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 第三章 午前十時



  
,捜査会議


 一時間後、治安管理官事務所にやって来たクレインは、アレフや自警団のメンバーから報告を聞く。
「というわけで、ここ三ヶ月前後に子供をお産みになった女性は、全部で百四十七名。十三名の子供は死産でしたが、その他は無事に出産しています。内わけは男児が七十名で女児が六十五名です。数が合わないのは双子が含まれているからです。住民票と同時に町のお産婆さんにも確認を取りました。その方の話によれば、手伝いを頼まれて、隣町でも約十名の子供を取り上げたとのことです」
「それで、子供の所在は確認できた?」
 用意された椅子に腰掛けたクレインは、目の前で報告するアレフを下から見上げた。
「この町に限っては皆、確認できました」
「ああ、そう」
 落胆の影すら見せないクレイン。これは予測の範囲なのだろうか。アレフは次の手をクレインに問う。
「隣町についても調べてみますか?」
「あー、その前に自警団の奴に聞きたいね。昨日の夜間勤務に出た奴は?」
 アレフの後ろに控えていた五人の青年のうち、二人が手を上げた。
「昨日、怪しい奴を見た?」
 クレインの問いかけに二人は揃って首を振る。
「ああ、そう」
 これもまた軽い調子でクレインは流す。ややあって、まあ、そうだと思ってたけどね、と小さく呟くのをアレフは耳聡く聞きつけた。
「そう、って?」
「俺も俺で調べるって言ったでしょ。で、どうやら赤ん坊が店先に置かれた可能性が高いのは朝の五時半以降だってわかったの」
「どこからそんな、具体的な時刻が出てくるのですか?」
 突然、出てきたそれにアレフは眉をひそめた。
「配達員のオジサンから」
 そう言ってクレインは、理解できていないアレフの顔つきに説明した。
「管理人さんはうちの店で新聞を買うでしょ」
「ええ、はい、そうですが」
「それはエルマの中央や王都から魔法便で送られてくるわけ」
 魔法便とは、魔法道と呼ばれる全国各地に張り巡らされた魔法で作られた道がある。それを使って物品の輸送が行われている。
 この物品配送のシステムを魔法便と呼ぶ。
 これは魔法師協会という組織下にあって、各町に一軒ずつ郵便屋なるものが存在する。ここには常に三人から五人の下級魔法使いが交代で、二十四時間体制で物の物流を管理している。
 毎朝、新聞社で刷られた新聞は購買を契約している販売員の下へ魔法便で配送される。この販売員が一応、クレインの店になる。
「魔法便で送られてきた物を配るのは配達員だね」
「はあ、……それは知っています」
「つまり、その新聞も俺のところに配達されたわけだよ」
「ああ、それが五時半ですか?」
「その通り。向こうから物が届いて、オジサンが俺の店の入り口に新聞の束を置いていくのが五時半頃。ホントはもっと早く届いている場合もあるんだけど、なるだけギリギリまで留め置いてもらってんの。まあ、個人で購買しているところに配達するんで、最後に配ってもらうようにしている」
「それはどうして?」
「時々、手癖の悪い奴が抜き取ったりするからね」
「それは泥棒じゃないですかっ!」
 町の治安管理官としては、見逃せない事実にいきり立つアレフを、クレインは左手の平を振って静めた。
「ああ、そんな大げさに事を構えなくていいよ。どうせ、朝まで飲んでた酔っ払いだろ。見つけたところで、本人も覚えてないことだろうし、新聞一部ぐらいなら大した損失にならないしね」
 ハッキリ言って店は騎士を辞める口実だった。未練を引きずるというのは何となく自分のキャラじゃないとクレインは思っていた。
 だから、利き腕を失って、剣を握れなくなった騎士がいつまでも騎士団にいちゃ邪魔だから、片腕切断の手術の後に最初に顔を合わせた相棒に言ったのだ。
 田舎に帰って、店でも開いてのんびり暮らす、と。
 相棒は無表情に頷いた。何となく、それで店を始めようと思った。
 その後は魔法師団の彼が飛んできて手助けをしてくれたから、クレインの当初の予定より品揃えも豊富な店となって売り上げも上々だ。店で儲ける気なんてなかったクレインにはとにかく潰れさえしなければ良かった。
「ですが……軽いとはいえ、窃盗ですよ」
「まあ、昔のことだよ。終わったことだから。今は六時になれば一号が店にやってくるからね、もう被害は出てないし」
「……はあ」
 まだ不満そうなアレフの顔にクレインは笑う。その真面目さもアレフの魅力だろう。
 クレイン自身は仕事に関しては真面目であったが、それ以外の言動のせいか飄々とした人物に見られがちだった。
「で、そのオジサンに聞いた話だと、五時半頃に俺の店の軒下には何もなかったということだ」
「そうなのですか」
 アレフは頷いて、クレインの話を整理することにした。







