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 6,罪の鎖に繋がる心の悦楽


 青い瞳が罪を問う。

「アルデリア王女の行方は――依然として、掴めておりません」
 淡々と報告されるその言葉に、落胆の色を滲ませたため息が各所でこぼれるのを、何度聞いたことだろう。
 誰しもが、王女の生還を絶望視しながら、それでも一縷(いちる)の望みに(すが)っていた。
 彼女こそがアッコールト王家の唯一無二の、正当な後継者であったから。
 元々、王家に連なる血筋が少数であった。そこへきて三年前、王宮への賊の侵入。
 何故、そのような蛮行(ばんこう)が容易になされたのか、真相は解明されずいまだに謎ではあるが。
 王家に連なる者たち、王宮において重要職を務めていた者たちは片端から、血祭りに上げられた。
 惨劇の夜を生き延びたのは、腕に覚えがある数人の護衛官たち。彼らが賊に対して果敢(かかん)に立ち向かったことは、漆黒の衣を返り血で赤黒く染め上げた姿を見れば一目瞭然だった。
 己の無力さを嘆き、狂ったように泣き(わめ)く現場を見れば、彼らに対して責める言葉を、誰もが喉の奥で詰まらせた。
 そんな惨劇の現場から、ただ一人、生死がわからぬまま消えたのが、王国の後継者であるアルデリア姫。
 彼女が帰ってくることを前提に、国家は一人の青年シエナに玉座を与えた。
 アルデリアの婚約者でもあった彼は、王族護衛官たちの中でも一番の剣の使い手でもあった。だからこそ、彼は惨劇の現場に遭遇して、生き延びていた。
 シエナが、己が身を楯にその剣を武器に、王や姫君の危機を救ったことは数知れず。
 亡くなった王の信頼を受けて、彼は一粒種のアルデリアを貰い受けることを許された。
 故に、後継者を失ったアッコールト王国はシエナに玉座を預けて、三年。
 混乱も静まり、王宮は落ち着きを取り戻しつつあるが、いまだに姫君は帰らない。
 そろそろ、次の段階へと進まねばならないと誰もが考えているにも関わらず、今一歩を踏み出せない。
 新王となった青年が、何も言わないからだ。
 アルデリアを失った彼の悲嘆は、あの日を境にして毎夜、彼の部屋から響く泣き声に現されていた。
 自分の命を守るだけに終始せざるを得なかった現場であったとしても、己の目の前で、大事な姫君を攫われたことを思えば、青年の心の傷を癒すには三年で足りぬのであろう――と。
 そう配慮すれば、何も言えずに、定例の王宮会議は幕を閉じた。
 黄金の輝きを失くした瞳のシエナが、終了の合図に黙して席を立つ。
 会議室を出るシエナ。白を高貴色として、王族は白い服を纏うのが常であったが、三年前に玉座に着いた青年は昔から変わらずの黒衣を纏い、漆黒のマントを羽織っていた。
 同じく護衛隊の黒い制服を着た、新王の腹心でもある青年ユージンが続いた。
 彼ら二人を見送る者たちの目に同情が浮かぶのは、惨劇の真実を知らぬが故。あの夜の真相を知れば、驚愕に震えるに違いない。
 ――先代国王の一番の忠臣であり、アルデリアの婚約者であったシエナが、事件の首謀者であったという事実に。
 カツカツと、二人の青年が床を鳴らす靴音は人の気配が失せた冷たい空気に、妙に澄んで響いた。
 緑色の視線を左右に走らせ、辺りに誰もいないことを確かめて、ユージンが口を開いた。
「シエナ様、お耳に入れておきたい事柄がございます」
 肩越しに振り返るは、生気を失った金色の瞳。シエナの瞳が闇夜に輝く月のように輝いていたのは、あの日まで。
 復讐を果たしたことによって、彼は生きる目的を失ったのか。それとも、アルデリアを失った痛手が彼をここまで変えたのか。
 復讐のために、平然とアルデリアを裏切るふりをして。本当は心の底から、彼女を愛していたのではないかと、ユージンはシエナの変貌振りに疑念を抱く。
 彼がアルデリアを無傷で、王宮の外へと逃したのが何よりの証のようにも思えるが。アルデリアを連れ去った人攫いが死体で発見されたとの報告に、呆然としていたのも演技だったとは思えない。
 機会を見て、アルデリアを回収し、王位簒奪後、彼女を殺すことが計画であったのだから。
 頓挫(とんざ)したかのように思えた計画だったが、計らずも、舵取り手を失った王宮はシエナへと玉座を与えてくれた……。
 ユージンはシエナの本意を探ろうとするが、曇った瞳に答えは見つけられず、話を促す視線を前に口を開いた。
「……昨夜、私の屋敷に賊が侵入しました」
「それで?」
 無感動な声は、その賊がユージンに傷一つ負わせられなかったことを承知しているからだろうか。
 一つ息を吸って、ユージンは続けた。
「女でした。直接、私の寝室に飛び込んできてくれたおかげで、被害は出ませんで――無傷で捕らえることができましたが」
「お前を相手にするなど、その賊は馬鹿か。無謀の極致だな」
 シエナは興味なさそうに鼻を鳴らして、言った。
 三年前の惨劇の現場をユージンが生き残ったのは、シエナの仲間だったからの一言で済まされるものではなかった。
 アッコールト王家への復讐のために、シエナが王宮へ引き込んだ仲間は、護衛隊の四分の一。朝晩の交替で護衛の任が別けられた中、復讐の誓いを元に集った仲間を全員揃えられたはずもなく、突然牙を剥いた味方に驚きはしたものの、本来の護衛の任を果たすべくシエナたちに立ち向かってきた護衛官もいた。
 場が、血で血を洗うような凄惨なものになったのも、そう言った事情からだった。
 仲間以外の証言者の口をすべて塞ぐ頃には、シエナとユージンは数多くの同胞も失っていた。
 そんな夜を乗り越えて生きているユージンの剣の腕は、シエナにも匹敵するほどだ。その彼を襲った賊は、ユージンの強さをはかれなかった時点で、運命は決まっていたと言ってよい。殺されなかっただけ、僥倖だろう。
「髪は恐らく短く切ったせいでしょう。面差しも少し変わっているように思えますが、月日を考えれば許容の範囲かと。何よりも、あの青い瞳は……」
 シエナは眉間に皺を寄せ、ユージンを睨んだ。言動がまどろっこしい。
「――奥歯に物が挟まったような言いようだな。一体、何が言いたい?」
 焦れるシエナを前に、ユージンは意を決したように唇を開いた。
「――賊は、アルデリア姫ではないかと、お見受けしました」


