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 ― 6 ―


「でも、初めからこの石はこんなに綺麗なわけじゃないんだよ」
「えっ?」
「鉱山から掘り起こされて、研磨され、職人が細工して、初めてここに並んでいる」
「……そうね」
「例えば、この指輪の値段はどう思う?」
「……ちょっと、高いかしら? 普通の人には手が届かないんじゃない?」
「そうだね。だけど、これを掘り起こすために、何人もの坑夫が危険な鉱山の暗い穴底で働いている。それでも、やっぱり高い?」
「――――ううん、でも……」
「ローズ、一度に何もかもを学べるわけじゃないよ? でも、君は今この瞬間、この石の価値を値段だけではなく、労働の対価を知ったわけだよね」
「ええ、でも……。売られる宝石のお金は、全部そういう人たちのところへは行かないのよね」
 ローズの表情が(きび)しくなった。それはさっきまでの現実的な痛みに耐えていた顔つきとは異なる。
「そうだね。結局のところ、採掘権利者の(ふところ)が潤って、労働者の賃金は君が想像するところだろう」
「そう思うと、やっぱりこの石はこれだけの値段を払うべきものなのかしら? 綺麗だと思うわよ? ……それでも、贅沢(ぜいたく)品にしか思えない」
 もう頭をぶつけた痛みはないのか――ないというより、意識が別次元へ移ったのかも知れない。ローズは首を振った。
「贅沢はいけないことだと思う?」
 ブランシュ団長が静かに問う。その声はゆっくりと心に沁み入ってくる。
「そんなことないわよ。がんばったご褒美に、ちょっと贅沢するのは別に悪いことじゃないと思うわ。でも……貴族だけがこの国では贅沢をしているのでしょ?」
「――悲しいことにね。働いても、働いても、生活が楽にならない人たちがいる」
 団長の言葉にオレの記憶は遠い日を蘇らせる。家族を養うために、労働に身体を酷使(こくし)した両親。疲れ切った身体は流行病に抵抗できず、あっという間に病魔に侵された。
 オレがガキの頃流行った病の犠牲になったのは、労働階級の人たちだ。薬代も捻出できない底辺の人間たちは、次々と病魔の犠牲になった。
 貴族は病にかかっても、薬代に困ることなく、滋養(じよう)をたっぷり取って、助かった。
 その現実を知ったとき、女神に慈悲なんてないと思った。女王の魔力は災厄に対して力を発揮できても、疫病には役にたたない。結局、女王が守る国っていうのは貴族がいる国。オレたち庶民は二の次だ。
 だから庶民は女王に何も期待しない。していない。したところで、何も変わらないと諦めていた。
 ――ローズが女王に選ばれるまでは、誰も。
「どうすれば、その人たちを助けてあげられるのかしら? 私はね、全員が全員幸せになればいいとは思わないわよ。がんばっていないのに、がんばった人と同じ権利を求めるなんて、ずるいわ。私は誰でもがんばれば、がんばった分だけ、それがちゃんと還元される国になればいいと思う。後、がんばりたいと思う人が、がんばれる場所をこの国の中に作りたい。それって結果的に、きっと国を良くして行くことだと思うの」
「そんな国にするには、どうすればいいと思う?」
「やっぱり、私がちゃんと女王をすること?」
 ローズは気負うように肩を怒らせた。ブランシュ団長がそれを解すように、ローズの肩を撫でる。
「女王が率先して国を変えようとがんばることは、とてもいいことだと思うよ。でも、一人の人間に出来ることなんて、きっとたかが知れている。女王一人でこの国を守るには犠牲が多すぎるから、僕ら騎士たちが存在する。政治だって同じだよ」
「議会……」
「今までの議会は貴族中心に物事を進めてきた。だから、切り捨てられる人が多かった。けれど、君が帰ってきて、議会もまた変わりつつある。ねぇ、ローズ、彼らはまだ信用するに当たらない存在かな?」
「そんなことないわ。少なくとも、今の議長は信頼しているわよ、私は」
 前議長が処罰されて生まれ変わった新議会を統括しているのは、ブランシュ団長の父親、テュルコワーズ・オール(きょう)だ。今現在は議会の長として「空(シエル)」の称号を持っているから、正確にはテュルコワーズ・シエル・オール。
