28,再度、一本勝負 「恥ずかしい過去っ?」 ルーが声を裏返らせて叫ぶ。 「ええ、恥ずかしい過去です。もうミーナさんや他の皆さんの前に大手を振って出掛けられないくらい、恥ずかしい過去です。残念ですね。そうなれば、来年の新年祭は勿論のこと、秋に行われる収穫祭のお祭りにも行けなくなりますよ」 レイテは沈痛な面持ちで、ハァと重々しいため息を吐いた。 「僕としましては、是非とも君を連れて収穫祭に出掛けたかったのですが……残念です。お祭りは僕一人で楽しんできます」 「ええっ? そんな、俺も一緒に行きたいですっ!」 面白いぐらいに餌に食いつく弟子を、レイテは複雑な思いで見返した。こんなに騙されやすくて良いのだろうか? 「では、勝ちなさい。そうすれば、君の秘密は僕の心の奥底に一生しまっておきましょう」 「う……。あの、その秘密って何ですか?」 案外、秘密なんて大したことではないのかも知れないと、淡い期待を込めてルーは問う。グレースを巻き込みたくない、と言うレイテの気持ちは理解できるけれど、やっぱり、ルーとしてはレイテ一人があの黒人間と対峙するのは怖い。 レイテは不死だが、身体は生身だ。傷を負えば血が流れ、痛みが伴う。死なないと言っても、レイテが苦しむ姿なんて見たくはない。 「君の恥ずかしい秘密は……」 レイテは心の内で舌打ちしながら、ルーにとって恥ずかしいと思われる過去を引っ張り出す。レイテにしてみれば、十七歳という年齢に対して、未熟すぎるルーそのものが、恥ずかしいと思うのは養い親の立場からか。 「君が十歳までオネショをしていたことです」 「先生、俺がオネショをしていたのは十歳じゃなくて、十二歳までです」 「……………………………………………」 レイテは思わず床に崩れ落ちた。脱力感から、そのまま寝込みそうになるのをギリギリで、支えた。 「先生っ?」 驚いたルーは心配そうにレイテを覗き込む。 「大丈夫ですか? どうしたんですか? お腹壊したの? お腹すいたの?」 「…………大丈夫です。軽いめまいを覚えただけです。何と言うか、絶望的な、ね」 (世間知らずと言うのは、馬鹿と紙一重と言いますか) その認識に改めて、ルーがまだ馬鹿ではないことを切に願うところだが、レイテにはルーの馬鹿さ加減が単なる世間知らずなのかどうか、判断できなくなってきた。 「一つ言っておきますが、ルー。世間のお子様がオネショをして大目に見てもらえるのはせいぜい、五、六歳までです」 「えっ?」 「君は十二歳までオネショをしていた……これがどういう意味か、わかりますね」 意味がわからなければ、本当の馬鹿だと認めざるを得ないだろう。微かな希望を込めて、レイテは横座りの状態から、ルーの赤い瞳を見上げた。 「うわっ! 恥ずかしいっ!」 ルーは両頬を手で押さえ、叫んだ。 (良かった……まだ一般的な羞恥心は持っていたようですね) ホッと一安心しつつ、レイテは告げた。 「……この秘密を守りたかったら、グレースさんに勝ちなさい。いいですね?」 ルーにはもはや、拒否権はなかった。 「若様、オレの勝ちスッ! 弟子入りは文句ないスよね?」 部屋の中央に戻ってきたレイテとルーに、グレースは誇らしげにルーから奪ったハチマキを突き出した。 「申し訳ありませんが、グレースさん。勝負をやり直させてください」 「ええっ?」 「どうやら、この子は根本的に勝負の趣旨を理解していなかったようで。勿論、ただでとは言いません。あなたが再度、勝ちましたあかつきにはこの城に、グレースさんの部屋を作りましょう。そして、あなたが僕の弟子となりましたからには、どこに出しても恥ずかしくないよう、つきっきりで指導します」 「はあ……」 「さらに、三食昼寝つき、これでどうです?」 「三食つきはありがたいスが、昼寝は……別に」 「まだ足りませんか? では、三時のおやつに夜食つきでどうです?」 「えっと……何だか、必死スね」 「同情するなら勝負を受けなさい」 立場を理解していない言動が飛び出すほどに、必死なレイテを見かねてグレースは妥協した。 「わかったスよ。もう一度、やり直せばいいスッね? けど、今度勝ったら弟子入りは認めてくださいスよ?」 「勿論です。先程、述べた条件も満たしましょう」 今度こそルーの勝利を疑わないレイテは、自信満々に胸を張った。 レイテが「いいですね? 絶対に勝ちなさい」と、ルーの頭にハチマキを巻きなおして前に押し出してきた。 ルーは頬を真っ赤に染め、杖をギュッと握りこんでこちらを見上げてくる。何だか、赤い瞳が決死の様相をかもし出している。やる気のなさが見えていた少し前とは全然違う。 「それでは、始め」 再び、勝負開始の合図を告げて、レイテは下がった。 ルーとグレースは再び向き合って、それぞれ杖と剣を構える。 「ごめんなさい、グレースさん」 ふと、少女が口を開いた。 (……油断を誘う手スか?) 