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 8,咎人は罪悪を謳歌して


 憎めばいい、恨めばいい。殺意を砥いで、殺してみせろ。

 青い瞳に宿った殺気を前にして、シエナはいびつな笑みを唇に刻んだ。
 憎しみが二人を繋ぐ。恨みがアルデリアの中で、シエナを忘れさせない。殺意は生きる糧となり、アルデリアを生かし続けるだろう。
 かつて、シエナがアッコールトへの復讐を支えに生きてきたように。
(……それでいい)
 腕の中で咲いていた花を散らすことを決めたときから、シエナは罪を犯していたのだ。
 自分が悪いわけではない――と、言い訳してみても。アルデリアから幸せも希望も奪ったのは純然たる事実。
 城から逃した彼女の行方が不明と知らされたとき、狂気の狭間で、流した涙をシエナは覚えている。
 まやかしだと己に言い聞かせ、復讐への布石だと周りを(たばか)った。
 けれど、アルデリアの喪失に涙が流れれば、彼女を真実、愛していたことをシエナは自覚した。
 ユージンから、アルデリアが生きているらしいと告げられたとき、復讐を果たしてからこちら、灰色だった世界に色がついた。
 アルデリアが、シエナの世界にとって、太陽だったことを思い知る。
 しかし再会したとて、この恋は、二度と許されぬものであろう。
 彼女はもう決して、自分に心を開かないだろう。
 結ばれることはないと思っていたのに、アルデリアの中に宿った憎しみが二人を繋いでくれた。
 彼女は真っ直ぐに、シエナを捉えた。
 目を逸らさずに、屈せずに。二本の足でその場に立ち、シエナを睨む。
 朝の光りを溶かしたような曙色の髪は、今は赤く。燃え尽きて沈む夕日のように赤く。ナイフのような鋭い視線で、青い瞳はシエナを睨み刺す。
 他人の傷に涙していた弱さはそこにはない。絶望に泣き伏せるアルデリアはいない。
 自らの不幸に命を絶つ可能性を考えれば、憎まれても構わない。
 恨まれても厭わない。
 殺すまで死ねないと言うのなら……。
「――私を殺したいと、仰られるか? 姫」
 シエナはユージンから鍵を受け取り、鉄格子の扉を開けた。
 歪んだ笑みに怒り狂ったアルデリアは、無謀にも突進し繋がれた鎖に引っ張られて転倒していた。
 アルデリアの両手を繋ぐ鎖に、シエナは手を伸ばす。指先に冷たい鉄を握りこんでグイッと引っ張り、彼女の身体を強制的に引き立てる。
(――優しさは禁物……)
 シエナは自分の心に言い聞かせた。
 こちらへの憎しみが、アルデリアを生かすのなら。
 復讐の火種を消してはならない。青い瞳の殺意を消してはならない。
「では、姫君に問いましょう。貴方のお父上が我々に施した行いは、制裁に値しない些事であったと?」
「――何?」
「貴方は私ばかりを責めるが、そちらに非がなかったと誰が証言なさる? 罪は私だけにあると仰せられるが、姫。貴方は、私の何を知っています? お教えしましょうか、姫。貴方のお父上は、私の――俺の父を、母を、姉を殺した殺戮者なんですよ」
 言葉を選び追い詰め、シエナはアルデリアの内側に復讐心の種を植え付ける。
 憎しみの芽を育て、恨みの花が咲くように。
「フレムデテーネという国をご存知か」
「……フレム…デテーネ……」
「アッコールトに侵略され、滅んだ国の名前です。俺はその国で生きていた。小さくて、決して豊かではない国でしたけれど、平和で穏やかだったその国で――俺やユージンは生きていたんですよ」
 シエナはこの場にいる第三者のユージンを振り返った。
 鉄格子の向こうで彼は、感情を押し殺した顔で立っていた。ユージンにとって、アッコールト王家に連なる血筋は、いまだに仇であるのだろう。
 アルデリアを生かそうとするのは、復讐の名の元に集った仲間を、裏切る行為なのかもしれない。
 脳裏をかすめる思考に、肩の傷が疼いた。
 それでも、シエナは腕の中にいる花を、太陽を、失いたくはない。
 家族を失ったとき、もう誰も自分のために泣いてくれぬであろうと思っていた。
 だが、アルデリアはシエナが傷つくたびに、真珠の涙をこぼした。
