第七章 午後六時 1,鍛えすぎもほどほどに オズワルドの店と看板にはあった。酒場と兼用のカジノとは特別珍しくない、普通に商売をやっていそうな店構えだが、店の奥に入るとそうではなかった。 ドリィの姉の家で出くわした男たちに勝るとも劣らない、大柄でいかにも暴力的な男たちが裏側ではたむろしていたのだ。 この店の売り物は酒でもカジノでもなく他でもない、この男たちの暴力だろう。 酒を飲んでいい気に賭博に興じる男たちに勝つだけ勝たせて、最後に有り金を巻き上げる。そして、客が納得できずに騒ぎ出した時に店の一番の売りである暴力をサービスするのだろう。 強面を揃え、この辺り一帯で幅を利かせ、真っ当に商売している者たちから地代を巻き上げたり、依頼人に代行して、暴力を執行したり。 例えば、借金の返済をしない者だったり、土地を買いたがる人間相手に己の土地を売ることを拒む者だったり、そうした相手を暴力で脅し考え方を改めさせる。そんな感じで成立している店なのだろう。 他にも禁止されている麻薬を売ったり、または盗品を横流ししたりしているかもしれない。この手の輩はどんな町にもいる。エイーナの町も例外はない。 ただ、エイーナはアレフが取締りを強化したのとクレインが帰ってきて、その手の輩が表立って目立つことはなくなってきただけで。 クレインは表の酒場を横切り、カジノテーブルを置いてあるところもすぎて、店の奥に向かう。半地下になった通路に出番を待つ大男たち。彼らは闖入者に一瞬、キョトンとした顔を見せた。 「どうしたんですかい、お客さん。ここは関係者以外、立ち入り禁止ですぜ」 通路を塞ぐように立ちはだかった男を、クレインは半眼で見上げた。 「店の代表と話がしたい。町外れに住んでいる二人の姉弟のことだと言えばわかるだろ」 男は側に居た別の男と顔を見合わせた。 「クラスターの家のお使いの方ですか?」 クレインは「違う」と馬鹿正直に答えた。話を合わせてみたところで、二人の解放という段階になれば、クラスター家の人間とは無関係なことは直ぐに知れる。 ユーシスを連れ戻そうとする彼の家の者が当の本人がいないのに、手掛りとなり餌にもなりうる存在を手放すはずはないのだ。 そう……ここには坊ちゃんはいない。クレインは確信していた。 「それじゃあ、お通しできませんな。お帰りくだせぇ」 男は一歩、踏み出してきた。威圧でクレインたちを追い払おうとする。男たちにしては穏便な処置だろう。しかし、ここで引くわけにはいかないのはクレインたちも同じだ。 「十秒だけ、時間をやる。今すぐ、店の代表者を出せ」 クレインは言ったそばからカウントし始める。呆気にとられる男たちを前に十秒数えきってしまったクレインは、ズイッと一歩を踏み出した。塞がる男の巨体を片手で押しやる。男はたやすく転んだ。 「なっ?」 もう一人の男が再び、通路を塞いだ。 通り越した男がアレフの背後で立ち上がる。前後を抑えられてしまった。アレフは慌てて剣に手を伸ばすが、通路は狭く、剣を振り回せばクレインにまで被害が及んでしまう可能性に手を離す。 剣が使えたら……。そうすれば、クレインの背中を守れるだけの自信はアレフにはあった。 剣聖と称される幼馴染みに手ほどきを受けて、それなりに使える。でも、剣を握れないとなるとどこまでできるか。クレインの暴走を止めるつもりでついてきたのだ。クレインの足手まといになるつもりもなかった。 「大人しく帰りなせぇ。今なら見逃してやりますぜ。俺たちも片手なしの御仁をいたぶるほど落ちぶれちゃいねぇ」 背後の男が言った。自分が転んだのは油断と思っているのだろうか。 「その目は節穴かね? 確かに俺は片腕失くしちゃったけどね。