39,過去の遺産 「お前、それをどこまで信じて言ってるわけ?」 嘲笑交じりのガランに、レイテは真面目に答えた。 「できれば、どこまでもただの工房であったと信じたいのですよ」 自分自身、信じてもいないことを信じたいと願うのは、もう既に答えが出ているからに他ならない。 ガランにもそれが伝わったのか、ふん、と小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。 「人間っていつも、そうだよな。自分らの見たい現実にしか目を向けない」 その言葉はレイテの胸に突き刺さった。 「その通りですね……」 世俗との関係を絶ったレイテは魔法戦争の折、沢山の同胞が犠牲になっている現実に目を瞑った。 魔法戦争に対して争う意味のない戦争だったという、レイテの認識は今でも変わらない。二つの国が大陸の覇権を争って起ったものだった。 生きるための……生存をかけた種族と種族の争いなどではなく、欲だけが人々を動かした。勿論、底辺では生き残るためにやむなく戦った者たちもいただろうが……。 その全てに目を瞑って、レイテは戦争が終わるのを待った。五十年の月日を経て、終結した戦争の結果は失われた文明と魔法に恐れを抱く傷ついた人々。 あのとき、自分にできることなど何もなかった。どちらの国にも加担することなどできなかった。意味のない争いに、魔法を使うことなどレイテの信条が許さなかった。 魔法は人々の役に立てるべき能力で、決して暴力を行使する能力ではなかった。 故に黙殺してしまった争い。 でも、本当に何もできなかったのか? と、問われれば、答えに悩む。 (僕は戦争を止めさせる努力すらしなかった) 幾ら桁外れの魔力を持っているレイテでも、当時においては一介の魔法使いより少し魔法ができるという程度の存在でしかない。今のように恐れられる存在でも、発言一つで多くの贄を得ることができるというわけでもない。 それでも……。 (僕は、僕の言葉であの戦争が無意味であることを誰かに語ったわけでもない。心の中で、嘆いていただけ。それは何もしなかったのと同じ……) 何もしなかったということは、現状に不平があっても、それを口にできる立場でもないということだ。 だが、人間は自ら目を瞑った現実に、そして、見開いた目が見定めた現状に満足できなければ悪態をつく。 ガランの言う通りだ。 いつも、求めるのは己が見たいものだけ。手に入れたいと望みながら、与えられることを願うだけで、手に入れる努力をしない。 (だからこそ……) レイテはここにいた。二度と、傷つく人が現れないように。この魔法という能力を有効に使えるように。青年と対峙することを決意したのだ。 レイテは水色の瞳でガランを見据えた。 「人の愚かさは、誰もが承知している通りです。ですが、それでも僕はまだ人間ですから、人に対して絶望することはできないのですよ。例え、あなたからどんな現実を聞かされようとね」 言外に質問に答えろ、と訴える。 ガランは漆黒の瞳でレイテを見返してきた。 「お前さ、何でアルステルドが滅んだか、知ってるか?」 「アルステルド……」 レイテが乾いた声で繰り返す。 青年が唐突に口にしたそれは、魔法戦争を起こした国の名だった。 九百年前、北方にあるアルステルド、そして、この遺跡があるドリアスの街を中心にしたハルヴェンランドという国が大陸の覇権をかけて争った。 ルーは昔話で、その国の名をレイテから聞いていた。 レイテの話す昔話は結局のところ、ルーを驚かすために最後はお化け話に繋がっていた。都市ごと消滅したアルステルドの荒廃した大地では、風に人の悲鳴が混じるという。それは戦争で死ぬことになった人々の呪いの声だとか。 そう言って、戦争とは怖いものなのですよ、と語るレイテにルーは一時期、風がガラス窓を叩けば幽霊の仕業かとびくびくしたものだ。 ルーは無意識にレイテのローブに手を伸ばしていた。ピィを抱いた腕にも力がこもり、<人形>はそれに応えるように「ぴ」と鳴く。 「若様、……アルステルドって言うのは?」 置いていかれそうになったグレースは、ガランの動きに注視しながらレイテに小声で問う。 「魔法戦争の中心となった国です。アルステルド……。今現在、どういう名で呼ばれているかわかりませんが、北にありました。そして、このドリアスの街を中心にしたもう一つの国がハルヴェンランド……」 「ここはハルヴェンランドの兵器工場さ」 ガランは素っ気なく言って、足元に転がっていた卵を蹴った。他の卵とぶつかって、室内に玉を突きあうような音がした。 