 その涙は荒れ果てた地に降り注ぐ慈雨(じう)の如く、シエナの心に染みた。
 傷が癒えたことを告げれば、彼女は幸せそうに笑んでくれた。
 その笑顔は、何もかもを失い絶望の闇しか知らなかったシエナの暗い人生に、明かりを与えてくれた。
 偽りをまとい、裏切りを計画している薄汚い自分を――アルデリアは愛してくれた。
 復讐の誓いさえなければと、思ったことは数知れない。
 そうして、復讐を果たした後はアルデリアの喪失に泣いていた。
 暗く曇った視界。堕ちて見失ってしまった太陽をもう一度、目にすることができたのなら、シエナは二度とこの手に花を抱けなくても構わないから、アルデリアに生き続けて欲しいと願う。
 だから、シエナはアルデリアの怒りを買う。
「俺たちだけではない、何万という人間が生きていた国を、貴方の国が奪った。そこに罪はないと、仰せになるか」
「それは……」
「しかも、かの国がフレムデテーネに侵攻した理由は何だと思われます? 石ですよ」
「……石……?」
「そう、フレムデテーネに見つかった宝石鉱山を貴方のお父上は欲した。他でもなく、己が娘に与えるために。姫――俺たちの家族は貴方のせいで死んだっ!」
 彼女が愛した父王を責め立てて、穢して。怒りに火をつける。
「――嘘よっ!」
 反駁するアルデリアの声を叩き伏せるように、シエナは彼女を詰った。
「下層の世界を知らず、王宮の奥で大事に育てられた姫君に、俺の言葉が嘘であるなんて、どうしてわかるっ?」
 血反吐を吐くような思いで、過去を語った。
「肉が焼ける臭いを知っているかっ? 生きながらに焼かれた人間の悲鳴をっ! 嬲られ殺された女たちの悲鳴を聞いたことがあるかっ! 貴方のお父上はっ、あの男はっ、たかが石のためにフレムデテーネを――俺の家族を殺したっ!」
 シエナの心を侵蝕する怒りという狂気が拳を作って、床に叩きつける。骨が軋んで、痺れを覚えても、肩の痛みには敵わない。
 罪を問えば、シエナの瞳から涙がこぼれた。
 頬を流れる熱に正気を取り戻して、シエナはアルデリアを見つめた。
 誰が悪いのか、誰が罪人か。そんなことを語ったところで、死んだ人間は決して生き返りはしない。
 恐らく、自分も同罪なのだと、シエナは思う。
 姉の命を楯にして生き残ったことを思い出すと、息をするのも苦しいから、怒りに任せた。
 失ったものの多さを知れば、絶望に動けなくなるから、狂気に身を預けた。
 生きるために復讐を誓って、復讐のために生きて。
 戦争とは無関係だった者たちの命をも、奪った。
 その行いを責められれば、何一つとして言い訳できるものではないだろう。
 だからこそ、アルデリアの父王は殺され、シエナは憎まれる。
 人を殺めた罪人が紡ぐ、復讐の連鎖(れんさ)
 ぐるぐると巡る螺旋(らせん)は留まるところを知らず、止められない。
 ――否。止めてはいけない。
 憎しみが潰えれば、アルデリアを支えるものはなくなる。
 シエナは己が下に組み敷いたアルデリアを見据えて、囁く。
「俺を殺すがいい――」
 殺意を糧に、きっと彼女は生きてきた。
 同じ道を歩いてきたからこそ、シエナにはわかる。
 それがどれほど愚かであるとしても、人を憎むことで、彼女が生きていけるのなら、シエナはアルデリアにとっての悪になる。
「――貴方のお父上に罪がなかったと仰せになるのなら、俺を殺せ」
「……っ」
「俺を断罪すればいい。そして、煉獄(れんごく)へと突き落とせ」
 呪いのように、シエナは告げる。呆然と見開かれた青い瞳を前に、シエナは優しく微笑みかけた。
 アルデリアに対する愛おしさを満面に湛え、
「だが、貴方に私が殺せるか? 愛しているのでしょう、私を」
 彼女を謀っていたときの笑顔でもって、シエナは問う。
 アルデリアが騙されていたときのことを思い出せば、今、彼が差し向けた笑顔の残酷な仕打ちに、彼女の内側で怒りの炎は大きく爆ぜるだろう。

 ――憎めばいい、恨めばいい。
 そうして殺意を砥いで――生きろ。


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