37,作られた理由 「お人形の卵だぁ」 ルーはレイテが持っている下部分を台座に、膝を抱えるように座り込んだ姿勢の<人形>に歓声を上げた。絵本に出てくる妖精のような、透明な二枚羽根を背中にくっつけたそれは、幼児が持っている着せ替え人形のようだ。 「先生、俺に抱かせてください」 ルーが戸惑うレイテの返答も待たずに、台座から<人形>を掬い上げる。 ピンクの袖なしワンピースを纏った<人形>はオレンジ色の肩までの髪を外巻きにカールしている。瞳もまた髪と同じオレンジ色だ。 「<人形>……。ここって、こんな子供が持っているような<人形>も作っていたスッか?」 「……製作過程は同じではあるでしょう。人間サイズと玩具サイズ、それだけの違いではありますから……」 造られていても不思議ではない。そう思うのに、何か違和感が付きまとう。 レイテはその違和感が何なのか、考え込もうとしたところで、ルーの声とは違う甲高い声が、小鳥が鳴くように「ぴー」という音を発したのに、意識を削がれた。 「今のは?」 「凄いよ、先生っ! この子が喋ったよ。動くよっ!」 ルーが<人形>を手の平の上に立たせて、こちらに見せてくる。 「<人形>が喋ったスッか?」 仰天したグレースがマジマジと<人形>を覗き込む。急に迫った顔に<人形>は怯えるように身を縮めた。その動きは人間のようにも、小動物のようにも見える。 「グレースさん、驚かせたら駄目だよ」 ルーはグレースから<人形>を遠ざけて、己の胸に抱く。赤ん坊を癒すように小さな頭を撫でて、語りかける。 「ごめんね、びっくりしたね。でも、大丈夫だよ。大きいけど、悪い人じゃないから」 ルーの言葉が理解できているのか、どうか。しかし、<人形>は小さな顔に笑みらしきものを浮かべて「ぴー」と声を上げた。 「この子はピィって呼ぼうよ」 弾んだ声でルーは言った。さっきまで、お化けに怖がっていたとは思えない。完全に、一分前の出来事を記憶から消し去っているに違いない。 「ぴーって言うからスか?」 「ピクルルちゃんの生まれ変わりだから、ピクルルちゃん二号で、ピィちゃん」 「ピクルルって言うのが何だかわからないスッが。二号は、ピィのどこに含まれているスッか?」 (頭の「ピ」だけじゃないですか。第一に、二号っていう名前はどうかと……。大体、ピクルルちゃんの生まれ変わりであるはずないし……) レイテはグレースと同様に、ルーのネーミングセンスに疑問を抱く。痛いとは思っていたが、これほど痛いとは……。 「嬢さん……。もう少し可愛い名前をつけようスッ。ピクルルちゃん二号っていうのはあんまりスッよ」 ピィという愛称は良いとして……。 「そうかな? 可愛いでしょう? ピクルルちゃん二号」 「まあ……ピクルルって言うのは可愛いと思うスッよ。でも、二号はいただけないスッよ」 「でも、自分の息子にジュニアってつける人、いるじゃない」 「そ、それと一緒にするのは……何か、違うと思うスッよ」 「じゃあ、グレースさんならどういう名前にする?」 「そうスッね。……ピ、ピ……ピ」 うーん、と唸りながら真剣に考え込むグレースに、ルーが期待一杯の眼差しを向ける。 「そうだ、ピカリンなんてどうスッか?」 (……同レベル?) グレースのネーミングセンスが、ルーと五十歩百歩であることに、レイテは愕然とした。 「ピカリンちゃん、いいねっ! 可愛いねっ!」 ルーは満面の笑みを浮かべてレイテを振り返った。 「先生っ! この子の名前はピカリンちゃんです。通称、ピィちゃんです」 「……はい」 レイテは反論せずに頷いた。二対一では勝機は薄い。こんなことで勝っても嬉しくないし……。 それから、<人形>と戯れる二人の弟子を遠目に見ながら、レイテは先程から感じている違和感に答えを見つけようとする。 <人形>の大きさは卵の中に入っていたので、そもそも大きくない。故に重量もそうないとは思う。