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 36,<人形>工房


 隆起した土山の側面に暗い穴が開いていた。どうやら、そこが遺跡の入り口らしい。
「暗いですね……」
 レイテは一言呟くと、光魔法で入り口を照らした。白く照らされる辺りを水色の瞳で一周して、言った。
「入り口とは言いましても、これは正規のものではないようですね」
「廊下みたいスッね」
 グレースもまた穴を覗き込むと、見た感想を口にした。
 地震によって盛り上げられた地面に廊下が寸断され、地上への口を開けたといったところだろう。
「僕が先に降ります。安全を確認したら呼びますので、二人はここで待っていてください」
「若様、それはオレの役目スッよ」
 穴の淵に足を掛けたレイテをグレースは慌てて引き止める。
「駄目です、グレースさん。ここは魔法戦争以前の遺跡ですよ?」
「それが何か?」
 やけに鬼気迫ったレイテの表情に、グレースは不安を覚え問い返した。
「魔法が当たり前であった当時、家屋敷の戸締りが完全でも誰もが自由に出入りできたわけです。鍵なんてものは無意味だった」
「……移動魔法」
「そう。だから、プライバシーを守るために、魔法使いたちはそこら中に結界を張っていたのです。その結界の魔法陣が壊れていないのならば、今も生きている可能性はあります。単に侵入者を察知するような結界や不可侵結界であるのならともかく、侵入者に対し排除的処置を取るような、攻撃型結界があったら、あなたでは対応できないでしょう?」
「…………それは」
「僕ならば、解呪もできますからね。この場では僕が先頭を行きます。ルーが続き、グレースさんにはしんがりをお願いします。いいですね?」
 真剣な声にグレースは頷いた。
 それを確認すると、レイテは穴の奥へと飛んだ。
 入り口となっている部分は無理矢理に押し上げられているため、斜めになり足場が悪い。そこで、少し先の平らなところをめがけてジャンプした。
 魔法で着地の衝撃を緩和し──高さはグレースの身長の三倍ぐらいか、下手したら足の骨を折る可能性がある──遺跡内に降り立ったレイテは光魔法の光量を調節して、辺りを照らした。
 結界魔法を敷くことによっての利点は、プライバシーの保護と同時に建築物の劣化を止める効果があることだ。千年前のレイテの城が彼の魔力により、魔法戦争の余波を受けながらもいまだに在り続けているのは、そういう理由だ。
 レイテの並外れた魔力だったから、魔法戦争後も在り続けていられた。逆に、魔力が足りず結界自体がもろかった建築物はあの戦争の折に大破してしまった。
 今もこうして遺跡として残っているということは、それだけ遺跡に敷かれていた結界魔法が強力だったことを示す。
「地下に在ったから、残ることもできたのでしょうが」
 レイテは呟きながら精神を集中した。魔法の存在を探る。名残のようなもの──微かな魔力を──感じるが結界魔法は見当たらない。
 やはり、結界は地震の際に壊れてしまったのだろう。でなければ、魔法について無知にも等しい現代人が遺跡内部に入れるはずはない。
「先生ー?」
 ルーが痺れを切らしたように声を掛けてきた。
「大丈夫ですかー? 俺、そっちに行ってもいいー?」
「……そうですね。気をつけて降りていらっしゃい」
 離れていることに不安を感じているのはルーだけではない。レイテは地上への穴を見上げたところで、絶句した。
 ルーが何の躊躇もなしに飛び込んでくるのだ。自分をめがけて。
「ルーっ?」
 魔法の発動は感じられない。信じられないっ! 
 レイテは手を伸ばして少女の体重を受け止める。ルーはギュッとレイテの首に手を回してしがみ付いた。
「……君ねぇ、降りて来いと言いましたが、飛んで来ることはないでしょう?」
「先生の真似したんです」
「真似をするのなら、着地まで真似をしてください。魔法もなしに飛び降りられる高さではないでしょう?」
「だって、こんなに高いなんて思わなかったんです」
 唇を尖らせて、ルーは反論した。そして、レイテの腕から降りて、自分が飛び降りた高さを確認するように見上げたところで、少女は絶句した。弟子の反応に気付いてレイテもそちらに視線を向けた。すると、上からグレースの巨体が飛び降りてくる。
 レイテはルーの身体を横脇に抱えて、彼の着地地点から避難した。地面を揺るがす大振動が収まったところで呻き声が届いた。
「うぐっ」
 着地した姿勢のまま、固まっているグレースを振り返って、レイテは問いかけた。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、足が痺れたスッよ」
「……それはまあ、そうでしょうね。骨を折ってもしかたのない高さですから。ルーにしても、グレースさんにしても、やることなすこと無茶をしますね。普通、この高さを飛び降りたりしないでしょう?」
「わ、若様が軽く飛んだスッから、そんなに高くないと思ったスよ」
 そう訴えるグレースに合わせて、ルーもまた首を前後に動かした。
「僕のせいなのですか?」
 二人の弟子がじっと非難がましい目で見つめてくるのに対して、レイテは背中を向けた。
「さて、それでは奥へと行きましょうか」
 そそくさとその場を立ち去るレイテの背中を、二人は慌てて追いかけた。
 廊下を少しばかり奥に、斜めに下って行くと突き当たりにドアがあった。
 ドアを開けると天井が高いその部屋一杯に、レイテは光魔法を掛けた。
 明るい光に照らされた空間をレイテは見回した。何だか、見覚えがあるような室内は、彼自身の今は封印されて使われていない魔法実験室を思い出させた。
 だだっ広い空間と、無造作に詰め込まれた沢山の書物と、一見すると何に使うのかわからない実験機器や魔法アイテム──先程感じた魔力の発信源はそれだろうか?