 ブランシュ団長と姓が違うのは、団長はオール家の嫡男として認められていないからだ。故に、母方の姓ブレゥーを名乗っている。
 オール卿は貴族でありながら、娼婦(しょうふ)を囲って子供を産ませたスケベジジイ――と、オレは思っていた。
 前議長グルナと結託してローズ失脚を企んでいた頃のオレは、前議長との繋がりを悟られないようにしていたし、前議長はオレの存在を騎士団に対する切り札としていて表から隠していた。
 だから、前議長に同調しているように見えたオール卿は、グルナの傍によくいたけれど――今思えば、前議長の動きを監視し暴走しないようにしていたのだろう――オレはオール卿とは、極力接触を避けていた。
 そのせいもあって、オレはオール卿についてはよく知らない。
 王宮でオレが遠巻きに見ていたオール卿は、行方不明となったローズを頑なに支持するブランシュ団長とは、敵対していて犬猿の仲だと思われていた。
 実際、嫡子として認めずにいるのだから、仲が悪いと思われても仕方なかったし、そう思われるように二人は振る舞っていた。
 けれど、前議長の影が王宮から消えると、オール卿は何かにつけてブランシュ団長のところにやって来るようになった。この間なんて、弁当持参で騎士団の訓練を見学していた。
 さすがに、ブランシュ団長は危険だと判断したのだろう。打ち合いのはずみで、剣があらぬ方向に飛んでいくこともしばしばだ。騎士には反射神経を鍛える訓練の一つと目されているが、普通の人間には危険すぎる故に、騎士の訓練場は騎士以外、立ち入り禁止だ。ローズにも許されていない――まあ、ローズは女王としての勉強の方が忙しくて、余裕がないんだろうが。
 そうして、追い出されそうになったオール卿は泣きださん顔つきで、ブランシュ団長を責めた。
『ブランシュ君は父が嫌いか? 何故、君の勇姿を父に見せてくれぬのだっ? ようやく、何の憂いもなく、君の白鳥がごとく美しく舞い踊る剣舞を目に入れられると、イリスさんにお弁当まで作って貰ったのに』
『踊っているつもりはないのですが……父上、僕を困らせる我が儘を仰られると、嫌いになりますよ?』
『ああ、それは勘弁しておくれ。愛する我が息子に嫌われてしまったら、わたくしの心臓は悲しみに破裂してしまう』
『では、母上が作ってくださったお弁当を置いて退出してください。父上に怪我をさせたくない僕の子心、わかってくださいますよね?』
『お弁当は持って帰ってもよいだろうか』
『父上はいつでも、母上の手作りは食べられるでしょう? 僕に譲って下さらないのですか? この通り、ヴェールも欲しがっていますから』
 ブランシュ団長が隣を指差せば、ヴェール団長はオール卿が大きな腹の上に載せるようにして抱えていたバスケットに鋭い視線を注いでいた。
『う、うむ……。ブランシュ君のたっての願いだ。父は涙を呑んで、イリスさんのお弁当を愛しき我が息子とその親友であるヴェール君に進呈しよう』
 後ろ髪を引かれるように――頭部が寂しいことになっているのは、ここでは突っ込むまい――オール卿は何度も振り返りながら、訓練場を後にした。
 その姿を見る限り、息子を嫌っているどころか、溺愛しているのが傍から見てわかるほどだ。
 今までの態度がすべて演技だったことに、オレとしては驚愕させられたが、ある意味、前議長の貴族至上主義が王宮や議会にどれだけ影響を与えていたのか、実感させられた。
 隠さなければ、色々と危なかったのだろう。ローズ暗殺を企んだ奴だ。自分の意に染まらないオール卿を殺すことなんて、躊躇(ちゅうちょ)しなかったに違いない。
 そんな前議長から解放され、オール卿が議長になってから、議会の方も変わってきた。慈善施設などへの支援法案を議題にしたりと――元の草案はローズが提出したらしい――明らかに、今までの議会とは変わりつつある。
 もっとも、議会の過半数以上が貴族議員なので、簡単に通りそうにない。貴族たちはオレたち庶民が優遇されるのが、面白くないらしい。
 それでも、少しずつだけど何かが変わっていっているのはわかる。
 何も期待していなかった庶民たちがローズに興味を持ち始めた。そこからでも変化が感じられる。
 女王が国を変えるなんてできないと思っていたけれど……。
「――ならば、君はもっとこの国を見つめてごらん」
