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 42,虚無の栄光


 乾いた風がすり抜けて、肌にパラパラと砂粒がぶつかる。荒廃した光景を前にグレースは絶句した。
(ここに大都市があったって……)
 レイテに聞いた話では、ここには繁栄を極めた国家があったという。しかし、見渡す限り、そんな面影は全くない。
 魔法戦争が終わって八百五十年の月日を数えながら、誰もこの地に踏み入れることはなかったのだろうか。
 倒壊した建物の残骸が見えるだけで、命を感じさせるものは何もない。植物も昆虫も空を飛ぶ鳥の影すら見えない。完全に死んだ街……。
「死の街って感じスね」
 頭に浮かんだままに、グレースは呟く。
「怖いこと……言わないでぇ」
 レイテに手を繋がれ、および腰で歩いていたルーは、泣きそうな顔でグレースを振り返ってきた。
 少女は、レイテから聞かされた怖い昔話を思い出すしていた。
 アルステルドに吹く風には死んだ人々の呪いの声が混じって、悲鳴に聞こえるという。
 ルーの耳元をまた、風が吹き抜けていく。人の悲鳴のような、ヒューと鼓膜を震わせる音にルーはレイテの背中にしがみ付いた。
 タックルを食らう形で、レイテは顔面から地面に転倒した。
「…………ルー」
 地べたに這いつくばり、肘で上半身を起こしたレイテは、底冷えのする凍えた視線で、自分の背中に馬乗りになっている弟子を肩越しに振り返った。
 銀髪の間に見える白い額に血を滲ませたレイテの、視線で人を殺しそうな表情にルーはヒッと喉の奥で悲鳴を上げる。
 グレースはルーの両脇に腕を差し込んで、少女の身体を師匠から引き離す。
「だ、大丈夫スッか、若様」
「大丈夫か、ですって?」
 レイテは薄っすらと微笑み、二人の弟子を見据えた。
「僕のこの美貌を傷つけて、それで大丈夫と聞きますか? あなたたちは」
 ゆっくりと立ち上がりズボンについた埃を払う。今日のレイテのいでたちは、いつものローブ姿ではなく動きやすさを重視した軽装だった。
 そして、打ち付けた額に手をやり、赤く滲んだ指先にレイテは低く笑った。
「フフフフフッ」
 二人の弟子はジリッと一歩、師匠から後退した。
 艶やかな微笑が――果てしなく、怖い。
「よくもまあ、この美麗で華麗で秀麗、鮮麗かつ優麗、さらには艶麗、端麗な僕の美貌を傷つけてくださって……ただで済むとは思ってないでしょうね?」
 逃げる二人を目で追いかけて、レイテは後光を背負いニッコリと微笑んだ。
「お、オレじゃないスッ! 嬢さんがっ!」
 抱えていたルーの身体をレイテのほうに押しやって、グレースは避難する。
「ひ、ヒドイっ! グレースさんが俺を驚かしたのが、そもそもの原因じゃない!」
「だぁー、オレに責任転嫁しないでくださいスッ!」
「一人で逃げようたって駄目なんだからっ!」
 ハシッとグレースの腕を掴んで、ルーは叫んだ。
「いや、オレは何もしていないスッからっ!」
 腕にぶら下がったルーという重りをくっつけて、グレースはレイテから距離を取った。
「グレースさんが脅かしたんです、先生っ!」
「脅かしたって、嬢さんっ! 嬢さんが勝手にっ」
「グレースさんです、グレースさんが悪いのっ!」
 互いに責任を擦り付ける二人の弟子に、レイテは冷たく宣告する。
「二人とも、今夜の晩御飯は抜きです」
 ヒィィィィ、と二人は悲鳴を上げた。そうして、レイテの眼圧に気圧されそうになりながらグレースは果敢に問う。
「ち、ちなみに今晩の夕食は?」
「キノコのパイ包みシチューに、ロールキャベツ。ローストビーフに、鶏肉のクリーム煮。カボチャコロッケに、チーズオムレツに、ポトフ、トマトサラダ。デザートにアップルパイなど用意しようかと思って、昨日のうちに材料など揃えていたのですが」
「いやぁ〜。ごめんなさい、ごめんなさい。謝るからご飯は抜かないでください。アップルパイ食べたいです」
「せ、せめて、おかずを一つ抜きで、勘弁を」
 両手を顔の前で合わせて、二人はヘコヘコと許しを請う。
「…………僕も人のことは言えませんが、もう少し緊張感というものがあっても良いのではありませんか?」
 額に再度触れて、傷を治療したレイテは呆れたように二人を見た。
「…………一応、僕らは敵地に乗り込んできたわけですし」
「あっ」
 二人、声を揃えて口を開けた。師匠の殺人的な視線に恐れおののいて、自分たちが立ち向かう相手に対する恐怖を完全に失念していた。
「まあ、良いですよ。それぐらい、余裕があったほうがね」
 クスリと笑いをこぼしたレイテからは殺気が消えていた。それを敏感に感じ取ったルーはグレースを突き放すと、師匠の下に舞い戻り彼の手に自分の手を繋いだ。
(……なんて、変わり身の早い)
 ルーの行動のすばやさに呆れつつ、グレースもまたレイテとの距離を縮めた。
「若様、本当にここに都市があったスッか?」
「首都はもう少し北のほうになりますがね。アルステルドは大陸で一番華やかな国と言われていました。大きな建築物が軒を連ね、整然と敷かれた石畳の街路も広く、人々も活気があった……それは戦争が始まる前の光景ですが」
「信じられないスね」
 足元に目を落とすと、乾いた砂がブーツのつま先を汚していた。
「それだけ、<破壊巨神>が放った力は大きかったということでしょう」
 レイテが呟いて、空を仰いだ。
 現時刻に対する太陽の位置で方向を見定め、首都があった方へと彼が向き直る。
「首都に奴がいるスッか?」
「少なくとも、首都に<破壊巨神>が搬入されたのは間違いないでしょう。国の主だった施設が集中した首都には強固な防御結界があったと思います。それを打ち破ることを考えたら、最前線で使用するのが一番効果的です」
「……<破壊巨神>が眠っているところに、奴がいると考えて間違いないスね?」
「彼が世界を破滅させようとするのなら、<破壊巨神>の力に頼るしかない」
「奴が……<破壊巨神>の核に作られたって言うのは」
「認めたくないですがね」
 深いため息を吐いて、レイテは言った。