 壁際に固定された書棚からは、地震のせいか本は全て床に投げ出されている。レイテはローブが汚れるのも構わずに、片膝をついて一冊一冊を確認していく。魔法書に混じってよく見かけるのが、設計図らしきものが載っているもの。一つ一つの図に対しては理解できないが、全体図のページを見て、確信した。
(これは<人形>の基本設計図……)
 広い部屋の中央に置かれたテーブル……いや、それは寝台か?
(では、ここは……<人形>工房?)
 確証を求めて、辺りを歩く。所々を汚している赤黒い染みは血痕だろうか。あの青年に殺されたのではないかという、トレジャーハンターたちの……。
「何だか、昔の遺跡って感じはしないスッね?」
 グレースが辺りに視線を走らせながら、困惑気味に呟いた。
 魔法戦争以前のものであるならば、九百年近く昔の建築物であるはずだ。
 しかし、天井や床、壁を見渡しても現在のそれよりずっと上等であるように見える。
 限りなく平に研磨された床の石材。天井も梁などがむき出しの自分の家と比べると、どうやってこの高い天井を支えているのかと、グレースは疑問に思う。
 それはレイテが言う失われた文明がもたらしていた技術だろうか。
「結界魔法が最近まで、この場には生きていたからでしょう。長い時間、魔法を固定するとなれば建物を建築する段階で床や壁に魔法陣を刻むのですよ」
「魔法陣……」
「これは話しましたかね? 魔法陣は魔法を固定する役割もあることを」
「どうでしたっけ?」
 首を捻るグレースにレイテは説明した。
「僕の心臓に刻まれている不死の魔法陣が良い例です。刻まれた魔法陣は壊れない限り機能し続けます。勿論、そこに込められた魔力が外的から与えられる力より強いことが条件ですがね」
「つまり、地震という大きな力が加わって……魔法陣が壊れた。同時に、入り口ができあがってしまったことによって、人の出入りが可能になり……」
「宝を求めるトレジャーハンターたちはここにやって来た」
「そして、あいつの登場スッか?」
 グレースの言葉にレイテは首を傾げた。
 被害者たちと加害者が出会ったのは、単なる偶然だったのか?
「ここは恐らく、<人形>工房です」
「工房……。ここで<人形>が作られていたってことスッか?」
「ええ。つまりは魂転換の魔法実験場であった……」
 この広い空間は、魔力がふとしたきっかけで暴走したときに備えてのことだろう。
「じゃあ、あいつはここで造られた可能性があるってことスッか? ……ああ、それなら、奴がここに出入りしていたとしても不思議ではない?」
 グレースは自分で発した言葉に考え込む。
「そう……考えて良いと思いますが……。しかし、魔法戦争終結から数えても八百年です。その間、じっとしていたとは思えないのですが」
 レイテでさえ、三百年生きて気が狂った。
 人間の精神が耐えられる時間はやはり、人の寿命に相応した時間ではないだろうか。幾ら、肉体は朽ちないとは言っても、精神は確実に時間を刻んでいく。そして、思い出もまた悲しさばかりが募る。どれだけ、楽しい思い出を作ったとしても、最後には死という別れが存在していた。
 世俗との関わりを絶ってみても、生命維持の為には食料などが必要だ。城の牧場や菜園で確保できるものにも限度があった。そうすると、どうしても街での買い出しが必要になってくる。
 店に出入りするようになれば、顔見知りとなり声を掛けられた。無関心でいるにはレイテはあまりにも不審すぎたのだ。しかし、言葉を交わせば情がわく。深い付き合いにならないようにと気を配りながら無関心を装うが、顔見知りの死の報を聞けば心が揺るがされた。
 一時期は、餓死などを考えてみたが、不死の魔法陣はギリギリのところで生命を維持するのは目に見えた。無駄な苦痛を味わうよりはと確実な死を求めて、レイテは研究に没頭した。
(僕と比べてしまうのは問題なのでしょうが……)
 レイテはあの黒の青年もまた、長い月日を平穏な精神で過ごしてきたとは考えられなかった。
(歪んでしまったからの……あの憎しみなのですか?)
