トップへ  本棚へ




 第九章 その後



 
,思わぬ展開

 
 クレインの雑貨屋は奇妙な緊張感に包まれていた。
「へえ〜、それで?」
 笑みを浮かべて聞いてくるその声が、どことなくトゲをはらんでいる様に聞こえるのは気のせいなのだろうか?
 アレフは目の前に腕を組んで立つ、金髪にエメラルドグリーンの瞳の少年をマジマジと見つめた。
 頬を引きつらせ、眉間に皺を寄せ、こめかみに青筋を浮かべた少年は、アレフの視線に気がついて、剣呑な表情を向けてきた。
 十代前半にしか見えない幼い顔立ちの少年だが、まとう雰囲気は威厳があった。それもそう、少年は単に童顔であって、実際年齢は二十二歳。アレフより二つ年下で、宮廷魔法師団<<十七柱>>の団長を務めるディード・クエンツその人である。
 フォレスト王国が軍隊を保持せずに済んでいる、最強集団をまとめている。どこからどう見ても、十代にしか見えない彼が。
 …………本当に、この少年がディード様?
 思わず浮かんだ疑念が顔に表れたのか、ディードは顔から零れ落ちそうなくらい大きな瞳でアレフを睨む。
「何だ?」
 寝起きのクレインに負けず劣らずの不機嫌さで、アレフは思わず一歩ひく。
「団長、そんな目で睨んだら駄目ですよ」
 柔らかな声音でディードをなだめるのは、薄茶色の髪にアイスグリーンの瞳の中性的な顔立ちの青年。男とも、女ともとれるその顔立ち自体は平凡だが、愛想のいい笑顔は親しみを覚える。
 彼はロベルト・エミリーと名乗った。二十五歳というから、アレフより一つ年上になる。黒の詰襟の上着はディードと同じで、宮廷魔法師団の制服だった。
「別に睨んでねぇ」
 ロベルトに注意されたディードはフン、と鼻を鳴らし子供っぽい所作で、アレフから視線をそらした。
「すみませんね」
 優しげに微笑んで、ロベルトが謝ってきた。謝られるいわれなどないが、アレフは軽く頷いた。
「団長。まだ、怒っていたんですか? セイラ様の耳に入った時点で、こうなることは予測していたでしょう」
 肩を怒らせるディードに、ロベルトは呆れたように息を吐いた。
「俺が腹を立てているのは、そのセイラの耳にわざわざこの話を持ち込んだ、クレイン、テメェだっ!」
 ディードは再びこちらに目を向けると、噛み付くように咆えた。その咆哮を受けても、アレフの隣に佇むクレインは泰然としている。 
 ……宮廷魔法師団の団長様相手に、怖くないのか、この人は?
 アレフは、相変わらず飄々としたクレインの態度に舌を巻く。上級魔法使いの魔力を持ってすれば、人を瞬殺することなど、造作もないというのに。
「いや、何度も言うように、俺だって、お姫様を巻き込もうと思ったわけじゃないよ、坊ちゃん」
「坊ちゃんじゃねぇっ!」
 今にも神経、ぶち切りそうな勢いで、ディードは喚いた。
 二十二歳にして、十代前半にしか見えない童顔のディードに対して、「坊ちゃん」というあだ名は配慮がなさすぎる気がした。恐らくは、ディード本人も童顔を気にしているのだろう。
「だから、エバンスの若殿様のところにお願いしに行ったら、たまたまお姫様がいて」
「それで……聞かせたわけか? 貴族の家を出奔して一緒になった夫婦が、何だ? 家に追われ、反対された義弟と言い争って、喧嘩して、間違って人を殺したと思い込んで? それで記憶を改ざんした挙句に、自分のわが子を捨て子としてお前の店先に置いたっていう話を」
「……要約しすぎですよ、団長。そのユーシスさんという方も苦労したんですから」
「苦労したから、誰かに迷惑かけていいっていう理屈になるかっ!」
 激烈な感情をむき出しにするディードに、ロベルトは落ち着いてくださいよ、となだめる。
「落ち着けだぁ? あんまりふざけたこと抜かすなよ。この顛末に落ち着いてられるか、何でよりにもよって、セイラの耳に入れたんだっ!」
 詰め寄ったディードに、クレインはのほほんと問い返す。
「じゃあ、王様だったら良かったんで?」
「なお悪いっ! ってーか、セイラから筒抜けだっ!」
 ディードの絶叫が轟いた。







