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 27,一本勝負


 レイテは魔法の空間を編み上げた。さっきまで、小さな小部屋だったその場所はだだっ広い場所へと変化する。
「ルー、この室内ならどれだけ君の魔法が暴走しようと大丈夫です。思い切り、やりなさい」
 と、言ったレイテはルーに魔法の杖を握らせた。
「でも、先生。……グレースさんに怪我させちゃったら……」
「多少の怪我ならば、僕が魔法で治療しますよ」
「……怪我じゃなくて。例えば、真っ黒に燃やしてしまったら」
「そのときは、骨さえ残らないように燃やしなさい。死体があっては殺人事件ですが、死体がなければ事件は成立しません」
「若様っ?」
 物騒な師弟の会話にグレースは思わず声を荒げた。
「冗談ですよ。魔法が暴走するようでしたら、僕のほうでフォローします。それより、グレースさん、あなたの剣を貸してください」
 レイテはグレースが腰に佩いた剣を指差した。
「はあ……」
 言われるままに差し出した剣をレイテは鞘から抜き、刃に指を這わせた。
「少し魔法をかけました。真剣ではルーが怪我してしまいますからね。切れないように鈍化させました」
 返された剣の感触を確かめるように、グレースは振った。重さや手ごたえは変わっていない。
「ズルはしませんよ。ルーが負けるとは思いませんからね。それでは勝負はこれをそれぞれ、頭に巻いてください」
 二本の細い布キレをレイテはルーとグレースに差し出した。要するにハチマキだ。
「これを相手の頭から奪ったほうを勝ちとします。いいですね?」
「はいっ!」
 グレースはギュッと頭にハチマキを締めた。
「では、少し下がって向かい合うように位置について──始めっ!」
 レイテの指示通り、部屋の中央でルーとグレースは向かい合った。
 グレースは剣を正面に構える。
 両親が強盗に殺されて、我流で剣の修行を始めたのだが、その腕前は一年でフラリスの街一番になった。持ち前の正義感の強さを買われ、団長に就いたグレースは半数以上が年上の自警団を自分なりに束ね、仲間の信頼を重ねてきた。
 本当は、こんな場所にいるべきではないと思う。団長という役割を思うなら、街に止まるべきだった。
 でも、それはできなかった。あの男を見逃せない。ライラのため、町長のためというが、一番は自分の責任感がこのままあの黒の青年を放置することを許さない。
 彼は危険だ。本能的に思う。今回はすんなりと手を引いたが、次はどんな手でくるのか。激しいまでの人間に対しての憎悪──このままで済むわけはないと危機感を覚える。絶対に、何かを仕掛けてくる。そうなってから対処しては手遅れになるような、大きなことを。
 だから……。
(絶対に負けられないス。何としても、若様の弟子になって魔法を教えてもらわなければならないス)
 心に勝利を誓って、グレースはルーを見定めた。


 一方、ルーはといえば杖を片手に迷っていた。
(……先生が杖を持ってきたってことは、本気でやれってことだよね)
 本気でやればルーの勝利は明らかだった。移動魔法でグレースの背後に回って、そのままハチマキを奪い去ってしまえばいい。
 この戦法は、あの廃屋でレイテが黒の青年にしてやられたものだ。魔法使いにとって、相手の背後に回りこむことなど、さほど難しくはない。
(先生ってば、初めから、グレースさんを弟子にする気なんてないじゃん。何、それ。意地悪なのは知っていたけど、それは俺だけかと思っていたけど)
 フラリスの街の住人にレイテは愛想の良い笑顔を振りまいていた。正体を悟られないためではあったのだろうが。
(先生の意地悪は好きな子を苛める、それかと思って……ちょっと嬉しかったのに)
 自分だけがレイテの特別だと思っていたのに。
「うううっ」
 ルーは低く唸った。対面するグレースは一瞬、ビクリと肩を泳がせた。
(どうしよう……真面目にやらないと怒られるよね。でも……グレースさんが味方になってくれたら……先生が危ない目に会うの、少なくなると思うし)
 ここはなるだけ、さりげなく負けたほうがいいだろう、とルーは考える。
 じゃあ、どうやって……負けようか? ルーは考え込むように目を瞑った。


(……嬢さんってば、目を瞑っているスが……これはオレの油断を誘う手スッか?)
 グレースは目を凝らし、杖を片手に棒立ちになっているルーを見つめる。ハッキリ言って、隙だらけだ。
(いやいや、そう思わせるのが……嬢さんの作戦かも知れないスッ)
 うかつに飛び込んだところをもしかしたら反撃するつもりなのか? 大体、あの杖は何だ? 
(嬢さん……ああ見えて、棒術の名手とか……?)
 無防備な体勢も、どんな状況からも対処できるという自信の現われか?
(……わ、若様のお側にいて、若様に特別だって言わしめる嬢さんスから……只者であるはずがないスッよ)
 グレースは思わず踏み込みかけた重心を戻した。