しかし、黒の青年と同じ設計で組み立てられた<人形>は球体間接によって四肢を折り曲げることができる──卵の中では膝を抱えた姿勢であったことから──ならば、直立不動には支えが必要だ。 黒の青年の場合は内に収められた魂の意思によって、指先の一本一本が神経にまで神経が行き届いているように動き、身体を支える。 つまり、この小さな動く<人形>は……。 「何てこと……」 レイテはルーの手の平の上で羽根を羽ばたかせ、まさに妖精のように動く<人形>の内に秘められた事実に思い当たり、手にしていた器に目を落とした。 そこに見つけたものに微かに呻いた。 「若様? どうしたスッか?」 レイテの呻き声を耳ざとく聞きつけ、振り返ったグレースは、顔色が見るからに悪くなっていく師匠に問いかけた。 「大丈夫スッか?」 「ええ。大丈夫です。少し……動転しただけです」 「動転……?」 どんな自体にも──ルーが関わると、そうでもないのかもしれないが──泰然としていそうなレイテが何に動揺したというのか。 「若様……?」 「グレースさん、先程、あなたはこう質問しましたよね? この工房ではこんな小さな<人形>も作っているのかと?」 「<人形>という器を製作するに当たって、試作としてこのような小さな<人形>が作られたのかと思いました。……でも、ならばこのような器に収める必要はなかった」 レイテが卵の底にあたる部分、<人形>によって隠れていた器の内側を、グレースに見せてきたた。 そこに書かれている魔法陣がどんな種類のものなのか、グレースには一瞬はかりかねた。 「その魔法陣は?」 「封印魔法です」 「封印……。封印って、何を……」 グレースは、ルーに抱かれたピィに目をやった。 愛らしい<人形>を何故、封印していたというのだろう。 「グレースさん、<人形>は魂を入れる器として作られたもので、本来、それ自体では動きません」 「えっ? 何かの魔法の仕掛けで動いているんじゃないスッか?」 「……魔法は魔法でも、仕掛けとは違います」 「まさか……」 グレースは、レイテが言わんとしていることを察して、黙り込んだ。 「ルー、その子をこちらに」 レイテは弟子を呼んで、<人形>を渡すように迫った。師匠の鬼気迫った表情に、ルーは<人形>と目を見合わせた。<人形>はルーの視線に微笑む。 「先生……、ピィをどうするの?」 「ルー、恐らくその子は魂転換の魔法によって、その小さな器に魂を移された魔法実験の犠牲者です」 「人なのっ?」 「それは……」 レイテが言葉に詰まる。グレースも師弟の会話を見守りながら、唇を噛んだ。 違うと思う。そう願いたい。……しかし。 レイテは何も言わなかった。希望的観測を口にするのは控えたようだ。 あの黒の青年の憎悪が、全てを物語っているように考えるのは、グレースだけではないようだ。師匠はもう、半ば確信しているのだろう。 「……それを確かめたいのです。その子の身体の内側に魂転換の魔法陣が刻まれているはず。確認させてください」 「それって、ピィの身体を開くってこと? 壊すってこと?」 「直ぐに修復します。痛みはないはずです。その子は<人形>なのですから」 「でもっ!」 ルーが反論した。 <人形>だってことがわかっていても、この小さい身体を解体するなんて……レイテにはそんなことして欲しくない、と少女は考えるのだろう。 ピィを抱きしめて、ルーは首を振った。少女の胸に抱かれた<人形>は、小さく「ぴー」と声を上げた。 「…………ルー、その子は封印魔法が仕掛けられたこの器に収められていた。わざわざ、封印されていたのは何故か、僕にはわかりません。もしかしたら、魂転換の魔法が不完全であったために、保管する意味での封印だったのかもしれません」 そう言いながら、レイテは自分の言葉がどれだけ現実に迫っているのかと考えれば、空しくなった。 