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 43,激闘の果て


「僕がここに来ることは、あなたの計画において、大前提のことでしょう」
 レイテは青年の言葉に冷ややかな反応を返した。
「最初から、あなたは僕がここに来ることを見越していた。十日という期限を置いたのは僕に動かざるを得ない状況を作り出すためではありませんか? 僕もあなたも不死という果てない時間があれば、あなたが最終行動に移すまで、僕としても慌てて動く必要もないということです」
「それで?」
「あなたは僕という存在を思いのほか、早く見つけた。この機に全てを片付けてしまおう、そう望んだだけで……いずれにせよ、あなた自身は僕の前に現れるつもりだった。そうでしょう?」
「まるで、本当の俺を知っているみたいな口ぶりだな、お前」
 立ち上がったガランはトンと軽く足元を蹴ると、頭から三人の下に飛び込んできた。
 落下中に魔法を構成し、落ちるスピードに乗せて魔法を放ってくる。
 レイテは衝撃を受け止める結界魔法を構成した。空気がぶつかる音がして、レイテの魔法によってガランの魔法は彼自身と共に弾かれる。
 ガランは空中で身体を一回転させると、少しの距離を置いて地面に着地した。
 そうして、息をつくまもなくこちらに襲い掛かってくる。
 グレースが抱えていたルーを地面に下ろすと、前面に出て剣を抜いた。
 抜き払った勢いで振り上げた剣圧と風の魔法を重ね合わせたそれに、ガランの動きが一瞬、鈍る。
 止まったところをすかさず、レイテは氷の魔法で作り出した矢を放つ。
 ガランは人間ではありえない動きで、それをかわすと高く飛び上がり片手にした氷の剣でグレースを襲う。
 振り下ろされる氷の剣の軌跡を見切り、グレースは受け止めた。腕力を武器に弾き返し、無防備になったガランの腹部に放った蹴りは虚しく空を切った。
 移動魔法でグレースの背後に回ったガランは剣を突き出す。しかし、肉をえぐる前に、横から放たれたレイテの風の魔法の風圧に剣先がずらされた。
 引きずられるようにもって行かれるガランの身体に、振り返ったグレースの回し蹴りが決まろうとするが、ガランは身体を仰け反らせ宙返りで逃れた。彼が手を着く先にレイテは氷の矢を再び放つ。地面を穿つ矢を避けて、ガランは右半身から転がった。
 横転し起き上がろうとする彼にグレースが切りかかる。
 刃が触れる寸前、ガランは結界魔法を張った。弾かれた剣先にバランスを崩すグレースに、今度はガランが足払いを食らわせる。
 背中から転倒するグレースに変わって、立ち上がったガランは剣を振り下ろす。
 だが、レイテが結界を張り、氷の剣は勢いをそのまま刀身に返し、折れる。
 グレースは、跳ね起きる勢いでガランの顎をめがけて蹴りを放つ。
 寸前でガランは移動魔法によって逃れた。
 ルーは目の前で繰り広げられる戦闘に、息をするのも忘れる。
 ここ数日の魔法特訓で、初期魔法をグレースは完全に習得していた。剣と風の魔法を合わせるなんて、これは剣士であるグレースの発想があってのことだろう。
 何より、レイテとの連携はまるで旧知の仲であるような息の合い具合だ。この二週間に行動を共にしただけで、これだけの連携はそうそうできるものではない。グレースの生まれ持った戦闘センスによるものか。状況判断が早い。さすがのガランも焦りの色を見せ始める頃か。
 こちらと距離を取るように<破壊巨神>の肩に戻ったガランを、レイテとルーは見上げた。
「やるじゃねぇかよ」
 予想に反して余裕たっぷりの笑みで、青年は見下ろしてくる。
「本当の俺を知って、それでお前はここに来た、お前はそう言うが、じゃあ、お前は俺の望みを叶えてくれるってわけか?」
「僕の推測が当たっていますのなら、協力もやぶさかではありませんよ」
 レイテの背後でルーは目を瞬かせる。
(何を言って……協力って?)
「はっ! その言い分じゃ、俺がお前に助けを求めるみたいだな。甘いっ!」
 吐き捨てたガランの姿が、視界から消える。気配を消し去るガランに、レイテは意識を集中させた。魔法で移動する以上、魔法の痕跡を辿ればガランの存在に追いつけられる。
「グレースさん、右斜め後ろですっ! 結界を」
 レイテの声に促され、グレースは振り返りざま、結界を構成した。ぶつかる衝撃波にグレースの身体は軽々と吹き飛ばされ、近くの瓦礫に突っ込んだ。
「グレースさんっ! 先生っ! グレースさんが」
 さっきまで、グレースが立っていた場所に変わりに立つのはガランだ。斜めにレイテを見やり、鼻を鳴らす。
「俺が頭を垂れると思ってんのか? 別に、俺がわざわざ頭を下げるでもない。お前は俺に屈服するんだよ。幾ら、味方を増やしたところで、素人が俺に勝てるわけないだろ?」
 嘲るガランの背後で、瓦礫が音を立てて崩れた。その影から、現れたのはグレースだった。
 ガランの衝撃波の威力に吹き飛ばされたが──やはり、レイテのようにしっかりとした結界の構成は無理なようで、威力負けしてしまったが──結界の守りがそれでも働き、傷一つ負ってはいない。
 グレースは瓦礫の山から這い出ると、ガランに向かって叫んだ。
「お前のほうこそ、世界を敵に回して、何もかも自分の思い通りになるって、考えているのかよっ!」
「思い通りにしてやるさ、誰も俺を止められるものか」
 傲慢に言い放つガランに、グレースが叫んだ。
「オレが止めるさっ!」