 その向かいで、
(…………どうやって、負けよう?)
 移動魔法を失敗したように見せかけて、グレースの前に飛び出てみようか? ルーは目を瞑ったまま、うーん、と首を傾げる。
(でも、あんまり、わざとらしい負け方をしちゃったら……先生に怒られるし)
 愛の鞭と称して、鉄拳が飛んでくるだろう。レイテは殴った後にはちゃんと治療をしてくれるのだが、やはり殴られれば痛い。さっきだって、本気で頬を抓ったし。
(……っていうか、グレースさんってば何でジッとしているんだろ?)
 全く、向かってくる気配のないグレースにルーは薄目を開けた。


 一瞬、バチッと火花が散るような音など…………全くしなかったが、目が合った。
 赤い瞳がこちらを見つめるのをグレースは見逃さなかった。
(……やっぱり、あなどれないスよ。見ていない振りして、しっかり、こっちを見ているスッよ……)
 グレースのこめかみを冷や汗が流れた。


(……………………この二人、始めの合図を聞いていなかったとか?)
 レイテは勝負開始から、五分を経過しても動こうとしないルーとグレースに小首を傾げた。
(グレースさんとしては下手に踏み込めないというのはわかりますが、ルーは何を?)
 レイテは水色の瞳を弟子に差し向けた。杖を抱えてルーは目を瞑っている。
(眠っては……いないでしょう。あの寝相が悪いルーが真っ直ぐに立って眠るなんて芸当、できるわけありませんし)
 何を企んでいるのやら?
 レイテとしては気になったが、勝負を始めた以上、口を差し挟める状況ではないことだけは理解できる。ここはじっくりと静観することにして、腕を組んだ。
(……とりあえず、ルーが負けることはありませんしね)
 そう楽観していた。


(も、もしかして……この長い沈黙は魔法の前準備っ?)
 冷や汗がこめかみから、頬を伝い、顎から床へと落下するにしたがって、グレースはその可能性に気付いた。
(若様は魔法の文様とか呪文とか……全く唱えることなんてしてなかったスよ。嬢さんは若様のレベルに達していないと思っていたスが……時間をかければ、文様みたいなのを描かなくても、魔法が使える?)
 一気に全身の体温が下がるのをグレースは自覚した。
(そんな、そしたらオレの負けは目に見えて……駄目スッ!)
 グレースは焦りから一歩を踏み込んだ。


 狙いを定めて、切っ先を突き出す。ルーの赤毛を掠めることなく、グレースの剣は少女の頭からハチマキを奪い去った。
「あ……あれ?」
 戸惑ったのはグレースだった。あまりに簡単に勝利してしまった。どうなっているんだ?
 ルーを見下ろせば、少女はまだうーん、と唸っていた。グレースの剣さばきが鮮やか過ぎたために、自分の頭からハチマキが奪われているのに気づいてないらしい。
「────ルーっ!」
 雷鳴のような怒号にグレースはヒャァと間抜けな悲鳴を上げた。
 振り返ればレイテは、その絶世の美貌をこの上なくキラキラと輝かせて、立っている。綺麗だ、半端になく綺麗な笑顔だが……何故だか、グレースは目を背けてしまった。
(……何だかわからないが……こ、怖いスッ)