 
,選び取るもの


 一年間、心をすれ違わせていた夫婦が元の鞘に戻った翌日、クレインは起抜けの不機嫌さを隠しもせずに、問いただす。
「それで、アンタらどうすんの?」
 昨夜、ユーシスとマリーはアレフの屋敷に泊まった。治安管理官事務所の裏手は管理官の屋敷になっていて、そこは捜査のためにやって来る騎士たちを泊めるため、客室が多く用意されていた。その一室を、夫婦に貸したアレフは朝、彼らと共にクレインの店に再びやって来た。
 クレインの朝食をてきぱきと用意するユーシスにマリーは手を貸した。一年のブランクなどなかったように、仲むつまじい夫婦を眺めて、アレフは心の底から良かった、と思う。
 そうしていると、九時になって二階からクレインが降りてきた。彼は台所に並んでいる三人を目の端に止めると、テーブルに着いた。
「一号、飯」
 一言、口にすると、ユーシスが朝食と新聞を彼の前に並べる。クレインは新聞を眺め、サンドイッチを全て平らげてから、一息つくように顔を上げた。そこで従業員以外の顔を目に留め、先程に戻る。
「それで、アンタらどうすんの?」
 黙ったままの二人に、クレインが繰り返し問いかけた。
「……どうと、言われても」
 前置きがないのだから、どうするのだ? と聞かれても、何に対して問われているのかわからないので、答えようがない。ユーシスは困ったような顔を見せた。
 記憶が正されたからなのか、少年の口調は良いところのお坊ちゃんと伺わせるものになっていた。今までの少年とは違う話しぶりに、アレフとしては違和感を覚えてしまうのだが、こちらが本来の姿なのだと納得させる。
「一言で言ってしまえば、一号の立場は微妙だよ。今回の一件で、家のほうにアンタの所在はバレちゃったわけだ。さて、どうする? また、逃げる? 今度は赤ん坊と、記憶障害に陥った弟さんを連れて」
「…………それは」
 俯くユーシスに、クレインはコツコツと指先でテーブルを叩いた。
「一号、アンタはどうするつもり? アンタの望みは何?」
「……望み」
 あの夢の中で、願った祈りは神に届いたのだろうか?
 マリーが抱きかかえる赤ん坊に、殺人者としての汚名を着せずに済んだ。これは神が祈りに対して与えてくださった奇跡だろうか?
 もし、また願うことがあれば、声は再び、星に届くだろうか。
「クレインさん、神はおられると思いますか?」
「神様ね。アンタだって知ってるでしょ? 神様はいても、望みなんて叶えてくれない。望みがあのなら、それを叶えるのは自分自身だよ」
「……そう……でしたね」
 神が万能ではないことを、フォレスト王国の歴史が物語っていた。
 この国が唯一、信仰として認めているのは、女神メレーラ。しかし、その実体は神ではなく、祖王の妃であった女性だ。
 彼女は荒れ果てた大陸を統一していく、祖王と七人の臣下の──この七人が七家の先祖だ──傍らで人々に希望を訴え、自らの手で、足で、運命を切り開いていくことを語り聞かせた。
 それが現在、フォレスト王国が信仰している神だ。神と崇められているが、その真の姿が人であることは誰もが知っている。
 真実の神に祈ったところで、願いは叶えられることはない。
「神様に祈ることがあるのなら、そのための努力をすべきなんじゃないの? それでアンタは何を祈るの?」
 冷たく見つめてくるクレインにユーシスは首を振った。
「クレインさんの言われるとおりです。私はただ祈るばかり……。それではいけないのですよね」
「何かを願うことは悪くないよ。それは前を見据えることだからさ。でも、願いを叶えて欲しいって祈って、それで願いは叶えられるわけ? 立ち止まったままじゃ、何も変わらない。今回の一連の事件はアンタが奥さんを見つけたいと願って、行動を起こしたから今の結果が出た。思うだけじゃ、何も叶えられない。それはわかったよね?」
「はい……」
「ならば、望みを叶えるために、アンタは選択を下さなければならない。家に戻る? それとも、逃げる? もしくは、このままここに止まって、家と話し合う?」
「私はできることなら、このまま、クレインさんの元で働けたらと思います」
 キッと決意に満ちた眼差しで、ユーシスは告げた。クレインは薄く笑う。
「うん、それは俺からもお願いしたいところだね。また別の従業員を探すのも面倒だしね。……じゃあ、アンタは貴族には戻るつもりはない。そう判断していいわけね?」
「家を出たときから、その決意は変わりません」
「そのためなら、少しぐらいの苦労も構わない?」
「マリーとユニを幸せにできるのでしたら、私はどのようなことでも」
 業火に焼かれても構わない。夢の中での決心は、一つも変わらない。
 ユーシスの言葉を受けて、クレインは頷いた。そして、そっと立ち上がる。
「じゃあ、行こうか」
「行くって、どちらへ?」
 成り行きを見守っていたアレフは台所を出て行くクレインの背中に、問いかけた。
 クレインは肩越しに振り返って、不敵に微笑む。
「若殿様のところ」
「…………ご当主様っ?」
 そうして、話はトントンと進む。







