目次へ  トップへ  本棚へ


 ― 5 ―


 オレたちが立ち寄ったのは宝石店だ。店内にガラスケースが並べられ、色とりどりの宝石が並べられている。中流階級辺りを客層にしているのかも知れない。値段は庶民にすればとても手が届かないものだが、びっくりするほどの金額でもなかった。
 まあ、上流階級の貴族はこんなところに足を運ばず、宝石屋を自分の家に呼び寄せるんだろうな。
 普段、入ったことのない店内が珍しくて、オレはきょろきょろと落ち着きなく視線を動かす。
 赤、紅、朱、青、蒼、藍、緑、翠、碧と――似たような色合いでも、深みや透明度の違いを見せながら煌めく宝石たち。たかが石ころなのに、ときに庶民が一生働いても手に入れられないような金を対価にする。
 昔は何でそんな物に金を使わなければならないんだって思っていたけれど……。
 ネックレスのペンダントトップに加工されたもの、ブローチ、指環、タイピン、カフスボタン、ブレスレット、髪留め。
 一つ一つの細工も巧緻(こうち)で、思わず眼が吸い寄せられた。姉さんにプレゼントしたいなと自然に思った。
 騎士として王宮に部屋を(たまわ)り、給料はそれなりに貰っている。昔なら手が届かなかっただろう品々も、今のオレなら買えなくもない。
 孤児院のことを思えば、ちょっと贅沢かなと考えるけど。
 でも、何かしら姉さんに形ある物を贈りたい。そう思うのは、いけないことだろうか?
 ……姉さんに贈るとしたら、ブローチかな? 瞳の色に合わせた紫色の宝石と言ったら、何があるかな。
 そんなことを考えて、はたりと我に返る。
 ――しまったっ! 肝心の姉さんのことを忘れていたっ!
 慌てて視線を上げると、ローズと姉さんがガラスケースを前にキャッキャッと声を上げて騒いでいた。
「こっちのネックレスなんて、グリシーヌに似合いそうっ!」
「まあ、勿体ないですわ。私などより、ローズ様の方がお似合いです」
「そんなことないわよ。ねぇ、これは? こっちの花のチーフも可愛いっ!」
「確かに、可愛らしゅうございますね。ああ、ローズ様、こちらの蝶モチーフのイヤリングも可愛らしいですわ」
「わあ、ホント! やだ、もうどれも可愛くって、目移りしちゃうっ!」
 女は……こういう場所は好きだよな。うん、好きだからこそ、今日の買い物場所に選ばれたんだろうけれど……。
 ローズと姉さんが盛り上がっているのに対し、オレたち男四人の身の置き場が……。
 というか、眺めていていいのなら、幾らでも眺めているから、いいんだけど。
 でも、今日の目的は姉さんとディアマン様をくっ付けることじゃなかったか?
 それをローズ、お前が姉さんと二人で盛り上がってどうするんだよっ!
 心で叫んだ魂の声が届いたのか、ローズと目があった。
 そして、オレと同じように目的を見失っていた自分自身に気づいたらしく、ローズは「あ、う、え、お」と声に出さず、唇を動かす。恐らく、言い訳しているんだろう。
 ローズの救難信号――? に、ブランシュ団長が動く。この人とて、女子たちの会話に強引に入っていけなかったのか。ときに割り込むタイミングを見誤れば、無粋と断じられるからな。
「グリシーヌ、悪いがローズを借りるよ。僕たちから彼女に贈り物がしたいんだ」
 さりげなくローズの肩を抱いて、ブランシュ団長は姉さんからローズを引き離す。無意識にローズを追いかける姉さんの前にヴェール団長が割り込んで、壁を作った。さすが、息の合った連係プレイだ。
「……えっ、ああ……」
「ディアマン、しばらくの間、グリシーヌの相手をお願いして良いかな?」
 有無を言わせぬ口調で命令されれば、ディアマン様とて拒否できない。ある意味、命令だから姉さんとディアマン様は互いに意識せずに、自然に会話を始めていた。
「お二人はどういう贈り物をなされるのでしょうね?」
「ブランシュ様のお見立てに興味をそそられますわ」
「ローズ様でしたら、どんなものでもお似合いになられるでしょうが」
「ええ、こちらのようなシンプルなものも、ローズ様にお似合いになると思いませんか? 色もローズ様にお似合いかと」
「――どれですか? ああ、この色は確かにローズ様にお似合いになられるでしょう。さらにローズ様の可憐さを強調しそうですね」
「そう、そうなのです。既に、ローズ様は完成された薔薇の如き美しさでありますから、シンプルさが飾り映えすると思いますの!」
 聞こえてくる二人の会話の話題が、ローズなのが少し問題ありだけれど。
 ……妙に熱の入った姉さんの口調に戸惑うけれど。
 例えば、自分にはどんなものが似合うだろうとか、姉さんは考えないのかな。
 まあ、姉さんの性格上、自分よりローズ優先なんだろうな……。
 オレは二人の邪魔にならないように、距離を取って、ローズたちの方に身を寄せる。
 三人の輪の中に加わるのもはばかられて、オレは聞こえてくる会話に耳を傾けると、
「現実に引き戻してくれて、ありがとう、ブランシュ。うっかり、本気で買い物に没頭しちゃいそうだったわ」
 ローズが頬を指で掻いて、言い訳していた。
 ……やっぱり、目的を忘れかけていたな。
「何か、盛り上がっているみたいね?」
 ローズが姉さんたちの方を見て、小声で団長たちに囁く。盛り上がっている話の中身が自分のことだと、ローズはわかっていないだろう。
「そうだね。僕らもこちらで楽しもう」
 ブランシュ団長がローズの手をとって、ケースの近くへと導いた。ヴェール団長は子犬のように、その後を付いて行く。
「うん。……でも、いいのかしら?」
「何が?」
 ローズの瞳を覗くようにブランシュ団長は小首を傾げる。さりげなく、距離が近い。普通の男なら警戒されそうな距離だが、不思議とブランシュ団長に関して言えばいやらしさは感じない。
 一つ一つの仕草、所作が自然で流れるようだ。それが、ローズに「王子様」と言わせる所以か。
「計画のこともあるけれど、私は一応、女王なわけじゃない? こんなところで遊んでいていいのかしら」
 眉を寄せるローズに、オレはちょっとだけ驚いた。
 こんな場所に女王や騎士たちが遊びに来るということはないだろう。でも、だからと言って、女王が遊行を犠牲にしてまで熱心に女王の務めを果てしているなんてことはあり得ない。歴代の女王たちが、王宮で貴族たちを集めて夜会などが開いていたという話を聞いている。それに比べたら、ここでちょっと買い物するなんて、遊びの内にも入らないだろう。
 第一に、女王が遊んではいけないみたいな、そんな考えをするなんて、思ってもみなかった。
 女王って、守護神である女神の代わりで、象徴なんだろう。その魔力で、国を守る――それだけが務めで、それ以上のことなんて、別にどうでも良かったんじゃないのか?
 政治は議会がするもんだろ。女王一人で何かを変えられるはずがない。
 そう思っていたから、孤児院でローズが「女王になって、この国を変えるからね」と言っていたその言葉にオレは反発したんだ。
 あの頃と、今のローズは違う。赤ん坊に戻って、記憶だって失くした。
 なのに……――真面目に、女王をやろうとしている、そんなところは変わらない。
「ローズ、見てごらん」
 ブランシュ団長がガラスケースにローズの視線を向けさせた。指先が飾られた宝石を指し示す。
 ローズとヴェール団長がよく見ようと、ケースに顔を近づけて次の瞬間、――互いの頭をぶつけあった……。