  
,足を延ばして


 赤ん坊が置かれたのは、配達員が新聞をクレインの店先に置いた五時半から、ドリィが店にやってくる六時までの半時間内だということだ。
 これはまず、間違いなくクレインを名指しにしてきたことから、彼の身辺に詳しい者の仕業だろう。
 元騎士であるクレインは町の英雄で、彼の噂は隣町の近所にまで広まっている。何しろ、国王が視察途中にわざわざ彼の元を尋ねてきたのだから……。その評判は瞬く間に広がった。
 隻腕の元騎士が始めた店。町の誰もが知っている。
 その店主の人柄も二、三度店に顔を出せば知るだろう。
 人の顔を覚えるのは早いのに、名前だけは覚えられずに適当な呼び名を勝手につけるとか。
 従業員一号や管理人なんて呼び名は、まだ良いほうだった。
 ガリガリに痩せた相手に「骸骨」なんてあだ名を付けた日には、偶然その場に居合わせたアレフも青くなったのを覚えている。
 利き腕を失って剣を握れなくはなったが──握ろうと思えば、握れるのだろうが──それでいて昔の習性で身体は機敏で押し込み強盗相手に足先だけで対処しては、騒ぎを聞きつけてアレフが駆けつけたときには強盗を地面に叩き伏せていた。強い人だ。
 ここまで存在が派手だと、近隣の町でもクレインのことを知らない者はいないだろう。
 彼に雇われているドリィが朝早くに店に出てくる──その代わり、夕方早くに帰る──この辺の時間サイクルも皆、知っている。
 クレイン目当ての客は夕方に店に顔を出すのだ。アレフも相談にのってもらうときなどは新聞を買いに行くのとは別に、ドリィが帰った後を見計らって訪ねる。騎士をしていただけあって、トラルブに対する処理能力の高さは並々ならない。自分に代わって治安管理官を勤めて欲しいと思うほどだ。町の住人もクレインを頼りにしていた。
 だから、赤ん坊を捨てた人物がクレインを名指しにした理由は──クレインが言うように借金取りなのかはわからないが、少なくとも的外れな推測とは思えない──わかる気がする。クレインならば赤ん坊の親を見つけてくれるだろう。
 問題はその親の手掛りだ。確認した事実によれば、この町で生まれた赤ん坊は所在が確認されている。
 では、赤ん坊はどこからやって来たのか?
「……管理人さん」
 考え込んでいたアレフは、耳に流れ込んできたクレインの声に我に返る。
 顔を上げると、椅子から立ち上がったクレインが、事務所の窓辺に寄って外を眺めていた。
「管理人さん。半日ほど、時間を取れる?」
「え、はい。お望みとあれば都合します。勿論、捜査のためですよね?」
 力強く頷いてから、ふと目的を聞いていないことに対して不安を抱いて問いかけた。
「あのね、昼寝のお誘いなんかするわけないでしょ。野郎と添い寝したって、いい夢を見られるってわけじゃないんだから」
「やはり、隣町に行かれるのですね?」
「まあ、近からず遠からずってとこだね。人をやって調べてもらってもいいけれど、二度手間になりそうだから俺が直接行こうかと思ってね。でも、俺だけだと先方に言い訳が立たんでしょ」
「はあ……」
「治安管理官同士の付き合いはあるはずだよね、こっちも」
 既にドアに手を掛けて、クレインは肩越しに振り返る。
「はい。半年に一度、エバンス家に召集がかかり、そこで情報交換などいたしますから」
 王家と七家が統治する八区には各区四十五の市があり、一つの市に四十近くの町や村がある。その町や村の数だけ治安管理官がいる。
 先代から引き続いて治安管理官を勤めている者もいれば、クライの代からアレフのように治安管理官に任命された者もいる。後者はアレフのようにクライの側にいた者たちが多く、顔なじみも少なくない。
「そう、じゃあ、あちらに俺を紹介してね」
 言って、クレインは事務所を出た。
 アレフは慌てて事務所内の自警団のメンバーに留守中のことを頼み、クレインの後を追った。通りに出ると、少し先で彼は辻馬車を拾っている。もう走り出しそうな馬車にアレフは飛び乗った。







