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 38,苦い再会


 ピィの卵を見つけた部屋は、<人形>の部品らしきものが集められていた。
 地震で転倒したらしい戸棚には<人形>の顔型や手型、足型の模型らしきものが並べられていたのだろう。それがガラス戸を突き破って、床に転がっていた。
 材料は何でできているのだろうか。木材か、それとも石膏か?
 転がった頭部には目鼻が形付けられているものもあれば、丸いボールのようなものもある。最初、ピィと同じ卵かと思ったが、若干、形が違った。
 ここで、ピィの卵を見つけたとき、自然と意識がひきつけられた。
 特に目立ったわけでもないのに、手が伸びていた。あれは、魔法の存在を感じてのことだったのだろうか。
 ルーはピィの卵を見つけた倒れた戸棚と戸棚が重なり合うようにしてできた隙間の影に腰を下ろした。そこなら、直ぐに見つかることはない。
「ぴー」
 ルーの胸で小さな<人形>が鳴く。喋らないピィはやはり、人間ではないのだろう。ルーは考える。それとも……声に対する魔法文字が、ピィの魂転換の魔法陣には組み込まれていなかったのだろうか。
(もし……人間だったのなら……)
 レイテはそれを一瞬で見抜いたのかもしれない。それであんなにも青ざめたのかもしれない。
(……そうなら……)
 どうして、ピィがこんな<人形>に押し込められることになったのか、その事情はわからないが、この仕打ちは酷すぎる。人を人として扱っていないではないか。
 レイテが言っていたように、これが一時的な処置だったとしても……。
 封印され、放置された時間を思うと、ゾッとした。
(……何でこんなこと、できるわけ? こんなことしたら、生まれ変われないじゃないかっ!)
 そう思うと、ルーの目に涙が溢れてきた。
 人ではなくても動物でも、死んだ後、生まれ変われる。だが、ここに魂を止めているのなら、生まれ変われることなどできない。
(会いたい人にも会えない。……そんな、そんなの俺だったら嫌だ)
 自分が死んでも、生まれ変わったら、きっとまた、レイテに出会うのだとルーは信じていた。彼に関することを忘れるはずがない。こんなに、こんなに好きなのだから。
 それにレイテも自分のことを好きでいてくれる……。ルーはその想いに対しても、信じて疑わなかった。
 だって、約束してくれたから。雪竜との決戦の場で、呪いを受けるのではなく、生きることを選んでくれたから。
「先生……」
 嗚咽のあいまに漏れた小さな呼びかけは、今は届かない。
 自分を追いかけるレイテの足音は途中で、グレースに呼びかけられることで止まったのをルーは耳にしていた。
 そして今、ルーはレイテの目から逃れるように隠れている。そんな自分を見つけるのは至難の業だ。このような小さな隙間に隠れているなど、大人たちは考えないに違いない。
 でも……。
「ルー」
 上から声が降ってきた。
 見上げれば涙で滲んだ視界に映るのは絶世の美貌。今は少し戸惑ったような顔をしているけれど、やっぱり、この人はこの世の中で一番綺麗だと、ルーは思う。
 そっと伸ばされたレイテの腕が、ルーの身体を軽々と担ぎ上げ、白いローブの胸に抱いてくれた。
「ルー……、どうしたのですか? 何を泣いているのですか?」
 暖かい腕と胸と優しい声に、ルーは謝った。
「ごめんなさい、先生」
「謝るということは、悪いことをしたという自覚があるのですか?」
「……違う。俺は悪いことなんて、していません。先生が辛そうだったのは本当だもの。でも、そんなときこそ、俺は先生の側にいなきゃいけないのに……逃げちゃったから、謝っているんです。ごめんなさい」
 ルーはレイテの首に片腕を絡ませ、しがみ付いた。彼の存在を確かめるように、強く。
