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 32,魔法の時間


「文字一つ一つにも、意味があります。例えば、火にしてもそれを現す文字は多い。火、炎、焔、全ては同じ意味かもしれませんが、文字の字面によって与える印象が違ってくるでしょう?」
 レイテの説明にグレースはコクコクと頷く。
「つまり、魔法文字も同じです。火を示す文字もまた多様にある。それを数種、組み合わせることによって、炎の魔法陣だけで幾通りもの魔法陣ができあがる。その効果は同じにしても」
「共通ってわけじゃないスね?」
「ええ。根本的に魔法陣に対してはこれと言った法則はないのですよ」
「好きに文字を組んでも構わないってことスか?」
「ただし、相反する文字を組んでしまった場合は魔法として成り立たない場合もあります。熱湯を用意するために、魔法陣を書く。そのとき、水と火、この二つだけではそれぞれの効果を相殺してしまう。それは、わかりますか?」
 ノートに書かれた文字にグレースは頷く。
「水は火を消し、火は水を蒸発させる……つまり、同時には成り立たないってことスよね」
「そうです。では、ここにもう一つ、熱という文字を加える。すると、火はこの熱によって、調整されます。それにより水の蒸発を防ぐことが出来るわけです。もっとも、そういった場合は、水と熱の二文字で魔法陣を構成しても差し障りはありません」
「ってことは、熱湯を用意する際に、魔法陣を書くと言う行程には、水と熱の二文字のほうが最適ってわけスよね。そうなってくると誰だって簡単なものを選んで、共通した魔法陣なんてものが流通しそうな感じがするスッが、違うスね」
「魔法陣を書く行為、これは簡単であればあるほどに良いと思われますが、簡単すぎると第三者に解読されてしまいます」
「解読……行動を読まれてしまうってこと……スね?」
「グレースさんは飲み込みが早いですね。どこかの馬鹿弟子は、話はよく聞きますが、理解力が足らなくて困っています」
 レイテは盛大なため息を吐いた。その後ろから鈴の音のような声が抗議する。
「あー、俺のこと馬鹿にしているっ! ──痛っ!」
 続いて、悲鳴。ルーの赤毛頭に分厚い本が直撃したのだ。
「何度言ったら、わかるのですか、君は。浮遊魔法は繊細な魔力コントロールが必要なのですよ。つまりは精神集中。気をそらしては駄目でしょう」
 背後を振り返ったレイテは、床に落ちた本を拾い上げ、ルーの頭上、拳三個分の空間を置いて手を離した。
「うわっ!」
 脳天に直撃する前に、ルーは浮遊魔法で本を持ち上げる。フラフラと安定しない本は今にもルーの頭に落ちてきそうだ。
「先生、ちょっと休憩」
「駄目です。一時間、その状態を維持しなさい。君には是が非でも魔力のコントロールを身に付けてもらわなければ」
 また、酔っ払って空に飛び出されたらたまらない。無意識で魔法が使えても、魔力が続かなければ落下は目に見えている。とにかく、魔力のコントロールする術を身に付けさせること。そうすれば、目を離しても安心できる。
 とはいえ、二度とルーには酒を飲ませない、とレイテは心に誓っている。そのためなら一生、禁酒しても構わないとさえ。
「俺だって、ちゃんと魔法文字のことは理解しています」
「……君ね。魔法の勉強を始めてまだ二日のグレースさんと、もう十年近く魔法について学んでいる君を同レベルで比較すること自体、間違っているでしょう。大体、十年も魔法に携わっているのなら、既に一人前と呼ばれるものですよ?」
(無意識ならば一人前だなんて……)
「とにかく、精神を集中して。よいですね?」
「はーい」
 しぶしぶ頷くルーに背を向けて、レイテはテーブルで魔法書と睨めっこしているグレースの元に舞い戻る。
「とりあえず、魔法文字を書いてみましょうか。簡単なところで、火の魔法をこちらに」
 レイテはノートを一枚、切り取ってグレースに差し出した。
「どの字でもいいスか?」
「ええ。あなたが覚えた火の魔法文字でどうぞ」
 レイテに言われるままにグレースは文字を書いた。しかし、何も起こらない。
「あ、アレ?」
「グレースさん。単に文字だけを書いて、それで魔法ができあがるのなら、魔法書に魔法文字など並べられるはずがないでしょう? 文字を書いて、魔法を具現化したいのならば魔力を込めなければ駄目ですよ」
「そうスね。……えっと、これで」
 文字を再び書く。すると紙切れは、ボッと音を立てて、赤い炎となって燃えた。
「……本当に、驚かされますね。たった、一日で魔力を魔法に転化する方法を覚えただけでなく、もう具現化まで」
 レイテは感心した。二日酔いで──ルーには表向き、そういうことになっている──実際に、レイテがグレースの魔法修行を見るのは今日が初めてだ。
 魔法が魔法文字の組み合わせによる、魔法陣によって構成されることを一通り講義して幾つかの魔法文字を教えた。それがつい先程のこと。
「若様の教え方が上手いスよ」
「ルーにも同じ教え方をしましたが」
 遠い目をするレイテに、グレースは言葉に詰まる。
「あっと……えっと、……ああ、魔法って魔法文字、魔法陣において全てが決定されるスか?」
 話題を逸らそうとしてか、グレースが問いかけてきた。
「あいつ……あの<人形>に魂を宿すっていう……何でしたっけ?」
「魂転換の魔法ですね」
