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 30,賑やかな晩餐


「ワォ。これ、全部、若様が作ったスか?」
 テーブルの上に並んだ料理の数々に、グレースは歓喜の声を上げた。ルーも「わぁぁぁ」と歓声を上げる。
 いつもはレイテとルーの二人きり。二人ともそう食欲旺盛というわけではないので、テーブルに並ぶ品数は一つか二つ。だが、今日は大皿だけでも三つ、小皿料理に至っては七つもある。全ては一人で五人前の食事を平らげるグレースの胃袋を計算してのこと。
「残さず、食べてくださいね」
 レイテはグレースに注文付けた。食べ物を残すということはレイテにとって、あってはならない所業だった。
「勿論スよ。残すもんスか」
 グレースが早速、料理に口をつけた。味は抜群だ。これなら、一人で全部食えと言われても大丈夫だ、と上機嫌でのたまう。
「若様っ! オレの嫁さんにならないスか?」
 冗談に聞こえるセリフだが、グレースの顔を見れば結構、真剣そうだった。もしかして、この人はそういう趣味なのか? レイテは思わずグレースと距離を取った。
「いや、オレ、自炊ができないスよ。んで、店での外食なんスが、人一倍食うでしょう。食費代が馬鹿にならなくて。若様が嫁さんになってくれたら、少しは家計が楽になるし」
「は? ああ……」
 深い意味はないらしいと悟って、レイテはホッと息を吐いた。そこへ、ルーがレイテの腕にしがみ付いてグレースを睨む。
「駄目ぇ〜。先生は俺のお嫁さんになる人なんだから」
「……僕は男なのですが」
「嬢さんの場合、若様はお婿さんでしょ? なら、オレの嫁さんで、嬢さんのお婿さんってことでどうスか?」
「ええっ? あー、えー?」
 ルーは一瞬、それなら良いのかと考えてしまった。
「それ……違うでしょう?」
 レイテは真剣に悩みこむルーにまた、めまいを覚えた。
「じゃあ、オレが若様と嬢さんとの子供っていうのは、どうスか?」
「無理矢理ですね」
「だって、こんな上手い料理をタダで食べられるスッよ? もう、なりふりなんて構ってられますか」
「おや。三食におやつと夜食をつけるとは言いましたが、僕はタダでと言った覚えはありませんが?」
 レイテがそう言うと、グレースはにこやかだった笑顔を硬直させた。ここまで来る旅費に、財布の中身は空にも等しい。とりあえず、弟子にさえなれば、レイテの性格見越して、見捨てられるようなことはないだろうと考えていたようだ。
「冗談ですよ。ただ、あなたも下手な冗談を言わないでください。本気で悩む馬鹿娘がここにいるのですから」
 ため息を吐くレイテの視線の先では、ルーが唸っている。ブツブツと呟く、それに耳を傾ければ、
「俺がお父さん? 先生がそうしたら、お母さんでママ? うわっ! ママだって」
 プッと噴出すルーの後頭部にレイテの平手が飛んだ。


「ああ、そうスッ! 若様、酒は好きですか?」
 グレースは慌てて立ち上がりながら問いかけた。どうも、自分の冗談が師匠のご機嫌を損ねかけていると、遅ればせながら認識した
「嫌いではありませんが。それが、何か?」
「嬢さんに上げようと思ったケーキと同じように、その果物で作ったっていう果実酒も買ってきたスよ。試飲した感じじゃ、そう悪くなかったス。ちょっと、持ってきますね」
 グレースは食堂を出、自分に与えられた部屋へと向かった。荷物の中からレイテへの貢物を取り出すと同時に、一枚の紙切れをシャツの胸ポケットにしまう。タイミング見て、レイテにはこの情報を提供しよう。
 戻ってきたグレースは早速、レイテと自分のグラスに果実酒を注いだ。甘い香りが漂う。「どうぞスッ」
「頂きます」
 軽く口に含んで、味を確かめたレイテは静かに飲み干した。
「とても、美味しいですね」
 そっと微笑むレイテの顔には満足そうな色がある。
「そうスッか? 喜んで貰えたら嬉しいスよ。それじゃあ、オレも頂くス。上手い料理に酒なんて最高スよね」
 もう既に酔っているかのような上機嫌なグレースと、空になったグラスに自らの手で酒を注ぐレイテをルーは交互に見やった。
「……いいな〜、俺も飲んだら駄目ですか?」
 物欲しそうに唇に指を当て、上目遣いでレイテを見上げた。
「……そうですね。今日は特別に許しましょう。君も、もう十七歳ですし、お酒に慣れてもよい年かもしれませんしね。君が飲めるようになれば、僕もこれからは遠慮しないでよいですし」
「遠慮していたんですか?」
