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 48,希望の光


「俺の勝ちだな」
 再び、レイテの前に流れてきたガランが漆黒の瞳でこちらを見上げて、言った。
 修復魔法の魔法陣を破壊しても、魂転換の魔法陣が壊されない限り、ガランの意識はそこにある。
 これはガランも見越していたのだろう。彼は<破壊巨神>の暴走に巻き込まれることによって、全てが終わると信じていた。
 ガランの当初の計画通り、<破壊巨神>によって増幅された魔力は今、<破壊巨神>の内側からあふれ出ようとしていた。
 自分が死んだ後のことは、ガランにはどうでも良かったのだ。暴走する魔力が再び、八百五十年前の悲劇を繰り返したとしても。
「本当にあなたの勝ちだと思っているのですか?」
 レイテは冷たくガランを見下ろした。
「僕がこのまま、指をくわえて見ているとでも? 僕にだって矜持はあります。あなたに良いように踊らされて、終わるなんて信じているわけではないでしょうね」
 そう告げたレイテの表情には余裕があった。
「お前っ! 暴走を止める気かっ!」
 ガランは反射的に起き上がろうとした。
 暴走を止められてしまっては、まだここに魂が居残っている身体から解放されることはない。しかし、既に両腕を失っていたガランはレイテを睨むことしか、できない。
「止められるわけがないっ!」
「僕を誰だと思っているのです? 偉大なる不死の魔法使いですよ。不可能なんてあるわけないでしょう」
「先生、できるのっ?」
「弟子の君も疑っているのですか?」
 胸の中で疑問視するルーをレイテは半眼で睨んだ。
「う、あ、いえ……そんな」
 既に飽和状態である魔力にルーの感覚は狂わされていた。それほどに、把握しきれない膨大な力だ。人に操れるレベルのものだとは思えない。
(……幾ら、先生でも……)
 戸惑いが無意識に伝心魔法となって、ルーの不安をレイテに伝える。少女を安心させるように、レイテは説明した。
「魔力にちゃんとした方向性を与えてやれば良いのです。押さえ込もうとするのではなく、指針を与えてやればそれは魔法の形となって収まります」
 ルーを片腕に抱きながら、レイテはもう片腕を中空に伸ばした。何かをつかむように動かすその手を止めたのはガランの声。
「お前、千年生きてきて、死にたいなんて考えたことないのか?」
 意識がそらされ、レイテは舌打ちした。そして、ガランに向き直る。
「…………ありますよ。それこそ、数え切れないぐらいにね」
「ならば、暴走を止めようなんて考えるなよ。この力なら、お前も死ねるぜ」
 レイテの魔力を上回る魔力の暴走に、結界もなしに巻き込まれたら、それこそ間違いなく死があるだろう。
「…………なるほど」
 ガランの魂が解放されるように、レイテもまた死を迎えられるかもしれない。
 千年という月日を繋ぎとめた魔法陣を今ならば、壊せるか?


