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 41,狂気の代償


「これで最後の卵スよ」
「……ご苦労様でした」
 グレースから手渡された卵を受け取ると、レイテは中を開けた。出てくるのはピィと同じオレンジの髪と瞳をした<人形>だ。
 長い封印から解けた<人形>は大きな瞳をクルリと回転させて、レイテを見上げてきた。その<人形>の額にレイテが指先で触れると、次の瞬間には<人形>は糸が切れたようにガックリと頭を垂れた。
「……ようやく、終わりましたね」
 <人形>の魂を解放する作業は約三時間続いた。ルーやグレースの目にはただ、レイテが<人形>の額を撫でているようにしか見えなかったが、徐々に白い肌が青ざめるに至って、レイテの負担を知る。
「大丈夫スッか?」
「……先生」
 両側から心配そうに見つめてくる弟子たちにレイテは微かに笑った。
「大丈夫ですよ、僕は不死の魔法使いなのですから」
「不死の魔法使いって言ったって、若様は人間なんスよ? こんな辛いことに……耐え切れる人間なんていないスッ」
 そう言ってグレースは、魂が抜けた<人形>の山に、激情を吐き捨てた。
「それは……彼も同じだったのかも知れませんね」
 静かな声で、レイテは囁く。
「…………っ!」
 グレースが反論しかけ、迷うような間をおいて、続けた。
「それは……そうかもしれないスッ。こんな命をもてあそばれるような形で、自分が作られたとしたら……恨みは当然かと思うスよ」
「グレースさんっ! あいつの味方をするのっ?」
 ルーはグレースを睨み上げた。
(だって、あいつはピィを殺したんだっ! 許されるはずないのにっ!)
 それなのに、ガランに理解を示すグレースが、ルーにはわからなかった。
「味方とか……そんなんじゃないスよ、嬢さん。奴のしたことは許されないし、これから奴がしようとすることも容認できないス。けど、あいつをここまで追い詰めた人間の所業についてもちゃんと考えないと、ただ、ピカリンを殺された恨みだけであいつと向かい合ってもそれは結局、奴と何一つ変わらないんじゃないかって、思うスよ」
「……どういうこと?」
「あー、うまく……言えないスよ」
 茶髪頭を掻き毟って、渋面を覗かせるグレースに変わって、レイテが口を開いた。
「ルー、僕らはこれから彼と戦うか否かの選択を迫られます。そのときに、ピィの復讐のために戦うのなら、それは彼が自分を<人形>に変えてしまった人間たちに復讐するのと、大差はない」
「違いますよっ! だって、あいつはピィを殺したっ! ピィは<人形>かもしれないけど、それでも魂を宿して生きていたのにっ」
「……それと同じように、彼も殺されたのですよ。生身であった自分を」
「…………だって、あいつは生きているよ?」
「肉体は殺された。生きていた頃の彼の存在意義を否定されて、生かされたことが生きているというのなら……心なんてものは無意味になってしまう」
 ルーはレイテの言葉を理解しようと努める。しかし、何が言いたいのか、わからない。
「……ルー、僕が君の魂を<人形>に移しても良いか、という質問をしたことを覚えていますか?」