「……<人形>工房ではない?」 「はっ! 何だ、それ? どうしたら、そんな答えになるってんだ? オメデタすぎだっての、お前。違うだろう? <人形>だからこそ、兵器に成りえるんだって、お前ら人間は考えたんじゃねぇかっ!」 「まさか、不死の兵士を作った?」 レイテが驚愕に震える声で叫んだ。 「ご名答! むごいよな、人間ってのは」 憎悪のこもった視線で、ガランはレイテたちを一瞥した。下から睨みあげるような眼差しで続ける。 「魂転換の魔法が成功し得ないもんだってわかった奴らは、戦争の前線に立たせる兵士作りに乗り換えたのさ」 グレースは、頭が痺れるような感覚を覚えた。話が飛びすぎて、ついていけない。 「成功していないもんがどうして使えるってんだっ?」 敵対する相手だとわかっていても、問いかけずにはいられなかった。 ガランが、レイテの肩越しにグレースを見据えた。飲み込まれそうな深い闇色の、漆黒の瞳で。そして、ニッと唇に酷薄な笑みを刻む。 「魂転換の魔法自体は、魂だけを移し変えるという点についてだけに限れば問題がなかったわけさ、だから奴らは<人形>に魂を移した」 何故、親切に説明してくるのか? ガランの行為に薄気味悪さを覚えながら、グレースは耳を傾ける。 「記憶を失うという最大欠点が、ここでは有効に働くだろ? 新しく植えつける自我には人殺しとして不必要な倫理観が最初からないからな。殺人兵士どもは実によく働いたぜ。たった一年で戦線をアルステルドにまで押し返したからな」 青年の言葉に、グレースは震撼した。 (人殺しの道具っ!) グレースは、ガランがこちらの質問に応えた意図を把握した。事実を突きつけることによって、自分たちの動揺を見たいがためだ。思惑通りに、心を揺さぶられる自分がいる。 「……デタラメだっ! お前みたいな奴が他にいるわけないだろっ?」 グレースは呪縛から逃れるように声を張り上げる。 もしいるとしたら、その殺人兵士は不死身だ。朽ちることなく、今でも健在していることになる。 戦場という働きばを失って、そこで戦うことを止めるのか? 戦うために作られ、それだけの思考しか与えられていない──ガランの話を聞けば、そういうことなのだろう──兵士は今も人殺しを続けているのではないか? 「奴らは、前線にいたからな。皆、<破壊巨神>にやられたのさ」 ガランは薄笑いで告げた。 「<破壊巨神>?」 聞き慣れない単語に、レイテが問い返した。 「何だ、お前、それも知らねぇのかよ? ホントに千年、生きてんのか?」 「……一応、生きていますよ。かなり、無駄な時間を過ごしたと思っていますがね」 ルーと出会う前の時間はそれこそ、ただ死を望むだけだった。レイテの悔恨をガランは鼻先で一蹴した。 「ふん、<破壊巨神>ってのはハルヴェンランドが前線に投入した秘密兵器さ。それが発動したから、アルステルドは崩壊したのさ。もっとも、暴走に近い感じだったんだろうな。ハルヴェンランド自体、大破してるじゃねぇか」 ガランの口調は現場にいてそれを目にしたというよりも、自分が知っている事実と現在を重ね合わせたところから、結論付けているように聞こえる。 それも当然か。先程のガランの言からすれば、彼はこの遺跡の部屋の一室で二重に封印されていたのだから。 地震が起こり、結界が解かれた……。そこでガランは行動が自由になったわけだ。 遺跡に入り込んだトレジャーハンターたちを殺したのも、フラリスの街で復讐のために動き出したことも、時間的に説明がつく。 「あなたも……不死の兵士として作られたのですか?」 静かに問いかけたレイテに、ガランは足元の卵を片足で踏みつけた。 「やめろよっ!」 ルーが悲鳴染みた声を上げた。卵の中には、ピィと同じように<人形>に宿された魂が封印されている。それを思うと、少女にはガランの行為が許せないのだ。 「黙れ、ガキがっ!」 ガランの一喝に合わせて、魔法が発動する。 襲い掛かる風の刃をレイテは視線で瞬殺した。勢いを殺された風がそよ風となって、ルーの髪を撫でていった。 場を満たす緊迫感が伝わったのか「ぴぴぴっ」と、首を振りピィがルーの腕の中で暴れた。 「大丈夫、先生が守ってくれるから……。ピィ、鳴かないで。怖くないよ」 ルーが、<人形>を抱きとめる腕に力を込めて囁く。 (あんな嫌な奴に、先生が負けるはずないんだから) 弟子の信頼を背中に感じて、レイテはガランに声を投げた。 「その器の内側にあるものを、あなたが知らないわけではないでしょう」 「知っているさ。