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 第六章 午後四時



  
,戸締り用心


 町外れにその小さな家はポツンとあった。親子三人で暮らすなら、まあ妥当な大きさではあるだろう。
 家の側には小さな菜園が設けられ、緑の野菜がみずみずしくなっていた。その脇をすぎて玄関に立ったクレインは、左手でコンコンとドアをノックする。思ったとおり、応答はない。
「どうしますか? ドリィさんの姉上様はいらっしゃらないのでしょう? クレインさんはそれを確認に来られたのですか?」
 そう尋ねるアレフを、クレインは肩越しに振り返った。
「管理人さん、あれは何?」
 遠くを指差して聞いてきたクレインに、アレフはそちらを向いた。
 目に映るは青々とした田園風景。エルマは年中穏やかな気候が続く土地で、山は少なく平野が多い。そのため、農耕を営む民家が多い。風で色を変える緑の絨毯。地平線できっちりと区分けされた空を飛び回る小鳥の影が見える。
 小鳥の名前が知りたいのだろうか?
 生憎、アレフも鳥類には詳しくない。
「申し訳ありませんが、私にはわかりかね……」
 視線を戻すと、クレインの背中は消えていた。
 玄関のドアが半開きになって、家の内部が見えた。玄関からすぐに居間という、庶民の家にありがちな間取り。中央に置かれたテーブルセットの向こうに、キョロキョロと辺りを見回すクレインの姿があって、アレフは事の次第を悟った。
「ふ、不法侵入ですよっ! っていうか、鍵は? 掛かっていたでしょう?」
 余所見をしていたとはいえ、鍵が外れる音はちゃんと耳に届いていた。どうやって、開けたのだ?
「あー、前にとっ捕まえた泥棒に捜査の役に立つかなーと思って、錠前破りの技法を教えてもらったんだよ。意外なところで役に立ったね」
「…………役にって」
 クレインがテーブルから何かを摘み上げた。紙片のようだ。それを握って、アレフを振り返った。
「管理人さん、これを見て」
「えっ? 何ですか?」
 一歩、踏み込んだところで、クレインがニヤリと笑う。
「管理人さんも同罪ね」
「……………あがっ?」
 慌てて身を引くと、靴の踵をドアの桟に引っ掛けて尻餅をついた。
「何やってんの」
 クレインが差し出してきた左手に手を伸ばす。身体を軽々と引っ張られて、アレフは引き起こされた。その腕力に驚かされる。一般成人男子並みの体重は決して軽くはないはずだが。
「ホラ、これ見て」
 呆気にとられるアレフにクレインは口に挟んでいた──助け起こす際に邪魔だったのだろう──紙片を突きつけてくる。
「これは……?」
 それはドリィが姉に当てた書き置きだった。
 帰ってこない姉たちに向けて、子供を預かっているから引取りに来るように、とある。クレインのドリィ犯行説はこれで決定付けられた。