でも、木偶の坊相手に負けるほど俺も落ちぶれちゃいないわけよ」 薄く笑ってクレインは、首を巡らし後方の男を振り返った。前方の男は無視されて顔を真っ赤にさせる。 「木偶の坊だと?」 歯軋りをして男が迫ってきた。 クレインは後ろを向いたまま、左手を振り上げ、男の顎を殴りあげる。まったく予想していなかった強襲に男は一発でノックダウンだ。 「……失言だな。木偶の坊よりも役に立たない。腰をすえて立っていられると俺もさすがに押し倒せないが。動く相手だったらバランスさえ崩せば指一本でもこかせるぞ」 倒れた男を一瞥して、吐き捨てると前を向き通路を突き進む。 暫くして置き去りにされた男がドシドシと迫ってくる。 アレフは背中に迫る殺気に足を速めた。しかし、先を歩いているクレインが急に立ち止まった。危うくぶつかりそうになるところを、たたらを踏んで、とどまる。そこへクレインが左手をアレフの肩に置かれたかと思うと、アレフを軸に反転し真後ろにきていた男に飛び蹴りを食らわせた。 肩に受けた体重に、バランスを崩して前に転びそうになるアレフの身体を、着地したクレインの腕が強引に引き戻す。が、勢いがつきすぎて今度は蹴り倒された男の腹部にドスンと尻餅をついた。 アレフの下で、男は蛙が潰れたような声を上げ、口から舌を出してのびた。 2,自分にできること 「ナイス、管理人さん」 「……意図したわけじゃないのですけど……」 アレフは立ち上がりながら、恨めしげにクレインを見上げる。 「本当に、クレインさんはお強いのですね」 彼の背中を守らなければと、意気込んでいた自分が恥ずかしくなってくる。 「そうかね。頭に血が上っている相手だったら意表を突けば簡単でしょ。管理人さんは、何でも真面目に真正面から向き合おうとするから、動きを制限されるんだよ」 「……私に何かできましたか?」 「逃げることできたよね。今、この場で戦えないのなら、逃げて自分に有利な場に引き込むとか、ね。あと、どうして、剣を抜かなかったの?」 「説明するまでもないでしょう?」 アレフはドリィの姉の家での一件を口にした。クレインに怪我を負わしてしまうという心配もあったが、何よりも剣を振り回せる広さがこの通路にはない。 「うん、まあ、この狭い場所で剣は抜いたところで役には立たないよ。でも、牽制にはなるでしょ」 「…………」 「不利な状態を相手に不利だと、悟らせたら駄目なんだよ。むしろ、それを逆手に取るんだ。あいつらは俺を片手なしと言った。片腕だけの俺が奴らに勝てるわけないと高をくくっていたわけさ。見下した相手に見下されたら、どんな気分?」 真剣に十秒ほど考えて、アレフは応えた。 「……嫌な気分になると思います」 「まあ、冷静な判断なんてできないよね。無防備に突っ込んでくる。そんな相手ならイチコロでしょ」 「そこまでお考えで……」 無防備に相手に背中を向けたのか。アレフは驚愕に目を見張る。 自分なら怖くて、敵に背中を向けるなんてできないけれど。 クレインは薄く笑った。そして、通路を歩き出す。階段があって折り返し、さらに地下にもぐる。頭上は酒場だろうか。そこを少し歩くと右に通路が折れていた。そのギリギリのところまで歩いて、クレインは壁に背を預けて、覗く。 両側に一つずつと突き当たりに一つのドアを見つけた。手前のドアの前には見張りらしい男たちがいる。彼らは通路の真ん中に丸椅子を置いて、カードに興じていた。 「この中にドリィさんの姉上様はいらっしゃるのでしょうか?」 「うん、間違いないだろうね」 「でも……これは厄介ではありませんか。廊下に出た時点で全ての敵と相対してしまいます」 各ドアに二人ずつ。計四名。奥の部屋が事務所だろうか? 他に仲間をいることを思えばさらに数は増える。