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 第五章 午後三時


  
,少し遅めのランチタイム


 ……最悪だ。どうしたらよいだろう? 
 アレフは先を行くクレインの背中を追いかけながら、治安管理官事務所での、事の顛末を思い返しては、頭を抱えたくなる衝動を必死に堪えた。
 クレインが申し出たドリィの姉の捜索に、クリスはお手上げだった。クレインは「手掛りは十分にあるんだから」と言うけれど、名前も顔もわからない人間を捜すのは難しい。
「どこに手掛りがあるのですっ!」
 喚くクリスに、クレインは手掛りを並べあげた。
「第一に、一年前以前にエトランゼに住民登録をした転居者をあげるんだ。住民登録をしないことには仕事にもありつけないからね。まあ、ここでは偽名を使っているかもしれないが、それは問題じゃない」
 左手の指を一本突き立てて、クレインは言った。
 続けて、二本目を突き立てながら、
「その中から男女のカップルを探す。最後はここ三ヶ月近くに男の赤ん坊を産んだ女……それが一号の姉さんだと思うよ」
 あっさりと事もなげに言ったクレインに、治安管理官事務所にいた者たちは感嘆の声を上げた。
 よくよく考えてみれば、クレインの言うとおり手掛りは十分だった。
 と、同時に、その手掛りに気付かないクリスやアレフの無能さを露呈させた。
 アレフとしては素直に自分の不徳を感じ入るところだが、年長のクリスとしては受け入れがたい事実だろう。
「凄いですね、さすが宮廷騎士になられるお方だ」
 そう感心してみせる自警団の青年の影で渋面を作るクリスを目撃して、アレフはまずいな、と思った。
 そこへもって、クレインが「どこが凄いの、ちゃんと考えたらわかることだよ」と呆れたように言い出し、クリスの眉間の皺はより一層、深くなった。
 それでも年長者のプライドで、クリスは直ぐに住民票を調べるように自警団の青年たちに命じた。
 結果、該当する男女が町外れに住んでいることがわかった。そこまでの地図を描いてもらうと、クレインは「ありがとね」と一言添えて、早々と事務所を後にする。
 アレフも挨拶もそこそこにクレインを追いかけてきたが……。
 ……今度の召集でクリス・フォード管理官と顔を合わせ辛いな、というのがアレフの今の気持ちだ。
 まるで、クリスの能力値をはかるような、クレインの口調とあの薄笑い。心象が悪すぎる。仲介する立場となったアレフの印象もクリスの中ではマイナスに傾いたことだろう。
「管理人さん」
 唐突に肩越しに振り返ったクレインにアレフは「はい?」と小首を傾げる。
「何ですか?」
 自分がまいた種に気付いているのか、いないのか。クレインは「腹減らん?」と真顔で問いかけてきた。
「お腹ですか?」
「もう昼時回ってんでしょ。腹、減らん?」







