トップへ  本棚へ


 49,ジョナサン殺害事件



 彼は変わった人間だったと、記憶している。
「なあ、生まれ変われるとしたら、今度はどういう生き物になりてぇ?」
 穏やかな日差しが差し込んでいる日向の窓辺に、もたれ掛かった少年はジョナサン・クール。十六歳。
 レイテの魔法学校での学友だった。短髪の黒髪に、濃紺の瞳の、日に焼けた健康的な肌の少年の姿は今も鮮やかに思い出せる。
 両親から受け継いだ桁外れの魔力のせいで、特別視されていたレイテに臆することなく近づいてきたジョナサンは、それだけで十分に変わった人物であったと、レイテは今、思い返してみても、彼に対する認識がかわることはない。
「生まれ変わりですか?」
 レイテは教室の自分の席で広げた本を読んでいた。水色の瞳は紙の上の文字を追いながら、耳と口で友人と会話していた。
「最近、話題になっているじゃん。前世の記憶っていうの。あれ、ホントだと思う? ホントだったら、自分の前世は何だったとか考えねぇ? 次に生まれ変わるとしたら、とかさ」
「輪廻転生論ですか。最近、その手の書物を読みました。興味深い内容だと思いますが、自分については考えたことはないですね」
「今、考えてみたら、どーよ?」
「…………そうですね。生まれ変われるとしたら……植物ですかね。樹齢何百年を数える木とか、よいと思いませんか?」
 レイテはジョナサンに視線を返して、言った。
 この数年後、まさか不死の人間になるなど予測もしていなかった自分がおかしい。
「何で、木なわけ?」
 パチパチと目を瞬かせて、ジョナサンは驚いた顔を見せた。
「それは……」
 答えようとしたレイテは発作に襲われ咳き込んだ。激しい咳の後、レイテは吐血した。
「大丈夫かよ?」
 ジョナサンが窓辺から、レイテの元に飛んでくる頃には、呼吸も元に戻っていた。
「え……ええ、大丈夫です」
 ハンカチを取り出し、血に汚れた口元をぬぐってから、レイテは心配そうにこちらを見ている友人に笑顔を返した。
「まあ、こういう体質ですから……。動物ですと、病とかに悩まされそうで嫌なのですよ。植物にも病はあるでしょうがね」
「お前、変わってんな」
「そうですか? 普通じゃないですかね」
 小首を傾げたレイテに、「絶対、変わってるって」とジョナサンは力説する。
「普通さ、男だったら女になりたいとか、女だったら男になりたいとか、そういう答えだろ?」
「では、ジョナサンは女性に生まれ変わりたいのですか」
「あー、俺は女には興味あるけど、女にはなりたくないね。だって、女になっちまったら、女の身体に興味なんてなくなってるじゃん。そんなのつまんねーよ」
「……君が女性好きと噂される理由がわかった気がしますよ」
 レイテは、一部で女好きのスケベと評判になっている友人に、微かなため息を吐いた。
 この友人は魔法学校の生徒が収容されている学生寮の男子寮を抜け出して、女子寮へ覗き行為に入って監督官に捕まった経験を持っていた。
 結界が張られているところへ覗きにいくこと自体、間違っているのだが、ジョナサンは頭で考えるより行動が先にたつタイプらしい。
「何よ、レイテは女が嫌い?」
「嫌いではありませんよ。僕だって男ですから、美人を見ればちょっとドキドキしてしまいます」
「お前、美形好みだったな。文字学のセンセが好きだって、言ってたっけ?」
「カリナ先生ですね。ジョナサンは嫌いですか?」
 魔法文字についての教科担当の教師は美人で評判だった。レイテはどんな女が好みかという友人たちの会話に、その教師の名前を挙げていた。
「嫌いじゃねぇよ。あのセンセ、胸があるし、スタイルいいし」
 ジョナサンの発言に、レイテは彼と友人関係を結んでいることに少しばかり疑問を覚えた。
 彼の言動は女好きを隠そうとしない。それは良いのだが、彼と同類に見られるのはちょっと困る。
 レイテとしてはあくまで、好みは? と聞かれた際、カリナ女教師の顔が浮かんだのでその名前を口にしただけで、特別な感情もなければスタイルにこだわったわけでもない。
 造作が整っていた女教師の顔を綺麗だと思い、それは絵画などを愛でる感覚に似ていただけだ。
「ジョナサンは女性であれば誰でも良いのではありませんか?」
「あ、鋭い」
「………………」
 やっぱり、この友人は変わり者だった。
 レイテはため息をついて、話題を戻す。
「それで、ジョナサンは何に生まれ変わりたいのですか?」
「うん? あ、ゴキブリとかよくねぇ?」
「…………………………は?」
 聞こえた単語に耳を疑う。
「ご、ゴキブリですか?」
「うん。それだったら女子寮で覗き放題じゃん」
(神様、彼の空っぽの頭の中に脳味噌を入れてあげてください)
 レイテは心の中で、友人の将来を心配し、神に祈った。


