33,不死の価値 微かに歪むレイテの美貌を目にして、グレースは強引なのを自覚しつつ、話を引き戻した。 「若様っ! 魂転換の魔法ってのはっ!」 グレースの意図を汲み取ったレイテはルーを引き剥がしながら、頷いた。 「講義を再開しましょう。ルー、君は浮遊魔法の訓練を」 「俺もお話を聞きたいです。その話はまだ、聞いたことない」 「……そうですね。いいでしょう。椅子を持ってきなさい」 ルーはレイテの許可を得て、部屋の端に追いやられていた自分の椅子を引っ張ってきた。そして、レイテの横に陣取る。 「生徒は向こう」 後頭部を叩かれ、ルーはグレースの隣に椅子を置いた。 「どこまで話しましたかね?」 「えっと、人の身体から魂を抜くというのは難しいって話から、オレが横槍を入れて輪廻転生の話になったスよ」 「そうでしたね。肉体が死ねば魂は抜け出る、その際、肉体に記憶などの情報が取り残される。ここまで話しましたね?」 「はい、そうスッ」 「だからこそ、魂転換の魔法は最高難易の秘術とされたわけです。つまり、この情報ごと、魂を肉体から引き抜くこと。……そして、さらに難易な魂を物質に定着させるわけですから」 「先生の不死の魔法より?」 「そうですね。この不死の魔法陣も複雑な魔法が組み上げられていますが、問題なのはその魔法陣に刻まれた魔力です。偉大なる魔法使いというその称号を与えられた二人の魔法使いの命を削るほどの魔力を必要としたわけですから」 レイテは目を伏せて、己の胸に手を当てた。薄い胸板の奥から伝わってくる鼓動は両親の命を食らって、瀕死の病床からレイテを引き戻した。 「不死を求める魔法使いが自らの命を削って、不死の魔法を成したところで結局、魔力が足りない。根本的に、僕のような不死の魔法を習得するより、魂転換の魔法が理論的には可能だった……」 「でも、若様は、成功例はないって言っていたスよね?」 「ええ。いるとは思いません。先程も言いましたように、情報ごと魂を肉体から分離させるのは難易度が高いのです。魂を切り離すために、肉体を殺さなければなりません。しかし、死んでしまったら記憶はそこで魂と切り分けられてしまう。それを防ぐには、魂に死んだと錯覚させながら、肉体を生かし続けなければならない」 「息を止めるって程度じゃ、駄目スッよね……」 「仮死状態になっている者から魂を引き抜く……これが理想的ですがね。誰が好き好んで仮死状態になります? よって魔法でその状態を作るわけですが、これも先に言いました通り、生死に関わる魔法は必要とされる魔力の桁が違ってきます。不死の魔法しかり、蘇生魔法も……術者が命を落としても構わないと言う覚悟がなければ……もしくは、数十人の協力者と分担して、などの行程を踏まなければ。でも、協力しても自分が不死になるわけではなく、失敗によって魔力を失う可能性もありましたから……はっきり言って無理です。だから、研究はなされても実際に魂転換の魔法を実行しようとした魔法使いなんて……いないはずなのです」 レイテはそう言って、自分の言葉に矛盾を覚える。 あの黒の青年は間違いなく<人形>に魂を移し変えた魔法使いだ。いるはずがない存在をレイテは魂転換の魔法と定義づけ、認めた。これは明らかな矛盾だ。 「研究って……」 「僕が読んだ書物の作者は、動物実験をしていたようです。小動物の魂を<人形>に移し変える……情報や肉体の生死を問わなければ、必要とされる魔力は軽減されるわけで、<人形>に魂を定着させること……それは幾つかの成功例を挙げています。でも、それでは不死を求める前提において、意味がない結果です」 グレースは眉間に皺を寄せて首を傾げた。 「意味がない? 少なくとも、<人形>に魂を移すってだけでも成功できたなら、それは不死になるわけでしょ?」 「……グレースさん、当時の魔法使いたちが不死を求めたのは、魔法をさらに探究しようという欲があってのことです。幾ら、不死の身体があっても、それまでつちかってきた記憶を手放してしまっては不死を求める意味は……なかった」 だから、レイテの両親は<人形>に魂を移すという方法ではなく、危険とされる不死の魔法をあえて実行したのだろう。彼らはあくまで、魔法使いだったから。 そして、間違いなく自分も。 「……ルー。もし、僕が君に未完成の魂転換の魔法を行うとしたら、君は受け入れてくれますか?」 「えっ? 俺?」 いきなりの展開にルーは赤い瞳を大きく見開いた。ややあって、問いかけの真意を悟ったルーは上目遣いにレイテを見上げた。 「そしたら、先生とずっと一緒に居られる?」 「それは勿論です。ですが、先程も言いました通り、君には記憶がない。