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 29,失くせないもの


「とりあえず、グレースさんはこの部屋を使ってください」
 編み上げていた空間魔法を解いて、勝負に使った部屋をグレースに進呈することにした。何の調度品も置かれていない石造りの部屋は無機質で寂しい。
「ベッドとタンス、カーペットもあったほうが良いですね。一応、魔法で室内の温度は調整できるのですが。それに勉強するために必要なテーブルと椅子。カーテンに寝具、他には何が必要ですかね?」
 レイテは室内を見回して、呟く。
「いや、あの……一応、寝袋を用意してきましたから、そこまでして頂かなくても大丈夫スが」
「駄目ですよ。やるからには徹底します。先程、お約束した通り、あなたにはこれから僕が丹精込めて作った豪華料理を三食に、それとおやつと夜食の計五食で丸々と太ってもらわなければ」
「何で太らせるんスか?」
「それは豚も丸々太ったものが、食べがいがあって美味しいように、人間もガリガリ痩せの筋張った肉や筋肉質の硬い肉よりは、脂肪がたっぷりついた柔らかなお肉が美味しいでしょう」
「人間の肉に美味しいも何もないと思うスッ」
「おや、グレースさんは人間の肉を食べたことがないのですか? 今度、ご馳走しましょう。丁度、食べ応えのある人間が僕の元にノコノコと……おっと、これは失礼。食べられてしまう人間にご馳走するも何もなかったですね」
「オレを食べるつもりスッか?」
 目を見張るグレースにレイテは黙って、艶然と微笑んだ。
 キラキラと後光を背負って笑うその姿に、目の前の魔法使いを怒らせているのをヒシヒシと感じて、グレースは長身の体躯を縮めた。
「若様……無理言って、弟子入りさせてもらったのは悪かったと思うスよ」
「無理だと承知していて、やって来たわけですか、あなたは」
「…………あ、……の」
「フフフフ。まあ、あなたが支払う代価を思えば……許しましょう」
 薄く笑うとレイテはグレースに背を向けて、部屋を出て行った。
 取り残されたグレースは、いまだに殴られた頭を抱えて座り込んでいるルーに目を向けた。
「……嬢さん、オレ、食べられるんスか?」


 グレースはやや青い顔をしていた。レイテ・アンドリューの噂に不安になっているのだろうか。
「先生の冗談だよ。前に、俺も同じようにからかわれたんだ」
 去年の夏、セラがやって来てルーは、レイテが街の人間から、人を食らう化け物と誤解されているのを知った。そのとき、今回のグレースと同じようにルーもからかわれた。
 そのときのことを思い出し、ルーはグレースにレイテの真実を語ることを決意した。
(だって……先生はそんな人じゃないんだから!)
「あのね、グレースさん。先生が生贄を食べるって誤解されるようになったのは……」
 セラが生贄として現れたあの夏の日、レイテから彼が街の人間に誤解されるに至った経緯を聞いた。
 自らの心臓を傷つけるほどに、孤独に気が狂ってしまったこと。その後、出会った一人の女性に心を救われたこと。それが誤解を生み、生贄が慣習化してしまったことなどなど。
 ルーはそれらの話を聞いていて良かったと今では思う。
(……先生が自分で自分の胸を刺したなんて話を聞いていたから……セラの依頼を受けて、先生が雪竜退治に出掛けたとき……死ぬ気なんだってわかったんだ)


