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 40,最後の悲鳴


「《アルステルドに栄光を》」
 影も形もないままに青年の声が告げたそれは、亡国を称える言葉。
 しかし、レイテはその声と同時に膨れ上がる魔力の存在を感じた。
(魔法呪文っ!)
 暴走寸前の魔力はルーの腕の中、小さな<人形>から発生する。

「ぴーーーっ」

 金切り声に似た悲鳴が耳をつんざく。
 ルーは鼓膜が震える耳を片手で庇った。
 ピィがその反動で腕から転がり落ちそうになる<人形>を慌てて受け止めようとしたところ、横から伸びたレイテの腕がピィの小さな身体を弾き飛ばした。
 <人形>の身体は封印の魔法陣が刻まれた壁に叩きつけられる。
「なっ?」
 何をするのかと、振り仰いだルーに、レイテがのしかかってくる。床に押し倒された瞬間、爆発音が轟いた。
 耳が全ての音を遮断したかのようだった。
 何も聞こえない。否、あまりの大音量故に聴覚が麻痺しているらしい。見開いたレイテの肩越しの光景は音がないというのはありえないものだった。
 爆煙が粉塵を撒き散らし、視界は真っ白というか灰色だ。降ってくる埃に、ルーは目を瞑った。やがて機能を取り戻した耳が瓦礫の崩れる音を聞きつける。
「……わっ、若様、嬢さん、大丈夫スッか?」
 ケホケホっと咳き込みながら、乾いた声でグレースが問いかけてきた。
 ルーの上でレイテが身じろぎをし、呻くような声で応えた。
「え、えぇ……グレースさんは、大丈夫ですか?」
「あ、はい……。オレは大丈夫スッよ」
 近づいてきたグレースの茶髪頭は灰色に汚れていた。額に浮いた冷や汗が埃で黒い。グイッと手の甲でそれを拭い、グレースはレイテの側に片膝をついた。
「若様っ、その背中」
 そして、白いローブが爆発で焼かれ、むき出しになったレイテの白い背中にただれた火傷を見つけ目を剥いた。
「だ、大丈夫スッか?」
「……大丈夫ですよ。少し、魔法を構成するのが遅れてしまいましたが、大した怪我ではありません。直ぐに不死の魔法陣が治癒してくれます」
 身体を起こすレイテの表情に苦痛の色が過ぎった。
「先生っ?」
 上半身を起こしたルーは、レイテの背中を見る。皮膚が焼けただれ、直視できない。ヒッ、と息を飲み込んだルーの頬をレイテが触れる。
「君は大丈夫ですか? 怪我は? どこか、痛いところは?」
 尋ねるレイテに、ルーはブルブルと首を横に振った。押し倒されたときに、後頭部をぶつけたところが少し痛かったが、レイテの背中を見ればこの程度の痛みはなんでもなかった。
 それなのに、自分を気遣ってくれる彼の優しさに涙がこぼれる。
「そうですか」
 ホッと一息ついたレイテは、泣き出しそうなルーを見て、安心させるように笑いかけてきた。
「……心配はいりませんよ。大した怪我じゃありません」