「君が間違って飲んでしまわないようにね」
 微かに笑って、レイテはルーのグラスに果実酒を注いでやる。ルーは舌で味見して、一気に飲み干した。
「美味しいっ!」
「そうですか。でも、飲みすぎたら駄目ですよ。食事も取りなさいね」
 果実酒のビンに手を伸ばすルーに一言、釘を刺して、レイテはグレースに向き直った。
「それで、グレースさん。あなたが持っているあの青年の情報とやらを教えてもらえますか?」
「あ、はい。この手配書を見てくださいス」
 既に大皿の料理を一人で平らげたグレースは慌てて、胸ポケットから紙切れを取り出す。レイテは渡されたそれを覗き込んで、片目を眇めた。
「……似ていると思わないスか?」
 そこに描かれているのは一人の青年の似顔絵だった。整いすぎた顔立ち、漆黒の髪に瞳。その姿はあの黒の青年によく似ている。
「これは……?」
「自警団事務所に回ってきたスよ。前にチラリと話したと思うスが、覚えているスか? あの東の街……古代遺跡が見つかったっていう」
「ああ……聞きましたね。覚えています。トレジャーハンター同士で殺し合いも勃発しているとか」
 レイテは手配書から視線を上げてグレースを見た。食欲旺盛なグレースは小皿料理も五つばかり片付けてしまっている。彼の胃袋を計算して作った料理だが、足りるだろうか?
「その街はドリアスっていう街ス。で、そこの自警団から回ってきたその手配書を見て、オレはドリアスに使いを出したスよ。この手配書の人物は何をやらかしたんだって」
「それで?」
「それがトレジャーハンター同士の諍いだと思っていた一件が、どうやらその男一人の仕業だったようス。一人だけ瀕死の重傷ながら一命を取り留めた奴が証言したところ、殺されたそいつらはチームで行動していたらしいスよ」
「仲間内での……殺人ではなかったということですか?」
「どうも、そうみたいス。詳しい証言の内容はオレのところにまで回ってきませんでしたが、要約すると、その手配書の男がトレジャーハンターたちを殺したらしいスよ」
「ドリアスの街の……古代遺跡」
「あの男は……若様と同じように不死なんですよね?」
 グレースはさらに大皿を一つ片付けて、確認する。
「彼が<人形>であることを考えれば、魔法戦争以前の存在と考えたほうが妥当でしょう。彼の人間と寸分たがわぬ動きを見れば、当時の<人形>造りの技術だと思われます。今の<人形>といえば子供が遊ぶもの、または店先で商品を飾る動かないマネキンでしょう」
「ああ……あいつ、本当に<人形>スか? まるで生きているみたいに表情もありましたよ。……フラリスの街にいたときは、それこそ人形みたいに無表情だったスが」
「感情表現は幻覚魔法とリンクしてのことです。さすがに、表情の細部にまで動きを出せる技術はありません。幻覚魔法……これは生贄事件のとき、グレースさんにかけた魔法です。理論はわかりますか?」
「洋服を着ているような感じスかね?」
 小首を傾げるグレースにレイテは苦笑した。
「大まかに言ってしまえば、そうですね。<人形>の上に魔法という外皮を被せたようなものです。だから、グレースさんの姿が見ている側に修正されて映っても、根本的にグレースさんの動きはそのままです。あの青年も同じで感情の動きも青年のそれです。……つまり、彼が僕に見せた憎悪は本物だということですよ」
「若様はあいつと面識があるスッか?」
 小皿料理が全て、グレースの胃袋に収まった。このままでは自分の取り分が危ういと、レイテは慌てて口の中に料理を放り込み、首を振った。
「いえ……千年生きていますが、彼とは初対面です。奇跡の麗人と謳われた僕並みの美形なんて、そう見過ごすはずもありませんし」
「あいつのあの姿って、本来のものスかね?」
「なるほど……<人形>ですからね。外皮は魔法で幾らでも変えられる。もしかしたら、真の姿は別で僕と馴染みのある人物であったのかもしれない。その可能性は大いにありますね。……とはいえ、僕は不死の身体になってからというもの、実際に他者と人間関係を保っていたのは三十年程です。同年代の者たちが年老いた姿になっていくに従い、彼らのほうが僕から距離をとるようになりましたし、魔法戦争が始まってから僕は完全に世俗との関係を絶ちましたから……」
 レイテが語りながら手を伸ばした先の大皿は既に空だった。あれだけ作ったのに……。明日からはもう少し余分に用意したほうがよいのかもしれない。しかし、遠慮と言うものを知らないのか?
