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 50,美味しいハンバーグの作り方


 レイテとルーはグレースの部屋を訪ねる。ガランとの決着をつけた彼は今日、フラリスの街へ帰ることになっていた。帰ると言っても、この数日に、グレースはレイテから移動魔法を習っていたので、また、直ぐに顔を出すだろう。
「グレースさん、荷造りは終わりましたか?」
 開けっ放しにされたドアに訝しげながら、レイテはグレースの部屋を覗く。すると、彼はテーブルの上に置かれた皮袋を眺め、うーんと唸っていた。
「グレースさん、何しているの?」
 ルーがレイテの後ろから覗いて、首を傾げる。
「さあ……」
 言いながら、レイテはテーブルの上の皮袋を手に取った。
「あっ! オレの全財産っ!」
「えっ?」
 レイテは目を丸くした。手にした皮袋は軽い。中身が入っていないのではないかと思うくらい軽かった。中を覗いてみると金貨が一枚、入っている限りだ。
「……全財産?」
 水色の瞳を瞬かせ、レイテは呆れ顔でグレースを見下ろした。
「い、いや……一応、まあ」
「あなた……金貨一枚であと何日、生活するのですか?」
 この大食漢の一日の食事にかかる食費は如何なものか。金貨一枚なんてあっという間に使い果たしてしまうだろう。
「次の給料日は十日ほど先スッから……」
 グレースはレイテから視線を逸らしつつ、答えた。
「死ぬでしょう」
 レイテは嘆息を吐きつつ、宣告した。
 ギャーっと頭を抱え、グレースは悲鳴を上げる。
「言わんでくださいスッよ! 今、現実から逃げてたんスから。しかも、こっちに来ている間の給料は当然支払われなくって──仕事放棄しているスッから、しょうがないスッが──来月の給料なんて今月の半分なんスよっ! どうします?」
 涙目でグレースが詰め寄ってくる。
「そんなこと僕に聞かれましても、困ります」
「若様、このままオレをここに置いてくださいスッ!」
「それこそ、自警団のお仕事はどうするのですか?」
「ここから、通うっていうのはどうスッか?」
「ご自身で、それが可能だと思っているのですか?」
 レイテの冷たい視線で返されて、グレースは頭を垂れた。
「やっぱり、駄目スッよね……」
 通うことは可能だろうが、緊急時にこちらへの連絡手段がないのが問題だった。自警団の団長という立場から、夜中に叩き起こされるのは稀ではない。そういう場合に常に居所を知らしめておく必要があった。連絡がつかないと困るのだ。
「どうやって……生きていこう」
 グレースはレイテから財布を受け取って、金貨を取り出した。この一枚に、自分の命が掛かっていると思うと物凄く重たい。
「貯金はないのですか?」
「あー、そういや、家のベッドの下にへそくりがあったスッよ。金貨二枚っ!」
 バンとテーブルを叩いて立ち上がったグレースは嬉々とした笑顔を覗かせた。
 しかし、レイテの呟きに膨らんだ希望はついえる。
「……微妙な額ですね」
「う、やっぱり……足らないスッかね?」
「そうですね。自炊に励めば、何とかやりくりできるのではありませんか」
「じ……自炊スッか?」
 表情が強張るのをグレースは自覚した。両親が死んで、一人で暮らしていくとなって、自炊に挑戦したのだが……。
「無理スよ。……オレ、料理は全然できないスッ!」
「諦めるのですか? あなたらしくもありませんね」
 やる気だけで魔法を短時間でマスターしてしまったグレースの諦めの速さに、レイテは目を見張る。この自警団の若頭はやると決めたら、とことん頑張るというような、イメージを持っていたが。
「……殺人シェフなんて言われたら、誰だって自重するスッよ」
「殺人シェフ?」
「グレースさん、人を殺したのっ?」
 驚いた声を上げるルーに、グレースは傷ついた顔を見せた。
「ま、まだ、殺してないスよっ! ちょっと試食させた自警団の奴を医者送りにしたのは認めるスが……三ヶ月の入院生活で、奴も復帰してきましたし」
「…………あなたの料理って」
 どんなに料理の才能がない人間でも、そこまで酷い料理を作るなんてありえるのだろうか?