僕のことなんて、完全に忘れてしまっています」 「でも……思い出すよね? ずっと忘れたままってわけじゃないよ。だって、きっと、俺は先生のことを思い出すから……」 「その可能性があれば……君は<人形>に魂を移しても構いませんか?」 「…………俺」 「僕は……嫌です」 ルーの迷いを振り切るように、レイテは低く告げた。 「君が生まれ変わってどんな姿に変わろうと、構わない。ですが、<人形>にだけはしたくありません。姿を今のまま<人形>として残して、魂もルーのまま……でも、それは僕の知っているルーじゃありません。僕はそんな形だけのルーじゃ嫌です」 「先生……」 「僕のことを忘れても構わない。君が笑っていれば、僕は例え、どんな姿に変わっていようと見つけてみせます。でもね、<人形>になってしまっては、僕は今目の前にあるルーだけを求めてしまうでしょう。君の本質ではなく、思い出に縋るだけの僕になってしまう。ルーはそんな僕でも良いですか?」 「…………嫌です」 首を横に振ってルーは言った。 「ちゃんと、俺を見てください。俺はいつまでも昔の俺じゃない。ちょっとずつだけど、それでも成長しているんだから……ずっと昔のままに思われるなんて嫌だ」 デーブルの上に身を乗り出して、ルーは訴えた。 「きっと、先生のことを思い出すよ。それでもっともっと、好きになるよ。それをいつまでも同じなんて思われたくない」 「ええ……」 レイテはルーの頭を優しく撫でて、グレースを振り返った。 「だからこそ、僕の両親は不死の魔法にこだわった。そして、多くの魔法使いがそうです。肉体だけが不死になっても、本質が変わってしまっては意味がない」 「……記憶が重要であるから……」 グレースの呟きにレイテは頷いた。 「ただ魂を<人形>に移すだけの方法には価値はなかった。あの青年みたいに完全に人格を宿しての魂転換の魔法が行えるのなら……僕だって迷いますがね」 レイテは再度、ルーに目を向けた。しかし、その可能性があっても、多分、自分はルーを<人形>になどしないだろう。 手を繋いだ感触だとか、そのぬくもりが自分の孤独を癒してくれたのを知っている。脆弱な肉体に人間として生きているからこそのルーだと思う。 限りある時間だからこそ、大切にしたいと願う。今のこの瞬間さえ尊く思える。 「じゃあ……あいつは魂転換の魔法の唯一の成功例スッか? それとも失敗例?」 「彼が魔法を使えていることからみれば、成功例とみて間違いないでしょう。失敗し、記憶を失くしたが再度、魔法を習得し直したと考えることもできますが……」 そこで、一息吐いたレイテは首を横に振った。 「わかりませんね。何故、魔法使いに対して、あれほどの憎悪を見せるのか。自分自身が魔法使いであり、<人形>に魂を宿したのなら、自らそれを望んだのだと思いましたが、彼は人間に作られたと言っていました」 レイテは廃屋での青年の言動を思い出す。 『だが、俺は人間じゃねぇ。お前ら人間が作り出したものさ。その業に精々、苦しむがいいさっ!』 今でも、青年の嘲笑は耳元に鮮やかによみがえる。不吉なその言葉と共に。 「……動物実験に無理矢理、参加させられたとか? それとも記憶喪失の際に何か誤解が生じたとか」 グレースは顎を撫でながら、首を捻る。 「本人の意志を無視しての、魂転換の魔法だったのならば……恨みは当然、強いでしょうね」 レイテは自分の意思とは無関係に、不死の魔法をかけられた己の過去にそっと唇を噛む。 生きて欲しい、と願った親の思いを理解しながらも、取り残された絶望に抱いた感情は恨みだった。 「何にしても厄介な奴スよね。……それで、若様。オレ、一度、ドリアスの街に行ってみようと思っているスッが……」 グレースがレイテの表情を伺いつつ、言ってきた。まだ修行を始めたばかりであるから、危険、と却下されるのではないかと心配しているようだが、レイテはコクリと頷いた。 「僕もそう考えていました。その古代遺跡に彼がどう関係しているのか、それがわかれば彼の正体が知れるかもしれません」 「やっぱり、若様もあの遺跡と、あいつが関係あると思っているスッか?」 「彼が過去から存在しているのは間違いないでしょう。ただ、今になって行動的になっているのが気になります。遺跡でトレジャーハンターを殺害したの、僕の名を騙ったのも。何故、今になって……その答えが遺跡にあればと思います」 「じゃあ」 早速と、立ち上がりかけたグレースをレイテは制した。 「後、二日待ってください。二日間で、グレースさんには、結界魔法を完全に習得させます。それから、行動を起こしましょう」 「二日スッか?」 