(結局、僕が食べたのは……)
 満腹感のない腹を撫でて、レイテは言った。
「……せっかくですから、グレースさんに頂いたケーキを切りましょうか」
 ねぇ、ルー? と、弟子を振り返ってレイテはギョッとした。赤毛のルーは顔を真っ赤に染めている。一瞬、少女の後ろ頭を見ているのかと思ったくらいだ。
「ちょっと……君……」
 ルーが片手にしている果実酒のビンは当然のごとく空だ。一人で全部、飲み干したらしい。目を離した隙に、なんてこと。
「だ、大丈夫ですか?」
 問いかけたレイテをルーはとろんとした赤い瞳で見上げた。ニッと白い歯をむき出しにして少女は笑う。可愛らしい笑みと言うより不気味だ。レイテは我知らず、上体を後ろに反らす。
「ひゃはははっ」
 鈴の音のような声を響かせて、ルーは笑うと立ち上がり、椅子の上に上った。その行動から見れば完全に酔っているのがわかる。
「危ないスよ、嬢さんっ!」
 ゆらゆらと軟体動物のような動きを見せるルーにグレースも慌てる。
「一番、ルビィ・ブラッドっ! 歌います」
 ルーはレイテとグレースを見回した後、片手を挙げ、高らかに宣言すると椅子からテーブルに飛び移った。
「はあ?」
 弟子のいきなりの挙動不審な行動に目を丸くするレイテを余所に、ルーは両腕をヒラヒラとそよがせながら──踊りの一種だろうか? ──雄叫びを上げた。
「イェィィィィッ〜♪」
「……じ、嬢さん?」
「〈ゴロゴロピッシャン、蒼い稲妻轟いてェ〜♪〉」
 調子外れの音程でルーが歌いだすと、レイテとグレースの背後で食器棚がガシャンと音を立てて、ガラス戸に亀裂が走った。振り返ったレイテは放電現象を目撃し、顔色を青くした。
 踊りの一種と見ていた腕の動きは魔法陣を書いていた。しかも、歌を魔法呪文にして、ルーは雷撃魔法を繰り出しているではないか。
「ルーっ?」
「〈僕は恋に落ちたのさぁ〜♪ 君を一目見たときからぁ〜♪ 僕の心に咲いた花ぁ〜♪ ドンドンバババン、それは花火みたいでさぁ〜♪〉」
 食堂のあちらこちらで火花が弾ける。グレースはシャツに飛び火した炎に悲鳴を上げた。
「うわぁっ!」
「グレースさんっ!」
 レイテは魔法で炎を消火した。
「大丈夫ですか?」
 幸いに火傷には至っていない様子で安堵する。顔を見合わせたレイテとグレースは、戦々恐々とテーブル上のルーを揃って見上げた。
 熱唱しているルーは、自分が無意識に魔法を構成していることに気付いていないらしい。
「グレースさん……この歌……」
「街の新年祭の喉自慢大会でギャビンが歌った……歌スッね」
「ああ、あの……百年の恋も冷めたという」
「正確に言うと、十年スが」
 自警団の団員の一人ギャビン青年は、街の新年祭の喉自慢大会の舞台で、このオリジナルの歌を恋人に向けて歌った。十年間、愛を育んできたその相手にプロポーズのつもりで大熱唱した彼は、恋人も喜んでくれていると信じて疑っていなかったようだ。
 しかし、祭りが終わってみれば恋人は絶好宣言を下して、別れを告げた。落ち込んでいるギャビンをグレースは慰めようとしたが、彼は自警団事務所に現れると部屋の片隅で膝を抱える。その背中があまりにも哀れで、グレースとしては見てみぬ振りをするに止まっている。
「〈ゴォッと、僕のハートを真っ赤に燃やすぅ〜♪〉」
 歌詞に合わせて、床一面に炎が立ち上がる。レイテは結界魔法を構成し、グレースをその中に引っ張り込んだ。
「誰ですか、ルーにお酒を飲ませたのは?」
 かなり動揺しているらしいレイテは、自分が許可したことを忘れた様子だ。
「若様スよ」
「…………」
 レイテはグレースから視線を逸らしつつ、問う。
「グレースさん。この先、歌はどう続くのでしたか、覚えていますか? それによって、あの子が繰り出す魔法を相殺できればと思うのですが」
「ええっと、スね」
「〈どんな困難待ち受けようとぉ〜♪ 誰も僕らの愛は壊せないぃ〜♪〉」
(……思いっきり、壊れたスが)
 グレースはこの歌を歌った同僚の背中を思い出し、その姿に涙をこぼす。そうこうしている内に歌は続く。