「先生が辛いなら、俺も一緒に辛いこと我慢します。だから、先生、俺にもわかるように話してください。ピィは……人なんですか?」
 しっかりとレイテの存在を肌に感じて、ルーは顔を離した。水色の瞳を見据えて問いかけた。


「今の状態では、僕にもわかりません。でも、このような形でピィが作られ、封印された理由が何かしらあると思うのです」
 レイテは、ルーを床に下ろして言った。
 少女が片腕に抱いたピィのオレンジ色の頭を指先で撫でると、<人形>は「ぴー」とくすぐったそうに声を上げる。
「自分が可愛がっていたペットの魂をただ<人形>に移した。……そう考えてみたのですがね。まだ、魂転換の魔法が実験段階であった当時に、意図的にそれを実行する人なんて少なかったと思います。そう……実験段階であったから」
「ピィはやっぱり、実験台だったんですか?」
「ええ。それ以外にこのような行いが何を目的としてなされたのか。何にしても封印されていたのは事実……。その意味が何であるのか、知る必要があります」
 本当は知りたくもないし、このまま目を瞑っていられたら、とレイテは思う。
 不死の魔法を求めた者たちの執念など、触れたくもない。あの黒の青年を生み出してしまった妄執になど、付き合いたくもない。
 でも、黒の青年は危険すぎた。彼の復讐は、きっと沢山の人間を巻き込んでしまう。そう予感するから、ここまで来た。
 今さら、引き返せやしない。できない。
 レイテは決意を込めて、ルーの手からピィを取り上げた。彼の手の上で、小さな<人形>は「ぴぴぴっ」と笑うように鳴く。
 この人懐っこさは、愛玩動物の魂が宿っているのではないだろうか。例え、動物であっても、その命をこのように軽々しく扱ったかつての同胞たちに、レイテは憤りを覚える。
 不死の魔法は、魂転換の魔法は、人の命の尊厳を求めたからこそ、あるべき魔法ではなかったか?
 生きて欲しいと願ったから、命を繋いでいくことを願ったから、望まれた魔法だったはずなのに……不死を手に入れた者たちの有様はどうだ?
(僕はルーに出会えて、救われた。でも、あの青年は恨みを糧に生き、ピィは自由すら叶わない封印魔法の中に閉じ込められて……)
 こんな思いをするために、魔法はあるわけじゃない。それなのに……。
 唇を噛むレイテに、ルーの手が触れてきた。きつく握り締めたために、レイテの白い指先は氷のように冷たくなっている。そこに少女の手は優しい温もりを与えてくれた。
(楽しいこと、悲しいこと、辛いこと……半分こするんだ。それが一緒に生きるってことだよね?)
 誰に問うでもなく、ルーが心の中で呟いた。伝心魔法なんて使ってなくても、ルーの心遣いはレイテには伝わってきた。
「ルー、ありがとう」
 レイテは柔らかく微笑む。
 心を、指先を、凍らせた全てのことが、ルーの手の平のぬくもりで解けていくのが実感できる。
 決意を固めて、改めてピィに向き直りかけたレイテに、グレースの声が飛んできた。
「わ、若様っ!」
 少し慌てた感じのその声に、レイテとルーは声のほうを振り返った。


 ピィを連れて逃げたルーを追いかけて、この室内に入ってきたレイテとグレースはルーの姿が見当たらないことに戸惑った。
 手分けして探そうとグレースは提案し、レイテはそれには及びません、と一言告げた。
 迷うことなく、倒れた戸棚へと向かって行った。そして、小さな隙間から少女を抱き上げるのを目撃した。そして、何やら話し込む二人の間に割って入り込むのははばかられたグレースは邪魔にならないように、室内を観察する。
 あの黒の青年の手掛りを一つでも見つけようとするグレースは、倒れた戸棚の下に隠れた扉を発見する。
 中身が全て外に出ているので、棚は簡単に動かせた。そうして、覗いた室内の光景にグレースは一瞬、言葉を失った。