お前らより、ずっとな」 意味ありげな視線でレイテを一瞥すると、ガランは靴のつま先で卵を上に蹴り上げ、手にとった。 「これが何か、知りたいって言ったな。教えてやってもいいぜ。だが、その前に賭けをしようぜ?」 「……賭け?」 眉をひそめて、問い返したレイテにガランは右手で卵をもてあそびながら、続けた。 「その奥に全ての答えがある」 ガランは左手を持ち上げ指差した先は、三人が背中を向けている壁だった。封印魔法の魔法陣が刻まれ、半分崩れた壁の向こうの部屋のことを言っているらしい。 「<破壊巨神>も、俺が作られた理由も、そして、アルステルドが滅んだ原因も全てを知ることができるぜ」 「……それが、あなたの言う賭けとどう関係あるのですか?」 「全てを知って、それでもまだ、人間に味方するって言うのならアルステルドにまで追いかけて来いよ。あそこにはまだ<破壊巨神>が眠っている」 「……何を企んでいるのです? あなたは」 「俺の望みは変わらない。人間への復讐だ」 暗く響く声が、鈍くレイテの胸に突き刺さる。 戦争兵器として、彼が作られたというのなら、その恨みも当然のことだろう。望まない不死の身体を与えられて、それが道具としての役割からであったのなら……。 だが……。 あの廃墟で青年自身がライラに向かって言ったように、被害者だから何をしても許されるというわけではない。 恨みの感情は当然としても、今を生きている人間たちに対して復讐するのは筋が違う。第一に、復讐したところで何かが変わるのか? 「そんなことはさせませんよ」 レイテが静かに宣言する。もう誰も傷つかないように、そう決心したからここにいるのだ。ガランの復讐が正当なものであるとしても、見過ごせない。 「ならば、追いかけて来いよ。だが……全てを知って、それでも人間を守るなんて言えるならばな」 「何を……」 決心を揺るがす何かが、封印された部屋の奥にあると言うのだろうか? 「お前がアルステルドまで追いかけてこれたら、お前の勝ちだ。真っ向から勝負してやるよ。逃げも隠れもしねぇ」 「それまで、誰にも手出ししないと誓ってくれますか? もし、それが果たされないようでしたら、ここで争います。あなたを倒すことはできない。でも、封印なら可能かもしれませんしね」 「その前に、俺を足止めできるのかよ」 薄っすらと笑うガランに、レイテは沈黙した。 移動魔法を使うガランの動きを、まずは封じることから始めなければならない。逃げ出せないように包囲結界を敷くとして、その結界を維持しながら、彼と戦うというのは難しい。 せめて、自動修復の魔法陣を解呪できたなら……。 「十日くれてやる」 吐き捨てたガランの言葉が何を意味しているのか、一瞬、理解しかねたレイテは瞬きをして青年を見つめ返した。 「十日だけ待ってやる。それで追いかけて来なければ、賭けは俺の勝ちだ。結界でも強化して立てこもっていたら、助かるんじゃねぇか?」 ガランは指先で卵を駒のように回転させた。指一本で卵を器用に回す、その動きに余裕を感じる。 「その秘密兵器を動かすつもりですか?」 八百五十年前、長期化していた魔法戦争を一瞬で終わらせてしまったのは、ガランの言う<破壊巨神>の仕業か。アルステルドを灰にし、周辺諸国……ハルヴェンランドすら無にしてしまった恐ろしいエネルギー。 世俗との関係を絶って、ひたすら目を瞑っていたレイテに戦争の終わりを知らしめたあの。 「だとしたら?」 「そんなことはさせませんよ」 「何も知らねぇくせに、大層な口を利くなよ? どっちにしろ、<破壊巨神>のことを知らなければ止められねぇよ」 ポン、とガランは空中に卵を放り投げた。思わず、その動きを目で追ってしまった瞬間、黒い人影は視界から消えていた。 レイテの脇から飛び出したグレースが地面に叩きつけられる寸前に卵を受け止めた。小脇に卵を抱え、片手で剣を鞘から抜き払って、グレースは辺りに視線を走らせた。 「くっ! どこに消えたっ?」 逃げたのか? 言いたいことだけ言って……。 グルリと辺りを一周して、レイテを振り返ったグレースはそこでギョッと目を剥いた。彼らの背後に影のように立つのは他ならぬ、ガランだった。 「若様っ! 嬢さんっ! 後ろスッ」 張り上げたグレースの声に反応したレイテは振り返りざま、魔法を放つ。風の刃を放ち、ルーの肩を掴んで引き寄せる。 風の刃が壁をえぐる瞬間、ガランの影はなくなっていた。 しかし、声が残る。しっかりと、一音一音を明確に発音する声は、埃が舞い散る空間に不気味に響いた。 |