 
,お姫様暴走


「団長、いい加減、諦めましょう」
 絶叫して、ゼイハアと肩で息を吐くディードに、ロベルトは言った。
「もういまさら、どうしようもありませんって」
 既に諦観しているロベルトをディードは睨んだ。この男は何に対しても諦めが早すぎるのが問題だった。
「お前、諦めるの早すぎだろっ?」
「団長。足掻いたって、疲れるだけです。諦めてしまえば、まあ、意外に大したことありませんよ」
「大したことないっ? 大したことないって言うか? この馬鹿騒ぎで、ジジイらに嫌味を言われるのは俺なんだぞっ? くそっ! 誰だっ! セイラのエバンス行きを許可したのはっ!」
 地団駄踏んで声を荒げるディードの姿はまるで子供だ。本当に、この人は二十二歳になるのだろうか? アレフは首を傾げてしまう。
 そんな外野にお構いなしに、ロベルトはディードに向かって盛大なため息を吐いた。
「……団長ですよ。忘れたんですか? 陛下たちがお忍びで城外に出られたことが発覚して、ご老人方に監督不行き届きを咎められた団長が、セイラ様に言ったんじゃないですか。頼むから、お前は真似をしてくれるなよ、と」
「…………」
 ディードの動きがピタリと止まる。やれやれ、と言いたげに首を振って、ロベルトは続けた。
「それでセイラ様が、ならば大人しくしているから、週末にエバンスに遊びに行くのを許してくれるか、と問われて、団長が二つ返事でオッケーしたの、よもや忘れてないでしょうね?」
 アイスグリーンの瞳で見つめてくる部下から、ディードは思いっきり顔をそらした。首を物凄く捻っている。大丈夫だろうか?
「大体、団長は短絡すぎますって。陛下や殿下たちと違って、セイラ様に城の警備の目を盗んで、外に出られる行動力があると思っているんですか?」
「…………ないね」
 ポツリとクレインが呟いて、ロベルトはその声に、ええ、と頷いた。
「城の城壁は飛び越えられる高さじゃありません。それこそ、ある程度の高さのある建物から飛び移らなければ無理です。こんなことできるのは、ウィラード様ぐらいです」
「あいつの前世はサルだ」
 ディードは顔をそらしたまま、ぼやいた。
「そして、陛下やジズリーズ様みたいに、セイラ様は城の警備兵を言い含めて懐柔できるほど、弁が立ちません」
「あの二人の前世は詐欺師に違いない、そう思わないか?」
 ディードが再び、ぼやいて、ロベルトに視線を投げた。青年魔法師はエメラルドグリーンの瞳を見つめ返して、頬を引きつらせた。
「返答するのに、勇気がいる問いは止めてくださいよ。ともかく、……セイラ様は兄上方と違って、心根の真っ直ぐな姫君なのですから、警備兵を謀るなんてできません」
「頭、腐ってるけどな」
 三度、憎憎しげにディードがぼやく。
「何を言っているんですか。年頃の女の子らしくていいじゃないですか。恋愛至上主義。──まあ、俺は姫様に言わせれば女性の敵らしいですが」
 セリフの後半、遠い目をしたロベルトにクレインは相変わらず、モテているらしいね、と忍び笑う。ロベルトは万人に優しい故に、その優しさを自分だけのものと誤解する女性が後を絶たなかった。
「まあ、姫様の主義主張はちょっと迷惑と言えば、迷惑だけどね」
 そうして、クレインは気がなさそうに言って、ディードが大迷惑だ、と叫んだ。
 一体、王家の兄弟とはどんな人たちなんだ?
 アレフはやり取りされる会話に目を白黒させる。
 話の内容はどうやら、王家のセイラに関してのことらしい。
 ということは……アレフは先日の一件を回想した。