  
,昼寝の後は


「クレインさん……あの、どこに向かうのですか?」
 座席にどっしりと腰を下ろしたクレインに、アレフは問いかけた。
 チラリと横目にアレフを見やって、クレインは意地悪そうに笑う。
「それは着いてからのお楽しみにしとこう。着いたら、起こして」
「起こすって……」
 何です、それは……と言いかけて、アレフは口を覆った。信じられないことに、クレインは既に寝息を立てている。
 一秒で、眠れるという話は本当だったのかっ! と驚愕する。
 寝起きは最悪だというのに……。
 ムスリと怒ったように、眉間に皺を寄せて眠っているクレインの横顔に、アレフはため息をついて、座席に身体を沈める。
 ぼんやりと車窓を眺めて、この間に自分なりに捨て子の親のことを推測してみる。第三者が子供を捨てたというクレインの推理を前提にしてのことだが。
 赤ん坊が第三者に預けられる状況っていうのは何だろう?
 親の蒸発か?
 例えば、父親ないし、母親が突然姿を消して、残された片親が途方に暮れた結果、クレインに子供を預けることで消えた相手を捜してもらおうとした。しかし、親なら正々堂々とクレインの前に救いを求めてきて良いはずだ。それができない……自分が表立って行動できない理由があった。そこで第三者を使って……?
 アレフは首を振った。自分が知っている常識の範囲で物事を考えては絶対に答えなど見つけられそうにない。
 父が、クライとその双子の姉であるソフィアの家庭教師としてエバンス家に迎えられた。そこでアレフは、エバンス家の姉弟と共に幼少時代を共にした。
 両親はいまだ健在で、自分は取り分けて不自由なく育った。そのせいか、親が子供を捨てるなんて状況もよくわからない。どんな感情で捨てたのかなんていうのも、想像もできない。
 きっと、自分は平和すぎるのだろう。こんな自分が治安管理官を勤めること自体、間違いなのかもしれないけれど……でも、幼馴染みの判断が間違いだとは思いたくない。
 三年前に、「君に治安管理官を任せたい」と二つ年下の幼馴染みに言われた日を思い出す。
 絶句するアレフに、エバンス家の若き当主クライは形のいい唇に笑みを宿して、告げた。
『大丈夫。何も全てを一人で背負わなくていい。焦らなくてもいい。君のペースで、君らしく勤めていれば、町の人たちは君に味方してくれるよ』
 ある意味、クライの予言通り、エイーナの町の住人たちはアレフを好意的に受け入れてくれた。
 それは良かったと思うけれど……自分が何かをしたという自覚がない。
 ため息を吐いて、再び車窓を眺める。
 エイーナの町の北口を出て街道を東へと向かっているようだと推測する。
 東側に隣接する町はエーゼ。治安管理官を勤めているのは確か、クライとソフィアの乳兄弟であった青年だ。親交はあまりないけれど、顔は覚えている。
 外の景色にも飽きて、アレフもまた目を瞑った。
 ガタガタとゆれる振動に、クレインさんはよく寝られるな、と感心するが、揺れに慣れて身を任せると何だかうつらうつらとしてくる。
 昨日は中央へ送る報告書をまとめていて実質、睡眠を取ったのは二時間程度だ。そのツケがここに来て出てきた。目的地に着いたら御者が起こしてくれるだろう、そんな思考でいると暫くして、外から御者が到着を告げた。