 沈黙したレイテにルーは「そんなの駄目」と言いかけて、喉の奥で言葉を凍らせた。
 自分の存在が、レイテの重荷になることを知ってしまったルーには、自分のために生きて欲しいなんて言えなかった。
 雪竜の山では、一緒に生きて、と言うことに何の躊躇もなかった。
 二人でいられるのならば、幸せになれるのだと信じていた。
 でも、今回の一連の騒動でレイテが生きてきた千年の月日が、ルーが考えていた以上に過酷で辛いものであることを知った。
(沢山の人が死んでいくのを先生はその目で見てきたんだ)
 人々の争いの歴史を、その罪を。
(先生には関係なくて……でも、先生はそれすらも背負おうとするから……)
 生きるということは果てしなく辛くて、悲しくて。
 ルーはレイテの胸にしがみつく。
(生きて欲しい。ずっと、自分と、一緒に……)
 そう言いたいのに、言葉が声にならない。
 レイテをこの世の全ての苦しみや悲しみから、守れるだけの力があれば迷うことはなかった。でも、自分の無力さを見せ付けられてしまったルーには、生きて欲しいと願うことがわがままに思えた。
 今までなら、わがままも平気で言えたけれど。
 もう、自分の思いだけを突きつけることはできない。あまりにも多くのことを知ってしまったから……。
(だけど、やっぱり……)
 生きて欲しい。辛くても、悲しくても、自分も一緒に我慢するから……。
(一緒に生きたいよ……先生……)
 レイテが深いため息を吐き出した。
「…………僕が死を望むことはこれから先、幾らでもあるでしょうね。この子との別れはそれこそ、約束があっても数え切れないほどにある」
 生まれ変わって、再び出会っても、ルーには寿命がある。レイテは、何度も何度もルーの死を見送ることになるのだろう。
「──だったら」
 ガランの声に、レイテはフッと笑う。
「でも、僕は約束しました。この子のために生きると」
「馬鹿じゃねぇ? たかだか、ガキの一人にっ! こんなチャンスなんて、もうないぞ。それでも、お前は生きるってのかっ? 汚い人間の世の中をっ!」
「人は愚かですし、残酷でもある。きっと、生き続けていれば、傷つけられるし、汚されることも沢山あるでしょう。現に僕の名前は悪評に汚されてしまっている」
「……先生」
 レイテにしがみ付いて、ルーは祈る。
(死ぬなんて、言わないで……)
 声にすることはできない。けれど、この思いを聞いて欲しい。
「だけど、僕はこの約束がある限り、どんなに暗い闇の中でも、僕の行く道を照らしてくれる。それならば、僕は歩き続けることができます」
「先生……」
 見上げたルーにレイテは優しく微笑んだ。
「ルー、もう一度、約束してくれますか?」
「はい。先生のために、俺は何度だって生まれ変わります。きっと、思い出して、先生を見つけて、ずっと側にいる。先生が辛いとき、悲しいとき、俺も一緒に我慢する。だから、俺と一緒に生きて……」
「嘘ついたら針千本ですよ?」
「嘘なんかついてないから、怖くないんだ」
「ならば、生きましょう。僕は君のためだけに」
 レイテは力強く頷くと、再び手を伸ばした。


 赤く傷だらけの指先に膨大な魔力を感じる。それは一瞬で世界を滅ぼしてしまう破壊の力。
(ですが……魔法は、人を傷つけるためにあるわけではないでしょう?)
 開いた指先に魔力を凝縮させていく。それはやがて眩しい光の集合体へと変わっていった。
 ガランが自らの胸を貫くために、その力を使ったが……。
 人は罪を犯すし、裏切る。それと同時に、人を信じて、愛することもできる。
 光があれば、闇があるように……絶望があるから、希望もある。
 破壊する力は、救いの力にもなるのなら……。
(僕が選ぶのは、生きていくための希望の光。この力は……人を傷つけるためではなく、救う力になれ)
 レイテは手の平に集めた魔力を魔法へと転化すべく、魔法陣を思い描く。


 一点に凝縮された光が、破裂するように拡散した。
 視界が一瞬、真っ白に染め上げられる。
 グレースはあまりの眩しさに目を閉じた。
(何だ、これ? ……まさか、これで終わりなのかっ?)


 レイテの胸の中で、ルーもまた目を閉じた。
 まぶたを瞑ったはずなのに、目の裏が白い。暗闇ではなく、何もない真っ白の世界。
(怖いっ! 先生っ)
 ルーは手探りで、レイテの存在を確かめ、彼のシャツを握る。
 頬に触れたレイテの体温がある限り、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせる。
(だって、先生は約束してくれた。俺のために生きてくれるって……。だから、大丈夫なんだ)