 エバンス家へ向かうと言うクレインに付き添って、アレフもまた同行した。ユーシスを追う者たちが現れないとは限らず、夫婦と本物のドリィ少年も同行させる。
 そうして、訪れたエバンス家では、国王の妹姫セイラが遊びに来ていた。
 肩で切りそろえた金髪。サイドの髪を細いリボンで結っている。髪飾りはそれだけ。服装もシンプルなワンピースで、町中で見かける女性と大して変わらない装いだ。本当に王家の姫君か? しかし、その飾り気のなさが少女の愛らしい顔立ちを引き立たせて、華やいだ雰囲気を纏っていた。
 その少女はサファイアブルーの瞳で、クレインたち一行を目に留めると、一瞬、驚いたように目を見開いた後、心の底から嬉しそうな笑みを浮かべた。
「まあ、クレインっ! こちらであなたと逢えるなんて、思ってもいなかったわ」
「それは、俺もね、お姫様。相変わらず、エバンスの若殿様にぞっこんなんだ」
「そういうあなたも相変わらずね、仮にも私は王家の姫なのだけれど?」
「堅苦しいのは嫌いだったでしょ、お姫様。今は変わった?」
 クレインの返答に、セイラはニッコリと笑った。
 宮廷魔法師は希少種であるがゆえに、家柄など関係なく王宮に召し抱えられる。そんな彼らが窮屈さを感じさせない場所でありたいと、先代国王は語り、現在の国王ジルビアも堅苦しさを毛嫌いしていた。
 このクレインの性格が十年近くの騎士生活で改善されなかったのは、そういうわけだ。
「私のことを覚えてくれていたのね、嬉しいわ。でも、やっぱり、名前は覚えていないのでしょう?」
「えっーと……」
 思い出そうかという素振りを見せるクレインに、セイラは慌てて言った。
「やめて。言わなくていいわ。実際に違う名前を出されたら、困るから」
 十中八九、違う名前が出るのでしょうけど、とセイラはため息をこぼす。
 その後、姫君はクレインの同行者たちに会釈をした。
「どちら様かしら? あ、ごめんなさい。名前を尋ねる場合は、まずは自分が名乗ってからね。私はセイラ・フォレスよ。あなたたちのお名前を聞かせてもらえるかしら?」
 笑顔で促してくる姫君に、戸惑いながらアレフたちは名前を名乗った。
「それで、私に頼みがあるというのは、どういうことでしょう? 私などで事足りる用件であればよいのですが」
 エバンス家の当主クライは、クレインに切れ長の目の奥から、ラピスラズリ色の瞳を向けて、小首を傾げた。唇に浮かんでいるのは淡い微笑。アレフは幼馴染みに対して、いつも笑っている印象しか持っていない。若い統治者ということで周りの者たちの不安を軽減させるべく、この幼馴染みはいつも笑顔でいた。
「大した用件じゃないよ。この二人の結婚証明書にサインを入れて欲しいんだ。俺だと後で色々と難癖をつけられそうなんでね」
「結婚?」
 問い返してきたセイラの瞳が、そのとき、異様にきらめいて見えた。
「詳しく聞かせて」
 クレインが今回の捨て子騒動を話して聞かせた後、セイラの瞳はらんらんと輝いていた。
「何てこと、愛する二人を引き裂こうだなんてっ! そんなこと許されるべきではないわ。わかったわ、クレイン。ここは私に任せて頂戴。ユーシスさんとマリーさんの恋路は私が見事、ハッピーエンドに導いてあげるわっ!」
 意気揚々と宣言する姫君を、アレフは呆然と見上げた。その後ろでエバンス家の当主と元騎士は目を見合わせ、苦笑した。
 恋愛小説を愛読し、恋愛至上主義を掲げる姫君は、常日頃から恋する乙女の味方なの、と公言してはばからない。そんな姫君のこの行動は驚くべきものではなかった。こうして、ユーシスたちの身柄は姫君が預かることとなった。
 それで終わりかと思っていたが……。







 
,選び取った答え


「お姫様、何をやらかしたの?」
 クレインがロベルトに尋ねると、宮廷魔法師は微かに笑って告げた。
「ユーシスさんとマリーさんの結婚式を王宮で執り行いたいと言われたんです。まあ、それで……」
「王様は許可したわけね」
 ありえそうなことなので、クレインは驚かない。
 国王ジルビアは「国民の為に心血注いで働いているんだから、多少の我が儘ぐらい許せよ」と言って臣下を振り回すのを趣味としていた。
 王位に就いて四年。この大国を破綻なく統治している手腕は誰もが認めるところなので、中々反論できないでいる。
 そして、それが理不尽な我が儘であるのなら、断固阻止できるのだが、今回の結婚式にしても費用はジルビアとその弟ジズリーズが──王立学院を首席で卒業しただけあって──名前を偽り、様々なところで投資して増やしたポケットマネーを出してきたものだから、税金の無駄遣いはするな! と言えない。
 こうして、政務を担う老人たちは言葉を封じられ、宮廷魔法師団団長のディードに国王の行動を止められなかった責を嫌味として言ってくる。
 もう既に知っているかのような口ぶりのクレインに、ディードは眉間の皺を深めた。幼い顔立ちが果てしなく凶悪に歪む。
「お前、それを見越してセイラに吹き込んだだろっ!」
「誤解だって。俺はエバンスの若殿様のサインすら貰えれば良かったんだから。まあ、若殿様のサインだって、疑えばきりがないし、一号の家のほうが納得するか否か、わからなかったけど。お城の連中、巻き込む気はこれっぽっちもなかったのは、ホント。だって、考えてもみてよ。お姫様がエバンスに来ているのを事前に知るなんて、できやしないでしょ? 公式スケジュールならともかく」
 予期せぬ訪問を実現させたのは他ならぬ、ディードである。
「…………」
 ポンとディードの肩を叩いて、ロベルトは決定的な事実を口にする。
「諦めましょう、団長。もう俺たちがここに来ている時点で、セイラ様に負けているんですから」
「で、二人は何しに来たの? まさか、俺に文句を言いに?」
「いえ。今日、お二人の結婚式が行われるんです。それで、ユーシスさんが是非とも、クレインさんとアレフさんにも参列して欲しいということで、セイラ様に頼まれたんです、お二人を王宮に連れてきて欲しいと――」
 ロベルトはすがすがしい笑顔で、隣に立つ上司を指差した。
「団長にね。俺は団長のお供です」
 クレインは軽く肩を竦めて、童顔の宮廷魔法師団団長を見据えて言った。
「負けてんじゃん」
「やかましいっ!」