 <人形>工房から城に帰ったレイテは、ルーとグレースに魔法特訓を命じると古代遺跡から持ち帰った資料を分析する作業に入った。
 約三日の徹夜作業で、わかったのは<破壊巨神>が魔力増幅装置であることだ。その内側に魔力が高い人間が入ることによって、放たれる魔法は数万倍の威力を持つ。
 繁栄を極めたアルステルド、そして、アルステルドと対立していたハルヴェンランド。両国間に挟まれて戦争に加担した周辺諸国。戦争を否定しながら巻き込まれた中立国……はっきり言ってしまえば、大陸に存在していた国という国が<破壊巨神>によって放たれた一撃により、国家としての基盤を失った。
 その<破壊巨神>の内側で魔法を放つ核として作られたのが、魂転換の魔法によって作り出された不死の兵士。
 その兵士は全部で十体作られていた。ガランもまたこの内の一体に含まれるのだろう。
 ガランに関する資料は破棄されていたが──恐らく、ガラン本人がいずれ、レイテたちが古代遺跡に辿り着くのを見越して処分したのだろう──残された資料だけでも、彼が<破壊巨神>の核として作られたことは疑いようがない。
(僕並みの魔力を持っていた彼が核となれば、一介の魔法使いの魔力を増幅するよりさらに巨大なエネルギーが生み出される)
 しかし、失敗するはずの――記憶の喪失という代価を支払う――魂転換の魔法が、ガランに限って成功してしまった。故に彼は封印される結果になったのではないか? レイテは青年が封印されていた理由を推測する。
(一人一人の魔法使いが僕や彼と対等に戦ったところで、勝負は明らかですが……)
 数十人の魔法使いが束になれば、ガランを封印することも可能ではあっただろう。
 そう考えるとレイテは、もしかしたら自分の元へもハルヴェンランドの魔の手が伸びてきたかもしれない可能性に背筋が震えた。
 レイテの城があるガーデンの街は昔の大陸勢力図からみれば、中立にあった。だから、ハルヴェンランドとしても核として適正なレイテの存在にむやみやたらと手を出せなかったのだろうが。
 もし、ハルヴェンランドの支配下にあったのなら、どんなに強力な結界を敷いても自らの身を守れたのか、疑問だ。あの青年はもしかしたら、もう一人の自分の姿か。
(……それでも)
 同情はできない。してはいけない。
「さて、もう少し北のほうに飛びましょうか。準備はいいですか?」
 弟子たちに心の準備をさせると、レイテは移動魔法を構成した。


