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 10,狂宴の幕は降り全ては月影に燃ゆる


 満月は狂気を誘うという。

 円を描いて煌々と輝く月の夜に、白亜の城で宴は披かれていた。
 王家に連なる貴族や王宮で権威を振るう有力者たちが集う宴の場で、シエナやユージンたちが起こした復讐劇は決行された。
 外部からの仲間を導き、顔見知りの貴族を斬り、同じ護衛官であった仲間でさえも一刀の元に斬り捨て、シエナは玉座に迫る。
 混乱する場に、悲鳴や怒号が飛び交う。テーブルの上から()ぎ払われた銀食器が、床の上に転がり鈴のような音を奏でた。
 砕かれる陶器のひび割れる音に混じって、絹を裂く音。肉を断つ音。骨が砕ける音。血しぶきが飛び散る音。刃と刃がぶつかり弾ける金属音。
 狂った宴の場に相応しい音色が、復讐に突き動かされた者たちを扇動(せんどう)する。
 シエナは進路に割って入って来る者たちを、剣で次々と斬り捨てる。途中、血と脂で切れなくなった剣を投げ捨て、倒れた者の手から剣を奪う。
 そうしてシエナは、国王の前に立った。
『――シエナっ? これは』
『私の故郷はフレムデテーネです。それで、おわかりになるでしょう?』
 シエナの言葉の前に、国王は戸惑いの表情を見せた。たかが、小国のためにアッコールトに喧嘩を売る人間がいるなど、想像もしなかったのか。
 黄金色の瞳には、呆けた国王が映る。
 この愚かな王に語るべき言葉すら無意味に思えて、シエナは目の前にいる男に向って、腕を振るい、剣を振り下ろした。
 肉を断ち切る音がして、首が飛ぶ。ゆっくりと崩れ落ちる国王の傍らで、悲鳴を上げた王妃に視線が動く。
 逃げようとするその背中をシエナは捕まえた。
『許してっ!』
 そう叫ぶ王妃に、シエナは無言で剣を突き立てる。
 フレムデテーネで女たちは、命乞いをしたにも拘らず殺されていた。彼女らに罪がなかったことを思えば、王妃の謝罪も虚しい。
 支えを失いもたれ掛かって来る王妃の死体を掴み上げると、傍らから声が聞こえた。
『アンタがここまでやるとは、思ってなかったぜ。姫さんとの結婚も目の前で、黙っていてもアッコールトの玉座は手に入っただろうに』
 目を向けると、アルデリアを肩に担ぎ上げた男が一人、口元を歪めて笑っていた。
 金で何でもするというその男は、仲間たちとは違う空気を持っていた。故に、シエナは彼にアルデリアを預けることにした。
 彼女には生きていて貰わなければならない。シエナがアッコールトの玉座を手に入れるまでは――。
 それがフレムデテーネを踏みにじったアッコールトに対しての、最大の侮辱(ぶじょく)になるだろう、と。
 暗く笑い、どこか他人事のように、シエナの頭は考えていた。
 視界は雲に覆われたように、灰色に染まっている。アルデリアの姿も、おぼろだ。
 復讐を選び取ってしまった瞬間、二度とアルデリアを己の腕に抱くことができないことをシエナは理解した。
 その現実が、シエナに遠い隔たりを実感させる。
 自らに言い聞かせるように、シエナは声を吐いた。
『俺の目的は復讐だ。……玉座を手に入れることが目的だったわけじゃない』
 シエナは男とアルデリアから目を逸らして、腕を振った。視界の外れで、男が去っていく音を聞く。
 満月が中天を過ぎて西へと傾きかける頃、ようやく殺し合いの果てに決着がついていた。
 全身返り血を浴びた仲間たちが、シエナの元に集う。
 その仲間たちの数も、当初より随分と減っていた。瀕死(ひんし)寸前の傷を抱える者もいる。
 そんな中で、護衛隊でも一、二のシエナとユージンが比較的無傷に近かった。それでも、肩で息を切らすユージンは、終わりを確認するようにシエナに問う。
『――終わりましたよね?』
 彼の問いかけに、シエナは黙して頷いた。
 この腕の中で咲いていた花は散り、復讐劇の幕は下りた――。