  
,帰れない場所


 いきなり、腹が減らないか? という質問に、
「……ああ、そういえば。少し……」
 とても食事なんて取っている気にはなれないが、アレフはクレインに合わせて言った。
 クレインは足を止め、通りを見回す。
「俺、ちゃんと睡眠と飯を取らんと、頭が働かんのよね」
 ぼやきながら、食堂の看板を見つけると、そちらに歩いていく。忙しい時間を少しすぎた食堂内は客が少ない。空いたテーブルを見つけるとクレインは席に着いて、給仕を呼ぶ。やること、なすこと早い。
「腹持ちのいいもの、そうだな肉とか。その辺、適当に。管理人さんはどうする?」
 まだ席についてないアレフを見上げて問いかけてくる。
「ああ、それでしたら私も同じもので……」
 せかされているような気がして、アレフはクレインの注文に便乗した。給仕が去って、アレフはようやく腰を落ち着けた。
「悪いね、つき合わせて。本当は食べる気なんてなかったんでしょ」
 見透かしたように言ってきたクレインに、アレフは迷った後、頷いた。
「よくわかりますね」
「管理官事務所で紅茶をがぶ飲みしてたからね」
 言われてみれば、確かに。
 カップが空になれば気を利かせて茶を注いでくれる青年に、気を使ってアレフは飲み干した。するとまた、茶を注ぐ。出されたものは頂かなければ失礼だと思うほうなので、飲む。とまた茶を注いでくれる。それを五回ぐらい繰り返したので腹を撫でるとタプタプと音がしそうだ。
 それにしても、クレインさんの観察力は凄いですね、とそう感心するアレフにクレインは笑った。
「慣れでしょ。王子様と付き合うとなると、嫌でも観察力を養わないと意志の疎通ができなかったからね」
「あの……その王子とは、誰のことですか?」
 前々から疑問だったので、アレフはこれを機会に聞いてみる。国王ジルビアは二十四歳、独身だ。二人の王弟がいるが……そのどちらかだろうか?
「俺の元相棒だよ。……ええっと、それでわかる?」
「青色部隊隊長のデニス・ルカーヴ殿のことですか?」
「そうそう、そういう名前。管理人さん、よく知ってんね」
 己の上司の名前も覚えていなかったのか、と呆れてしまう。
「宮廷騎士団の隊長方のお名前は、王家や七家の方々のお名前同様に、世間の一般常識ですよ。まして、もの凄い美形というお噂ですから」
 デニスは宮廷騎士団の中でも有名だ。その剣技の腕前においても、美貌においても。黒色部隊の隊長ルシア・サランと一、二を争うと言われている。
 宮廷騎士団<<五色の旗>>は五つの部隊がある。
 青、黒の他には黄色部隊隊長のアルベルト・ローラン。紅一点の女性騎士は白色部隊隊長ルカ・アルマ。二年前に十五歳で赤色部隊隊長に抜擢されたシオン・クライス。彼らの名前は剣を使う者たちならそらんじて言える。
「美形だね。おとぎ話に出てくる王子様そのものだよ。もっとも、無口、無表情の変人だけどね。何を考えているのか、よくわからん奴でさ。もう、ちょっとした目線の動きとかで行動を推測するしかないから。それで鍛えられたってわけさ」
 肩を竦めて、懐かしそうに目を細める。クレインが王宮関係者の話をするときは、いつも楽しそうだ。
 でも、もうその場所にクレインは帰ることはできない。