 先程見た光景よりも建築物は居残っていた。とはいえ、残骸、廃墟といった感じで、どれもこれも強い風が吹けば一息で倒壊しそうな脆さがある。
 グレースが手近にある建物の壁に手をついた。彼の手の、皮膚の下でザラリと崩れ落ちていくそれは砂の城のよう。長い間の風雨に晒されて、石材の強度も崩壊寸前といったところか。
「強固な結界があっても、この被害ですか」
 レイテは周囲に視線を走らせ、呟いた。
 アルステルドの首都に敷かれた防御結界は、国内の選りすぐりの魔法使いたちが組み上げたものであったと思う。それだけではなく、建築物にもあらかじめ、結界の魔法陣を組み込み、二重三重に張り巡らされていたはずだ。
 <破壊巨神>のその力が大陸全土に及ぶような強大な力であったから、この有様は不思議ではないと言えるのだが。
「繁栄を極めても、何も残らなければ虚しいですね」
 大陸の覇権を手中に収めんがための戦争であったが、それで国が滅んでしまっては本末転倒も良いところだろう。
 微かに首を振って、レイテは憂いを払う。
 そうして、辺りに魔法の存在の有無を確認した。意識の端に引っ掛かる気配はあの青年の魔力か。今までは、気配を掴もうにも掴ませなかった青年だが、今はレイテを導くかのように自身の存在を明らかにしている。
(……誘われているみたいですね)
 自らの身が焼かれるのに炎に飛び込んでしまう羽虫のように、レイテはそちらに足を向けた。
 レイテには一つ考えていることがあった。それはガランの正体だ。
(もしも、僕の考えているそれが彼の正体であったのなら……彼が望むことは……)


「あれが……<破壊巨神>」
 倒壊した建物にのしかかるようにあったのは、巨大な鎧。樹齢千年や二千年を数えるような大樹のように強大な巨人が武装した……そんな感じだ。<破壊巨神>が動いて、その手を伸ばしてきたら、グレースの人並みはずれた巨体も小枝のようなものか。
 その姿を目にし、心持ち足取りが速くなるレイテを追いかけながらグレースは疑問を口にした。
「何で人型なんスかね? 単なる装置だったらあんなにデカくなくてもいいと思うスよ」
「……可能性として考えられるのは、あれに魂を移そうとした……」
「人の魂が入れば、あの馬鹿デカい鎧も動かせるってことスッか?」
 何でもありなのか? グレースは目を見張る。
 魔法を使えるようになって、今までとは違う戦法を覚えたグレースは魔法の可能性の幅に驚かされる。
(だから、使う人間によって……)
 人を救うものにもなれば、世界を破滅させるものにもなる。
 <破壊巨神>……なるほど、世界を滅ぼす神か。だが、そんなことはさせるものか。
 通りとは名ばかりの廃墟の間をすり抜ける。一端視界から<破壊巨神>が消え、片側に瓦礫の山が続く。
 口数も少なく、レイテの足取りはいつしか小走りに変わっていった。コンパスの差で遅れ気味になるルーをグレースは後ろからひょいと抱え上げてレイテの後に続く。
 ひとしきり走って、目の前が開け<破壊巨神>の全体像が迫る。その肩口に座ってこちらを見下ろすのは黒衣の青年。
 漆黒の瞳でレイテを見下ろし、唇の端に笑みを刻む。
「──来たな」

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