 カツカツと靴音が近づいてきて、側で止まった。何事かと目を開けるガランの額に、白い指先が触れた。
 指先から辿った先にあるのは、レイテの白皙の美貌。ガランの漆黒の瞳を覗き込むように顔を寄せて、彼は言った。
「人が犯した罪を許してくれとは言いませんよ。人はいずれ、その咎をその身に受ける日が来るでしょう。この過ちの歴史を知り、その愚かさを認識しない限り、また同じ過ちを繰り返す、その危険性は存分にある」
 今現在も大陸の中で小競り合いを続けている国々がある。
 魔法戦争の悲劇を繰り返したくないというレイテの願いとは裏腹に、人々の中から争いはまだ消えない。
 いつかまた、人が強大な力を得たら、第二の魔法戦争が起るのではないだろうか。
(そんなことは、僕がさせない)
 心に誓いながら、レイテはガランに語りかけた。
「だけど僕はまだ、人が滅ぶに値する存在だと認めたくはないのです。人は傲慢で、僕のことを理解しようともしない。ですが、全ての人、皆が皆、傲慢ではないし、愚かでもない。何より、僕のことを選んでくれたあの子が生きる世界を、生まれてくる世界を、僕は守りたい。だから、あなたの望みは叶えてあげられない」
「馬鹿がっ!」
 怨嗟の声を吐き出すガランに、レイテは悲しげに微笑んだ。
「それで構いません。どうか、僕を恨んでください。あなたの誇りを踏みにじる僕を」
 人の手を借りて、魂を解放されることほど、ガランにとって屈辱的なことはないだろう。
 結局、彼は人間たちの手の平にもてあそばれ、翻弄される運命にあったのだ。
 ドラゴンとしての最後の誇りすらも、人の手に汚されて。
「僕はこの罪を背負って生きます。あなたを殺すという罪を。罰は僕一人が受ければいい」
 そうして、レイテはガランに施された魂転換の魔法を解呪した。


 グレースは右手の平に巻いた包帯代わりのシャツの袖を解いた。
 手の平に開いていた穴が塞がっていた。指先を包み込み、拳を握る。痛みは一つもなかった。
「これは……さっきの?」
 問いかけるようにグレースが目を向けると、レイテは無言で微笑んだ。
 <破壊巨神>が増幅した魔力をレイテは生命魔法に転化して、放った。
 白い光は、世界を包む。この日、優しい光に包まれた世界で、命を救われた人間の数をレイテは知らない。知らなくて良いことだと思う。
 自分は神になるわけじゃない。いつも奇跡を起こせるわけじゃない。
 瀕死の重傷だった人間が、突然、怪我が治ったことに驚いて、外に出た途端に何かの事故に巻き込まれ命を落とすかもしれない。
 運命なんて誰にもわからない。奇跡なんて、偶然だ。
 一人一人が自分の命に責任を持って、そして、他人のことに思いやりを持てたのなら、今回の奇跡は必要ない。
(生命魔法は……病に対しては効かない)
 本当は、病を癒す魔法を構成できたら良かったと思う。
 その奇跡を望む者は数え切れないほどいるだろう。レイテ自身も死の床で苦しんでいた過去は今も鮮やかに思い出せる。
 生き延びたいと切実に願った、あの頃の思いの強さは今のレイテにはないけれど。
(それでも、生きていこうと決めたこの心は本物です)
 だから、魔法は成功したのだろう。あれだけの大口を叩いていて、本当のところ、膨大な魔力を制御し切れるのかわからなかった。けれど、胸に抱いていたルーと交わした約束が、レイテに力を与えてくれたから。
「先生」
 物思いにふけっていたレイテの手を引いて、ルーは言った。
「帰ろう」
 その一言に、全てが終わったのだと知る。果たして、この結末が良かったのか、レイテにはわからない。
 もしかしたら、人はまた、過ちを繰り返すのかもしれない。
 そのとき、今日の行いを後悔するのではないだろうか? 人を救おうとしたことの愚かしさに、絶望する日が来るのではないだろうか?
(…………ならば、繰り返さないように努力すればいい)
 レイテが目を向けた先、ルーは満面の笑みを浮かべた。
(この笑顔を守るためなら、その努力も惜しくはないですしね)
「そうですね。帰りましょう」
 笑顔で応えたレイテにルーは大きく、うんうん、と頷いた。