  
,少年の事情


「ドリィさんが……」
 真面目な少年だと思っていたが。
 幾ら、事情があるにしても、大人を振り回すような真似は感心しない。きちんと事情を話してくれれば、力になったのに、と思う反面、頼りにされなかったのは自分の力が不足しているからなのだろう、とアレフは思う。
 結局、クレインに頼らなければドリィの目的もわからないままだった。こんな自分に相談なんてできなかったのだろう。
 顔を上げるアレフの視界のどこにも、クレインの姿が見えない。
 どこに行ったのだろう?
 見回すと、隣の部屋に続くドアが開いている。間取りから考えると、寝室だろう。捜査のためとはいえ、他人の家を無断で歩き回るのは趣味がいいとは言えない。
 注意しようと顔を覗かせた寝室で、クレインはタンスの上に飾られた二つの写真立てを睨んでいた。
 元々、目つきが鋭いが、今はさらに細められて、横顔を見ただけでも何だか、不機嫌そうだ。声が掛けにくい。アレフはそっと寝室に入ってクレインの視線を辿って写真を見る。
 女と男が写っている。一組は知らない女性と少年。もう一組はさっきと同じ女性とドリィだ。女性はメイド服のようなものを着ている。ドリィは小奇麗な洋服に身を包んでいる。今より少し幼い感じだ。昔の写真か。
 茶色の髪に水色の瞳の女性はドリィの姉だろう。それは推測できた。では、見知らぬ少年が貴族の子息だろうか。茶色の髪に水色の瞳の少年はドリィより、大人っぽく整った顔立ち。それは高貴で貴族的なともいえるが服装は簡素だ。こちらは最近撮ったものなのだろうか?
「……管理人さんも気がついた?」
 クレインの声にアレフは振り返る。横目でこちらを一瞥した後、再び写真に視線を戻して言った。
「この二人、よく顔が似てると思わない?」
「あ、はい。似たもの夫婦というものでしょうか?」
「長年連れ合っていると、性格から顔立ち……顔というより、表情だろうね。そういうのが似てくるというのは話に聞くけれど。これは違うでしょ」
「違う?」
「……この似かたは血縁だよ」
「血縁って。ドリィさんのご両親のお写真ですか?」
 アレフの問いかけにクレインは黙って顎に手をやった。指先で顎のラインを撫でながら考え込む。
「その可能性はある……けど、それもちょっと変じゃない?」
「どういうことです?」
「夫婦にしても似すぎているでしょ。父親と娘にしては父親若すぎ」
 確かに大人っぽい顔立ちだが、華奢な肩とか、細い腕は成長途中の少年のものだろう。勿論、大人になっても痩せている者はいるのだが。
「じゃあ、ご親戚の方とか……?」
「さあねぇ」
 クレインが気の無い声で答えたところで、バタンと音がした。居間からだ。玄関のドアが乱暴に開けられたみたいだ。
「帰ってこられた?」
 居間に走ろうとするアレフの肩を、クレインがつかんで押し止めた。そして、アレフを後ろに押しやり自分が前に出る。
「管理人さんは俺の後ろからね」
 クレインが先に居間に出た。後ろからついていったアレフは居間に大柄な男が三人、室内を物色しているところを目撃した。そのうちの一人がこちらに気付いて顔を向けてきた。
「ユーシス坊ちゃんですか?」
 そう尋ねてくる。クレインとアレフは顔を見合わせた。ユーシスっていうのは誰だ? 坊ちゃん、とわりと丁寧な物言いから、もしかするとドリィの姉と駆け落ちした貴族の子息の名前だろうか。どう応えたものか、とアレフが迷っているとクレインがそっけない声で言った。
「違う」
「……じゃあ、あの兄弟の知り合いか?」







  
,食後の運動、忘れずに


 男の声がやや凄みを帯びて問いかけてきた。兄弟とはドリィとその姉のことだろう。
「まあ、知り合いって言ったら、知り合いだろうね」
 クレインが応えた途端、男たちの形相が変わった。
 人を外見で判断するのはよくない、と常々、アレフは自戒しているのだが、男たちは見るからに乱暴で、それを売りにしているような感じだ。
 強面の形相で脅せば、誰でも支配化に置くことができると勘違いしている人種。それでいて、権力や金に弱い。チンピラだ。
 アレフはテーブルを押しやるようにして迫ってくる男たちに腰に携えた剣を構えた。
 フォレスト王国では剣を帯剣するには許可が要る。
 普段から帯剣しているのは騎士か治安管理官、またはその部下の自警団の人間。だから、剣を見せれば手っ取り早く身分証明ができると考えたわけだが、抜いたその剣は構える前に寝室のドア枠の天辺にガッと突き刺さった。
「あ、うわっ!」
 慌てて剣を抜こうとするが、知らずに込めていた力のせいで刃は結構、深く突き刺さっていた。そのまま引き抜けばよいところを焦って腕をよじったりしたからか、なかなか抜けない。
 寝室でもたついているアレフ。ドア口に立つクレインに男たちは詰め寄った。
「ユーシス坊ちゃんをどこに隠した。お前らが匿っているんだろっ!」
 とんでもない言いがかりをつけてくる男たちに、アレフは唖然となった。自分たちもまた、そのユーシスとやらとドリィの姉を捜していると言うのに。
「わ、私たちは誰も匿っていません」
 叫んだアレフを男の一人が睨む。眼光の迫力は、クレインの冷淡な眼差しに負けるとも劣らない。思わず腰が引けそうになるのをギリギリで堪えた。
「アンタらね、人にものを尋ねるときは言葉と態度を選べよ。教える気も失せてくるだろ」
「やっぱり、知ってやがるじゃないかっ!」
 ため息と共に吐き捨てたクレインの言葉を受けて、男の一人が再びアレフを睨んだ。故意に隠そうとしたと思われているようだ。
「違います。クレインさんも誤解を受けるような言動は慎んでください」
「誤解も何も……今、わかった。その坊ちゃんがいる場所」
「えっ?」
「どこだっ! 教えろ」
 男の野太い腕がクレインの胸元に伸びてきた。胸倉を掴もうとするそれを、クレインは左腕一本で逆に絡めとった。
 そして、脇に抱えた男の腕を手前に強引に引き寄せた。男はバランスを崩す。転倒しかける男の顔をクレインは靴のつま先で蹴りつけた。
 鼻を潰され、血が飛び散る。歯が折れたのだろうか、床にタバコの脂で黄色くなった歯が転々と転がっていく。
 アレフは無意識にその歯を目で追った。ドンと男が床に倒れる音にハッと我に返る。クレインの横顔越しに、二人の男たちの呆然とした顔。きっと、鏡を覗けば自分も似たような表情をしているだろう。
「ク、クレインさん……」
 そっと呼びかけたアレフの声は、男たちの怒号にかき消された。
「貴様、よくもやってくれたなっ!」
「……先に手を出してきたのはそっちでしょ」
 悪びれずに一歩を踏み出したクレインはテーブルから椅子を一脚引き出すと、その足を軽く蹴り上げ、片腕の力で頭上に持ち上げる。それを男たちに向かって投げつけた。
 クレインに迫ってこようとしていた男たちは避けられず、一人の男は直撃を食らった。
「くっ、無茶苦茶だ、お前」
 二人の仲間を瞬く間に片付けられた男が悔しげに呻く。
 クレインは斜めにそちらを見やって吐いた。
「言っただろ、人にものを尋ねるときは言葉と態度を選べって。力任せに来られたら、俺だってそれ相応の対応をしなきゃならなくなる」
 言って、クレインは床に伸びている男の一人を持ち上げた。その大柄な身体はアレフの倍はありそうだ。それを軽々と左手一本で持ち上げるクレインに、アレフは声も無く事の次第を見守った。
「これ、返す。連れて帰りな。こっちの一人は話を聞いたら後で返すよ」
 どこまでも淡々と言い捨てて、クレインは持ち上げた男の身体を放り投げた。
「あ……?」
 男は目の前に迫った仲間の巨体を正面に受け止め、そしてバランスを崩して背中から倒れこむ。ガツン、と後頭部を床に打ちつけあっけなくダウンした。







