― 7 ― 宝石店を出たオレたちは、公園で姉さんの手作り弁当を食べることにした。パンの間にハムや野菜を挟めたサンドイッチ、ライスを固めたものと――おにぎりというらしい――いったものから、焼き菓子などのデザートを詰め込んだ大きめのバスケットが三つから四つと、馬車から運び出された。 四人の成人男性が混じっているとはいえ、その量はあまりに多すぎるんじゃないかと、思ったのは 下手したら、足りなかったのではと思うほどに、ヴェール団長の食欲は旺盛だったからだ。 オレはその光景を初めて見たから、 低木の生け垣に囲まれた緑の芝生の上に敷布を広げて、六人で円陣を作って座る。 ローズの両脇には勿論、「太陽」と「月」の騎士。ローズの真向かいに姉さんが座る形で、オレとディアマン様が両側を固める。結果、オレはヴェール団長と肩を並べた。 円の中心に置かれたバスケットの中身は次から次へと、ヴェール団長の腹の中へ収まって行く。 その様を呆然と見ていたオレは、気がつけばおにぎりを一個、口にしただけだった。 一応、オレは十八歳の男だ。成長期のただ中にあるヴェール団長と一つしか違わないわけだから、おにぎり一個で腹が満たされるということはない。 しかし、既にバスケットの中身は 何度確かめても、空だった。 …………やり場のない切なさを抱えていると、ローズの声がわざとらしいことこの上ないといった感じの棒読みセリフを吐きだす――お前、何気に演技が下手だよな。 「さて、ちょっと食後の運動に散歩しようかしら」 それが合図で、当然ながら二人の騎士が立ち上がる。 「では、僕らもお供しよう。ディアマン、グリシーヌを頼むよ?」 さらりとディアマン様をこの場に留めておくため、ブランシュ団長が命令する。 「はい、かしこまりました」 実はこれこそが、姉さんとディアマン様を二人きりにさせる作戦だとは、まったく気づかれていないようだ。 ディアマン様が ローズと二人の騎士たちが歩き出して、さてオレもと腰を上げたところで、姉さんが小首を傾げた。 「アメティスト、あなたはどこに行くの?」 「……えっ?」 ローズに、ブランシュ団長とヴェール団長の、二人の騎士が追随するのは誰も何とも思わない。あの二人は、一応建前上は、ローズの夫だ。建前と言うけれど、二人ともローズが好きなのは目に見えて明らかだ。他の騎士たちがローズに近づこうとすると、これ見よがしの牽制をするのだから。 ローズの方も多分……二人のことが好きなんじゃないかと思う。それとも、自分に向けられた好意を自覚したとき、ああいう反応をするんだろうか? 宝石店でのことを思い出しながら、オレは姉さんから目を逸らす。 問題は、オレが三人の後を追うのは不自然であるということなのだが、姉さんとディアマン様を二人きりにするという作戦上、オレがここに留まってはいられない。 せめて、護衛に付いてこいと一言、ブランシュ団長なりヴェール団長なり言ってくれれば――と、期待に目を向ければ、三人の背は遊歩道の曲り角に消えた。 ――置いて行くなよっ! 頼むから、オレのこともフォローしてください。 「ええっと……その、トイレ?」 我ながら、言い訳が苦しい。ローズの演技下手を非難できる立場ではないかもしれない。そんな焦りが表情に出たのか、姉さんが「早く行ってらっしゃい」と慌てて、急き立てた。 「そう言えば、朝から具合が悪そうでしたね」 「昼食にもあまり手を付けていなかったようですし、もしかしたらお腹を壊していたのかしら」 姉さんとディアマン様が心配そうに声を交わすのが、聞こえた。いや、食べられなかったのは団長が……。 「大丈夫かしら。間に合えばいいのですが」 何がだっ? ……何か、多大な誤解を与えてしまった気がするが……。 背に腹は代えられない――正しい用法かわからないが、そう諦めることにして、オレはその場から逃げだした。 遊歩道を曲がると、ローズたち三人がオレを待っていた。 