 レイテは自らの背中に手を回した。
 放っておいても、暫くすれば心臓に刻まれた不死の魔法陣が治癒してくれる。しかし、傷口を見せ付けられる二人のことを思って、レイテは魔法を使い治療した。
 滲んでいた血が止まり、皮膚が瞬時に傷口を覆っていく。もう、そこには火傷の跡はどこにもない白く滑らかな肌があった。
「服が破けてしまいましたね……」
 こちらをじっと見守る二人の弟子に再度、微笑んでレイテは言った。グレースが着ていたシャツを脱いで──シャツの下には袖なしの下着を着ているので、裸というわけではない──レイテに差し出してきた。
「オレのじゃ、大きいと思うスッが」
「いえ、助かりますよ」
 爆熱で焦げたローブ脱ぎ、レイテはダブダブのシャツを羽織る。
 そうして一同が一息ついたところで、ルーが小さな<人形>のことを思い出した。
「ピィはっ? ピィがいないっ!」
 ルーはフラリと立ち上がると辺りを見回す。小さな<人形>はどこにも見当たらない。瓦礫の下敷きになったのではないかと、ルーは床に落ちた石の欠片を一つ一つ取り除く。
 そうしながら、この瓦礫はどこのものだろう? と考える。
 視線を上げるとレイテとルーが背中を向けていた壁に大きな穴が開いていた。穿たれた穴の向こうはよく見えない。しかし、微かな明かりが──レイテが構成した光魔法──トンネルの出口のように見える。
「何で……こんな穴……」
 ルーは穴の淵に寄って、向こう側を覗く。
「ピィ? そっちにいるの? いたら、返事して。ピィ?」
 <人形>に呼びかけるルーの背後で、レイテとグレースは顔を見合わせた。
 グレースが物言いたげな視線で、レイテを見下ろしてくる。
「……若様、ピカリンは……」
 レイテはそっと視線を逸らし頷いた。
 ガランの去り際の言葉は魔法呪文。それに反応したのはピィだった。恐らく、ピィの体の内側に爆破魔法の魔法陣が記されていたのだろう。
 封印は、魔法呪文に反応しないためのものだったのだ。
「ピィ、怖いの? もう大丈夫だから、出てきていいよっ! ねぇ、ピィ!」
 ルーの声がグレースの耳には痛かった。
 少女は爆発の瞬間を見ていない。しかし、グレースは<人形>の腹が破裂するのを見ていた。その後は爆発し、視界を遮られたのでわからないが……爆弾そのものであるピィの身体が無事であるとは思えない。
 オレンジ色の瞳の愛くるしい<人形>の、最後の悲鳴が蘇る。
 グッと唇を噛み、視線をそらしたグレースは、その先に見つけた物体に息を呑んだ。
 <人形>の小さな上半身が黒焦げになって転がっていた。幻の魔法が解けたため、顔の部分には微かなおうとつがあるだけ。それがピィのものだったのか、一見すると判別つかない。
 しかし、僅かに焼け残ったピンク色の布キレは、<人形>が着ていたワンピースのものだとわかる。
 グレースは抱えていた卵を置き、両手で<人形>の残骸を拾い上げた。そして、レイテの方に差し出してきた。
 レイテは手にしたローブに、<人形>の亡骸を包んだ。
「先生っ! ピィがいないよっ?」
 辺りを散々探し回り、見つからないことに途方に暮れたルーが、レイテに助けを求めて近づいてきた。
「ルー……、ピィはもういません」
「えっ? どういうことですか?」
 赤い瞳を見開いて問い返すルーに、レイテはピィの亡骸を見せ、事実を告げる。
「ピィが……先程の爆発の原因です。あの子に、爆破の魔法陣が刻まれていたのですよ。そして、彼の魔法呪文に反応した」
「何……それ……。じゃあ、さっきの爆発……」
「ルー……」
「先生っ! ピィを直してっ! 修復魔法だったら、ピィを直せるよね? ピィを助けてあげてっ!」
 期待を込めて見上げてきたルーに、レイテは悲しげに首を振った。
「それは無理です。もうピィの魂を定着していた魂転換の魔法陣が破壊されている。身体を直したところで、ピィの魂はどこにもない……」
 その事実を告げながら、レイテはピィの魂はどこへ行ったのだろうかと考える。
 肉体の死を自覚したとき、魂は解き放たれると言われている。しかし、<人形>の身体は正確には生体ではない。そこに無理矢理、魂を繋ぎとめている──それが魂転換の魔法だ。