「空間酔いをするから目を閉じていたほうがいいですよ」とロベルトに言われて、アレフは目を瞑った。瞬間、身体が一瞬浮き上がるように軽くなる。
「アレフさん、目を開けていいですよ」
 柔らかな声に目を見開くと、周りの光景は一変していた。クレインの雑貨屋から、移動魔法で連れてこられたそこは石造りの広間。床に視線を落とすと、色違いの石で魔法陣が描かれていた。
「ここは?」
「王宮地下の魔法陣の間です。魔法道の出入り口ですね。さあ、行きましょう」
 ロベルトが視線で促すと、ディードとクレインは既に部屋の出口に向かっていた。
 地下から出て、廊下を歩きながらクレインは周囲を眺めた。
 一年前は頻繁に歩き回っていたそこは少しも変わらない。そんな彼に気付いて、ロベルトが笑顔で問いかけてきた。
「懐かしいんじゃないですか?」
「ああ、まあそうね」
 クレインは薄く笑う。
「復帰する気はないんですか? クレインさんなら大歓迎で迎えられると思いますけど」
 ロベルトが言って、クレインの横に並んだ。アレフは二人の背中を追いかけて、会話に耳を傾ける。確かに、ロベルトの言うとおり、クレインなら隻腕でも騎士を続けていくのに支障はない気がする。十分、強いのだから。
「うーん、ないね」
 クレインは軽く首を捻りながら、答えた。
「確かに、ここでの生活は充実していたし……正直に言えば、未練はあるよ」
 前方を行くディードが肩越しに振り返って、言った。
「ならば、戻ってくればいいじゃねぇか。何か、問題あるのか? カラだって、お前の復帰を望んでるだろ?」
 カラというのはクレインの後釜に据えられた少年だった。クレインが自ら見込んで、副隊長に任命した。王子様に憧れて騎士を目指したというので──王子様には姫様だろう、とわけのわからないことを言って──姫さんとクレインは命名していた。
「姫さんには悪いことしたと思っているよ。騎士一年目で、副隊長なんかやらされて。でも、部隊運営に問題は生じてないんでしょ?」
「カラ君は皆に好かれていますからね」
 ロベルトは頷いた。年少の副隊長を青色部隊の人間は好意的に受け入れられていた。
「うん、ならば俺が今さら戻る必要なんてないでしょ」
「…………そういう問題とは違う気がするが?」
 論点がずれていないか? と、眉をひそめるディードにクレインは笑みを返した。
「いいんだよ、それで。俺は騎士を辞めた。それは俺自身が決めたことなわけでしょ? ならば、俺はもう騎士にはならない。それも俺が決めたことだよ」
「ですが……」
「どんなに願っても、俺の右腕は戻らない。それこそ、万能なる神様がいれば、そして、俺の願いを聞き入れてくれれば腕が戻るかもしれない。でも、万能な神様なんていやしないでしょ?」
 誰もが知っていることを、クレインは改めて口にした。
 絶大なる魔力を持った宮廷魔法師でさえ、クレインの腕を元に戻すことなんて無理だ。生命魔法は彼らが持つ魔力の質が違っていた。
 生命魔法を操る魔法医師の能力もまた、限られていた。
 人の限界。それは神にも同じことが言えた。
 だから、この国は神に頼らないことを信条とする。
「祈れば全てが叶うと言うなら、俺は土下座でもするよ。でも、祈るだけじゃ、願うだけじゃ前には進めない。違う?」
 クレインは二人の宮廷魔法師に意味ありげな視線を差し向けた。二人はそれぞれ、何か思い当たるような顔を見せた。
「前に進むためには、何かを選ばなければならない。俺は騎士を辞めることを選んだ。つまりはそういうことだよ。結局、未練だけでここに残ったって、俺は今までと同じように剣を握れない自分に、歯がゆい思いをするだけだろうから、これで良かったんだよ」
 アレフは、唇の端を持ち上げて笑うクレインの横顔を眺めた。
 祈ること、願うこと、それだけでは駄目なのだと、あの朝にユーシスに言い聞かせながら、クレインもまた、自分に言い聞かせていたのではないだろうか。
 決して、戻れない場所があることを。戻れない自分がいることを。
 壊れたものなら幾らでも修復できる。だが、失われたものは二度と手に入らない。
 人の命も信頼も……。
 ユーシスはマリーとの関係を壊していたが、底に残る愛情は健在だったから、取り戻すことができた。だが、クレインの右腕は決して、元には戻らない。
 未練を断ち切って、前に進むために、今ここで彼は宣言する。騎士には戻らないことを。
「何だか、耳が痛いですね」
 クレインの言葉に微苦笑を浮かべて、ロベルトは呟いた。
「俺は……流されて生きてきたようなものだから」
「でも、今のアンタはここで笑っている。それはアンタが選んだことでしょ?」
「……そうだと、いいですね」
 まだ少し自信がないと言うように、淡く微笑む部下をディードは横目に見やった。無言のその表情もまた、何かを考えているように、アレフの目に映った。
 多分、この二人にもまたそれぞれの事情があるのだろう。







 
,被害者は誰?