 直ぐに、我に返ってレイテを呼ぶ。
「わ、若様っ!」


「どうしました、グレースさん?」
 レイテとルーは別の部屋へと続く扉の前で立ち尽くしているグレースに近づき、問いかけた。
「中を見てくださいスッよ」
 グレースが長身の身体をずらして、レイテたちに道を開けた。
 レイテは促されるままに、中を覗く。
 ルーが隠れていた部屋が突き当たりで、この部屋は横側に位置する。そして、細長い部屋は魔法実験室辺りと壁を隔てて隣接するような位置関係になるだろう。
 まるで、最初に通った廊下のように奥行きの長い室内の片側には無数の檻が設置されていた。
 そして、床には……。
「ピィの卵と同じ……」
 もう片側に置かれた棚に収められていたのだろうが、地震によって投げ出されたらしい無数の卵が転がっていた。
「この中にも……ピィがいるの?」
 ルーの問いただす声は震えていた。
 卵が封印の器であるというのなら、この卵の数だけ、輪廻の輪から外された魂がここにあるということになる。
 レイテは室内へと足を踏み入れた。手近にあった卵を手に取る。その重量から察するに中身が入っているのは間違いなさそうだ。
「なんてことを……」
 ギリッと奥歯を鳴らして、レイテは奥へと進んでいく。
 ルーが肩にピィを乗せて、レイテの後を追いかけてきた。そして、レイテのきつく握り締められた白い拳を上から触れて解き、彼の指に自分の指を絡ませる。
(一緒に我慢するんだ……。先生だって、我慢しているんだから)
 涙がこぼれそうになるのを我慢して、ルーはレイテに続く。グレースも足場を気遣いながら、二人を追った。
 檻の大きさはまちまちだった。一つのスペースが二段、三段と分かれていたり、二つ分のスペースが一つの檻となっていたり、実験に使用された動物の大きさに合わせて作られているのか。
 長く続いた部屋はかなり歩いたところで、壁によって塞がれていた。その壁は周辺の床と共に天井辺りに押し上げられている。丁度、遺跡の入り口付近に回りこむ形で地面が隆起した部分に辿り着いたのだろう。
 レイテは足場の悪さもものともせずに半分だけになった壁に近づき、手を触れた。汚れた表面の埃を指先で払うと見慣れた文字が出てきた。
「魔法文字……スッよね?」
 グレースが確認するように呟いた。そこに書かれた文字はつい先程、ピィが収められていた卵の内側に記されていた文字と同じだ。
「この部屋自体にも封印魔法を?」
 レイテの横に並んで、グレースが尋ねてくる。
「いえ……これは、こちら側に仕掛けられたものではありません。壁の向こう側に仕掛けられたものです。……二重封印ですね」
「向こう側スッか?」
 グレースが半分だけになった壁を見やった。勿論、最初に入った廊下の位置から考えれば、遮断された壁の向こう側に部屋はあって不思議ではないが……。
「封印された部屋……もしかして、ピカリンみたいに封印されている<人形>が……?」
 部屋に対して施された封印ならば、そのサイズはピィとは比べ物にならないだろう。
「……まさか、奥に封印されていたのは……」
 ここでグレースの脳裏に浮かんだ答えは一つしかなかった。正解を求めようとして、彼がレイテに向き直ったところで、三人の背後から声が割り込んできた。


「――そうさ、その奥に封じられていたのは俺だよ」
 反射的に振り返った三人の目に映ったのは、他でもない黒の青年だった。
 あの廃墟で別れたときと同じに、ストレートの黒髪に漆黒の瞳。整った顔立ちの秀麗な黒衣の青年は、腰に片手を当てた姿勢で悠然と立っていた。まるで、ずっと前からその場にいたように。
「お前はっ!」
「黒人間っ!」
 グレースとルーがそれぞれ叫んだ。
 瞬間、まるで刃物と刃物を打ち合わせたような音がした。空気の振動は、風の魔法同士がぶつかったもの。