 グレースもまた、終わったことを実感した。
 本当は考えなければならないことは山ほどあるだろう。
 ライラがガランに捨て駒にされたこと……レイテの推理を聞いていて、ガランがライラを利用したのは魔法を制御できないが故に、第三者によって魔法による火災を演出しようとしたからだろう、とグレースは推測する。
 彼自身がレイテ・アンドリューを名乗り火事を起こしていたら、町長の屋敷だけではなく街全体に広がる火災となっていたかもしれない。
 ガランにとって、自分が死んだ後、人が滅ぶ分にはどうでも良かったのだろう。
 ただ、自分の意志で何かを成すとき、そこに復讐という名目が与えられることだけは避けたかったに違いない。他人の目には復讐劇に見えても、彼自身には復讐であってはならなかったのだ。それが、恐らく、レイテの言うドラゴンの誇りなのかもしれない。
(……やっぱり、よくわからないが……)
 低く息を吐いて、グレースは顔を伏せる。
 そして、ガランは声を掛けてきたライラの恋心を利用して、レイテの偽者をいかにも本物らしくフラリスの街の住人たちに見せ付けた。
 結局、騙されたライラが全て悪かったのだろうか?
 グレースはそう考えて、答えに迷う。ガランの行いはやはり理解できない。けれど、全てが終わった今は、ガランを完全に悪として見なすこともまた、グレースにはできなかった。
 人が犯した罪。その代償。そう言ってしまえば、それまでなのかもしれない。
(けれど……ライラだけが悪いわけでもない)
 もっと、自分たちが噂に翻弄されずに、レイテ・アンドリューというその人を見ていたら……生贄事件はそもそも成立しなかったわけだ。
(何が正しくて、何が間違っているのか……)
 それをわきまえていたら、ライラも過ちを犯す前に思い止まれただろうか?
 考え出せばきりがない。本当に山ほどの課題がある。
 街に帰ったら、町長や町の皆と話し合ってみよう。レイテのことだけじゃなく、他のことも色々。
(でも、今は……)
 グレースは顔を上げた。今ここに生きているということ、明日が続くという感慨に浸りたい。そう心から思い、歓喜の声を上げる。
「そうスッね! 帰りましょう! オレ、腹が減ったスッよ」
 陽気なその声に、レイテは歩き出した一歩を止めた。
「そういえば、君たち二人は今晩の夕食は抜きでしたでしょう」
 一瞬、何を言われたのかわからない弟子たちは顔を見合わせた。そして、アルステルドの荒廃した街に足を踏み入れたときのことを思い出して、青くなった。
「…………あ、あれはグレースさんが悪いのっ!」
 ルーはレイテと繋いでいた手を解くと、グレースを指差し訴えた。
「なっ? また、オレのせいにするスッか? 違うスッよ。嬢さんスッ。嬢さんが若様に怪我させたスッよ。オレは無実スッ」
 再び、互いに責任を押し付けあう二人にレイテは呆れた。
「……二人、仲良く喧嘩していなさい。僕は一足先に帰りますよ」
 付き合っていられないと、歩き出すレイテに二人は慌てた。
「待って、先生っ!」
「ぎゃあああっ! こんなところに置いてかんでくださいスッ!」
 ルーとグレースは──グレースとしては移動魔法をまだ習得していないわけだから、ここに置き去りにされたら死んでしまうという危機感がある──レイテの背中に飛びついた。当然、二人の体重を受けた身体は二本の足では支えがたく、レイテは床に頭から突っ込む形で転倒した。
「……………あっ」
 弟子たちの下で潰れた師匠に、ルーとグレースはこの後、三時間の説教を食らった。
 当然、夕食は食べさせてもらえないだろうと、ルーとグレースは覚悟していたが、レイテは寛大なる慈悲の心を発揮してやった。
「さあ、晩御飯です」
 そう言って、食卓のテーブルに並べられたのはコップ一杯のミルクと先日、レイテが菓子作りに挑戦して作った石のように硬いビスケットが一枚。噛み砕くのに一苦労するそれらを半泣きになりながら食する弟子たちの前で、レイテは豪華なディナーを楽しんだ。
(やっぱり、この人は鬼だ……)
 ルーとグレースは共通の思いを胸に抱いて、その日を締めくくった。


 結局は、いつもの日常に舞い戻る。
 平凡な毎日。これから、ずっと続いていくのだろう。
 でも、それで悪くないとレイテは思う。
 何故ならば、手を伸ばせば届く距離に……君がいるから。


                                「黒の物語 完」

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