「一つ気になっていたんだけど、一号の奥さんの弟さんはどうなったわけ?」
「……簡単な名前ぐらい覚えろよな、お前」
 ぼやくディードを無視して、クレインは答えを求めロベルトに視線を向けた。
「陛下の計らいで、王立医院にて治療されています。お医者様の話だと、確かに頭をぶつけたせいもあるかと思いますが、ユーシスさんと同じように現実逃避から、記憶を封印している可能性もあるとのことです」
「現実逃避?」
「王立学院の方に問い合わせたのですがね、ドリィさん……成績を維持できずに退校処分になりかけているんです。奨学金で授業料が免除されるので、ユーシスさんの家から援助を断ち切られても学校に在籍できます。現に、ユーシスさんたちがお家を出られて、この三年、ドリィさんは学院で成績優秀者として、名前を挙げられていました。ですが、ここ最近はその成績が……」
「下降した?」
 コクコクと頭を首肯させて、ロベルトは声をひそめるように続けた。
「はい。奨学金はある一定の成績を収めることを条件としているらしいですね。そのお金を勉強以外に使い込む輩がいたとのことで、この辺はかなり厳しいようです。ドリィさんには奨学金が唯一、学校に残り続けることができる術だった。でも、そのための成績が維持できない現状に……」
「逃げ出したってわけか。一号を責めることで、自分の失態をなかったことにしようとしたってわけね」
「恐らくは……」
 神妙な面持ちでロベルトは頷いた。
「人間って存外、弱いもんなんだな」
「まあね、だから、一人で生きられないんでしょ?」
 鼻を鳴らしたディードに、クレインは笑った。
 一人で生きていく強さなんて、早々には手に入らない。この世は優しくもないし、清くもないのだ。
「かもな……」
 ディードは反論することなく、頷いて先を行く。暫くして、彼は一つのドアの前に立ち止まった。
「俺だ、ディード。入るぞ」
 ノックをして、中からの応答を待って扉を開く。室内には三人の人間がいた。ユーシスとその妻。そして、セイラ姫。正確に言えば、マリーの腕に抱かれている赤ん坊も含めて四人だ。
「お帰りなさい、お兄様っ!」
 少女特有の甲高い声を響かせて、セイラはディードに駆け寄ってきた。
「飛びつくなっ! いいか、俺はまだ怒ってるんだからなっ! それと兄とか呼ぶなっ! お前らの馬鹿兄弟と一緒にされたくねぇ!」
 勢い込んでやってくるセイラに、ディードは噛み付くように叫んだ。
 その声に驚いたのか、泣き声が室内に響いた。その発生源はマリーの腕に抱かれた赤ん坊からだ。彼女の傍らで、ユーシスが困ったような顔を見せた。静かにしてくれと頼み込む相手が姫君と魔法師団の団長なのだから、何も言えない。
「ああ、どうしましょうっ! お兄様のせいよ?」
「人に責任転嫁する前に、その口を塞げっ!」
「団長もっ」
 ディードがセイラの口を片手で塞いで、その彼の口をロベルトが後ろから覆いかぶさるように塞いだ。
 火がついたように泣きじゃくる赤ん坊をマリーはあやす。暫くして、泣き声は小さくなる。三人はホッと息を吐いて、口を塞いでいた手を外す。
「ごめんなさい。驚かせてしまったのね」
 セイラは赤ん坊を覗き込み、両親に謝罪した。
「いえ、そんな……どうか、お気になさらず。この度は私どものためにご迷惑をお掛けしまして……申し訳ありません」
 ユーシスは不機嫌そうな顔のディードをチラリと見て、恐縮に身を縮めた。
「……団長」
 ロベルトがそんな視線に気付いて、ディードの背中を軽くつつく。この童顔の団長は意図して不機嫌な顔を作ることがあった。そうしていると、多少は見た目の年齢が引き上げられると考えているらしい。とはいえ、十三、四に見えるところが、十五ぐらいに見えるという程度であったが。彼なりになけなしの努力をしているわけだ。
「あー、別にそんなに謝るな。俺が怒ってんのは、この頭が軽い女に対してで、お前も言わば被害者かもしれないし……」
 ブツブツと呟くディードのそれに、ユーシスは目を瞬かせた。
「……えっ?」
 どういうことか? と問おうとする前に、セイラがディードを振り返った。
「酷いわっ、お兄様ったら。私はユーシスさんとマリーさんの恋を応援しているだけなのに」
「はた迷惑な方法でな……。王宮で結婚式なんて、むしろありがた迷惑だろ」
「あら、どうして? もう夫婦として長いといっても、結婚式は大事よ。花嫁衣裳は女の子の夢だわ。それに駆け落ちってロマンチックではあるけれど、やっぱり、皆から祝福されたいじゃない。ねぇ、そうでしょ?」
 姫君が同意を求めてきて、ユーシスとマリーは顔を見合わせた。
 祝福はされたい……しかし、何の面識もない王宮関係者に祝ってもらうことは恐れ多い気がするのだが。その点で言えば、ディードの言は的を射ていた。
「……えっ、あ、その」
 ユーシスはどう答えてよいのかわからずに、クレインに救いを求めた。しかし、店主は彼を見つめ返すと、軽く肩を竦めた。
 暴走する姫君を相手にするのは、さすがのクレインも御免被りたい、といったところか。
「………う、あ」
 何かを言おうとして、口を開きかけては閉じるユーシスにディードは、やっぱり、被害者だよな、と思う。
 完全にセイラに振り回されている。……まあ、ディード自身も人のことは言えないのだが。