警戒しながらも、グレースはルーに問い返す。 「何スか? 嬢さん」 「俺、グレースさんが先生の弟子なってくれたらいいと思うよ。そしたら、グレースさんが先生の背中を守ってくれるでしょ?」 「勿論スよ。……ああ、それでさっきはわざと負けたんスか?」 「うん……でも、今度は駄目なんだ。だって、負けたら俺が十二歳までオネショしていたことを暴露するって、先生に言われたんだ」 自分で自分の秘密を暴露しているルーに、グレースは一瞬、絶句した。 (……冗談スよね?) しかし、ルー本人は気付いてない様子で、切々と続ける。その様子から見れば冗談ではなさそうだ。 「そんな恥ずかしいこと、皆に話されたら俺、フラリスの街を歩けなくなるよ。そしたら、先生とお祭りに行けなくなっちゃう」 (もしかして、嬢さんって……中身、天然スか?) 「だから、ごめんね。俺、本気で勝負するから」 「えっと…………」 グレースはどう返答したものかと迷った。そうしている内に頭の中に妙案が浮かぶ。 「あっ!」 突然、声を張り上げたグレースに、ルーはギョッとなった。何事かと見上げれば、グレースは明後日の方向に顔を向けている。今なら、彼の頭からハチマキを奪うのも魔法を使うまでもなく簡単そうだ。 (今なら……) ルーはそろりと一歩を踏み出す。暴走しがちな魔法を使って勝負するより、直に手でハチマキを取りに行ったほうが相手に怪我をさせる心配も必要ない。 そう思ったルーの耳に、グレースの声が飛び込んだ。 「あれは何スか? 空飛ぶ豚っ?」 「えっ? 豚? 豚って空飛ぶの?」 言葉に釣られて、ルーの視線が泳ぐ。赤い瞳はグレースが見つめる先を目で追った。 少女の視界から完全に自分が外れたことを感じたグレースは、グイッと身体を捻った。長身の体躯をものともせずに、素早い動きでルーの横手に回りこみ、剣の柄で杖を強く叩く。その衝撃に手を痺れさせたルーは杖を落とした。 「あっ?」 自分が騙されたと悟ったときには、もう赤毛頭に巻かれたハチマキは奪われていた。 「ああっ?」 ルーは悲鳴を上げて、頭を探るが当然のようにハチマキはそこにはない。 「そんなぁ〜」 絶望的な声を上げるルーの前に、レイテがツカツカとやって来ては、握り締めた拳を迷うことなく少女の赤毛頭に振り下ろした。 「常日頃から、牧場で豚の世話をしておいて何故、空飛ぶ豚なんてネタで騙されるのですかっ?」 「い……いや、だって、豚が飛んだりするわけないから、飛ぶ豚がいるのかと思って」 殴られた衝撃に床に座り込んだルーは、痛む頭を抱えて言い訳を述べた。 「何度も言っているでしょうっ? 現実を認識しなさいって。空飛ぶ豚なんていやしないのだから、豚が飛んだりするはずないでしょう」 レイテは弟子のあまりの馬鹿さ加減に、顔を両手の平で覆った。 もう、このような娘に育ててしまった自分の責任を放棄して、穴でも掘って埋まりたい気分だ。 「若様っ! これでオレの弟子入りは決定スッね!」 はしゃいだグレースにレイテは恨めしげな顔で振り返った。 「……グレースさん、あなたって意外に詐欺師ですね」 「いや、だって……嬢さんがあまりにその……純情で」 単純という言葉を使うのを躊躇し、グレースは純情と誤魔化した。 「それに……あの作戦は若様に習ったスよ」 「僕?」 「若様だって、嬢さんにオネショの話で勝負に勝たせようとしたわけでしょ? それも一種の詐欺じゃないスッか」 「どうしてですか?」 「だって、嬢さんが世間一般を知らないことを良いことに、十二歳でオネショをするのを恥ずかしいことだと騙したわけでしょ?」 「騙したとは人聞きの悪い。恥ずかしい秘密でしょう? とはいえ、本人が暴露しているのですから、秘密になるのですかね?」 レイテは苦々しく吐き捨てる。 「秘密でもないし、恥ずかしいことでもないスよ。それをさも秘密にすべきことのように騙す。つまり……純情な嬢さんの性格がこれでオレにも掴めたスッ」 それでルーの意識を逸らす作戦に出たわけだ。結果は見事に決まり、グレースはこれで文句なくレイテの弟子になれるわけだ。 嬉しげに顔をほころばせるグレースにレイテは首を傾げる。 「恥ずかしいことではない? 普通、恥ずかしいでしょう? 十二歳でオネショなんて」 「えっ? だって、オレは十五までオネショしていたスよ」 「……本当っ?」 勝負に負けたことによって、秘密を暴露されることに恐々としていたルーは、グレースの打ち明け話に目を輝かせた。 「ああ、ミーナに聞くといいスッよ。街の人間なら、大抵知っているス。まあ、こんなオレでも自警団の団長になれたわけスッから、嬢さんもオネショのことなんて気にすることないスよ」 「うんっ!」 「……意外な結末ですね」 レイテはハァと息を吐いた。 「オレの弟子入り、決定スッね!」 「…………仕方ないですね」 レイテはしぶしぶとグレースの弟子入りを認めた。 |