  
,理想と現実


 給仕が料理を運んできた。焼き上げられた肉と香料の匂いに、アレフも少し食欲をそそられた。早速、食べようとナイフを手にしたところで、向かいのクレインが途方に暮れたような顔でいるのに気付いた。
「どうかしましたか?」
「いや、……切り分けられていないな、と思って」
「えっ? ……ああ」
 一枚の肉はそのまま皿にのっている。隻腕のクレインには肉を切り分けるというのも難しい作業だ。
「あの、切り分けましょうか?」
「頼むよ。悪いね」
「いえ……」
 アレフはクレインの皿を手前に引き寄せ、肉を一口サイズに切り分ける。そして、クレインの前に戻した。
「管理人さんがいてくれて助かったわ」
「このようなことでもお役に立てて嬉しいです。クレインさんには助けてもらってばかりいますから、もっとお役に立てればよろしいのですが」
「そう気張らなくてもいいんじゃない? 管理人さんがいてくれるだけで俺も助かってるよ。こういう身体になったからか、わかんないけど。最近、思うんだよね。人間って一人では生きられないんだなーって」
 クレインは肉にフォークを突き刺すと片端から平らげていく。凄い食欲だ。そのスピードに呆気にとられながら、アレフは返した。
「……はあ。あの、その物言いから察しますと、クレインさんは一人で生きていくおつもりだったのですか? ご結婚とかなされないのですか?」
 クレインは今年三十一になるという。外見はそれより二、三才は若く見える。粗野な印象を与える目元と口元。だが、元宮廷騎士という肩書きと実際に頼りになるところから、町の女性たちの間ではかなり人気が高い。クレインがその気になれば、自分がと手を上げる女性は片手でも足りないだろう。
「結婚ねぇ……。何か、女はね……もういいや、って感じなのよね。だって、超絶美形で性格もよろしく、家事も万能な女なんて、俺が手の出せる範囲にいる?」
「……それがクレインさんの理想のタイプなのですか?」
「嫁さんに貰うなら、それぐらいの女が欲しいじゃん。管理人さんは違うの?」
「私は……私を受け入れてくださる女性であれば……」
「誰でもいいんだ?」
「……いや、その、あの」
 誰でもいいわけではないのだが。違うとも言い切れない。
 クレインのように誰からも頼りにされるような男ではないから、とにかく自分を好きになってもらわないことには始まらない。だとすれば、こちらから選べる立場ではないというのが、アレフの言い分だ。
「……昔ね、結婚の約束した女がいたんだ」
「えっ?」
 クレインの突然の告白に、アレフは思わず声を上げた。
「ちょうど、宮廷騎士になることが決まった頃。それで、俺はその女を置いて王都に上がったわけ。頃合いを見計らって、呼び寄せるつもりだったんだが……、王宮での生活が面白くって忙しくって、……女のこと忘れてた」
「………………は?」
「気がついたら、十年が経ってた。怪我をして、こっちに帰ってきたとき、その女はもう別の男と結婚して、子供がいた」
「……それは」
 どちらが悪いのだろう? アレフは頭を悩ませた。
 十年も音沙汰もなしに待たせたクレインもクレインだと思うし、約束を反故にした女性も女性のような気がする。子供がいるということは実際に十年も待っていなかったということだ。
 いや、それはしょうがないのか?
「ま、別に、俺としては……さしてショックじゃなかったのがショックだったな。自分の中では絶対だと思っていた気持ちが、意外に重要でなかったわけだ」
「……はあ」
「一生の女だと心を決めたつもりでいたけど、存外に気持ちは脆いもんだね。簡単に風化する。それを知ってしまったらね、もう本気になるのも馬鹿らしくなってくる」
「そんな……」
「だから、俺にとってはもう結婚とか、そんなのどうでもいいの。とりあえず、毎日が面白ければいいなと思う。正直、エイーナの町は平和すぎて刺激が足りないけどね。でも、嫌いじゃないよ、今の生活も。管理人さんはいい人だし、一号は良く働くし」
「あっ! ド、ドリィさんといえば」
「一号がどうした?」
「どうした、じゃありません。ドリィさんが赤ん坊を店先に捨てた張本人だと言われましたけれど、あれってどういうことです?」







  
,断定


「……そのまんまでしょ?」
 フォークを口に入れたまま、クレインは言った。
 解説する気はないようだ。すっかり空になった自分の皿を見、手付かずのアレフの皿を見て「食わんの?」と問いかけてくる。 
 まだ食べたりないのか? 
「食べますか?」
「食う」
 アレフは肉を切り分け、クレインの皿と交換する。早速、手をつけるクレインにアレフは再び問う。
「私にはドリィさんが子供を捨てるなんて、非道な真似を実行するような方には思えません。クレインさんの推測は間違いなのではありませんか?」
 とは言うものの、クレインの推理が的外れだとも思えない。説明を求めるアレフにクレインはチラリと上目遣いで言ってきた。
「あのさー」
「はい? 何ですか?」
「スープ、頼んでもいい?」
 勢い込んでいたアレフはガックリと肩を落とす。
「……どうぞ。何でも頼んでください。代金は私が持ちます」
「悪いね」
 クレインは薄く笑うと給仕を呼び寄せ、スープを頼んだ。そして、再び肉を片付け始める。ぺろりと二人前の肉を平らげるクレインにアレフはため息を吐いた。
 これは、わざとだろうか? 自分で考えろと言いたいのだろうか? クリスをあざ笑うように、自分のことを笑っているのだろうか? 無能だと。そう思われても仕方がないけれど。
「……ドリィさんが犯人だという根拠をお聞かせください」
 アレフの懇願にクレインは空になった皿にフォークを置いた。
「配達員のオジサンは誰も見ていないって言ったよね」
「はい」
「五時半頃に最後の配達物を俺の店先に置いて、そこを離れて郵便屋に戻る道中、五分ぐらいか。六時に一号が俺の店に現れるまでの空白時間は二十五分、そう考えてしまうけれど、一号が自分のアパートの部屋を出て、俺の店に来るまでのこれまた十分ぐらいの時間潰れる。実際に通りに誰もいなかったとされる五時三十五分から五時五十分だ。空白時間は十五分だ」
「どうして、そうなるのですか?」
「通りの両側に目撃者となりうる人物がいるんだよ。これに見つからずにいようと思えば二人が通りにいない時間を狙わなければいけない」
「配達員を隠れてやり過ごすということは?」
「赤ん坊を連れて? いつ、泣き出すともしれないのに。配達員のオジサンが通りのあちこちに新聞を配達し、俺の店を最後に通りから消えるのを隠れて待っていたと?」
「無理ですか?」
「決め付けるわけじゃないけどね。犯人が一号でなかったとしたら、見つかる可能性の大きな事を仕出かすとは思わないよ。だから、犯人は一号でしかない」
 クレインは断定するように言った。







