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 45,限界への秒読み


「冗談スよね……?」
「前にも言いましたでしょう。大義名分や犠牲精神による死を認めないと。世界中の皆の命を救うために、ルーの命を差し出せと言われて、僕が頷くと思っているのですか? 世界とルーを選べと言われたら、僕はあの子を選びます」
「何万人、何十万人、何百万っていう人間が死ぬかもしれないスッよ?」
「では、聞きますが、あなたは目の前でルーが殺されるのを黙認するのですか?」
 押し殺したレイテの声が胸を突き刺し、グレースはうなだれた。
「……それは」
「あなたは優しい。そして、正義感が強いから、迷う。でもね、グレースさん。僕はルーのためなら、その他大勢の死すら、黙認してしまう。そんな人間なのですよ」
「若様……」
「わかりましたら、どいてください」
 レイテの声は優しく促すが、グレースは動かなかった。動けなかった。
 恐らく、レイテには何か考えがあるのだろうと思う。
 ルーから聞いていた話では、レイテはルーと一緒に生きると約束したという。死んでも、何度でも生まれ変わって再び出会う、と。
 その約束をレイテが頑なに守ろうとするのなら、今ここにあるルーの命を守っても、人類が滅んでしまったら、少女の転生は叶わなくなる。
(それじゃあ、意味がない……。そんなことは若様なら、わかっているはずだ)
 だからきっと、何か考えがあるのだろう。ここは黙って道を譲ればいい。
 頭ではそう思うのに、身体が反応しない。
 レイテとルーの二人の繋がりの強さを知ってしまったから、ルーを助けるために、世界を見捨てる可能性もあるような気がしたのだ。一度、その可能性に気付いてしまうともう、冷静に物事を考えられない。
「早くしろよ」
 苛立たしげなガランの声に重なってルーの悲鳴が響いた。
「イッッ……」
 痛みを堪えるような押し殺したそれに、反応したのはレイテだった。握った拳をグレースの横っ面に叩き込んだ。不意を着かれたグレースは姿勢を崩して片膝をついた。
 頬が熱い。口の中に血の味が広がり、欠けた奥歯が舌の上に転がってきた。
「…………っ!」
 殴られたという事実に目を見張り、グレースはレイテを振り仰いだ。彼は感情を押し殺した冷たい表情でこちらを見下ろし、告げた。
「下がりなさい」
 水色の瞳に睨まれて、グレースは凍りついた。まるで、蛇に睨まれた蛙だ。指一本すら動かせない。
 下がること、立ちふさがることの選択もできずにいるグレースに、レイテは片目を眇めた。
 瞬間、強い力でグレースは身体を引っ張られ、側にあった廃墟の壁に叩きつけられる。
 強かに背中を打ちつけて、息が詰まる。ゲホゲホッと咳き込んでいるところへ、再び強引な力がグレースの腕を持ち上げ、刹那、激痛が手の平を襲った。
 何が起こったのかと、目を見張れば、氷の杭がグレースの右手の平を廃墟の壁に打ち付けていた。手の平の皮膚を突き破り、肉を引き裂き、骨を潰した杭は動けないようにグレースの身体を縫い付けていた。
「グッアアアッ──」
 耐え切れずに悲鳴を上げるグレースに、レイテがあっさりと背中を向ける。
 <破壊巨神>へ向かって歩みを進める彼にガランは言った。
「殺したほうが良くねぇか? また、きっと邪魔しに来るぜ」
 レイテに殺意がないことを見抜いて、ガランは悪意たっぷりに言った。
 言外に殺せ、と。
 レイテがグレースを冷たく振り返り、ガランに視線を流す。彼に捕らわれた少女はレイテの行いに痛みも忘れたように目を丸くしていた。
 ルーと視線を合わせずに、
「このようなところで、余計な魔力を使う必要はないでしょう。僕もあなたも」
 レイテは含みを持たせて、ガランに告げる。そして、時間が惜しいと言わんばかりに歩き出す。
 ガランがグレースに目を向けてきた。一瞬の思考の後、彼はルーを押し出し歩き出した。
 目の前を過ぎていくルーとガラン。
 グレースは痛みに塞がりそうになる目を開けて、視線で追う。心配そうに肩越しに振り返るルーの赤い瞳と出会った。
(……嬢さん…………)
 グレースは出血が激しくなる右手の痛みに耐えるように、目を瞑った。
(くそっ! オレは……)
 もう誰も失くしたくないと思ったのに……。ルーを見殺しにする選択を下しながら……、何一つできなかった。
「ちっ……」


「畜生っ……!」
 背中にグレースの声を聞いて、ルーは自分の仕出かした過ちの大きさに気付かされた。
(どうしよう……俺。……せ、先生を守りたかっただけなのに……)
 自分にもガランを倒せるのではないかという妄想が招いた結末に、ルーは後悔した。
 レイテの言いつけ通りに身を隠していれば、捕まることなんてなかったのだ。それなのに、自分が馬鹿な行動に出たために捕らえられた結果、レイテを追い詰め、グレースを傷つけてしまった。
 今、ルーは初めて、心の底から死にたい、と思った。
 こんな自分は消えてしまえばいい、と。
 親に捨てられたときから、自分はこの世に生まれてきてはいけなかったのだと思う。
 自分がいなければ、レイテがこのような選択を迫られることは、きっとなかった。
(そうだよ、俺が偽者の話を先生に聞かせなければ良かったんだっ!)
