラもそうだったし」 「何で、僕が?」 「師匠と弟子は一心同体スよ。若様のあるところ、オレがいる。オレのいるところ、若様がいる」 と言うが、それはレイテの側に張り付いているための口実だろう。 「あなたを弟子にした覚えはありません」 「じゃあ、俺が持っている情報はあげないス」 キッと唇を結んだグレースは条件をのまない限り、口を開きそうにない。 生贄となった女性たちを守るために、似合わないピンクのワンピースを着た、その責任感の強さからもわかるように、彼は頑固だ。 グレースの持っている情報が、どれだけの価値を有しているのかはわからない。しかし、あの青年の正体を把握していればレイテとしてもこの先、青年がどういった手を打ってきても対処しやすくなるのは確かだ。 (情報は欲しいのですが……) グレースを側に張り付かせることに躊躇する。グレースの人間性事体は嫌いではない。むしろ、好ましいと思うからこそ、自分とあの青年との間に割り込ませてはいけないと思う。 (結界魔法を習得させれば、問題はないのでしょうが) 危険な状況には変わらない。ルーとグレースの二人のお荷物を抱えて、あの青年と対峙したとき、二人を守りきる自信が今のレイテにはない。 (……そう、あの青年の正体がわからない限り) 悩みこむレイテを横目に、グレースはルーに目をつけた。ちょいちょい、と少女を手招きする。 ルーが、何だろう? と寄って行こうとしたところを、レイテに襟首を掴まれた。ルーの軽い身体は猫のように宙ぶらりんに揺れる。 「グレースさん、今、この子を懐柔しようとしましたね?」 水色の瞳の冷たい視線に背筋が凍えた。それと同時に、一見、貧弱そうな青年が一人の少女を軽々と片手で持ち上げている姿に、グレースは慌てて弁明する。 「まさか。お菓子をあげようと思っただけスよ。ここにくる途中、寄った街で珍しい果物を使ったケーキが売っていたんで、嬢さん、好きかなっと。ホラ、女って別腹で甘いもん食うじゃないスッか」 「ケーキ?」 その単語を聞きつけ、目の色が変わったルーがレイテの手の中で暴れた。 料理の腕は最高と言っていいレイテだが、菓子作りに関してはあまり得意では──材料をきっちり量るのが面倒で──ない。この前、百回に一回の確立で成功したケーキは凄く甘く美味しくて、ルーはもう一度、作ってくれるようにお願いしたのだが、奇跡は二度と続かなかった。以来、菓子作りを放棄したレイテはおやつに果物を用意するようになった。 それはそれで美味しかったが、ケーキの甘さが忘れられないルーにしてみれば、ここはレイテに反抗しても食べたい。 「先生、グレースさんを弟子にしましょう!」 「…………君ね。食べ物に釣られるのではありませんよ」 「ケーキっ! ケーキっ! ケーキっ!」 「ケーキなら僕が作ってあげます」 「本当?」 「本当です。約束したからには作ります。ええ、何百回、失敗しようとも作ってあげますよ」 (ついでに、炭化したものも食べさせてあげますよ) ルーは解放されると、レイテの周りを飛び跳ねるようにして喜ぶ。 「ケーキだっ! ケーキだっ!」 そんなルーにレイテは頬を引きつらせた。とても十七歳の行動には見えない。同世代の人間を知らないから、自分の行動がどれだけ子供っぽいのか、ルーにはわからないのだろう。 レイテは目の前の現実から目をそらすように、グレースに向き直った。 「もう、あなたの味方をしてくれませんよ」 「……どうしても、オレを弟子にはしてくれないスか」 「…………」 巻き込みたくないから、と理由を告げてもグレースは引かないだろう。 レイテは少し考えた。グレースに弟子入りを諦めさせて、なおかつ彼から情報を得るにはどうすべきか。 「では、こうしましょう。ルーと勝負してください。この子に勝ちましたら、あなたの弟子入りを許可します」 「俺っ?」 ルーは小躍りを止めて、レイテを振り返った。 「ホントスッか?」 「ええ。ですが、負けたら、あの青年の情報を置いて、フラリスの街に帰るのですよ。まだ、魔法を使いきれていないルーに負けるということは、グレースさんが結界魔法を覚えても、あの青年の相手は荷が重いと言うことです。魔法に対して反応できないようではあなたの剣技も通用しない」 わかりますね? と問いかけるレイテにグレースは頷いた。 繰り出される魔法に反応しきれなければ、いかにレイテから魔法を学び、楯を得たとしても後ろから攻撃されているようなものだ。 とはいえ、グレースには負けない自信があった。 ルーはレイテと違って、なにやら文様を描かなければ──フラリスの街から、あの廃屋に戻る際に見た行動の一端から推測するに──魔法が使えないらしい。その隙を突けば、必ず勝てる。 「わかったス。その条件をのむっス」 「では、こちらに」 |