                  * * *


 靴音で一定のリズムを刻みながらシエナは黙々と歩く。後ろから明かりを抱えて、ユージンが追ってきた。
 アルデリアかも知れぬと、ユージンから告げられたとき。
 シエナは一瞬、視界が明るくなったような気がした。心を塞ぐ狂気の霧が晴れたような気がしていた。
 しかし、瞬きのうちに彼の心は、瞳は、曇る。
 今さら、再会したとして、どうなるという?
 彼女があの夜の目撃者である限り、二人の心が結ばれることはない。結ばれることを彼女自身が許すはずもない。
 そして、彼女ではなく復讐を選んだのは、他ならぬ自分であることを知っているならば……。
 捕まえた相手が相手であるが故に、ユージンは賊を特別な牢へ閉じ込めた。
 半地下の冷たい石牢。手の届かない高窓が一つきりであるから、陽は差し込んでも、闇を払うには頼りなく。陽の熱は床に届く頃には冷えている。ただ、青い空が果てしなく遠くに見える。
 シエナが階段を降り、その牢の前に立ったとき、暗がりにいる人物がゆるりと振り返った。闇の中で黒いシルエットが曲線を描いて、女だと認識させた。
 ユージンが手にしていた明かりを持ち上げれば、光りに照らされた白い面が僅かにゆがみ、眩しそうに目が細くなる。
 短く切られた髪は、赤く。柔らかなラインを残していた頬は削がれ、唇はきつく結ばれていた。
 やがて、光に慣れた目をゆっくりと見開く青い瞳を前にして、シエナは空間を隔てる冷たい鉄の棒を握り締め、金の瞳を輝かせた。
 青色の瞳がこちらを見つめ、そこにいる人物が誰であるかを認識したらしい。
 鋭く宿る殺気に、彼女の三年間を見た。
「――生きていたか」
「私はお前を殺すまで――死なないわ」
 捕らえられている境遇を忘れたかのように、アルデリアは怨嗟(えんさ)の声を吐き出した。
 青い瞳は、真っ直ぐにシエナを見つめ、彼の罪を訴えていた。
 心に突き刺さる憎しみ、恨み、殺意。
 敵愾心(てきがいしん)に燃え、負の感情に染められた瞳は、二度と結ばれることなどないと思われた二人を繋ぐ。
 怒りに震えるアルデリアを前にして、シエナの唇はいびつに歪み、喜びに震えた。


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