「ルー?」
 口元に笑みを張り付かせたレイテが弟子の顔を覗きこんだ。
 最初の一喝で、自分が置かれた状況を把握したルーは、あわあわと口を開閉させる。言い訳を並べようとするルーだったが、レイテのあまりにも神々しい笑顔の、それでいて見る者を底冷えさせる瞳に、声が喉で凍り付いている。
「ルー? ルビィ?」
 レイテは返事をしない──恐ろしさに声が出ない──ルーを名前で呼んだ。
「ルビィ・ブラッド? 返事をしなさい、この……馬鹿、ボケ、アホ、カス」
 水色の瞳で弟子を捕らえ、レイテはもう名前ではなく悪態を吐いてルーに詰め寄った。ルーは泣きそうな顔をして詰め寄られた分だけ後退する。
 ズンズンズンとレイテが大股に詰め寄れば、タタタタッとルーは後ろ走りに逃げる。魔法空間のだだっ広い部屋は果てがないように思えたが、ルーは三分後には壁際に追い詰められていた。
「…………このっ、マヌケ!」
「うううっ、マヌケじゃないですぅ」
 逃げ場をなくしたルーは決死の思いで、レイテを見上げて反論した。
「ほう、マヌケではない? じゃあ、君の名前は?」
「ルビィです〜。ごめんなさい、わざとじゃないんです」
 ルーは両手を組んで、平謝りした。ルーも馬鹿ではない。早々に折れたほうが良いことを経験として学んでいた。
「わざとじゃなければ、何だというのです?」
「えっと……それは」
「嘘ついたら、針千本飲ませますよ?」
 ルーの専売特許を奪って、レイテは先手を打った。
「……どうしたら……先生に怒られないように、負けられるかと考えていたんですぅ」
 針千本、レイテなら本当に飲まされそうな気がして、ルーは馬鹿正直に答えた。
「…………は?」
 水色の瞳が点になる。理解不能だ。
「何で、負けようなんて考えたのですか?」
「だって、先生一人だと、また怪我をしちゃうかもしれないじゃないですかっ!」
 ジワリと赤い瞳に滲んだ涙は、やがてポロポロと頬をこぼれていった。
「……この間みたいに、血が出て止まらなくなったりしたら……嫌だから。そんな風に先生が怪我するのは嫌だから。だから、グレースさんが味方になってくれて、先生の背中を守ってくれたら……先生が怪我をすることないんじゃないかって」
「……ルー」
「本当は俺が先生を守れたらいいんだけどっ! でも、俺に使えるのは魔法だけで、俺の魔力なんかじゃ、あの黒人間には全然通用しないから……剣を使えるグレースさんだったら、大丈夫じゃないかって、思うから……だから」
 ルーはギュッとレイテにしがみ付いた。
「……僕の心配をしてくれたのですね、ありがとう」
 レイテは自分の胸で泣きじゃくるルーの頭を撫でた。
 自分のことをこんなにも大切に思ってくれる者と出会えた、それだけで呪わしいものに思えた不死の魔法がこの上なく貴重で尊いものに感じられる。
「大丈夫ですよ、心配しないで。あのときのように油断しない限り、僕はあの青年に負けたりはしませんよ」
「本当……ですか?」
「ええ。彼の魔力でも僕の心臓の魔法陣は壊せなかった。つまりは、僕は負けないってことです」
 ただ、何度も魔法陣に傷を負えば、どうなるかはわからないが。傷を黙って受け入れるつもりはレイテにはない。
「だから……君はグレースさんと勝負して勝ちなさい」
「えっ? でも……」
「ルー、僕はね、グレースさんを巻き込みたくはありません。そう、君が言う通りグレースさんが魔法を覚えれば、あの青年との争う場合、僕らは有利になるでしょう。でもね、だからと、彼に勝てるとも限らないのですよ。僕が彼に負けることがないように、彼が負けることもまた……可能性として、低い。彼もまた不死の身体を持っています。自動修復の魔法陣が彼の身体には刻まれているのでしょう」
「自動修復……」
 修復魔法は壊れたものを直す魔法だ。怪我などを治す治癒魔法とは違う。
 レイテの言葉にルーはあの黒人間が、生きているものではないことを改めて知らされた。
「その魔法陣を解呪しない限り、または破壊しない限り、彼は不死身です。生身の人間が相手にできるレベルじゃありませんよ」
「……そんな。そしたら、先生だって……」
「今の段階ならば、僕も勝てるかどうかわかりません。だから、グレースさんが持っている情報が必要なのです。あの青年の正体が掴めれば、自動修復の魔法陣を解読できます。そうすれば、僕でも彼の自動修復の魔法陣を解呪できる。ルー、わかってくれますね?」
 ルーは迷いながら頷いた。
 魔法陣に組み込まれる魔法文字は基本的な組み合わせ以外にも、複雑化にしたり簡略化したりできる。複雑にすれば解呪されにくく、簡略すれば魔法陣を書くことを短縮できる──この短縮は魔法石を使えばよいだけの問題でもあるのだが。
 魔法使いそれぞれの特徴が魔法陣にはある。その特徴、魔法文字のその組み合わせパターンなどは千差万別。一つ一つを理解し、解読しても解呪となればまた時間が掛かる。
 このとき、その特徴を掴んでいれば解呪が簡単になる。
 グレースが持っている情報がどれだけのものかはわからない。しかし、あの青年の身体に魔法陣を刻んだその年代や、魔法使いの流派などを知る手掛りになれば。レイテはそこに希望を託す。
「……だけど、先生。俺、グレースさんの気持ちもわかるよ。あいつは野放しにしちゃいけない。でなきゃ、あの女の人が可哀想だよ。捕まえなきゃ」
「……放置するには危険な相手だとは思いますが、グレースさんに捕まえられる相手ではありませんよ」
「先生とグレースさんが協力したら、できるんじゃないかな?」
「二対一ならば……先程も言いました通り、こちらに有利でしょう。ですが、彼が表に現れるのは十年後、二十年後かもしれない。グレースさんは自警団の団長ですよ。いつまでも、一つの事件を追っていられる立場の方ではないのです。……気持ちがどうであろうともね」
「…………」
 押し黙ったルーをレイテは腰をかがめ、同じ目線の位置から見つめた。
「ルー、これはもう命令です。君はグレースさんに勝ちなさい。勝たないと」
「か、勝たないと?」
 レイテの声がやや硬質に変わるのをルーは敏感に察した。
「君の恥ずかしい過去をフラリスの街の皆さんに暴露します」

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