 そう。あの晩で、すべては終ったはずなのに――。

 シエナの前で、鮮血の花が咲く。
 アルデリアの胸で咲き誇る深紅の薔薇に、身を乗り出して叫んだ。
「――アルデリアっ!」
 その名前を呼ぶ資格は、己にはないと思っていた。
 心の奥に封じ込めた名前だったけれど、頭で考えるより先に声が、シエナの身体を突き抜けた。
 床を蹴って、鉄格子に縋りつく。
 シエナとアルデリア。距離はそう遠くないのに、鉄の格子が二人の間を阻む。
 錆びが浮いた鉄の棒に額を擦り付け、シエナは手を伸ばした。
 冷たい石床に崩れ落ちたアルデリアの身体から咲き零れる花は、とめどなくあふれ、散る。
「ユージンっ!」
 シエナは鍵を持つユージンを振り返った。突然の出来事に呆然と立っていた彼は、シエナの声に弾かれたように顔を上げた。
「――鍵をっ」
 促されるままに鉄格子の鍵を取り出しかけて、ユージンは手を止めた。
「……何故?」
「早くしろ、ユージンっ! 今なら間に合うっ!」
 アルデリアの傷は幸いに心臓を傷つけるような位置ではなかった。止血さえ間に合えば、命は救えるはずだ。
 焦れるシエナにユージンは静かな瞳を返してきた。
「……何故ですか、シエナ様。……アルデリア姫は私たちの仇であるはず」
 抑揚のない声を前に、シエナは反射的にユージンの胸倉を掴んだ。
 引っ張れば引き寄せられるままに、ユージンはシエナに近づき、こちらの瞳を覗きこんできた。
「姫の命はフレムデテーネに捧げられるべき、贖罪(しょくざい)。このままで構わないはずです」
 あの狂った宴の晩にそう言われたら、シエナとしても反論しなかっただろう。
 でも、アルデリアの喪失に涙を流した自分を知っているから、頭を振った。
「――違うっ!」
「……何が違うのですか? 王や王妃と同じです。アルデリア姫は死して、フレムデテーネに捧げられるべきものだ」
「――違うっ、違うっ! 俺は……」
 シエナは声を張り上げる反動で、ユージンを突き飛ばした。投げ出されるままに、ユージンは床に尻餅を付く。
 静かに問いかけてくるユージンの瞳の前に、シエナは顔を歪めた。
「――俺は許したかったっ!」
 そう叫ぶと、喉が焼けるような痛みを覚えた。それは裏切りへの罰かと思う。
 アルデリアを裏切り、今もまたフレムデテーネの同胞たちを裏切ろうとしている。
 それでもシエナは、声を吐かずにはいられなかった。
「……俺は許したかったんだ……」
 手を伸ばしたくて、求めたくて。
 だけど、肩の傷が疼くから、気づかない振りをしてきた。ずっと目を瞑ってきた。
 本当は……許したかった。
 たった、ひと粒でも構わない。
 フレムデテーネのために、アルデリアが涙を流してくれたのなら、シエナはきっとアッコールトを許せたと思う。
 戦争の罪を認め、贖罪に涙してくれたのなら、二度と過ちは繰り返されない。
 それならば、血で血を洗う復讐よりずっと、フレムデテーネへのはなむけになるだろう。
 そう願った。
 だけど、アッコールトはフレムデテーネへの属国支配を続けた。
 故郷で暮らす者たちは、食糧配給の元に支配され、使役されていた。駐屯するアッコールトの兵たちは、勝手気ままに振る舞い、秩序なんてあったものではない。
 苦役に苦しむ人々を解放してくれたなら、彼らへの対応を改めてくれたのなら――と。
 アッコールト王家を担うアルデリアの涙に、シエナは希望を託した。
 でも、アルデリアはフレムデテーネの存在を知らず、またその存在すらも知ろうとしなかった。
 外に連れ出しても、彼女が見るのは澄んだ空と美しく咲き乱れる花々。道端で慈悲を乞う乞食の姿など目に入らない――否、その存在がどういうものか理解していなかったのだろう。
 大事に育てられた姫君は下層の人間たちの生活など知らず、理解できず。
 ただ、傍にいたシエナの傷に涙するだけだった。
 だから、シエナはアルデリアを裏切った。アッコールトに見切りをつけた。
 希望は復讐の炎の前に灰となり(ちり)と消え、シエナは狂気に従った。
 愛情をかなぐり捨て、怒りのままに人を斬った。
 時を経てアルデリアと再会したシエナは、彼女が自分と全く同じ道を歩いたことを知る。
 そうして、恐らく……。
 アルデリアはシエナが流した涙に、許してくれたのだと思う。
 己が何も知らなかったことを知り、シエナにとっての故国や奪われた者たちへ思いの深さを理解し、彼が犯してしまった罪を許した。
『ごめんなさい、シエナ』
 そして、彼女は自らの罪に罰を与えた。自身の血によって赤く咲かせた花々をフレムデテーネに捧げた。
 シエナはふらりと揺らめきながら、ユージンに近寄る。
「――アルデリアの死がフレムデテーネに捧げられるべき贖罪ならば……」
 身を屈め、ユージンに手を伸ばし、彼の腰から剣を抜いた。
 刃が明かりを受けて白く煌めく。その鏡のように磨がれた表面に、シエナの金の瞳が映る。
 その瞳の色を、月の様だと、アルデリアは言ってくれた。
 アルデリアが太陽であったのなら、自分は月だと、シエナは笑う。
 太陽の後を追いかけて時に重なり、時にすれ違う――月に似ている。
 太陽が沈む先を見つけたのならば、シエナが追うべき道も一つだろう。
「――俺は俺の身で、アルデリアに償おう」
 剣の柄を逆手に握り、シエナは自らの腹に白刃を突き立てた。
 身体を突き抜ける剣の冷たい感触を感じながら、さらに深く。腕に力を込める。
 ここに在るのは、罪深き咎人。汚れた魂を地獄に連れて逝くがいい。
「……シエナ様っ!」
 叫ぶユージンの声が、やけに遠くに聞こえる。
 のめりこむ身体に重心が崩れ、シエナは床に転がった。腹部から滴り落ちる血の海に横たわったシエナの視線の先に、アルデリアがいた。
 震える指先を、彼女へと伸ばす。今なら、素直に彼女を求められる。
 死の果てで、もう一度、巡り逢おう。
 そのときこそ――偽りなく、告げよう。

 愛していると……。


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