  
,芝居


「えっ? あの……それはどういうことですか? ドリィさんが犯人じゃなかった場合とは」
「一号が犯人じゃなければ、それは一号に目撃されることがなかった奴が、犯人だということだよ。つまり、配達員のオジサンにも一号にも見つからず、俺の店先に赤ん坊を置き去りにする、それを見事にやってのけたわけだ。ということは空白の十五分に通りの北側から入ってきて一号が通りに現れる前に消えた。でも考えてみなよ。北側から入って往復二十分。これは時間的に不可能だよ。でなければ、一号に目撃されるでしょ?」
「南から通りに入れば管理官事務所前を通ることになりますから、入れないし出られない。町の住人の子供でなかったわけですから、町の外からやって来た。これはわかります。でも、北側から入る分には配達員が郵便屋に戻る最後の五分は関係ないでしょう? 背中を向けるわけですし……ああ、赤ん坊が泣き出す問題がありますか。……でも、往復二十分と言いますが、赤ん坊を手放したのであれば、隠れてドリィさんをやり過ごすことは可能ですよね?」
「まあね。そんなこと言い出したら、きりがないんだけど。多分、それはないよ」
「どこから、そんな根拠が」
「一号が店先で騒いだからだよ。管理人さん、うちに新聞を買いに来たとき、言ったことを覚えてる?」
「私が……何か言いましたか?」
 今朝方のことだが、記憶がない。小首を傾げるアレフに、クレインは呆れ顔を覗かせた。
「……うちの店で騒ぎがあったと、通りで聞いたって」
「ああ」
「あの騒ぎを聞きつけて、起きて出た人もいるでしょ。そこで見慣れない顔を見つければどうなる? 例えば、柱の影にこそこそと隠れている奴を見つけたとするよ。管理人さんはそのままやり過ごす?」
「それは……」
「勿論、見つからなかった可能性もあるけれど。それは一号が犯人ではないという可能性を潰してから検討すべき問題だ。そして、何より一号が犯人ではないという証明するものがないんだよ」
「それでドリィさんを疑っているのですか?」
 尋ねたアレフに、クレインはあっさりと頷く。
「うん。だって、一番、妥当でしょ? 身近に赤ん坊がいて。その赤ん坊を連れてきて、そのまま店先で捨て子だって騒ぐ。配達員のオジサンに目撃されることも、こそこそ隠れる必要もない。見つかったら本当のことを言えばよいだけだし」
「……ですが、どうして、ドリィさんはそんなことを」
「言ったでしょ、親を見つけて欲しいんだよ」
「親……姉上様を?」
 クレインは運ばれてきたスープを一気に飲み干すと、立ち上がった。
「さて、それじゃあ、一号の姉さんのところに行こうかね。十中八九、そこには誰もいやしないだろうけど」
「どういうことです?」
「あのね、親がいるのに親を捜してなんて、それこそ変じゃない。いないから、見つけて欲しくて大芝居をうったんだよ、一号は」



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