 グレースは地面を蹴って、ガランとの距離を一気に縮める。
 突き出した剣は、身体をずらすことによって簡単にかわされてしまったが、グレースはあいた方の手を突き出した。そこには魔法で作り出した氷の剣が握られており、それは確かな感触を持って、ガランの右腕を突き刺した。
「凍れっ!」
 魔法呪文とは違い、気合を表すように叫ぶ。氷の剣を中心に冷気が周りの空気を冷やし、ガランの右腕の自由を奪う。
「これで逃げられないだろうっ!」
 グレースは至近距離に迫ったガランの黒い瞳を睨みつけた。
 漆黒の瞳はグレースの姿を映し、不敵に笑う。
「俺の動きを封じたつもりか? 馬鹿じゃねぇ?」
 グイッと身体を持ち上げられるような感覚に、グレースは目を見張る。すると、足元から地面の感触が消えていた。
 一気に上空に持ち上げられる身体に、グレースは焦った。空気が冷たい。下を確認できないが、それだけでかなりの高度に持ち上げられたことを知る。
「お前自身が絡めとられてるっての! なあ、人間の身体ってどれぐらいの衝撃に耐えられるか試してみようぜっ!」
 空中で自分の身体を操るのは難しい。ガランによって、グレースの身体は地上と平衡に倒される。ガランの右腕と繋がったままの左手の氷の剣も、右手の剣もどちらも手放せないグレースに対して、左手が自由なガランはグレースの襟首を掴み、彼の身体を支えて笑う。
「脳味噌ぶちまけ潰れちまいなっ!」
 ガランはグレースの身体を押し付けるように、自らと共に落下する。
 このまま地面に叩きつけられれば、ガランの言葉通り潰されるだろう。グレースは魔法を構成した。


「グレースさんっ!」
 ルーは遥か上空、豆粒みたいに小さくなったグレースとガランに悲鳴を上げた。
 グレースがガランに対し手傷を負わせたときには、ルーはやっぱり、グレースさんを味方にして良かった、と心から思った。
 でも、形勢逆転だ。あのような高いところから突き落とされたら、生身のグレースはひとたまりもない。
「先生っ!」
 レイテを振り返ったルーの額に冷たい指先が触れた。
「先生っ?」
「今、君に隠匿の魔法を掛けました。君の姿は僕以外の者には見えなくなっています」
「そ、そうなの?」
「ただし、声までは隠せないので喋ってはいけません」
 上空の二人を睨み上げながら、レイテは硬質な声で告げた。ルーは声を封印するように自分の口元を手で覆った。
「僕はこれから、グレースさんを加勢します。その間、君はここで身を潜めていてください。万が一にも、彼に見つかるようなことをしてはいけません」
「俺も……」
「ルー、君にはできることはないと、もう承知しているでしょう?」
 肩越しに振り返った水色の瞳に、ルーは首を竦めた。
 レイテの言う通りだ。この数日の魔法特訓で完全に習得できたのは移動魔法だけ。要するに、逃げる方法だけだ。
 具現化の魔法は一応、形を作ることはできるようになったが、完全にコントロールするまでには至っていない。
 ハッキリ言って、足手まといなのは自分でも承知しているルーだった。
「君はここで見ていなさい。大丈夫、グレースさんは死なせません」
 うん、とルーは頷いた。
「彼に見つかることだけは避けてください。結界も張っておきますが、簡単なものです。あまり魔法の存在を大きくすると、せっかくの隠匿魔法も魔法の気配で知られてしまいますからね」
「見つからないですか?」
「僕が推測する通りなら、彼には魔法の気配は掴めないと思います。意識的に魔法の気配を探ろうとしなければ、僕だって中々見つけられませんから」
「はい」
「声を殺して、じっとしていなさい。もし、危険を感じたらどこへでもいい、逃げなさい」
「先生は……大丈夫ですよね?」
 不安げに見上げ他ルーを安心させるように、レイテは柔らかく微笑んだ。
「大丈夫です。約束しましたでしょう? 僕は生きると」
「はい」
「何があっても死にません。多少の怪我ぐらいは大目に見なさい。僕は不死の魔法使い。君のためだけに生きます。これから先、何があっても」
「……先生」
「だから、君は自分の身を最優先に守りなさい。こんなところで、お別れなんて嫌ですよ。後、三十年ぐらいは僕の側にいなさい」
「俺、あと八十年は生きますっ!」
 レイテに少なく見積もられた寿命にルーは反論した。眉を逆立てて抗議する少女に、レイテは心からの笑みをこぼす。緊迫した場面だとわかっているのに、意図的にではなく自然に笑みが浮かんだ。
「君なら、千年でも生きられるかもしれませんね。では、行ってきます」
 ルーの赤毛頭を軽く撫でると、レイテは走り出した。その背中は直ぐに空間に消える。と、同時に上空の二人が落下し始めた。
(先生っ! 間に合って)
 ルーは指を組み、神様よりも、ずっとずっと頼りになる師匠に祈りを捧げた。


