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 55,永遠の誓い


 季節は巡り、春が来た。
 穏やかな陽光を一杯に受けた花々は、この日を祝福するように色とりどりの花を咲かせて、舞台を輝かせていた。
 フラリスの街の中央広場に作り上げられた祭壇。沢山の花を飾り、そこから延びた赤い絨毯の上を純白のドレスに細やかな花の刺繍をあしらったベールを被った花嫁が、父親の手に引かれて歩いていく。
 祭壇に待つ、花婿の下へと。
 広場に集まった街の住人たちは今日の主役となる二人に祝福の笑顔を送る。
 その中から一際、歓喜に極まった声を上げる赤毛の少女が一人。
「──キャャャャャッ!」
 鈴の音のような声を響かせて、叫ぶ。
「お姉さん、キ・レ・イっ! ス・テ・キ〜っ!」
 周囲の顰蹙の視線を買っても、全く気付かない少女は、口に手を当ててさらに叫ぼうとするところ、後ろから延びてきた拳を脳天に受けて、沈黙した。
 ゴツンと頭蓋骨を叩く音が、広場に響く。
 その音に、住人たちはギョッと目を見開き、身を竦ませた。そうして、恐る恐る拳の主を見やると、銀髪に水色の瞳の華麗な麗人は、住人たちの視線を受けて、何か? と問い返すように薄く微笑んだ。
 目も眩むような眩い笑顔の、それでいて身も凍るような冷たいオーラに、住人たちは慌てて少女と麗人から目を逸らした。
「……何するんですか」
 頭を押さえて、半泣きのルーはレイテを睨み付けた。
「君こそ、何をしているのです。厳粛な儀式をぶち壊しにするつもりですか?」
「だって、綺麗だったから……」
 レイテに注意されて、ルーは興奮気味だった自分の行いを振り返って反省した。
(……先生の言う通り、駄目にしちゃったかな?)
 不安げに祭壇のほうに目を向けると、花婿と花嫁は揃って、ルーがいるこちらに目を向け笑っていた。
 二人の幸せそうな笑顔にルーは嬉しくなった。
「グレースさん、ミーナお姉さん、おめでとうっ!」
 再び、叫んでしまったルーをレイテは後ろから羽交い絞めにして、口を塞ぐ。
「君はっ! 今日はグレースさんとミーナさんの晴れ舞台なのですから、邪魔をしちゃいけません」
「は、はう」
 ルーは窒息寸前になりながら、頷いた。
 しかし、レイテの信用を勝ち得なかったルーは師匠によって、声を封印されてしまった。
(……ここまで、しなくっても)
 レイテに対し不満はあったが、祭壇で行われる儀式にルーの意識は引き寄せられた。
 街の住人が見守る中、今日はグレースとミーナの結婚式が行われる。
 フラリスの街の住人のお祭り好きはこの場においても現れ、二人の結婚式のためだけに街の広場に、花に彩られた祭壇を作り上げてしまった。
 そして、花嫁が被るベールに縫い込まれた刺繍は、街の女性たちが一人一つの花を縫い込んだものだという。
 信仰色が薄いこの街での結婚の儀式は、神に誓いを捧げるというものではなく、街の住人たちの祝福を受けて幸せになることを誓う儀式だった。
 進行役に誓いの言葉を促され、グレースとミーナが、広場へと向き直る。
 二人はそっと手を繋ぎ、タイミングを確認するように視線を合わせた後、高らかに声を放った。
「オレは妻となるミーナと共に、幸せな家庭を築いていくことをここに宣言します」
「私は夫となるグレースを生涯、支えていくことをここに誓います」
 そう、街の住人たちに誓いの言葉を述べた花婿と花嫁に、割れんばかりの拍手が沸き起こる。
 ルーは声の代わりに手が痛くなるのも構わずに、両手の平を叩き合わせた。


 誰もいなくなった広場は寂しげだった。
 夕暮れの広場に取り残されたのはレイテとルーの二人。
 花婿と花嫁、それに街の住人たちは今宵、貸し切りになった店に集まって、祝宴を開いている。
 二人も祝宴には誘われたが、酒が出る席に酒乱を発動させるルーを連れて行くことをレイテが拒み、グレースも師匠の言い分を受け入れた。
 後で、グレースの自宅で落ち合う約束をして、レイテはルーと共に時間を潰す。
 後片づけがされていない祭壇に腰掛けたルーを、レイテは振り返った。