 
,声が選ぶもの


「姫様、そろそろ花嫁様の支度をしませんと」
 ドアをノックして現れた女官の言葉に、セイラはマリーを振り返った。
「赤ちゃんは私が預かるから、マリーさんは衣装に着替えてらして」
 二本の腕を突き出すセイラに、マリーは戸惑いながら赤ん坊を預けた。
「大丈夫よ、私、十歳の頃から妹のミシェルの子守をしてきたの」
 王家の末姫ミシェルは生誕と同時に、母親を亡くしていた。それは同時にセイラたち、王族の兄弟が母親を失ったわけだが、彼らは母親の死を嘆くより、自らの死を持って命を産み落とした母親に報いるべく、末姫のミシェルに愛情を注いできた。
 特に、セイラは女であるからか、母親役を一手に引き受け、十歳の頃から赤ん坊の世話をしてきたので、ユニを抱く格好は堂々としたものだった。これなら、任せても大丈夫だろう。
「では、行きましょう」
 女官がマリーを促し、部屋を出て行こうとする。その二人にセイラが声を掛けた。
「最高の花嫁に仕上げてあげてね?」
「お任せください。美容部隊を動員して、美しい花嫁にしてみせますっ!」
 女官は拳を握って宣言した。
「…………」
 彼女らが消えたドアを見つめて、ディードは頬を引きつらせた。
 宮中の人間たちの間では、この結婚式をお祭りとして楽しんでいる節がある。厨房の人間たちは国王が惜しげもなく出してきた予算に狂喜乱舞し、腕の見せ所と豪華なケーキを作るのだと、昨晩から泊り込んでいる。
 女官たちは花嫁衣裳を想像しあい、列席する際に自分たちが着るドレスは何にしようかと、相談し合っている──式に参列する者が少ないので、セイラが、仕事があいた人間は結婚式に出るようにと触れ回ったのだ。
 今回の結婚式に難色を示しているのは、しきたりなどに拘る古株の老人たちと、その老人に嫌味を言われるディードぐらいかもしれない。
 ……俺が一番、損してるじゃねぇか。
 ディードとしても人の幸せを祝福したい。でも、同時に自分も心の平和という幸せを手に入れたい。ジジイどもに嫌味を言われることのない日常が欲しいのだ。そのためには、セイラに多少厳しく当たっても罰は当たるまい。
 そう心の中で葛藤するディードに、赤ん坊を抱いた姫君が無邪気に言ってきた。
「ねえねえ、お兄様。可愛いわね、赤ちゃん。何だか、ミシェルの赤ちゃんの頃を思い出すわ。ぷにぷにして、柔らかくって、美味しそうで」
「知るか。ってーか、美味しそうって何だ?」
 気になる言葉に、目を剥くディード。そんな彼に、セイラは何を驚いているの? と言うように小首を傾げる。
「小さいですね」
 ロベルトがディードの脇から顔を覗かせて、言った。
「こんなに小さな生き物がいずれ、俺たちみたいに大きくなるんですよね。何か、がんばれって応援したくなりません?」
「……応援?」
 何だよ、それ? と、眉をひそめるディードに、ロベルトは小さく微笑む。
「いや、だって、生きるっていうのは大変ですよ。何度、死にたいと思うことがあるか。それでも、ここまで生きてきた俺たちがいて、その道をこの子が同じように辿るのだとしたら、がんばって生きて、と応援したくなるでしょう?」
「……あのな、最初から苦労することを前提に話をするな。お前や俺みたいな環境がそうあってたまるか。んな、世の中じゃ、しんどいだろうが」
 心の平和をひたすら望むディードは、ロベルトを睨み付けた。希望がなくなるようなことを言ってくれるなよ、と。
「でも、世の中は厳しいよ。万人に、優しくはないでしょ?」
 クレインが口を挟んで、ロベルトがうんうん、と頷く。
「子供だから守られるってわけでもないですから。むしろ、子供だから抵抗できずに、暴力を受けてしまう……だからこそ、強く生きてと応援するんじゃないですか」
「……あのさ、それ、父親の前で言うことか?」
 ディードはユーシスへと、エメラルドグリーンの瞳を差し向けて、部下と元騎士に問いかける。
 二人は表情筋をこわばらせるユーシスを目に止めた。ロベルトは瞬間、しまった、という顔を見せる。クレインはと言えば、いつも通りだ。この男に思いやりを求めるのは間違いなのかもしれないと、ディードは密かにため息を吐く。