剣をマトモに使えない状況ではアレフにできることは少ない。 「クリス・フォード管理官にお願いして、増援を頼みましょうか。この場合、誘拐罪が適用されると思います」 「ま、そうだね。それもいいけど、時間が掛かりすぎる。せっかく、眠ってもらった奴らが起きちゃうし、増援を呼びに言って、それが来るまで奴らが逃げ出さないとも限らない。それを誰が見張る?」 「……無理ですね」 「大丈夫、この程度なら俺と管理人さんで片付けられるよ。それに連絡を受けた管理官のオジサンのほうから駆けつけてきてくれるでしょ」 軽く請け負うとクレインは通路を曲がった。アレフはその背中を追う。 3,先手必勝! あまりに自然に現れたものだから、男たちはクレインを仲間ないし、店主の取引相手かと思った。 「代表はどこ?」 クレインも気負うことなく、親しげな口調で問いかける。手前の男が一番奥を指差した。 「ああ、どうも」 男の前を通り抜けざま、クレインはその横っ面を張り倒す。 本当にこれが大の大人なのかと思うほど、軽く吹き飛ばされる。 床に転倒した男は、呻きながら起き上がろうとする。アレフは我に返って、鞘に収めたままの剣を男の頭に振り下ろした。脳震盪を起こして、男は意識を失う。 男と組んでいたもう一人が反応した。 が、それより先にクレインの足が男の首筋を捕らえ、床へと蹴り伏せる。床に顔面から叩きつけられた男は鼻を潰し、鼻血を撒き散らす。その背中をクレインは踏みつけ、後頭部に靴底を置いて力を入れた。 次に向かい側のドアに張り付いていた二人組みがクレインに迫る。 アレフはその一人の足元に剣を突き出した。 くるぶしを強く突く。バランスを崩して前のめりに突っ込んでくる男の背中に、クレインは左手をついて、馬跳びの形で飛び越えると、もう一人の男に肩でタックルを食らわせる。 壁に押し付けられた男の腹部に膝を入れて、昏倒させる。そして、振り向きざまにギリギリで転倒するのを持ちこたえていた男の背中に蹴りを入れて壁に叩きつける。 それでも意識を失わない男の頭を手につかむと、ゴツンと壁とキスをさせてやった。この状況では確実に意識を奪っておかなければならない。 「管理人さんもやるね」 「お役に立てましたら幸いです」 アレフは剣を抱きかかえながら、ホッと息を吐いた。 クレインの言うとおりだ。この場で剣は抜けないが、抜けないなりに使い道があった。クレインのように素手で応対するには腕力が足りないが、それは硬い鞘が補ってくれる。 何もできないと決め付けるのは、あまりにも早計すぎる。 「でも、まだ、気を抜かないでね……」 クレインが言ってきた。突き当りのドアが開き、またも大柄な男たちが出てくる。 「何者だ、貴様らっ!」 二人、三人と続いて現れるのを目で数えながら、クレインは男たちがカードで遊ぶ際にテーブル代わりに使っていた丸椅子を左手にすると、それを先頭きってやってくる男めがけて投げた。 脳天をぶつけてうずくまるそいつに、クレインは一気に男たちとの距離を縮めた。そして、落ちているものを拾い上げるように床すれすれの位置から、男の首をヒッ捕まえると、男の巨体を後ろに続く仲間に押し付けた。ドミノ倒しのように後ろに揃って倒れていく。その片端からクレインは意識を奪っていく。アレフが駆けつけたときには、もう全員がのされていた。 気を抜くな、とクレインは言ったが、緊張している暇もなしに終わってしまった。まったく、この人はどういう腕力をしているのだろう。 4,最高の集団 呆れ気味に横顔を伺うアレフの視線に気付いて、クレインは小首を傾げた。 「どうかした、管理人さん」 「どういう鍛え方をしたら、そのような怪力になれるのでしょう」 「怪力かね?」 クレインは自分の左手を握ったり開いたりして、呟いた。 