「遅いわよ、アメティスト。まさかと思うけど、今さら計画を邪魔しようなんて考えていないわよね?」 遅れたのが意図的だと思っているのか、ローズが確認してくる。 ……お前は、オレの立場を知れ。そう心の中で、毒づいた。 ブランシュ団長やヴェール団長みたいに、オレはお前の傍に近づくことが安易に許される立場じゃないんだ。 ローズは何の 許されたからと言って、過去がすべて清算されたわけじゃない。 もっと警戒しろよ、と声を荒げたくなる。 そんなに誰かれ構わず、心を許していたら、また傷つけられるかもしれないぞ? それで辛い目にあうのは、お前自身なんだぞ? 「そんなつもりはない」 オレは慣れ合ってくるローズを突き放すように、素っ気ない声を吐いた。 突き放されたいと思っているのは、多分、オレだろう。これ以上、近づいてしまったら、オレは気づかなくていいことに気づいてしまいそうな予感がする――いや、もう気づいていると思うんだが……認めたくない。 ローズには恩義を感じて、だからこれから先、女王の騎士としてローズを守る。それだけでいい。それ以上の感情なんて、必要ない。 だって、お前はオレにはあんな顔を見せやしないじゃないか。 宝石店でブランシュ団長がローズに贈り物をさせて欲しいと言った。 『えっ? ……でも』 やはり贅沢品だという後ろめたさがあるのだろう。戸惑うローズに、ブランシュ団長が諭す。 『君がこの国の人々を助けたいと思う――その誓いを忘れないよう、証にしよう。それなら、構わないよね?』 片目を瞑って、ブランシュ団長はローズを言い含めると、片手を上げて、店員を呼んでガラスケースを開けさせた。 『これは、僕とヴェールから。二人で一個ずつね』 ブランシュ団長とヴェール団長が選んだのは、ピンク色の石を薔薇模様に加工したイヤリングだった。 ワンセットのイヤリングを一つずつ手にした二人の騎士は、ローズの茶色の髪を掻き分け、左右の耳に薔薇を飾る。 『僕らが愛しの女王へ――』 触れられるくすぐったさに小さく肩を竦めながら、それでも嬉しそうにはにかみながら、 『私、今日の気持ちを忘れないようにがんばるから。二人も私を助けてね』 と、笑ったローズの表情は――オレが初めて見るものだった。 なんて言うか、ローズも一人の女だったんだと思わされた。 そんな顔もできるのかと、驚かされるくらい――可愛かった。 今までオレが見てきたローズは常に誰かと戦ってきた。前を向いて、突っ走って。町のガキたちから オレにローズは女だっていうことを思い出させたのは、前議長がローズを殴ったときだ。あのとき、抵抗もできないローズを議長が殴るから反射的に背中に庇った。その瞬間だけ、ローズはオレにとって女だった。 けれど、それ以外のとき、オレとローズの間には女とか男とか、そう言った感情はなかった。 これからもない……。 少なくとも、ローズはオレに対して女の顔を見せない。オレに対してあんな風に笑ったりしないなら……頼むから、オレの感情を掻きまわさないでくれと言いたい。 今さら、オレがローズに女を見つけたって、どうしようもねぇだろ? だから突き放して欲しい。今まで以上に、近づいてくれるな。 そっぽを向くオレに、ローズは「まあいいわ」と軽く流した。 オレの不機嫌な理由を想像したりしない。ローズにとってオレは守るべき存在であり、決してブランシュ団長やヴェール団長相手に見せる信頼の甘えはない。自分の命を狙っていた相手だ。嫌われていると今も思っているんだろう。 嫌われている相手すら、ローズは抱え込む。お人好しだ。 最初から、ローズはオレを対等に置いていなかった。ガキの頃から、オレは守られる存在だった。 同い年なのに、姉貴ぶって……、オレは端から男として見られていない。 ガキの頃のオレはそんなローズが嫌いでしょうがなかったんだと、今さらながらに気がついた。 |