魂の定着が不完全、またはあの青年のような身体に魂を移す前段階として収めた小さな身体を守るための緊急処置として、封印することで卵の中に魂を保管した。 ……そこまでは良い。まだ、人道的な意思に望みを託せる。 しかし、放置された仮定を見れば、この工房の主はどこまでピィの魂に対して責任を持っていたのか。そして、何故にこのような小さな器を用意してまで、魂転換の魔法を実行したのは何があってのことか。 「ルー、その子をこちらに……」 迫るレイテにルーは首を振った。 「……ルー」 「駄目です。だって、先生、泣きそうな顔をしている」 「僕……?」 問い返したレイテにルーは頷いた。 「俺はよくわかんないけど、先生はピィのことわかっていて。何か、それは辛いことなんだ。だから、泣きそうな顔をしているんでしょう?」 ルーの言葉を受けて、グレースはレイテの横顔を伺った。 じっと何かに耐えうるようにきつく結ばれた唇。白い肌は、今は青く、眉間に刻まれた皺に苦悩が見える。 (若様っ?) 師匠のただならぬ様相に、グレースは戸惑う。 「ルー……それは君の勘違いですよ」 そうレイテは笑って見せたが、明らかにいつもの微笑とは違っていた。 神々しくも、穏やかでもない。見ているこちらの胸が詰まるような、痛々しい笑顔。 一体、彼は何に耐えているというのか? 「僕は何も辛いわけじゃない」 「嘘です。俺にはわかるんだからっ!」 ルーは声を荒げると、伸ばされたレイテの手をかわして走り出した。 「ルーっ!」 少女は卵を見つけたと言った、扉の向こうに消える。レイテは慌てて、追いかけた。その後をグレースも追いながら、問いかけた。 「若様、あの<人形>は一体何なんです? 魔法実験の犠牲者……本当にそれだけなんですか?」 レイテの足が止まった。肩越しに振り返った彼の顔つきに、グレースは悪い予感を覚えた。 「僕にも、ピィ……あの子が何であるのか、確信できません。でも、動物を実験台にし、魂を<人形>に定着させた。それが、単なる実験であったなら、成功の確認をした後、魔法陣を解呪して解放してあげられるはずです」 「でも……」 「あなたの言いたいことはわかりますよ、グレースさん。動物の魂など……人にとってどれほどの価値もない。そう言いたいのでしょう」 微かに語気が荒くなるレイテに、グレースは目に見えない圧力を感じた。 「……そんなことは言ってないスよ」 言い訳するように、グレースは首を振った。 確かに、レイテの言うように、たかだか動物に、という気持ちがないわけでもない。しかし、レイテの様子に自分の思考の浅はかさを突きつけられた気がした。 (動物相手に何をしても良いというわけじゃ……ないスッ) 強い者が弱い者に対して何、をしてもいいわけではないように。 どんな力関係にもルールというものが存在する。 レイテがルーやグレースに優位性を保つのは師匠という立場があるから。その分、レイテは弟子たちの敬意に応えなければならない義務を背負う。 むしろ、強い者であるのなら弱者を守るべきではないのか? 「……すみません。あなたに言ったところで意味はありませんね。あなたはそれを十分に知っている人でした」 街の人々を守ろうと尽くすグレースの信念を感じ取ってくれたのか、レイテはそっと息を吐き出しながら、言った。 目の前に傷ついた動物がいれば、介抱する。それはグレースに限ったことではなく、大半の人間がそう。 レイテだって、それは知っているはずだった。 でも……人が人を殺す。 そんな現実も当然のごとくあり、それにここは<人形>工房。 不死という妄想に取り付かれた者たちが、集った場所ならば……。 「……ピィが実験の産物として生まれた。それは疑いようのない事実でしょう。でも、封印する器を用意し、わざわざ封印した。この意味が、何かあるのだと僕は考えるのです」 「封印された意味……」 「それはきっと……ピィが作られた理由です」 |