 魔法陣を解呪すれば魂は解き放たれる。しかし、強制的な力で壊されてしまった場合、繋ぎとめられていた魂は……どこに行くのだろう?
 砕けた破片に、バラバラとなった今でも、繋がっているのだろうか?
「じゃあ、ピィは……死んだの? あ、アイツがピィを殺したのっ?」
 激昂に顔を真っ赤に染めたルーは眉を跳ね上げ、叫んだ。
「ヒドイ、酷すぎるよっ! 何で? 何で、ピィがっ!」
 ルーはレイテの手から<人形>だったものを奪うと胸に抱きしめ、その場に崩れた。
「若様……。アイツがピカリンを殺したんですか?」
 押し殺した声で問いかけてきたグレースの瞳は、そうであるのならば許さない、と語っていた。
 レイテは泣き崩れるルーと、握った拳を振るわせるグレースを交互に見やり、低く吐き出した。
「……ピィの中にあった爆破魔法を発動させたのは、間違いなく彼でしょう。ですが、ピィの身体に魔法陣を刻んだのは彼じゃない」
「誰スッ?」
「人間ですよ」
「えっ?」
 睨み付けるようなグレースのきつい目元が、一瞬、緊張が解けたように丸くなる。
「この工房で<人形>制作に携わっていた魔法使いがピィの身体に爆破の魔法陣を刻んだ……。ここは兵器工場。つまり、ピィは兵器だったわけです」
「兵器……」
「兵器って……だって、こんなに小さいスッよ?」
 信じられない思いからレイテに反論しながら、グレースは実際に目にした現象に、ピィが兵器であったことを骨身にしみるくらい実感しているだろう。
 だが、認めたくない現実もある。
 あの小さな愛らしい<人形>が兵器であったなんて、レイテでさえ、認めたいとは思わない。
 しかし……。
 爆発の威力は凄いものだった。地震で潰された壁に風穴を開けてしまったのだから、兵器としての役割は十分に果たせる。
「……魂が入れられた理由は何スかっ? 単なる爆弾としての役割だけなら、こんな命をもてあそぶようなことする必要ないでしょ?」
「アルステルドの陣内に、ハルヴェンランドの人間が入り込むのは容易ではありません。……僕の推測でしかありませんが、小動物であれば敵陣営に忍び込ませることも可能と考えたのでしょう。しかし、生きている物に長期的に有効な魔法陣を刻むことは難しいです。僕の心臓にある魔法陣のように繊細な技を強いられます」
「だから……<人形>に魂を移したって言うスッか?」
「恐らくは。記憶を失っても調教することによって、<人形>は命令通りに動くでしょう。彼が言っていたように、むしろその方が好都合だったのですよ」
 下手に記憶を持ってしまっては、動かしにくい。命令に対し従順に動くまっさらな魂が兵士や兵器には求められた。
 そうして、作られたのは沢山の爆弾。小さな<人形>の身体に魂を移されて、その身の内に爆破の魔法陣を刻まれ、出番が来るまで封印されたというわけだ。
 レイテはピィの運命を思い、水色の瞳を伏せた。
「魔法呪文は魔法を発動させるきっかけです。彼はただ、魔法呪文を唱えたに過ぎない」
 敵陣内で口にされるだろう言葉を呪文とした。呪文は魔法発動のきっかけであるのだから、魔法使いがわざわざ呪文を唱える必要はない。
 いつ発動するとも知れない時限装置ではあるが、魔法呪文となった〈アルステルドに栄光を〉という言葉をハルヴェンランドの人間が口にするはずはないから、犠牲になるのは間違いなくアルステルドの人間だろう。その効果を見れば、使う価値は十分にあった。
「それでも……奴がピカリンを殺したっ! その事実は変わらないスッよっ!」
 グレースは頭の中に燃えたぎるような、熱を感じた。許さない、許せない。身を焼くような激情。あの男のために、どれだけの命が犠牲になるのか、考えただけで身体は震える。
 伏せた視線の先、震えるグレースの拳を目にしながら、レイテは思う。
 確かに、ガランの行いは残酷だ。
 でも、全てはガランのせいなのだろうか?
 そもそも、人が生き物の魂を兵器に転じようとしたその行いこそ、間違いだったのではないだろうか。
(……彼もピィと同じように作られた)
 人が犯した過ちが、時を経て、罰となって、人の下に返ってきただけではないのだろうか。
 レイテはその答えを求めるように、壁に開いた穴を見た。

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