 あの事件をきっかけに、レイテはガランに目を付けられたのだろう。
(そうしたら、先生が巻き込まれることも、ピィも……グレースさんも)
 また、涙がボロボロと瞳から溢れ出した。
(俺のせいだ。全部、俺が悪いのっ! 俺がここで死ねば、先生は<破壊巨神>を直さなくて済む。こいつが沢山の人たちを殺すこともできなくなる)
 今ここから、自分という存在を消せば……。
 ルーは舌を噛み切って死のう、と思った。
 今の自分がレイテにして上げられることはそれだけだ。彼をこれ以上、追い詰めることはしたくない。苦しめたくない。
(先生が大好きだから……先生のために死ねるんだから……)
 心に言い聞かせて、覚悟を決める。
 レイテと、さよならするのは辛い。悲しい。でも、それ以上に、レイテに与える苦痛を考えれば……。
 ガチガチと震える歯の間に舌を差し込んだところで、ルーの意識に割り込んでくる声があった。
(止めなさい)
 冷ややかにその声は告げる。
(先生っ?)
 伝心魔法で伝えてくるのはレイテの思念。
(死ぬなんて、馬鹿な考えは捨てなさい)
 目を上げれば、少し先をレイテはこちらを振り返ることなく歩いていく。<破壊巨神>はもう目の前だ。
(だって、先生……)
(言い訳なんて聞きません。大体、何です? 僕の自殺を止めた本人が、自殺を計画するなんて。君はあの日、僕の命を君自身の魂の自由を代償に買ったのですよ? だったら、最後まで面倒を見てください。返品なんて、許されません)
(だけど……このままじゃ……)
(君は僕の言う通り、そのままついてきなさい。悪いようにはしません)
(でもっ!)
(言い訳なんて聞かないと言ったでしょう。師匠に口ごたえする弟子など、あってよいと思っているのですか? 君が仕出かしたことについては後できっちり、お仕置きを据えます。だから、君は僕のことを信じなさい)
(……先生を信じる……?)