 アレフはハッと我に返り、あたふたとクレインの身体に手を伸ばす。
「クレインさん……起きてください。着きましたよ」
 ユサユサと揺さぶった。アレフ本人は軽く揺すったつもりだったが、クレインの身体はグラリとあちら側へ倒れ、ガツンと車内の壁に思いっきり頭をぶつけた。
「……あ」
 息を呑んだアレフに、クレインが半眼で振り返った。
「王子様よ、もう少しましな起こし方をしてくれ……なっ?」
 低く呻いたかと思うとクレインは、ガッとアレフの頭を掴んで間近に引き寄せた。
「どうしたんだ、王子様っ! 顔が変わっているぞっ! 無口無表情の変人が、こんな凡人な顔になってしまったら、いかに剣の達人だろうと、部隊の奴らがアンタについてこなくなるでしょうがっ! アンタはあの顔があったからこその、カリスマ隊長だってのに」
 そこまで叫んでから……二秒ほど沈黙して、クレインは目を瞬かせた。
「……あれ、この顔ってば」
「……人違いです、クレインさん」
 アレフは泣きたくなるのを堪えて言った。
 自分の顔が特別見目の良いものだとは思っていないが、ここまで面と向かって凡人顔と言われた日にはさすがに傷つく。
「あれ、管理人さんじゃん。王子様はどこよ? 俺を殴ってたたき起こすのは王子様でしょ……っていうか、王子様がここにいるわけないじゃん」
 クレインは一人ボケツッコミをした。寝起きが最悪だと聞いていたが、ここまで寝ぼけるものなのか。
「……あの、ここは馬車の中で私とクレインさん以外いません。馬車に乗る前のこと、覚えていられませんか?」
 アレフの問いかけにクレインは一瞬黙って、ややあってから「ああ」と頷いた。
「思い出した。……殴られたものだから、てっきり、王子様の仕業だと思ったんだけど」
 クレインの騎士時代の相棒は無口で、声で起こすより行動で起こしに掛かっていた。
 最初は揺すって起こしに掛かるのだが、馬車の揺れの中でも平然と寝てしまうクレインだから、その程度では起きない。騒音には敏感だから、一言ちょっと声高に起きれ、と言ってくれれば起きるのだが、必要最低限のことすら喋らないような相棒は実力行使に出て、いつも頭を殴ってきていた。
「あの……それは……クレインさんを起こそうと思いまして、揺さぶっていましたら手が滑りまして……あの壁に……」
 恐縮するように声を潜めるアレフに、クレインはぶつけた頭を撫でようとして、自分の右腕がないことを思い出す。
 自分はかなり寝ぼけているらしい。
「本当に、申し訳ありません」
「いや……そんな謝らんでもいいよ」
 外から御者が再度、到着を告げた。クレインはそれに応答して、アレフを促す。
「とりあえず、降りようよ」
 アレフは馬車を降りて、目の前の治安管理官事務所に掲げられた看板に目を見張る。てっきり隣町に行くのだと思っていたが、そこを過ぎてエイーナの町から三つ隣のエトランゼだった。自分ではちょっとうたた寝していたつもりだったが、実際はかなり寝ていたようだ。
「エ、エトランゼ?」







  
,出掛けてみれば


 立ち尽くすアレフを追い越して、クレインは治安管理官事務所のドアを開けた。
「お邪魔するよ」
 閉まりかける扉の向こうでクレインの声が聞こえて、アレフは慌ててドアに飛びついた。
「お邪魔いたします、エイーナの治安管理官を勤めます、アレフ・アドレイズです。エトランゼの治安管理官殿はいらっしゃいますか」
 早口でアレフは名乗りを上げて、事務所内を見回した。
 こちらの治安管理官とクレインを取り次ぐために自分はわざわざ着いてきたのだから、ボーとしていては何のためにここにいるのか。クレインに捨て子の一件は任せたからといって、何もしなくていいというわけではないのだ。
 奥の執務机に見知った顔を見つけて、アレフは事務所を横切った。
「お久しぶりです、クリス・フォード治安管理官」
 先代からの治安管理官は壮年の男性だった。クリスはアレフを見上げて暫く、記憶の端からアレフのことを引っ張り出してきた。
「ああ──アーセン殿のご子息の」
 家庭教師として勤めを終えたアレフの父親は今、クライの相談役を勤めている。同じ年代のクリスは父と顔見知りのようだ。
「アレフです。お邪魔いたします」
「ああ、どうぞ。これ、お客様だ。お茶を」
 クリスは事務所内にいた青年に言った。自警団の一員だろう。それから、席を立って事務所の片隅に置かれた応接セットにアレフとクレインを招いた。
「クリス・フォード治安管理官、こちらは元宮廷騎士団青色部隊の副隊長でいらっしゃったクレイン・ディック殿です」
 アレフは隻腕の青年をクリスに紹介した。
「クレインさん、こちらがエトランゼの治安管理官を勤めていらっしゃる、クリス・フォード殿です」
「ああ、うん。よろしく……」
 頷いてみせたクレインだが、聞いた端から治安管理官の名前は忘れてしまった。ポリポリと頬を掻いて壮年の男性の外見を眺める。
「……管理官のオジサン」
 特に目に付く特徴がないので、肩書きで呼びかける。そう呼ばれたクリスは白いものが混じった眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。
 宮廷騎士団の副隊長を勤めたクレインは、貴族階級第二位と同等の権威を保障されていた。普通の騎士は第五位で、治安管理官は第四位であるから、地位はクレインの方が上だ。
 引退しても、その権威は不祥事を起こしでもしない限り、損なわれることはない。この身分はあくまで個人に与えられるものだから、貴族階級のように後に継がれるということがない。
 ただ、その働きに応じて、求めれば王家から屋敷や土地を与えてもらえるとのこと。騎士はそうして、屋敷を構え、子を騎士に育てるのが通例だ。騎士の半分近くがこうして何代も続いてきた騎士の家系から出ている。五世代続くと、その貢献度から貴族の称号を家系に対して与えられることになっている。
 クレインはこの例から珍しく外れた人材だった。元々、エバンス家の騎士団にいた彼であったから、南西区エルマの治安管理官の間でもクレインの名は知れ渡っていた。
「貴殿の評判は聞いております。この度は、お二人揃って何ようですか?」
「ああ、はい……」
 アレフはこちらに来たわけを説明しようとして言葉に詰まった。
 ……どうして、エトランゼに来たのだろう?