「〈そうさ、黒人間なんかぶっ飛ばしぃ〜♪〉」
「……若様、何だか歌詞が変わっているスよ」
「……そのようですね」
 レイテは頬を引きつらせた。ルーの腕の動きで何の魔法陣を書こうとしているのか、推測しようとするが、フラフラと安定しない動きで読めない。
「〈白い吹雪が吹きすさぶぅ〜♪〉」
 ゴォっと音を立てて、視界が一気に白く染まった。雪だ。その量の半端ではないこと。床の炎と交じり合い、水へと変化したそれはレイテの膝辺りまで達している。
 レイテは食堂のドアを振り返り、魔法を使って開けた。止められていた大量の水は廊下へとあふれ出る。
「〈雪竜の山でェ〜♪ 俺たちは愛を確かめ合ったのさぁ〜♪〉」
「……愛?」
 レイテはそんな甘美なものかと思う。確かにルーへの愛情を再確認したのは間違いないが、この歌にあるような恋人同士の愛情とはちょっと違う気がする。
「しかも……何か、前後関係、滅茶苦茶スね」
 ルーに聞いた話を順に追えば、雪竜の山で愛情を確かめ合った二人の前に、あの黒の青年が立ちふさがる障害として現れたわけだから、「黒人間なんかぶっ飛ばしぃ〜♪」というフレーズは後のほうに来るべきだろうとグレースは考える。そんなことを真面目に考えているグレースにレイテは呆れる。
「前後関係云々より……この歌を止める方法を考えないと」
 ルーが歌うたびに精神が疲弊していくのをレイテは自覚する。酒のせいでもあるのだろうが、ルーの弾けっぷりにはついていけない。
「僕も年ですかねぇ」
 若々しい外見ではあるが、その中身は一千年を生きてきたのだから、その精神はかなり老成していると言われても、不自然じゃない。グレースにしても自分と同じ年頃にしか見えないレイテを「若様」と呼びながら、気がつけば年長者のように持ち上げている。
「〈二人の強い絆はぁ〜♪ 例え、嵐が来ようともぉ〜♪〉」
 食堂全体を巻き込む竜巻が起こる。結界魔法の外を皿やらフォークやら椅子やらが飛んでいく。後の後片付けを考えるとレイテはげんなりとした。
(……ですが、驚きましたね)
 ルーの暴走に呆れるとともに、レイテは密かに感心していた。今のところ、魔法を使いこなせているのだ。ルーは魔力のコントロールが苦手ゆえに、魔法を暴走させ自分自身に怪我を負わせることが常だった。
 今は自分を魔法の外に置いた位置で操っている。無意識の行動であるのだから、正直にいって何の成長にも繋がらないのだが、意識下でこれだけの魔法が操れるようになれば一人前だと認めざるを得ない実力を有していることは確認できた。
(問題はこれが意識下で、できるかということですかね?)
「〈挫けることはないのさぁ〜♪ 進めっ! 進めっ〜♪〉」
「あ、ギャビンの歌詞に戻ってきたスよ。とはいえ、もうラストフレーズを残すのみなんスが」
「〈ラブラブ街道ぉ〜♪ そうさ、ルビィと先生はラブラブなのさぁ〜♪〉」
 歌いきった感慨からか、ルーはテーブル上で仁王立ちの形で固まっている。そんな少女を見上げてレイテはポツリと呟いた。
「……僕の目の錯覚でしょうかね? 僕とルーの間にはとても深い、果てしなく深い断崖絶壁があるように思えるのは……」
「……………………」
 グレースはレイテとルーのカップルが、同僚のギャビンの二の舞にならないことを心の底から強く願った。
 ややあって、固まっていたルーが再び手を上げる。
「二番、ルビィ・ブラッドっ! 歌いますっ!」
「────っ!」
 レイテは考えるより先にテーブルに飛び乗って、弟子の脳天に踵落しを食らわせた。実に鮮やかな必殺技で、弟子を強制的に眠りにつかせた師匠にグレースは感服する。
「お見事スッ! 若様」
「つ、疲れました……。後片付けは明日にして、今日はもう休みましょう」
 レイテの言葉にグレースはコクコクと頷いた。しかし、レイテの夜はこれでは終わらなかった。

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