(そうです。僕を信じなさい)


 <破壊巨神>の前に辿り着いたレイテはガランを一度、振り返った。
 直ぐに、行け、と顎で促され、<破壊巨神>の身体を登る。遅れて辿り着いたガランはルーを小脇に抱えなおし、移動魔法で肩口に移った。
 反対側から肩に登ったレイテは<破壊巨神>の兜に手を伸ばした。スライドする目隠しの部分を持ち上げて、中へと身体を滑り込ませる。
 浮遊すること暫くして、レイテの足が鎧の内部に作られた空間の床に着いた。光魔法を構成して内部を見回す。
 床や内壁に幾つもの魔法陣が描かれていた。それは魔力を増幅する作用を持つものをさらに何重にも組み合わせ、構成した巨大な魔法陣だ。
 レイテは驚きを顔に覗かせた。
 よくもまあ、ここまで魔力を増幅する魔法陣を構築できたものだと感心する。
 魔法陣が大きくなるということは、効果を消してしまう魔法文字を一文字でも組み込んでしまえば、それだけで無駄になってしまう可能性が大ということだ。
 一つ一つの文字の効果を相殺することなく、これだけの図式を理論的に可能と判断されるまでの月日はとても一年や二年では足りないと思われる。
(この努力を……戦争を無傷で終結させる方向に向かわせれば良いものを……)
 カツカツと靴音を響かせて、レイテは歩き回り魔法陣の詳細を確かめる。これらの図式は完璧ではない。
 八百五十年前、アルステルドに搬入されたハルヴェンランドの<破壊巨神>は起動した後、暴走した。
 暴走したのは魔法陣に間違いがあったからだ。魔力を高めるだけ高めて、コントロールするという面においての熟慮が足らなかったのだろう。制御できなくなった魔力は世界を大破し、ハルヴェンランド、アルステルド両陣営の思惑を余所に、強制的に戦争を終わらせてしまった。
 それと同時に、魔法陣も壊れてしまったらしい。
 レイテは魔法陣が壊れた箇所と間違っている箇所を見つけた。
 その背後に、ルーを抱えたガランが降りてきた。彼の視線が自分の背中に突き刺さるのをレイテは痛いほど感じた。急かされるように、レイテは己の指に噛み付いた。
 親指の白い皮膚を噛み切って、血を流す。指の腹を押すようにして、溢れさせた赤い血を魔法陣が壊れた箇所に擦り付けるようにして、修復する。
 文字を一つ一つ刻みながら、レイテは確信を深めていった。
 それはガランが魔法使いではないということ。
(……彼には魔法使いとしての知識がない)
 魔法を使うことで、魔法使いだと思い込んでしまった。しかし、それは間違いだ。
(彼に魔法は使えない)
 ガランが使用している魔法は<人形>の体内に刻まれた魔法陣に彼の魔力が反応しているに他ならない。
 戦争兵器という前提に、魂転換の魔法を実行された。記憶を失うことを条件にしているのであれば、最初から同胞を実験台に据えることはない。魔力がある者をそれこそ見つけ出せばいい。
 魔法戦争が長引くに連れて、魔力を持ちながら魔法使いになることを拒む者たちも、当時には増えていた。魔法使いとなれば、即戦力として戦場に送られていたのだ。
(……魔法使いの人口が減り、戦局が不利になってきたハルヴェンランドは不死の兵士を作ることを考えた。初めから、記憶を保持させない方向で魂転換の魔法を実行するのなら、数少ない魔法使いの魂より、他のところから補充したほうが良い)
 そして、魔法知識を植えつけるより、魔力に反応して魔法を放つ──そういった戦い方を習得させたほうが、前線へ送り込むまでの時間短縮になる。
(不利な戦局で、ハルヴェンランドに時間なんてなかったのだから……)
 <破壊巨神>の完成を間近にして、より大きなダメージをアルステルドに負わせたいハルヴェンランドは、前線を押し返すべく、手っ取り早く不死の兵士を作る方法に手を出したと考えるべきだ。
(……そう考えれば、辻褄が合う。彼があんなに自分は人間ではないと主張する理由……それは、彼が人ではないからだ)
 そして、ガランの正体は十中八九……。
 レイテが思考迷路の内側で答えを導き出そうとしたとき、後ろから声を掛けられた。
「おい、早くしろよ。このガキがどうなってもいいってか?」
 思考に集中しすぎて手が止まっていたレイテをガランが咎める。ルーの呻き声が聞こえて、レイテは修復作業を進める。
 壁にこすり付けることで、指の傷は広がり皮膚が捲れる。肉がむき出しになり、痛みが耐えがたくなる。
 今度は人差し指の皮膚を噛み切り、血を絞り出した。
 治癒は後回しにする。魔力はなるだけ温存したい。
(僕が推測する通りなら……彼の本当の望みは……)
 両手の指全部を犠牲にして、魔法陣を書き上げること約一時間だろうか。完成させた図式を眺めることで確認し、レイテはガランを振り返った。
「修復は終わりました。中央へどうぞ」
 レイテは中央へとガランを促した。
「小細工などしてねぇだろうな?」
「その必然性は皆無でしょう。ルーを解放してください」
 ガランは小脇に抱えていたルーをレイテのほうに放り投げた。
 まるでゴミでも投げ捨てるように、空中に投げつけられた少女の身体をレイテは魔法で受け止め、己の胸に抱く。
「せっ、先生っ!」
「もう大丈夫ですよ。……ルー」
「でもっ!」
 ブルンと<破壊巨神>が振動を始める。
 レイテとルーは、ガランの内側から溢れるように魔力が増幅されていくのを肌で感じた。

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