「すみません、ユーシスさん。別に、あなたがこの子を不幸にするって言いたいわけじゃないんです。ただ、生きるということは本当に大変だから……」
 謝るロベルトに、ユーシスは首を振った。
「いえ……謝らないでください」
 ロベルトの何がそう、大変だと語らせるのか、わからない。けれどユーシスには、彼の言い分は理解できた。
 マリーと共に生きること、それだけが望みだったのに……この一年、彼は自分の妻を妻として認めることすらできずにいた。
 どこで歯車が狂ったのか、わからない。思い通りに生きるということは、果てしなく難しく……それは誰に対してもきっと同じだ。
 これから先、苦難は変わらずにあるかもしれない。自分たちの結婚を王家が承認したことで、クラスターの家としてはこれ以上、反対はできないはずだ。
 けれど、家を捨てたユーシスの代わりに、今度はユニを跡取りとして狙ってきたら?
 自分はユニのために、どういう答えを選ぶべきなのか?
 迷うことは沢山あって、今までに大切なことを間違えてしまった自分が、本当に正しい答えを導き出せるのか?
 考え出せばきりはなく、それはユニの未来に暗雲を落としかねない。
「私は……」
 不安そうなユーシスの声に、反応するかのように泣き声が上がった。この場で泣き出すのは他でもない赤ん坊のユニだ。
「まあ、どうしたのかしら?」
 セイラはよしよし、と小声で囁いて、身体を揺らし、赤ん坊をあやす。耳に響く泣き声にディードは顔をしかめた。人が泣いているのを見るのは好きじゃない。
「腹でも減ってんじゃないか?」
「お兄様が来る前に、ミルクもおしめも済ましたわ。……どうしたの?」
 問いかける声に赤ん坊が返事を返すはずもなく、泣き声はさらに大きくなった。
「お兄様、変わって」
「はあ? 何で、俺がっ!」
 突如、赤ん坊を突き出され、ディードは反射的に受け取ってしまってから、反論した。
「だって、お兄様、子供に好かれるから」
 童顔のせいなのか、否か。ディードは子供たちに異様に好かれていた。
「ちょっと待てっ!」
 だからって、子供を預けられても困るだろうがっ! そう叫んだディードの腕の中で、赤ん坊はさらに声を荒げて泣いた。あたふたと、焦るディードは傍らに立つ部下に言った。
「ロベルト、あやせっ!」
「俺ですかっ?」
「お前、女の扱いには慣れてるだろ?」
「ユニくんは男の子ですよっ?」
 反論するより先に押し付けられた赤ん坊を、ロベルトは抱きかかえようとしたが、その抱き方がよくわからない。首が据わっていないせいで頭を仰け反らせる赤ん坊に、宮廷魔法師は悲鳴を上げた。
「だ、駄目ですっ! 首がちぎれちゃいますっ!」
 そうして、ロベルトは雲の上の存在に圧倒され、口数少なく影薄くなっていたアレフに赤ん坊を差し出す。
「あ、アレフさん、お願いしますっ!」
「えっ?」
 いきなり押し付けられた赤ん坊が胸元を滑り落ちようとして、アレフは腕を交差させて抱きとめた。が、肘で受け止めるかたちになったユニは今にも落ちそうだ。
「ク、クレインさんっ!」
 管理官の救いを求める声に、元騎士は赤ん坊の産着の首の後ろを引っつかんだ。それは猫を捕まえた図によく似ている。
「お前っ! その抱き方、間違ってるだろっ?」
「しょうがないよ、俺には片腕しかないんだから」
 隻腕だからしょうがない、と悪びれずにクレインは言った。
 ブラブラと揺れる赤ん坊からは大音量の泣き声。
 どうしたものかと、皆が右往左往する中でユーシスがクレインの手から赤ん坊を譲り受けた。
 腕でしっかりと首を固定させて、赤ん坊を抱きとめると、わが子に向かって子守唄を歌い始めた。それはマリーが病気で臥せっていたユーシスに歌った、優しい歌。
 低く声を響かせて、囁くように歌うそれに、赤ん坊の泣き声は徐々に小さくなっていった。やがて、完全に収まると、今度はキャラキャラと笑い声を立て始めた。
「俺たちが心配する必要なんてないかもね」
 親子の姿を眺めやって、クレインが呟く。
「えっ?」
「その子自身が、選んでいる。他の誰でもない、一号を」
 ユーシスの腕の中で、心地良さそうに笑う赤ん坊の姿を見れば……。



前へ  目次へ  次へ