「……わかりました。僕が、あなたに料理を教えましょう」
 レイテはフッと息を吐いて言った。キョトン、とグレースは師匠を見上げる。
「料理の基本ができていないから、殺人料理など作ってしまっただけですよ」
「そうスかね?」
「僕が教えるのです。できないことなど、ありえませんよ」
 そう、レイテに偉そうに言われると、根拠もないのにできそうな気になるから不思議だった。
「はいっ! 頑張るスッよ」


「まずは、定番どころでハンバーグなど作ってみましょうか。今回は味付けにはこだわらずに、シンプルに作ってみましょう。まずは、タマネギをみじん切りにしてください」
 差し出されたタマネギをグレースは受け取る。
「切るのは任せてくださいス。華麗な包丁捌きを見せるスッよ」
「わー、頑張ってね、グレースさん。でき上がったハンバーグは俺が食べるからね。美味しく作ってよ」
 そうルーに応援されて、グレースは意気揚々とタマネギの皮を剥いた。
「任せるスよ、嬢さん。今日限りで殺人シェフの汚名は返上するスッ」
 しかし、三分後、瞳から滝のような涙を流すグレースに、レイテとルーは沈黙した。
「うっうっうっ…………ううっ……うっ」
「あの……全然、切れていませんし。といいますか、実を全て剥いてしまって、そんな小さな芯を集めて、みじん切りしても分量には全く持って足りませんし」
 呆れるレイテの手にある小皿には、幾ばくかのタマネギのみじん切り。まな板の上にはタマネギの皮が──グレースが皮だと思って、ひたすら剥いたタマネギの実が──山のようにある。
「茶色い部分を剥けばよいのですよ。あの……何を泣いているのですか?」
「目が痛いスッよ」
「……まあ、それは……慣れるしかありませんね」
 レイテはため息を吐くと、ハンバーグに必要なタマネギのみじん切りを、グレースに変わって用意した。
「では、気を取り直して、次に行きましょう」
 レイテはフライパンとバターを取り出した。
「これは好みの問題で、別に炒めなくても良いのですがね。僕が参考にしたレシピには、炒めるように書いてあったので。バターで先程、みじん切りにした玉ねぎをあめ色になるまで炒めてください」
「炒めるスッね? わかったスよ。それぐらい、簡単スッ」
 コクコクと頷いたグレースはフライパンを受け取り、火にかけた。
「では、炒め終わったら皿にでも移して、冷ましておいてください。ルー、その間、僕らはつけ合わせにするニンジンとジャガイモを菜園から取ってきましょう」
「はーい」
 仲良く出て行く師弟を見送って、グレースは熱くなったフライパンにバターを落とした。
 そして約十分後、菜園から鮮やかなオレンジ色をしたニンジンと、丸々と育ったジャガイモを抱えて戻ってきたレイテとルーは、台所一杯に立ち込めた煙に目を見張った。
「ぐ、グレースさん?」
 煙が立ち上るフライパンを睨みつけるグレースにレイテは慌てて声を掛けた。
「何をしているのですか? 焦げているじゃないですかっ!」
「わ、若様……あ、あめ色って、どんな色でしたっけ?」
「……え?」
「水あめみたいな色スッか? 透明になるのかってじっと見ていたスッが……」
「……じっと? あの、かき回してはいないのですか……」
「かき回す……?」
 眉頭に皺を寄せたグレースに、レイテがフライパンの中を覗けばタマネギは炭化していた。
「……グレースさん、次に作るときはタマネギを炒めるのは止めましょう。細かく刻んでいれば、ハンバーグを焼いたときに火が通りますからそれで大丈夫ですし」
「はあ……」
「では、再度、気を取り直して……つなぎを作りましょう」
 レイテは食パン一斤とミルクのビンを一本、テーブルの上に置いた。
「パンをけずって、ミルクにひたします。まあ、この手順は簡単ですね。グレースさん、やって見てください」
「あ、はいスッ」
 グレースはパンをおろし金でけずり、生パン粉を作ったそこにミルクを一本、あける。
「……あ」
 レイテの口から漏れた声に、グレースはビクリと肩をそびやかした。
「な、何スか? 何か、失敗したスか?」