  
,嵐の後


 シンと静まり返る室内に、昏倒した三人の大男たち。
 ようやく、壁に刺さった剣を引き抜いて居間に出たアレフの目に、テーブルが床に敷いた絨毯を巻き込み定位置からずれ、椅子は倒れ、一脚は足が折れ、壁に置かれた食器棚に突き刺さっている惨状が入ってくる。
「……これは幾らなんでも……」
 アレフは、隣でポリポリと頬を掻いているクレインを振り返った。
「やりすぎでしょう」
「うん、それは俺も反省してる……」
 片目を細めて、顔を顰める。しかし、続けられたのは……。
「ホントは肩でも脱臼させようとしたんだよね、こうやってさ」
 クレインは何かを引っ張るような仕草を見せた後、片足を僅かに浮かせた。
 最初の男に対しての処置を話しているらしい。クレインは男の肩を脱臼させることで戦意を削ごうとしたのだが、身体を押さえ込むために上げた靴先が顔に決まったとのこと。
「それがどうして、こうなっちゃうのかね?」
 小首を傾げてアレフに問いかけた。
 天然だ。自分なんかより、遥かに天然ではないか。
 アレフは頬が引きつるのを自覚した。
「うーん、片腕になって力の加減がわかんなくなってんのかね。リハビリ中にもう鍛えまくったんだよ。何しろ、この腕一本で身体を支えなきゃならんわけでしょ」
 ヒラヒラと左手の手首を揺らして、クレインは言った。
 何もない右袖と違い、左袖の下は引き締まった腕が光に透かして見える。見た目には、特に筋肉質という感じではないが、シャツの下の身体は鍛え上げられているのをアレフは知っている。
 クレインは昼食をとった後は二時間ほど時間を掛けて鍛錬している。何でも片腕立て伏せに片腕懸垂、腹筋に屈伸をそれぞれ五百回。そのメニューを聞かされたとき、アレフは想像だけでめまいを覚えたものだ。
 しかし、クレインは騎士団ではこれぐらい当たり前だよ、と笑って返した。
 今も、クレインはさっきまでの乱闘に息を乱すことなく佇んでいた。
「ど、どうします?」
「うーん、管理官事務所にでも連れてく?」
 クレインは近くの男を引っ張り起こすと家の外へと放り出した。続いて、他の男も放り出す。
 アレフとクレインだけが残った室内はやっぱり無残だ。
「……幾らぐらいするかね、弁償金。奴らにも請求できるかね?」
 家の外を視線で示して、クレインは独り言のように呟いた。
 あの男たちの介入のせいであるとはいえ、この惨状を作り出したのは他でもないクレインだ。椅子を放り投げたのも、床を血で汚したのも……。
 どう答えたものかと迷っていると、クレインは無言で部屋を横切った。
「クレインさん?」
「まあ、ガラスぐらいは片付けとこう。ホウキを探すよ」
「ああ、はい」
 アレフも続こうとして、足を何かにとられた。慌てて手を突き出したので、無様に転倒するまでにはいたらなかったが、四つん這いの格好はカッコ悪いといえばカッコ悪い。
「何もないところで転ぶなんて、器用だね、管理人さん」
 肩越しに振り返ったクレインの呆れたような顔に、アレフは言い訳した。
「違います、絨毯に足をとられたんです」
 アレフは立ち上がって、足場を指差した。テーブルの下に敷かれた絨毯がテーブルの移動と共にずれている。波打ったそれに足を引っ掛けて転んだのだ。アレフは取り繕うように絨毯の端を持って位置を正そうとした。
「ちょっと待って」
 クレインが近づいてきて、アレフを制した。
「……どうかしました?」
「そのまま、捲りあげて」
 床に視線を落としたまま、クレインは命じた。
「あ、はい……」
 アレフは絨毯を捲った。すると床板に黒い染みを見つける。
 安い床材は表面を加工されていない木材そのままだ。何か、色のついた水をこぼしたのだろう。それがそのまま床に染み込んでいるようだ。絨毯はこの染みを隠すために敷かれていたのだろう。
 クレインは無言でその染みを撫でた。そして、絨毯の裏側を確認する。絨毯が暗い色なので注意して見ないと見逃してしまいがちだが、裏側にも微かな染みが見て取れた。幸いに表面には出ていないようだが。
「……あの」
「血だね」
 問いかけを遮って、クレインは言った。