「え? あ、はい」
 いきなりの問いかけに、ルーは小さく首を頷かせた。
「あのとき、君は言いましたよね。自分は変わっていくって。彼も同じです。自ら、不変を望んだのならばともかく、他人の意思で自らの本質を歪められた。一人の人間としてではなく、兵器として生み出された彼は……ピィと同じなのです」
「だって……あいつは」
「彼が自我を持っている過程は今の場合、問題ではありません。彼が作られた理由について考えなさい。君はピィが作られた存在だと知っても、何も感じませんでしたか?」
「……可哀想って思いました。だって、こんな風になったら、生まれ変われないもの。会いたい人にも会えないから……そんなの、可哀想すぎるよ」
 泣きはらした目から、また涙がこぼれる。睫のふちに溜まった雫をレイテは指先で拭ってやった。
「同じことを彼に対しても思いやりなさい」
「…………だけど」
 不満そうにルーの唇は歪んだ。
「同情しろ、などとは言いません。例え、どんな事情があったにしても彼が行おうとしていることは間違いなのですから」
 レイテは廃墟でガランがライラに投げかけた言葉を思い出す。
『被害者なら何をしてもいいわけ? 許されるわけ? 被害者は被害者だから同情されるんだよ。加害者に回った時点で、お前は俺のことを非難できる立場じゃねぇっうの』
 認めたくはないが、正論だった。しかし、それはそのまま、ガランにも帰る言葉だ。
(彼もまた、被害者の立場から加害者の立場に回った……。言っていることは正論だ。でも、全然、筋が通っていない……)
 ガランの言動の矛盾について、レイテは考え込む。
(何を考えてあのような言葉を口にできるというのです? あれだけの正論をぶちまけられるってことは、少なくとも、自分の行いが正当ではないことを承知してのこと……)
 自分なら許されると思っているのだろうか? あの傲慢な態度は、自分は特別だと?
(……<人形>だから人とは違う?)
『人間と呼ぶなっ!』
 そう頑なに、人ではないことを強調する彼の真意はどこにあるのだろう?
「彼の行いは間違っていると言って、いいでしょう。ですが、僕らが常に正しいのか、それもまた疑問視されることです。人が犯してしまった過ちを僕らは知ってしまった」
「過ち……。でも、俺は何も悪いことなんてしてないです。あいつはピィを殺したんだ。悪いのは全部、あいつでしょう?」
「本当にそう思いますか?」
 レイテの視線を受けて、ルーは口ごもった。
「初めに、罪を犯したのは人間です。彼は犠牲者だ。だけど、被害者が何をしても許されるというわけではないように、加害者に回った彼は罰せられるべきです。でもね、彼の復讐を止めようとする僕もまた加害者だ」
「何で? 先生は何も悪いことなんてしていないよ」
「ルー、僕はあの戦争時に生きた人間なのですよ。そして、過ちを知りながら、正すこともできずに傍観してしまった。……これは罪です」
「そんな……」
「僕に何ができたのか、わかりません。でも、何もしなかった僕にあの戦争を批判する資格はない。あの青年を正す言葉も、今の僕では説得力などない。何も知らなかった、そんな言い訳が通じるものではないのですから」
「でも……」
「現実を認めましょう。僕らは前に向かって歩いていかなければならないのなら、目を瞑ってはいけません。僕は罪深い過去を悔いて、二度と繰り返したくないと思う。皆が平和に暮らせる世界を願う。そのために、彼と対峙することを選び……これからもそのために戦うことをここに誓います」
「先生……」
「だから、ルーもグレースさんも僕と行動を共にするというのなら、ピィに対する恨みなどで動かないでください」
「……若様」
「僕らは二度と過ちを繰り返してはいけない。そのために、復讐の連鎖を断ち切らなければなりません。わかりますね? 僕らは私情で戦ってはいけないのですよ」
「若様はあいつを追いかけるスッね?」
 グレースの問いかけにレイテは頷いた。
「ええ」
「ならば、オレも……お供するスッよ。あいつのことは許せないスが、でも、それよりもオレはもう誰もなくしたくないスよ」
「はい」
「俺もっ!」
 ルーがレイテとグレースの間に割り込んできた。
「俺も一緒に行きます! 置いていかないでください」
「ルー……僕の言葉を理解しての決断でしょうね? 僕らは復讐するために、彼と対峙するわけではない。それが理解できないようなら、君を連れて行くことはできませんよ」
「……あいつが嫌いなのはしょうがないんです。だって、ピィを殺したんだからっ! でも、先生と一緒にいたいって、先生を守りたいっていう気持ちは、復讐とは関係ないからっ! だから、俺も連れて行ってください」
 ルーはしかっとレイテの服を掴んだ。二度と離すまいという強い意志がグッと結んだ唇に見える。
「絶対に一緒に行きます。絶対、絶対、一緒に行くから」
 グイグイとシャツを手繰り寄せると、ルーはぴたりとレイテに張り付いた。
「置いてかないでください。一人にしないで」
「……置いていきませんよ。君みたいな子を一人にしたら、それこそ暴走しそうですしね」
 レイテはポンポンとルーの頭を叩いて、笑った。
「……恨みを消すのなんて、難しいですね。でも、僕らは傷つけあうために戦うのは止めましょう」
 ルーを見つめ、グレースに視線を流しながら、レイテは告げた。
「彼が与えてくれた十日という時間を有効に使いましょう。帰ったら、二人は自分が持っている魔法を最大限に使えるように修行しましょう」
「……あいつが約束を守ると、若様は考えているスッか?」
 修行することについては大賛成であったが、グレースはガランの提示した十日という猶予をそのまま信じて良いものかと迷う。
 そんな弟子の不安をレイテは笑い飛ばした。
「大丈夫ですよ。むしろ、彼は僕らに追って来るように挑発した。先程、封印された部屋で<破壊巨神>についての資料を見ましたが、あれは絶対に放置していてはいけない代物です。彼は、僕がそう判断するのを見越して、見るように勧めたのだと思います」
 ピィを爆破させたの、過去の人間が犯した非道さを訴えると共に、ピィに感情移入していた自分たちの憎悪をあおるためだったのではないか、とレイテは推測する。
 思った通り、ルーとグレースはガランに対し、偽者事件以上の敵愾心を持ってしまった。
 グレースは激情を何とか冷静に対処しようとしているようだが、ルーに関しては放っておくと一人ででも、ガランを追っていきそうだ。そうなれば、レイテとしても追いかけずにはいられない。
(全ては……僕らを呼び寄せるための……)
 そう推測するのは間違っているだろうか?
 ガランとしては、レイテが結界を張った城の中に立てこもられては困るのではないだろうか。人間に対しての復讐心もさることながら、やはり魔法使いへの恨みも相当に強いはずだ。
(結局、僕らは彼が望むように動かざるを得ない……)
 そうわかっていても、世界を見捨てられはしない。
「<破壊巨神>っていうのは……何だか、わかったスか?」
「一言で言ってしまえば、魔力増幅装置です」
 グレースの問いに、レイテは答えた。
「増幅……」
「ざっと見た限りですので、詳しくは何とも。とりあえず、めぼしい資料は城に転送しましたので、今日は帰りましょう」
「はい」
 レイテは<人形>の山に目を向けて、魔法を構成した。瞬時に立ち上った炎が、<人形>たちの身体を焼いていく。
 狂った時代によって、作り出された物たち。ここに犠牲となった多くの魂の存在をレイテは心に焼き付けて、誓う。
「二度と……過ちは繰り返さない」

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