「十分、怪力だと思います」 「うーん、でも、お嬢に比べたら、まだまだだと思うよ。お嬢はさ、手の平で岩を砕くんだぜ。俺はとても真似できないよ」 「……は? 岩?」 「そう。落石事故があったとき、普通は宮廷魔法師が出張るんだけど、ちょうど現場近くに出張っていたお嬢が道を塞いでいた岩をこう両手で押さえ込むと、ボロボロと」 「それ……魔法ではなく、人が自力で?」 「うん。もう外見は女の子みたいな奴で細いんだけど、あの怪力は騎士団の中じゃナンバーワンだろうね。怪力に関しては王子様もお嬢に勝てないと思うよ」 「……そのお嬢さんといいますのは男の方なのですか?」 「うん。黄色部隊の副隊長だよ。名前、知っている?」 「確か……カイン・ナイト殿」 アレフは、どう聞いても男のものであるその名前を口にした。 「正真正銘の男だね。まあ、女顔の男なんて王様と姫殿様からして珍しくもないけどね」 「国王陛下におかれましては、遥か昔ではありますが遠くからご拝顔させて頂きました。確かにとてもお綺麗な、女性的なお顔立ちで……」 「美人だよね。でも、中身はハッキリ言って男なんだよ。けど、お嬢の場合は中身も女の子らしいというか、おしとやかで──何でも、小さい頃、お袋さんがお嬢を騎士にしたくなくて、女の子として育てていたせいで、その頃の習慣が抜けないんだって──素直なもんだから、血迷う男がいっぱいいるのよ。お嬢の部隊じゃファンクラブもできてるほど。うちの王子様や黒の別嬪さんは、男としての美人だけど、お嬢は男にしておくのが惜しい美人だね。女だったら、嫁さんに貰いたいくらいだよ……まあ、あの怪力が難点って言えば難点だけど」 「……王宮って色々な方が集まっていらっしゃるのですね」 クレインは「最高の集団だったね」と笑い、突き当りのドアを開けた。 重厚な執務机の奥にいたのは、いかにも頭脳で世の中を渡っているような青年だった。彼があの男たちを操っていたのだろう。それにしては若すぎる気もするが、裏世界は血族で続いている場合があるから珍しくもない。 「何者ですか、貴殿らは。ここがオズワルドの店であることをご承知で来店されたのであれば、店の者を通して頂きたい。いきなり入ってくるなど、お客様であっても承服しかねますな」 余裕をかましているのか、それが生来のものかわからないが、青年はもったいぶった言い回しで口を開いた。 「生憎、アンタの店の者はグッスリとお寝んねしてるよ。それに、俺たちは客じゃない。町外れに住んでいる二人を解放してもらいたい」 「何のことですか?」 とぼける青年に、クレインはズカズカと部屋を横切ると、執務机の上に一枚の写真を置いた。 ドリィの姉の家にあった写真を、写真立てから抜いて持ってきていた。 「いるんだろ、この二人。今すぐ、解放すれば誘拐罪には問わないでやる」 「……誘拐罪?」 「アンタが依頼されているのは坊ちゃんの身柄の確保であって、姉さんを捕まえることはその依頼の中には含まれていないはずだ。幾ら、貴族様の後ろ盾があるにしても、姉さんに対する不当な拘束は犯罪とみなされるが?」 「何者ですか、貴殿らは」 「それを聞く前に、二人の解放の意志は?」 「馬鹿な。誘拐など、彼らは正式な客人だ。解放も何もあるものか」 抵抗する青年をクレインは「あ、そう」と鼻で息を吐くと、指先で青年の額を突いた。一見、軽い仕草に見えたが、青年は革張りの椅子ごと転倒した。アレフが執務机を回り込んで青年を覗き込むと、彼は白目を剥いてのびていた。 クレインは謙遜したが、やはりその怪力は並じゃない。 「……まあ、別に承諾を貰う義理もこちらにないからね」 軽く肩を竦めるとクレインは部屋を出た。そして、男たちが見張っていたドアを開いた。 |