 それは懐かしい夢だった。
 まだ、不死の命を得る前の、少年の頃。
 起き上がれるぐらいの体力はあって、魔法学校の寮で生活していた。その一年後、本格的に体調を崩してからは退寮して、城で殆ど寝たきりになってしまったが。
 以来、ジョナサンとは会っていない。
 後に噂に聞いたところでは、魔法実験に失敗して命を落としたとのこと。享年十九歳というから、死の床についていたレイテより先に死んだことになる。
(長生きしそうな感じだったのですけど……)
 レイテはあくびを一つこぼした。
 日向に背を向けて本を読んでいて、ウトウトしていたらしい。約千年も昔の出来事を夢に見るなんて、久しぶりだった。
 うーん、と背伸びしてレイテは思う。
(ジョナサンは……望み通りにゴキブリに転生したでしょうかね?)
 それは恐らく、ジョナサンの冗談だったのだろう。しかし、魂が必ず人から人に転生するとは限らない。もしかしたら、本当にゴキブリに生まれ変わっていたりして。
(ルーに冗談で、あの子が死んだ後はゴキブリもナメクジも殺せないと言いましたが……)
 レイテは椅子から立ち上がり、部屋を出る。そろそろ、夕食の準備をしなければならない。一応、ルーに下ごしらえの準備をさせていた。ちゃんと、やっていれば良いのだが。
 不安を覚えながら、台所を開けると……。
「《ゴロゴロピッシャンっ!》」
 鈴の音のような声が、張り上げた掛け声と共に、雷鳴が轟き、蒼い稲妻が走った。
「…………な、何をしているのですか、君は」
 仰天して、戸口で固まってしまったレイテは理性を取り戻し、弟子に問う。
 稲妻を発生させたルーは鍋を片手に、振り返った。
「あっ、先生。見て見て、一発で仕留めました。これって結構、凄いでしょう?」
 棒立ちになっているレイテの手を引っ張ると、ルーは稲妻を落とした床の一部を指差した。そこにあったのは……。
「ジョナサンっ!」
 雷撃を受けて真っ黒に炭化したゴキブリの死体に、レイテは友人の名前で呼びかけていた。
「ジョ……ナサン?」
 ルーは不思議そうに小首を傾げる。
「あ、いえ。何でもありませんよ」
 レイテは取り繕いながら、床のゴキブリの死体をつまみ上げた。友人の転生した姿だと思えば、嫌悪感はなかった。むしろ、息を吹きかければチリと化してしまいそうなその姿が哀れでしょうがない。
「何てこと……ジョナサン……」
 ハラリ、涙をこぼすレイテをルーは気味悪そうに見上げていた。