 少女は今日のために新調したドレスの裾から伸びた足をブラブラとさせていた。同じように新調した靴が飛んで、レイテの足元に転がってくる。レイテは靴を拾って、少女に近づき、靴を履かせながら尋ねる。
「疲れましたか? グレースさんたちに挨拶したら帰りますから、それまでもう少し待っていてくださいね」
 気遣うレイテにルーは首を振った。
「疲れてなんてないです。ドキドキしています。先生、ミーナお姉さん、綺麗だったね」
「そうですね」
「やっぱり、花嫁は先生がいいです。先生がお嫁さんになってください。俺がお婿さんになるから」
 ルーの突拍子もない発言に、レイテは目を瞬かせた。
「…………あの、前々から思っていたのですけれど。君は女の子ですよね?」
「女の子ですよー。先生、女の子が好きなんでしょ? じゃあ、俺は女の子です」
「……そ、そうですよね。だとしたら、花嫁は僕じゃなく君でしょう?」
「でも、先生のほうが花嫁衣裳、似合いそうです」
「…………それはまあ。でも、君が着ても似合いますよ?」
「そうかなー?」
「ええ、きっと。可愛い花嫁になります。僕が保証しますよ」
「じゃあ、二人で花嫁衣裳を着ましょう」
「……それはちょっと、遠慮します」
「ええっ? 俺、先生の花嫁姿が見たいのに」
「…………君ねぇ」
 レイテはいまだに世間一般の常識と、かけ離れた道を歩いていく弟子に苦笑した。
「うーんと、じゃあ、俺が別人に生まれ変わったときは、先生が花嫁衣裳を着てください」
「…………」
「その次は俺が花嫁衣裳を着て、またまた次は先生が花嫁衣裳を着るの。これだったら、平等でしょう?」
 祭壇に腰掛けているので、いつもは見上げるレイテの瞳を真正面から見つめて、ルーは言った。
「まったく、君は」
(何の躊躇もなく、生まれ変わることを確信しているのですね)
 図太いというのか、何なのか。
 呆れるよりも先に感動を覚えてしまうくらいに、一途なその信念に、レイテは微笑む。
「先生っ!」
「何です?」
 強い声の調子に小首を傾げたレイテの首に、ルーは手を回して顔を寄せる。息が触れるような間近で、ルーの赤い瞳が、レイテの水色の瞳を見据える。
「俺、ルビィ・ブラッドはレイテ・アンドリューをこの魂が続く限り、愛することを誓います」
 そう告げると、レイテの銀髪を掻き分けて額に口付けた。微かな唇の感触が離れて、レイテはルーを見つめ返すと、少女は少し恥ずかしそうに顔を赤くしていた。
「…………ありがとう、ルー」
 レイテは肩に触れるぐらいまで伸びた赤毛を指先ですいて、少女を己の胸に抱き寄せる。
「僕、レイテ・アンドリューはこの不死の命にかけて、ルビィ・ブラッドの魂を愛し慈しむことをここに宣言します」
「うん」
 抱き寄せられた胸の奥の鼓動に、耳を澄ませてルーは頷いた。
「ずっとずっと、一緒にいるから……」


「ルーちゃん、ご飯を作るのをお手伝いしてくれるかしら?」
 ミーナに乞われて、ルーは大きく頷いた。女性陣が居間を出て行くのを見送って、レイテはグレースに向き直り、あらためて祝福の言葉を送った。
「この度は、ご結婚おめでとうございます、グレースさん」
「あ、いえ、何だか、照れるスッね?」
 グレースはガシガシと茶髪頭を掻いて、笑う。
「あなたたち二人が結婚すると聞いたときは少し驚きましたよ」
「ああ、ミーナは若様が好きでしたからね」
「それにあなたも、恋愛など眼中になさそうで」
 そんな二人がどういう過程を経て、結婚へと辿り着くことになったのか。
「多分、オレたちの場合は恋とか、そういうものはなかったと思うスッよ」
「…………それは?」
「何か、側にいるのが当たり前になっていたスッ。ミーナが飯を作って、オレがそれを食べて。単にそれの繰り返しだったスッけれど、いつの間にかミーナ以外の料理を美味いと思えなくなっていたスッよ。そのとき、気付いたスッ。ミーナがいないと寂しいって」
「そうですか」
 思い返してみれば、恋人らしい時間なんてなかったように思う。側にいることが当たり前になっていたから、これからも側にいて欲しいと願った。
 そう言葉で告げると、ミーナは黙って頷いた。後は、とんとん拍子で結婚が決まっていた。
 自分は何とも思わなかったが、はたから見ればどうなのだろう?