 
,意外な事実


 アレフとしては、町の産婆から聞き入れた情報を元に、隣町エーゼの治安管理官に確認しに行くのだとばかり思っていた。
 そのために用意していた言葉はここではまったく役には立たない。
「……あの、それは……」
 横目でクレインに助けを求める。目が合ったクレインはアレフに苦笑を返して、クリスと向かい合う。
「ああ、俺から説明させてもらうよ」
 クリスは、なれなれしい口調で語りかけてくるクレインに、眉を顰めながら頷いた。
「あのね、俺は騎士を辞めてから、エイーナの町で雑貨屋をやっているんだが、今日の朝、従業員が店先で赤ん坊を見つけたんだわ。その赤ん坊の産着には俺の子供だと置き手紙が挟んであったんだが、生憎と心当たりがなくてね」
「……本当にないのですか?」
「ない。赤ん坊の状況から見て生後、二、三ヶ月だ。一年前に遡ってみれば、俺はこの腕の怪我で王立病院に入院していてね」
 クレインはなくなった右肩を撫でた。視界の端に痛ましそうに、目を伏せるアレフが見えた。
「この怪我は暴漢に襲われてのものだ。直ぐに魔法医師に治療を頼めばよかったんだが、その場を動けなくなってね。医者のところに担ぎこまれたときには、雑菌が入り込んでいて魔法医師の治療で完治できるというものではなくなっていたんだ。それで、腕を切り落として、傷口は魔法医師が塞いでくれたから実際に寝ていたのは二日ばかりだが、リハビリのために一ヶ月、王立病院に入院させられた。そのときのことはハッキリ覚えているから断言できる。俺の子供であるはずがないね」
 突然、利き腕を失って、これから左手一本で生きていかなければならない現実を突きつけられたクレインには、その一ヶ月は忘れたくても忘れられない。
 夢だったことにしたいが、実際に右腕がないという現実が夢ではなかったと、身をもって証明する。
「貴殿の言葉を疑ったわけではないのですが……」
「いや、別に構わんよ。あっさり信用するのは管理官の立場上どうかと思うからね。それで話は赤ん坊に戻るけど」
 ここでクレインは、赤ん坊は第三者によって捨てられたのではないか、という推理をクリスに披露した。
「まあ、その第三者っていうのはある程度、目星がついている。それで、俺は赤ん坊の親を探しに来たんだ。この町に……」
 クレインは左手の人差し指を立てた姿勢で固まった。
「………………」
「クレインさん? あの、どうしました? どこか具合でも」
 横顔に問いかけたアレフをクレインが振り返った。
「……名前がわからん」
「……は?」
「確認してもらいたい人間の名前が思い出せん」
 人の名前を覚えられないクレインが、ここで例外的に名前を思い出すというのはありえないことだろう。
 アレフは慌てた。ここまで来て、そんなオチはいらない。
「顔は? 髪の色とか、瞳の色とか、その他の特徴は?」
「そんなん、知らんよ。会ったこともないんだから」
「じゃあ、どうして、その人が子供の親だなんて思ったのですか? 妙に確信ありげでしたから私も何も聞きませんでしたけれど……」
 隣町のエーゼではなく、エトランゼまで出張ってきたのはクレインの中で確信があったからに違いない。その確信を得るに至った経緯は何なのだろう?
「どうして……子供の親がこの町にいると思われたのですか?」
 期待を込めたアレフに、クレインはあっさりと言ってきた。
「だって、あの赤ん坊は一号の甥っ子だろ?」



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