 レイテはジョナサンの死体を菜園の片隅に作ったピクルルちゃんの墓の横に作り、丁重に葬った。
(折角、再会できたと思いましたのに……。弟子の行いを許してください)
 そう懺悔し、レイテはジョナサンの墓を後にする。台所へ戻り、ドアに手を掛けると内側からルーの声が聞こえた。
「どうしよう、グレースさん。先生がボケちゃった!」
 レイテは思わず、台所のドアに頭を突っ込みそうになった。ギリギリで踏ん張って、前のめりになった身体を支える。
「若様がボケたぁ?」
「そうなの。ゴキブリにジョナサンって名前をつけているんだよ? これって完全にボケちゃってるよね」
「うーん。それはもう末期スッね」
「やっぱり、千年も生きていたらボケちゃうよね?」
「そうスね……若様もいいお年だから、ボケちゃうか」
「どうしよう。先生、ボケちゃった〜」
 好き勝手なことをほざいている弟子たちに──大体、この天然馬鹿二人にボケているなどと言われたくない──レイテはドアを開けながら、

「僕はまだ、ボケてませんっ!」

 彼が声を張り上げると同時に、足元でバサリと音がした。目を落とすと床に本が落ちていた。
 背表紙のタイトルは「夢で会えたら」
 先日、手に入れた小説だ。内容はどうということはない、死んだ人間と夢の中で再会するという、タイトル通りの話だった。途中で退屈して、ただ文字を追うだけになっていた。それでいつの間にか眠ってしまったらしい。
 書庫にはレイテ一人。ルーは今頃、掃除に精を出している頃だ。グレースはフラリスの街への帰郷準備をしている。
 レイテは自分の現状を把握する。
(夢の中で過去の夢を見ていたわけですか?)
 ボケはボケでも、寝ぼけていたようだ。
(は、恥ずかしい……)
 声を張り上げてしまった自分が堪らなく恥ずかしくて、レイテは誰も見ていないというのに赤面した。
 そそくさと、本を拾い上げると書棚に戻し、レイテは書庫を出た。
(……それにしても、ジョナサンの夢を見るなんて。彼は僕が出会った中で、それこそルーの次に変わった人だったわけですが)
 夢に出るなんてことは一度もなかった。これは何か、虫の知らせというものなのだろうか?
(もしかして、本当にジョナサンがゴキブリに転生しているのでは? いや、そんなことは……)
 本当にないとは言いきれない。人がどのような形で生まれ変われるのかなんて、誰にも保障されていないのだから。
 ルーにそれとなく、注意を促したほうが良いのだろうか?
 ゴキブリを殺すなと?
 とはいえ、衛生上、ゴキブリがうろつくというのは好ましくない問題だ。
(掃除はまめにしていますが、城内の広さからすれば完璧とは言いがたいですし)
 どこかにゴキブリが紛れ込んでいる可能性もある。
(最近は見かけませんが……いるのでしょうね、やはり)
 馬鹿なことで悩んでいる、という自覚はあった。しかし、千年前にジョナサンと交わした会話は本物だった。
 ゴキブリになりたいだの、透明人間になりたいだの、それは女子寮を覗きたい願望から来ていたのだろうが。彼のことだ、その欲望を叶えたかもしれない。
 何しろ、ジョナサンが死に至った魔法実験は肉体の透明化魔法だったというのだから。
(本当に……生まれ変わっているのかも……)
 こめかみに、冷や汗が流れてきたところで、廊下の前方からルーが凄い勢いで走ってくるのが見えた。
「…………?」
 首を傾げ、何事かと注視していたところ、黒い物体がレイテの前に迫ってきた。
 顔にぶつかる寸前に、レイテは手の平でそれを叩き落す。
 皮膚に触れた感触に、ギョッとなって床を見ると仰向けに倒れたゴキブリが一匹。
 ヒクヒクと足を痙攣させたゴキブリは二秒後、追いついてきたルーが手にしていたホウキで叩き潰され、昇天した。
「…………あ」
 ……ジョナサンと、呼びかけようとした声を、レイテは喉の奥で堪えた。
 その後、レイテは友人の転生体を殺してしまったのではないかと、苦悩した。
 しかし、三日目に新たなゴキブリを発見するに至り、悩むのは止めた。
 ジョナサンの欲望が本物だったのなら、彼はきっとまた、ゴキブリに生まれ変わるだろう。
 そうだ、きっと……。
 …………そういうことにしておこう。


 前へ  目次へ  次へ