 幼馴染み同士がくっついたという感じなのだろうか。
「変ですかね、そういうの」
 少し不安そうに、グレースがレイテに問う。
「いえ、僕だって同じですよ。ルーがいて、それが当たり前になって……だから、あの子が僕を残して死んでいくのが怖く、僕は置いていかれる前に、僕のほうから切り離そうとした。答えは簡単です。僕はあの子を愛していた。そういうことなのでしょう?」
「そうスッね」
「回り道はあったのかもしれませんが、落ち着くところに落ち着いた。それだけではありますが、僕はね、グレースさん。ルーに出会えた偶然の奇跡だけは、神に感謝しても良いと思います」
「…………」
「この不死の命を与えられたことが、ルーに出会うための布石であったとしたら、それも悪くはないと今では思えますよ」
「本当にラブラブスッね、若様たちは」
 グレースが何の照れもなく言ってのける、レイテに感心したように笑った。
 彼にはまだミーナに対して、そこまで愛情をひけらかすことはできない。勿論、この結婚が間違っているとは思わないが。ミーナにとって、自分が運命の相手だと言い切る自信がなかったから。
 不安を覗かせるグレースに、
「新婚さんが他人の熱愛ぶりを感心するものではありませんよ」
 クスリと笑って、レイテはたしなめた。
「邪魔者はさっさと消えろというぐらいの、意気を見せなさい。まあ、あなたにそれを求めるのは酷なのでしょうね。では、僕のほうから、今日はここで失礼しますよ」
 レイテが椅子から立ち上がろうとしたところを、グレースが慌てて引き止めてきた。
「あっ、待ってくださいスッよ。若様をうちに呼んだのは他でもない、若様から頼まれていた調査の報告があったからスッ」
「報告……」
「六十過ぎの赤毛、赤目の男を捜して欲しいって、言っていたじゃないスッか」
「ああ……」
 レイテはグレースがフラリスの街へと帰郷する際に、自警団の仕事の片手間で良いから捜して欲しいと頼んでいたことを思い出した。
 一年も前のことだから、てっきり反故にされたと思っていたが。
「見つかりましたか?」
「あ、若様が提示した条件に合う男が、ここから北西にあるグリーデンって街に住んでいるのを見つけたスッよ。でも、若様が捜している男かどうかはわからないスッ」
「グリーデンですね? 彼が本人かどうか、会えばわかりますよ」
「会えばって……」
「僕のほうではわからなくても、彼が覚えているでしょう。生贄に差し出された彼ならば、レイテ・アンドリューの存在を忘れたくても忘れられないと思いますからね」
「あの……赤毛、赤目って、もしかして……」
 勢い込んで尋ねてくるグレースの言葉を待たずに、レイテは答えを返した。
「恐らくは、ルーの血縁者だと思いますよ」

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