「……そんなことが」
 話を聞いたグレースは唸った。世間一般に認識されているレイテ・アンドリューに関する噂が、何とも中味のない誤解であることを知り、それを本気で信じていた自分が情けなかった。
「……若様が本物のレイテ・アンドリューだって知ったときは、生贄の話なんて嘘なんだろうなって思ったスよ。……でも、ここにくる途中、麓のガーデンの街にも立ち寄って、そこでは本当に生贄が捧げられていて……どうなっているんだか、わからなかったス。でも、生贄を帰して殺されたら……やるせないスッね」
「うん……だから、長く生きるのが嫌になったのかも知れない。元々、一人で三百年生きていて、それで自分で自分の胸を刺しちゃうんだもの。ずっと、生きていることが嫌だったんだ……それで」
 ルーは、セラという生贄が現れて、雪竜退治を依頼してきたこと。それを引き受けたレイテに自殺願望があっったこと。そうして、雪竜退治に出掛けたレイテをルーは初めての移動魔法で追いかけて、何とか自殺を思いとどまらせたことなどを、グレースに語って聞かせた。
「先生は、俺と生きてくれるって約束してくれたんだ。何度生まれ変わっても、俺は先生を見つけてみせる。だから、先生は俺を待っていて、生きてくれるって……」
「そうスッか。嬢さんは大切なものを失くす前に、若様への気持ちがわかって良かったスね。若様も……嬢さんみたいな存在に出会えて幸せスッね」
「……そう思う? 何だか、俺、先生を怒らせてばかりのような気がするんだけど」
 不安げにこちらを見上げるルーの瞳に、グレースは笑みを返して、頭をそっと撫でてやった。
 何だか、ルーは弟といった感じがして放っておけない。――少女に対して、弟と言うのは間違っているだろうが。
「怒らせても良いんじゃないスッか? 怒れる相手がいるってことは、若様が決して孤独ではないってことの証明だと思うスよ」
「でも……嫌われないかな?」
「嫌われたら、また好きになってもらう努力をすればいいスッよ。嬢さんは若様が好きなんスよね? 何度、怒られても」
「うんっ!」
 力強く頷いて見せたルーに、グレースは白い歯を見せた。
「なら、その気持ちを大切にするといいスッよ。……そして、失くさないようにするス。失くしてしまってからじゃ、どんなに後悔しても遅いスッからね」
 そう言うグレースの笑顔は寂しげだった。だから、ルーは思わず大丈夫? と問い返した。
「えっ?」
「何だか……グレースさんってば、泣きそうだよ」
「あ……ちょっと、両親のことを思い出したスよ」
「お父さんとお母さん?」
「オレ、強盗に両親を殺されたス。オレは親父から用事を頼まれて、隣街の親類のところに使いに出たんス。本当は行くのが嫌で……。だから、その日の朝は親父と口喧嘩して、その夜は親類のところに泊まって、翌日帰ってみると二人は殺されていた……」
 目を伏せたグレースの表情に苦渋の色が濃くなる。
「喧嘩したことを後悔はしてないスよ。……喧嘩していたからこそ、オレは助かったスよ。直ぐに家に帰るのが嫌だったから、泊めてもらったスッ。……だから、あの喧嘩でオレは命拾いをした……その頃は剣なんてろくに握ったことさえなかったスから、その場にいたら間違いなく強盗に殺されていたと思うスよ」
 唇を噛んで、グレースは拳を握った。
「ただ失くしてから……オレは親父やお袋の存在が俺の中で大きかったことを知ったス。家族だから……そんな当たり前すぎることをオレは失くすまで、気付かなかったスよ。そう……失くしたら喧嘩すらもできない」
 目を上げたグレースは、こちらを真っ直ぐに見つめてくる赤い瞳に笑みを返した。
「ずっと側にいると、なかなかに気付かないものス。でも、嬢さんはちゃんと若様への想いに気付いた。そして、その大切な想いを大事にしているスね」
「グレースさんはもう……そんな人、いないの?」
「いるスよ。今のオレにはフラリスの街の皆がオレにとっては大切な、大事な家族スッ。それに若様や嬢さんも大切な人スッよ。だから、失くしたくない……そのために、オレはここに来たス」
「先生を……守るため?」
 ルーの問いかけに、グレースは唇の端に力を込めるようにして笑った。
「若様は街の英雄スッ。あの男が何故に、若様を恨むのかどうかわからないスが、若様が狙われているのを知った以上は街の代表として見逃せないスよ」
 そう言ったグレースの背後に人影が立つ。他でもない、レイテだ。
「あなたに守ってもらわなくても、僕は自分の身ぐらい自分で守れますが」
 振り返ったグレースにレイテはやや呆れたような表情で告げた。
「先生っ!」
「若様」
 グレースは表情を正して、レイテを見上げた。
「これはオレの決心スッ。オレは自警団に入団する際、心に誓ったスよ。二度と、大切な人たちを失くしたくない。あの男はいずれ、若様だけじゃなく……他の多くの人間を巻き込んだ災厄を引き起こしかねない……そんな気がするス。だから、オレはそのための努力を惜しみません。どんな、苦しい修行だって耐えて見せるスッよ」
 正座したグレースはレイテの前で土下座した。
「だから、弟子入りを認めてくださいスッ」
「魔法の修行に苦しいなんてありませんよ、理解力さえあれば初期レベルの魔法は簡単に習得できます。それに、一度交わした約束を撤回するような人間ではありません、僕は。グレースさん、顔を上げてください」
 言われるままに、顔を上げたグレースを水色の瞳は静謐さを湛え、見下ろしてきた。
「あなたの心意気に敬意を評します。ですから、一つだけ約束してください」
「何スか? ……師匠命令と言って街に帰れというのは、駄目スよ」
「……そんなこと言いません。ただ、絶対に僕の前で自分の身を犠牲にするような真似はしないでください。命に代えてもだなんて、馬鹿げた思想であの青年と対峙しようとするなら、僕はあなたに魔法をかけて眠ってもらいますよ、あなたの気が変わるくらい長く」
「…………若様」
「僕は大義名分や犠牲的精神からの死を認めません。僕を守るために、街の人たちを守るために、あなたは自分を楯にすることもいとわない、立派な精神の持ち主だと思います。だけど、あなたは知っているはずだ。大切な人が死んで取り残される悲しみを。ライラさんが亡くなって、あなたもその死に理不尽さを感じたのなら、僕の言いたいことはわかりますね?」
「はい」
 グッと唇を結んだグレースは頷いた。
「僕はこの先、何があっても生き続けます。ルーと約束しましたからね。だから、あなたやミーナさんたち、フラリスの街の皆さんの死を見送ることになるでしょう。きっと、沢山の人たちの死を。だからこそ、僕は願います。その死が安らかなるものであることを。あなたに対しても同じです。寿命以外で死を迎えることを僕は許しません。約束してくださいますか?」
「はい。オレの魂にかけて、約束するスよ。オレはあの男を捕まえるス。けど、あの男のために死にはしないス」
 グレースの言葉を受けて、レイテはふわりと微笑んだ。
「よろしい。では、部屋の飾り付けをしますので、手伝ってください」
 そう言い、レイテは廊下に出た。続いたグレースとルーは廊下に山積みにされたタンスやベッドにテーブルセットなどなどの家具に目を丸くする。
「若様、これは?」
「フラリスの街にちょっと出掛けて買って来ました。まあ、英雄扱いでかなり値引いてくださいましたが、良かったのですかねぇ? あんなに値引きしたのでは商売にならないのではないでしょうか」
 困ったような表情でレイテは首を傾げた。
「ああ、家具屋のバートン爺さんスか? あそこの孫娘も生贄に選ばれていましたから若様に対する感謝はひとしおでスよ。感謝しているからこその厚意ですから、若様が気にすることはないスよ。むしろ、昔気質の爺さんスから、遠慮したりしたら逆に気を悪くするスよ」
「はあ……長生きの点で言えば、僕のほうが遥かに年上なのですが。まあ、良いでしょう。それでは、この荷物を部屋に運んでください。それが終わりましたら、食事にしましょう」

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