  
,血痕


「…………え? 血?」
「この染みの大きさから考えると、結構な量だね」
「ど、どういうことですか?」
「推理材料もなしに答えを求められても俺も困るよ、管理人さん。……でも……、これで……うん。……説明がつくかもね」
 一人で納得するようにクレインは頷いた。アレフには何が何だか、わからない。
 立ち上がったクレインは暫くして、どこからかホウキを持ってきた。片腕で不器用に食器棚の割れたガラスを掃き集める彼に、アレフは声をかけた。
「私がします」
「あ、そう。うん、お願いするよ」
 ホウキを受け取ってアレフは部屋を掃除し始める。
 男が流した鼻血も雑巾を絞って拭き取る。血の名残がどうあっても床に染み付いてとれない。クレインはというと寝室から二つの写真立てを手にして家を出て行く。ドアを閉じたので外の様子は伺えないが、切れ切れに聞こえる会話から察するに、クレインは男の一人を叩き起こして何やら話を聞いているようすだ。
 威嚇するように、ドンと壁を蹴る音が聞こえ、小さな家が軋む。クレインの怪力を思えば、壁に穴を開けるのも造作もないような気がして、アレフは慌てて外に飛び出た。
「寝てろ」
 一言吐いて、クレインが男の頭に靴の踵を落とすところに出くわす。
 何をやっているのだ、この人はっ! 絶句するアレフに気付いてクレインは顔を上げた。
「管理人さん、管理官のオジサンに連絡して、こいつらから事情を詳しく聞いてもらって。こいつらがここに住んでる二人を捕まえている張本人だよ」
「誘拐犯?」
 ぎょっと目を剥くアレフに、クレインは「拘束しているだけだと思うけどね」と呟く。
「どういうことです?」
「だから、貴族の坊ちゃんを連れ戻すために雇われたんだよ。目的は坊ちゃんだから、その二人には手出しはしていないと思うけど。監禁されているとしたら、早く解放してあげたほうがいいでしょ。ここは管理人さんにお任せしてもいいよね?」
「え、あ、……クレインさんは?」
「俺はその二人を解放しにいくよ」
 クレインはもう既にこちらに背を向けて歩き出そうとしている。
「お一人で大丈夫ですか?」
 クレインは肩越しに手を振って応えた。
「うん、大丈夫。飯食ったばっかりだからね、邪魔する奴がいても撃退できるでしょ。まあ、勢いあまって殺したりはしないと思うけど……力加減がねぇ」
「ま、待ってください、私も参りますっ」
 アレフは慌ててクレインを追いかけた。二人前の肉を平らげたのだ、パワーが有り余っているだろう。暴走されたら困ったことになる。とはいえ、暴走したクレインを止める自信なんてかけらにもないのだが……。
「あいつらどうするの?」
「道中で、何方かにクリス・フォード管理官に伝言をお頼みします。はい」
 殺人だけは絶対に食い止めなくては、例えわが身に変えても。そう悲壮感漂う面持ちでアレフは言った。



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