「……まあ、僕の指示が至らなかったのでしょう。ミルクを入れすぎです。パン粉がひたるぐらいで良いのです」
「はあ……」
「しょうがありません。ルー、こちらに」
「何ですか?」
 トコトコとやって来た弟子にレイテはにこやかに微笑むと、グレースが失敗したハンバーグのつなぎをボールごと、少女の前に置いた。
「今日のおやつです」
「…………先生」
「食べ物を粗末にしてはいけません。ああ、先程、グレースさんが君のために作ってくださったタマネギの炭化クッキーをつけましょう」
 レイテは焦げ付いたフライパンをバン、とテーブルに叩きつけた。その拍子になべ底に張り付いたタマネギの炭化クッキーが──クッキーではないけれど──引き剥がされた。
 カチコチに固まった炭を皿にのせて、レイテはボールの横に並べる。
「さあ、食べなさい。食べないと、もったいないお化けが出てきますよ」
「…………い、いただきます」
 後光を背負った眩いまでの笑顔に促され、ルーは半泣きでまずいことこの上ないおやつを完食した五分後、お腹を抱えて台所から出て行った。


 レイテの冷たい視線に見守られ、グレースはつなぎを作り直す。一分にも満たない作業時間だが、精神的には一時間にも二時間にも感じられた。背中が凍えるように冷たい。
「では、これからが本番です。ひき肉に塩、コショウで味付けしてください」
「はい」
 グレースは塩が入った小瓶を手にすると、それをボールの中に全てぶちまけた。
「……あ」
 再び、レイテの口から漏れた声に、グレースは自分の失敗を悟った。
「…………もういいです。そのまま、続けて」
 レイテは額を抱えながら、グレースを促した。
「え? でも……」
「食材を無駄にすることは僕が許しません。でき上がったあかつきには、きっちりあなたの責任において処理してください」
「…………えっと」
「味付けが終わりましたら、卵と炒めたタマネギ……今回はタマネギがないので省きましょう……それにつなぎを入れて、よくこねてください」
「は、はい……」
 三十分後、炭化したハンバーグを眺め、レイテは言った。
「あなた……才能ないです」
「オレは若様のお言葉通りに作ったスッよ?」
「卵を殻ごと入れろとは言っていません」
「卵なのに…………」
「普通、殻を割って中身を入れると思うのですが?」
「いや、こねているうちに、殻も細かく潰れるかと……」
 グレースはハハハッと笑って見せるが、レイテの氷のような視線に、三秒後沈黙した。
「それに、豚肉が入っているので、完全に火を通すようと言いましたし、多少、焦げ目がつく程度に焼いたほうが良いと言いましたがね。真っ黒に焦がせ、とは僕は言っていません」
「うっ」
「それと、フライドポテトを揚げている途中で席を立つとは何事ですか? 僕がたまたま、覗いたから良かったものの。下手していたら大火事ですよ?」
「いや……オレも嬢さんのことが心配で」
「ルーの心配より、ご自身の心配をなさい。自炊できなければ、外食代で金貨三枚なんて、あなたの胃袋では三日で消えますよ?」
「あうっ」
「それに、ソースもまずい。どうしたら、こんなまずいソースが作れるのですか? しかも、この異臭……何を入れたのです?」
 レイテは小指で味見をしたソースに顔を顰めた。舌がピリピリとする。
「材料も分量の配分がわからないスよ。若様に適当で良いと言われたから、オレは……」
「あのですね。お菓子作りをするのならともかく、料理の分量なんて好みによって、それぞれ違ってきます。だから、味見をするのですよ。そうして、調味料は少しずつ調節していくのです。あなた、味見はしましたか?」
「…………怖くて、できないスッよ。そんな、味見なんて、恐ろしい」
「グレースさん、あなたは自分が食べるのだということを失念しているでしょう」
「…………あっ」
 こうして、グレースのフラリスの街への帰郷が一週間延びたのは、果たして誰の責任であったのだろうか……。

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