「それも、魔法文字の組み合わせで可能になるわけスよね? 勿論、その魔法を可能にする組み合わせっていうのは……」
「そうですね。離魂、転換、定着、生、死、この五つを基本としてまずは生きている身体から魂を切り離し、<人形>の内部に移し変える。動、静──これで<人形>に動きを与え、幻姿──これで容姿を定義づけ、音、聴、声──これで聴覚を与え、視──これで視覚。それらが一応、最低限の組み合わせで、必要とされる文字でしょうか?」
 レイテは疑問形で締めくくった。彼自身、魂転換の魔法について、明確に理解してはいない。
 あの生贄事件が終わってから、グレースがこの城を訪ねてくるまでの間にそれらに関する書物を再確認したが、どれも文字の組み合わせによる可能性を語っているだけで、成功の報告はない。
 レイテの言も、あくまでも理論上でしかない。根本的なところで間違えている可能性もあった。故に、疑問形の発言で終わる。
「つまり、それらの文字を組み合わせれば、魂転換の魔法は誰にでも可能スッか?」
「あくまでも最低限ですよ。それに魔法を実現するには、それ相応の魔力が必要です。生死に関わる魔法なら、魔力の桁は初期魔法とは比べ物になりません。それに、離魂自体が難しい魔法です。生きている人間の身体から魂を抜くと言うのは、難しいものです」
「そうなんスッか?」
「肉体があっての魂だと考えられています。だから、肉体が死ねば魂は身体から離れる。けれど、肉体を離れる際に生きている間に刻まれた情報……例えば僕がこの一千年の月日に学んできた魔法などの知識、それに今まで出会った人々との思い出……そういったものが魂と分離してしまうのだと言われています。真偽はわかりませんが、人が前世の記憶を持たないのは情報を死んだ肉体に残して来たからだとすれば、納得できる答えでしょう」
「あーと、そもそも、何で輪廻転生なんて信じられているスッか? それが信じられているってことは前世を前提にしているスよね? 誰も前世のことなんて覚えてないのに、前世があるなんて信じる……矛盾してないスッか?」
「……前世の記憶を持っている人間がいなかったわけではないのです」
「え? そうなんスか?」
 目を見張るグレース。と同時に、ルーがレイテの背中に飛びついてきた。その体重を受けて、レイテはテーブルに頭から突っ込んだ。
 激しい激突音に、グレースはそろりと腰を浮かせ、後退した。
「────ルーっ!」
 打ち付けた額を抱え、涙の滲む水色の瞳で振り返ったレイテは、背中に張り付いた弟子の横っ面に肘鉄を食らわせた。
「痛いっ!」
 背中から引き剥がされ、床に転がされたルーは頬を押さえて、叫んだ。
「それはこっちのセリフですっ! 今、一瞬、脳味噌が頭の中で一回転しましたよっ?」
 レイテもまた叫び返す。
 この師弟コンビは仲が良いのか、悪いのか。
 グレースは二人を見比べながら、そっと問いかけた。
「大丈夫スッか? 若様も……嬢さんも」
 二人とも目に涙を溜めて、グレースを振り返った。その表情を見る限り、かなり痛かったのだろう。思わず、顔を引きつらせる彼に、レイテとルーはそれぞれが怪我を負わせた相手を見やり、互いの形相に目を逸らす。
「…………ごめんなさい」
 ルーがペコリと謝るのを目にし、レイテは息を吐いた。
「僕のほうこそ、カッとしてしまいました。来なさい」
 そっと手招きして、レイテはルーを呼ぶ。近づいてきた少女の頬に触れて、痛みをとってやる。
「大丈夫ですか?」
「うん。痛くない」
「それは良かった」
 そっと笑うレイテの手を取って、ルーは言った。
「それより、先生っ! 前世の記憶を持っている人がいるって本当なんですか?」
「……ああ、あくまでその本人が語っていたことで、証明はされなかったとのことですが。証言自体には信憑性があるということで、魂の存在が広く認識されるようになったとのこと。そこから輪廻転生神話とでも言いましょうか、人は転生を繰り返しているのだと信じられた」
「じゃあ、俺も先生のことを忘れないでいられるかも知れないっ!」
「……ルー」
「忘れても、先生のことを見つけるよ。でも、忘れないでずっと覚えていられるんなら、それがいい。ねぇ、どうやったら、記憶を残したまま生まれ変われるのかな?」
 ルーの期待を込めた問いかけにレイテは悲しげに首を振った。
「それは誰にもわかりません」
「そうなんだ……。でも、俺はずっと先生のこと覚えていられる自信はあるよ」
「ルー……」
「忘れたりなんかしない。絶対に。忘れるはずないんだ。だって、こんなに好きなんだから」
 ギュッとしがみ付いてくるルーをレイテは黙って受け止めた。まるで、心の中に巣食った不安を見透かしたかのようなタイミングの告白に、胸が熱くなる。
「二人はラブラブ、スッね」
 この場にいる自分がお邪魔虫のようで、いたたまれなくなった様子のグレースが──かといって、立ち去るわけにもいかないので──そう言って二人を茶化す。
「うん。俺と先生はラブラブなのさ」
 頷いたルーの言葉がはからずも、破局の歌の──グレース命名──最後のフレーズと重なる。
 レイテは胸を熱くした感動が一気に冷めるのを自覚した。
(本当に……僕はこの子を選んで……間違いはなかったのでしょうね?)

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