「見る?」
「君はこの国を一から知らない。だから、見るものすべてが、この国のすべてだ。ずっとこの国で生きてきた僕やヴェールには当たり前すぎて見えなくなっていることも、君には見えるはずだ。それは君の強みだと思うよ」
「何も知らないのに?」
「何も知らないから、率直な言葉で語れる。貴族や庶民を分け隔てなく、見つめられる。その目で見たことを、変えなきゃいけないと思うことを、どんどん口にすればいい。それが君のすべきことなんじゃないかな」
「でも……」
「議員も法を整備してきた者たちも、それを遂行してきた関係役人も、皆働いている。賃金を貰ってね」
「――あっ」
 弾かれるように、ローズが顔を上げる。
「君がすべてを背負って、彼らに仕事をさせないのは、無意味だよ。彼らには貰っている給金だけの働きをさせれば勿体ないよ? 君がいう国作りで、どれだけのことができるか、できないか。それで頭を悩ませることは、彼らにとっては仕事だ。そうだろう?」
「そ、そうね」
「過重労働を訴えてきたら、労働に対する法を整備させよう。労働に対する賃金が正しく、労働の対価に等しいだけの賃金が支払われるように」
 優しく見下ろす青い瞳がローズからガラスケースに移る。つられるように視線を動かして、ローズは声を張り上げた。
「勿論、坑夫にも適用する法よね。坑夫だけではないわ、働く人すべてに対しての!」
「労働が原因で病気になったり、怪我をした場合のために、その間の生活を保障するような制度を作ろうか。もしもの時にも、生活が保障されるとあれば、安心して仕事に打ち込めるかもしれないね?」
 ブランシュ団長の言葉に、ローズが嬉しそうに首を頷かせた。難しい顔をしていたのが嘘のように、表情が華やぐ。
 (しお)れていた花が水を得て、花びらの潤いを取り戻すように、団長の言葉でローズの表情が活気づく。
「労働に対して特別ボーナスとかあったら、今は辛くても、もう少し頑張ろうって思えるかも。この国にはクリスマスに似たイベントはない? 子供たちにも夢を与えたいわ」
「ご褒美だね――ほら、君が女王であろうとするなら、場所は王宮でなくとも学べるよ?」
「――こういうことで、いいの?」
 睫毛を瞬かせて、ローズは不思議そうに小首を傾げた。
「今までの女王は、そういうことすらやってこなかったんだよ。彼女らは自分が知っていることが全部だと思い、それ以上を知ろうとせず、議会に政治の全権を預けた。そして議会は貴族に都合のいい法を作ってきた。君は今までの女王のように、玉座に大人しくおさまっている?」
「いいえ、嫌よ。そんなの私の性に合わないわ。今までの女王たちが間違っていたとは言わないわ。彼女たちは間違いなく、この国を守ってきたのでしょ? でも、私はそれ以上のことをしたいの。守りたいだけじゃない――助けたいの」
 ああ、ローズだと思った。
 若返って記憶がなくなっても、ここにいるあの女はローズだ。
 別人のように見えたけれど、根本的なところは何も変わっていない。
 孤児院の皆の守護者だったローズ。
 町の連中から苛められている姉さんをさっそうと助けたローズ。
 あいつを毛嫌いしていたオレをも助けようとするローズ。
 そして今、この国の奴らを助けたいというローズ。
 正義感が強くて、お人好しで。一直線に突っ走って、誰かれ構わず助けようとする。
 馬鹿みたいに行動力があるローズなら、――この国を変えてしまうかもしれない。
 そんな予感を抱き始めたオレの隣で、
「ご立派な志です、ローズ様。騎士として忠誠を誓った相手を私は間違っていなかった! 今、私はそのことを熱く確信しておりますっ! グリシーヌ殿」
「私もですわ、ディアマン様。さすが、私のローズ様です。私はローズ様の行くところ、地獄であろうと、どこまでもお供いたしますわっ!」
「私もですっ! 地の果てへでも、共に参りましょう、グリシーヌ殿」
「はい、ディアマン様っ!」
 拳を握り目頭を熱くするディアマン様と、ぎゅっと両手を組む姉さんがいた。
 ……地獄って、姉さん。
 ……えっと、ここは突っ込むべきなんだろうか?




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