 ――ガツンっ!

 そこかしこに話し声が聞こえるものの、上品な静寂を満たした店内に、突如として響いた衝突音は、客の度肝を抜くのに十分の激しさだった。
 誰もがギョッと目を剥いて、振り返る。
 衆人の目に晒されたローズは、何でもないわ、というような笑顔を――思いっきり頬が引きつっている笑みを見せつつ、ひらひらと手を振った。
 姉さんたちも心配そうな顔で振り返ってきたが、ローズは「何?」とまるで何事もなかったように小首を傾げ、頭を抱えるヴェール団長の腕に自分の腕をからませると強引に、一同から背を向けた。
 並んだ二人の後ろ姿は、仲の良いカップルのように見えなくもないが……その背中から漂うオーラは、

「お願いだから、今のはなかったことにしてっ!」

 ――と、叫んでいるようだ。
 多分、こういう時は何事もなかったように流してやるのが大人なんだろう。
 痛みに耐えているのか、プルプルと震えるローズに、ブランシュ団長がさりげなく話を元に戻した――大人だな。
「とても、綺麗な石だよね」
「それはそう思うけど……」
 周りの目が逸れたのを確認して、ローズは額を撫でつつ答えた。
 ヴェール団長も眉間に皺を寄せ、鬼気迫る表情でいる。眼光鋭いあの顔で睨まれたら、喉の奥がひきつれ、息ができなくなりそうだ。眼力だけで人を殺せるかも知れない。
 多分――相当に、痛かったんだろう……。
 強い団長は騎士団の稽古でも、打ち込まれることはない。いつもなら持ち前の反射神経で避けていそうだが――ローズを怒らせては、繰り出される拳を避けてきた団長だったが、殺気のないものには反応が遅れるのだろう。肉体的に傷を負うということ自体、この人にとってはなかったんじゃないだろうか。案外、痛みには弱いのかも知れない。
 周りに雷のような殺気を放電し、近づけば感電死しそうな、殺伐した雰囲気をかもし出すヴェール団長の傍に近づくのはそら恐ろしく、オレは三人の会話が聞こえる距離で待機する決心をした。
 ……根性無しと言われそうだが、誰だって命は惜しいだろっ?




前へ  目次へ  次へ