 魔法使いへの憎しみが、人間という全てに対しての憎悪へと変わったのだろうか?
「先生っ!」
 考え込むレイテの思考に割り込んできたのは、ルーの声。
 振り返ったレイテの目に、ルーが胸に何かを抱えて駆け寄ってくる。
「向こうで、こんなの見つけました」
 そう言って誇らしげに突き出してきたのは大きな卵──卵だろうか? 鶏の卵とは全く持って比べ物にならない大きさだ。大型の爬虫類、もしくは鳥類の卵と言われれば納得するかもしれないが。
「何かな? 何の卵だと思います?」
 ルーは好奇心丸出しの顔でレイテを見上げた。
「……わかりませんよ」
 レイテはルーが指差した方向を見返った。さらに奥へと続く扉があり、そこが開いている。気配を感じないと思ったら、一人で探索に出たのか。全く、目が離せない。
「わからないって全然、考えてないでしょう?」
 ルーはレイテの反応の薄さに唇を尖らせた。少女としては大発見のつもりだ。もっと、驚いて欲しいし、興奮して欲しい。
「考えるって……卵でしょう?」
 何で、こんなところに卵があるのかと言えば疑問だ。自分たちが入ってきた入り口とは別に地上に繋がる出入り口があって、何かの大型生物がこの遺跡に住み着いているのだろうか?
「例えば、お菓子の卵とか、お花の卵とか、宝物の卵とか、人間の卵とか」
「常識に照らし合わせて、物事を考えなさいね。人間は卵から生まれませんよ」
 また童話の影響でも受けているのか。弟子の突飛な発想にレイテはため息をついた。
「先生は夢がなさすぎです」
「……じゃあ、お化けの卵とか?」
 レイテはちょっとした意地悪で言った。お化けの卵なんて聞いたこともないが。
「……………………」
 沈黙したルーは、キョロキョロと辺りを見回すと、手にした卵を側にいたグレースのほうに突き出した。グレースは何が何やらわからないままに受け取る。卵を手放したルーはレイテの背後に回って隠れた。どうやら、怖いらしい。
「……グレースさん、捨ててきてぇ」
 力のない声でレイテにしがみ付いた姿勢から、ルーは涙目で訴えた。
「捨てるって……、嬢さん」
 本気でお化けが、この卵らしき物体の中に潜んでいると考えているのだろうか?
「ルー、ものを粗末にしてはもったいないお化けがでますよ」
「ええっ? もったいないお化けは食べ物の精霊じゃなかったんですか?」
「万物に精霊は宿っています」
「あうぅぅぅ」
「大体、お化けの卵だと決まったわけではないでしょう。これはもしかしたら、大トカゲの卵かもしれませんよ?」
 トカゲの卵がこのように大きいとは思えないが。
「もしかしたら、ピクルルちゃんの生まれ変わりかもしれませんね?」
 レイテは少女が溺愛していた白トカゲの名前を口にした。背後でルーが動く。
「ピ、ピクルルちゃん? ピクルルちゃんが生まれ変わったんですか」
「いや、あくまで……」
 可能性の話ですがね、と続けるレイテの声も聞かずに飛び出したルーは、グレースの手から卵を取り上げた。そして、大きめのシャツの裾を捲って、服の下に卵をしまう。
「いつ、生まれるかな?」
 孵化させようと言うのか、ポッコリと妊婦のように膨れたお腹を撫でて、少女はレイテを見上げてきた。
「…………生まれませんよ」
 ルーのおでこを爪で弾いて、レイテは少女の腹から卵を取り出す。
「これ、卵だと思いますか?」
 レイテはグレースに卵を見せながら意見を求めた。
「手触りの感じでは鶏の卵とは違うようです」
「そうスッね……。ツルツルしているスよね。ガラスとは違う、金属でもない」
 グレースがレイテの手から卵を取り上げようとした。瞬間、空気が抜けるような音がして、卵は上下に分かれる。
「あっ……」
 グレースは蓋になる部分を手に声を漏らす。
 そして、レイテは手に残った部分に目をやって驚いた。
 そこには人間そっくりに作られた小さな<人形>が収まっていた。

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