「はい。あなたの飲み込みの早さなら、二日で結界魔法を習得するのは可能です。魔法石で魔法陣を書くと言う行程を省くことができますが、それは魔法陣の図式を覚えていないことには始まりません」 「……はあ」 「ということで、覚えましょう。まずはこちらの魔法文字全書を丸暗記しましょう」 レイテは、テーブルの上に置いた分厚い本の表紙をポンと叩いた。グレースはその本の厚みに目を剥く。 「…………全部、暗記っ? いや、オレは結界魔法だけ使えれば……」 「そんなつまらないことを言わないでください。前にも言いました通り、あなたをどこに出しても恥ずかしくない一人前の魔法使いに育てて見せます」 「いや、オレは魔法使いになりたいわけじゃ……」 首をブンブンと横に振るグレースに、レイテは艶然と微笑む。 「やるのですよ。僕の弟子を名乗る以上、中途半端は許しません」 「…………若様っ、そんな……」 顔を引きつらせるグレースの前に、レイテは魔法書を置いた。 「今日、一晩あげます。明日の朝、テストをしますので、それまでに完璧に覚えてくださいね」 後光を背負って、レイテはニッコリと笑う。拒否など許さない、と水色の瞳は言っている。 「…………アハハ」 グレースは乾いた笑みを浮かべて、魔法書を受け取った。 「さて……ルー」 レイテはグレースとのやり取りの間に、テーブルの下に隠れた弟子を呼び出した。 勿論、隠れているルーは息をひそめている。 「五つ数えるうちに出てこなければ、電撃を食らわせますよ?」 「出ますっ! 出ますっ!」 バコッとテーブルの天板に頭を打ちつけ──しゃがんだ姿勢からそのまま立ち上がったがために──赤毛頭にたんこぶを作ったルーは、ノソリとテーブルの下から這い出してきた。 「君にもテストを行いましょう」 「…………やっぱり?」 そうなることを予測して、隠れたわけだが。レイテはルーに容赦しない。 「当然です。君は僕の一番弟子なのですから、グレースさんに負けるわけにはいきませんよね」 負けたら、わかっているのでしょうね? と、レイテは水色の瞳で無言の圧力をかけた。ルーは視線に気圧されるように後退しながら言い訳した。 「で、でも……俺はグレースさんより年下だし……負けても」 「知っていましたか? 魔法使いの社会では、魔力ないし実力がものを言うのです。年下だろうが、関係ありません。第一に、十年近く魔法の勉強をした君が、まだ一日だけしか魔法に触れていないグレースさんに負けるはず……ないですよねぇ?」 「ええっと、もしもの話ですけど。負けちゃったりしたら」 上目遣いに可愛らしく尋ねたルーに、レイテは冷酷に言い放った。 「――死刑」 「丸太を身体に巻きつけて海に飛び込んでもらいましょうか。はたまた、火あぶり……ギロチンによる断首刑、絞首刑……人間とは実に過酷な死刑方法を編み出すものです」 レイテがブヅブツと呟くのを聞いて、ルーが悲鳴を上げた。 「えぇぇぇぇぇっ?」 「冗談ですよ」 レイテの場合、冗談を言っているように聞こえないから怖い。師匠の顔はどこまでも真顔だった。 「そうですね。勝ち負けは別にして、……やはり、罰ゲームを考えましょうね。満点を取れなかったら、一生、禁酒なんてどうでしょう」 「何で禁酒? しかも、満点っ?」 ルーに二度と酒を飲ませないための策略だということはグレースにもわかった。 (なるほど、こうやって若様は嬢さんを動かして……) 「七十点以下だった場合、一生、おやつ抜き」 「いやぁぁぁぁぁ!」 「五十点未満だったら……、一週間、朝昼晩の食事抜き」 「死んじゃいますっ!」 「ルー、よく考えて見なさい。要は満点を取ればいいわけです」 (満点を取れるわけないと知っていてのことスよね……?) グレースはレイテの言葉に心の中で突っ込んだ。 「うううっ」 「最低でも五十点取れば、一日の食事は確保できるわけですよ。グレースさん」 いきなり名前を呼ばれて、グレースはびくりと肩を震わせた。 「もしかして……オレもスッか?」 他人事だと考えていたグレースは、自分も罰ゲームの対象になっていることに愕然とした。 「嘘でしょ? 若様っ!」 「僕は、嘘はつきません」 「またまた、冗談スよね?」 「冗談だと思いますか?」 ニッコリと華麗に微笑む麗人に、グレースは黙った。 「じゃあ、がんばってください」 無言の弟子たちにねぎらいの言葉をかけて、レイテは部屋を出て行った。 取り残された二人の弟子は目を見合わせ、言った。 「目標は五十点以上スッよ。それが達成されないと、死活問題になるス」 「おやつも食べたい」 「では、七十点を目指してがんばるスよ」 |