 青年が放った魔法と、それを相殺するためにレイテが放った魔法が……。
 レイテが前に出、ルーを背中に庇う。グレースは剣の柄に手を掛け、いつでも戦闘体制に移行できるような構えを取る。
「……いきなりのご挨拶ですね」
「そのガキの口を塞がせろよ。俺を人間なんて呼ぶな、お前らクズどもと一緒にしてんじゃねぇ」
 鋭い視線でルーを睨む青年に、レイテは返す。
「ならば、名を名乗ったらどうです」
「何で、お前らに俺の名を教えなければならないってんだ?」
「……名を語らない相手に対して、こちらがどう呼ばわろうと非難される覚えはありませんね。黒人間さん」
 レイテは余裕を見せ付けるように、青年に向かって笑って見せた。
 内心では、このような形で、青年と再会したことに焦っていた。まだ、青年と戦うには彼の内側に刻まれている魔法陣の図式すら、わかっていない。このままでは、勝機は薄い。
「お前、やっぱ、むかつく」
 青年の視線をレイテは軽く──表面上は──受け止める。
「前にも言いましたでしょう、黒人間さん。僕はあなたに好かれようなど、思っていませんよ」
「人間と呼ぶなって言ってんだろうっ!」
 再び、襲い掛かってくる風魔法を、レイテは結界魔法で受け止めた。
 相変わらず、魔法の構成スピードが速い。魔法戦争以前でも、これほどのレベルの魔法使いなどいなかったはずだが。
「脅したって無駄ですよ。あなたの魔法は僕には通じません」
 内心の戸惑いを極力隠して、レイテは余裕を晒す。
「お前が俺に勝てないように?」
 痛いところをつかれたが、レイテは表情を変えずに続けた。
「ええ、そうですね。あなたが僕に勝てないように」
「はんっ! 言ってろよ。結局、お前らには何もできやしねぇんだからさ」
「……何もできない? 何を根拠にそんなことを……」
「ここまで辿り着いたことは褒めてやるよ。でも、お前ら、ここがどんな場所か知らねぇだろ? のんきに<人形>遊びなんぞしてるくらいだもんな」
 青年の視線がレイテを通り越して、ルーの肩に止まっているピィを見据える。ルーがその視線に気がついて、ピィを肩から下ろして胸に抱きかかえた。
「ぴー」
 少女の胸で<人形>は不安そうに鳴く。
「この<人形>が何か?」
「お前、どう考えてるわけ? ただの<人形>だとか思ってたら、オメデタすぎるぜ」
 青年はケラケラと笑って、言った。
 レイテは静かに見つめ返す。
 ただの<人形>だとは、勿論、思っていない。ただの<人形>にわざわざ封印魔法を掛ける必要はない。だが、その先の思考に対してレイテの脳は働かなかった。
 考えることを拒否しているだろうか?
「そう思っているとしたら? 黒人間さん」
 レイテは挑発するように、青年に向かって「人間」と強調する。青年は反射的に怒鳴り返してきた。
「ガランだっ! 二度と、俺を人間なんて言ってみろ。お前を殺せやしないが、手足が動かないようにぶった切ってやるぞ」
 青年は側にある檻の鉄柵を蹴りつけ咆えた。蹴られた鉄の棒はグシャリと折れ曲がる。桁外れの破壊力は<人形>の身体だからか?
 折れ曲がった鉄の棒に、レイテの傍らでグレースが冷や汗を流した。化け物か、こいつ。
「……それが可能とは思いませんが。まあ、いいでしょう」
 噛み付くような勢いの青年に対してレイテは軽く肩を竦めた。そして、ガランと名乗った青年に問い返す。
「オメデタイ、僕の頭に免じて教えてくださいませんか?」
 口調は丁寧ながら、態度は偉そうなことこの上なく、レイテはガランに答えを求める。
「この<人形>は、何を目的に作られたのですか? それにこの工房はそれこそ、ただ魂転換の魔法のための<人形>工房なのですか?」

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