 衝突寸前、ガランは自らの右腕を爆破した。氷の剣が粉砕され、グレースの身体はガランの左腕一本に支えられる。その現実に混乱し、魔法陣が頭の中で構成できない。
(落ち着けっ!)
 焦っては駄目だ、と自分を叱りつける。
 冷静になろうと努めるグレースにガランは冷酷に言い放つ。
「死ね」
 そして、襟首を掴んでいた手を離し、グレースの身体に蹴りを入れた。落下速度が増す。
「────くっ!」
 もう駄目だ、と諦めかけたグレースの身体を優しく受け止める力があった。
「──?」
 ブーツの踵が地面に触れたのをきっかけに、グレースは足に力を入れた。しっかりと大地を踏みしめて、立ち上がる彼に声を掛けてきたのはレイテだった。
「お怪我は?」
「な、ないスッよ」
「それは良かった。戦えますね?」
 グレースを一瞥し、上空に浮遊しているガランを見上げてレイテは問う。
「勿論スよ」
 短く切った言葉を伝えて、グレースは剣を握りなおす。
「上等です」
 薄く笑うと、レイテはガランめがけて幾本もの氷の槍を飛ばす。
 ガランは浮遊した体制でそれを眼下に見定め、風の刃で全てを砕いた。細かく粉砕された氷の粒がキラキラと宙に舞い、ガランとグレースの間に薄い膜を作る。
 互いにその姿を確認できなくなった隙を突いて、レイテは移動魔法でガランの背後に回りこむ。
 さすがに、すんなりと背中を取らせてはくれない。即座に反応し、振り返ったガランだったが、片腕を失っていたせいでバランスを崩す。レイテは氷の槍を再び繰り出した。
 ガランの右肩を貫いた槍はそのまま地上へと彼の身体を叩き落す。
 落ちてくるガランの落下地点へ走ったグレースが、上空から叩きつけられても尚、起き上がろうとする彼に飛び掛った。
 顔を上げたガランは息をするかの如く、魔法を繰り出してくる。
 無数の風の刃がグレースの肌を切り裂いていった。血が噴出し、熱くなる頬や腕の痛みに耐えながら、剣を降り下ろす。鈍い手ごたえと共にゴロリとガランの腕が落ちた。
「くそがっ!」
 ガランの怒号と共に衝撃がグレースを襲う。結界魔法を構成する間もなく、吹き飛ばされる身体は近くの瓦礫の山に叩きつけられた。肉の内側で骨の折れる音を聞いた。
 激痛に身動きがとれず、うずくまっているグレースの前に、ガランは両腕を失いながらやって来た。
 口から血を吐き出し、虚ろな目で見上げるグレースに迫るガランはニッと唇に酷薄な笑みを刻んで告げた。
「人間の分際でやるじゃねぇか。でも、終わりだ。死──」
 死ね、と告げるガランの声を遮ったのはレイテの声だった。
「終わらせませんよ」
 ガランの横に立ったレイテは、腕を振り払うように魔法を放った。
 風圧に押されたガランは踏みとどまることができずに、吹き飛ばされた。

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