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 ― 8 ―


「目隠しの魔法を掛けるわね」
 ローズの一言で、オレたちの周りの空気が微妙に変化したような気がした。オレの魔力ではディアマン様から姿を隠すのは難しい。だから、ローズが皆の姿を魔法で隠す。もっとも、この四人の面子がそれぞれ確認できるから、魔法が成功しているのか、疑問だ。
 眉をひそめるオレに、ローズが不安そうな顔を見せる。
「うん、魔法の使い方も板に付いてきたみたいだね。大丈夫、これならグリシーヌたちに気づかれることはないよ」
 オレとローズの不安を察して、ブランシュ団長が保証してくれた。ヴェール団長は踵を返して、姉さんたちの後ろにある生垣の影に腰を落ち着けた。
 ローズとブランシュ団長が続いて、オレも生垣から頭を突き出す形で、二人を見守る。
 敷布の上は綺麗に片づけられ、二人は並んで座りながらオレたちの帰りを待っているようだった。
 さて、二人きりになったらどんな会話をするのだろう?
 オレたちは興味半分に耳を澄ます。
 宝石店では何だかんだと、最終的にはオレと姉さん、ディアマン様の三人がローズたちを見守ると言った形で終わってしまったが……。
 この場には見守る対象のローズがいない――いや、いるんだけど、姉さんたちには見えない。
 少なくとも、二人にとって二人きりの――なんか変な表現だな――空間だ。
 お互いをどう思っているのか、本音が出やすいだろうと、耳を澄ませてほんのちょっとした動作も見逃すまいと目を光らせること……十数分。
 無言で座っている二人を見つめ続けて、……オレたちは一つの結論に辿り着いていた。
「思えば、姉さんは……聞き手タイプだ」
 オレが小声で呟けば、ローズが補則する。
「お父さん……ディアマンも自分から何かを発言するというタイプじゃないと思うわ。私が余程、おかしなことをしない限り、ガミガミ注意してくることもなかったもの」
「おかしなことって、例えば?」
 目の前のことより興味を惹かれたのだろう、二人の騎士がローズに目を向ける。
「それこそ、空手道場にこっそり通おうとしたことがバレたときとか。あのときは、お説教に二時間――擦り傷を作ったらどうするというところから、そこから破傷風の危険性、捻挫したら、青あざを作ったら、骨折でもしたらどうする……って、過保護過ぎると思わない?」
「まあ、女王を預かっている身の上として彼も一杯一杯だったんだと思うよ。過保護は認めるけれど、できれば親心として許してあげて欲しいな」
 微苦笑しながら、ブランシュ団長がフォローする。
「今ならそれもわかるけどね。ちょっとは反発したくなるじゃない?」
「どうしたの?」
「前にも言ったと思うけど、内緒で剣道道場の体験入学に応募したわ。直ぐにバレたけれど」
「また、ディアマンは真っ青になっただろうね」
 くすくすと笑いながら、ブランシュ団長が言えば、ローズはこくりと首を頷かせた。
「お説教に三時間。内容は前と同じだったのに、不思議と一時間長かったのは、どうしてかしら? それ以外のときは、お父さんもお母さんも割と私の意志を尊重してくれて、口出ししてこなかったわ。二人ともお喋りってタイプじゃないのは確かね」
 何となく、ディアマン様らしいエピソードだと思う。真面目なんだな。姉さんに、ますますぴったりなお相手だと思うんだが……。
 姉さんとディアマン様の間に、会話らしい会話がない。宝石店では「ローズ」という話題にあれほど盛り上がっていたというのに……「ローズ」から離れてしまうと、一言も会話が生まれないってどういうことだ?
 普通、こういうときは何かしら話題を振るもんじゃないか。話し相手がいるのに無言でいるというのも、居心地が悪いだろう。
 それとも、姉さんとディアマン様は、オレたちが思っているほど、仲が良くないんだろうか?
 疑念に囚われてオレは誰ともなく、問う。
「でも……どっちも聞き手タイプだからって、こうも話が弾まないっていうのは、相性が悪いのか……」
「そんなことはないと思うよ。言葉を重ねて気を使わずとも良いぐらいに、二人は気心が知れているんじゃないかな?」
 ブランシュ団長はオレにまで気を配ってくれるのか、慰めてくれる。
「あっちにいるときも、割とこんな感じだったわ。縁側で二人並んで、庭を眺めながらお茶を呑んでいる二人の空気って、穏やかで。多分、あの二人にとって無理に会話をするより、一緒に空を眺めたり、お茶を飲んだりしているほうがきっと、居心地がいいのね」
「人それぞれだからね。二人にとって、あのスタイルが一番自然なんだろう」
「まあ、ヴェールがいきなり饒舌(じょうぜつ)になったら、嫌よね」
「俺は関係ないだろ」
 いきなり名前を出されたヴェール団長が、眉間に皺を寄せてローズに噛みついた。
「あのね、そのままのアンタがいいって言っているんじゃない」
「…………そう、なのか?」
 口をもごもごさせると、ヴェール団長は目尻をちょっと赤くしてそっぽを向いた。ローズとブランシュ団長は目を見合わせると、小さく笑う。
 もう既に、三人の間で空気が出来上がっているのを実感する。
 他の誰かが割り込む余地なんて、どこにもない。
 それは姉さんとディアマン様にも言えることだろうか? あの穏やかな空間に割り込むことなんてできない、二人の中に確立された互いへの絆。
 もしかしたら、今さら結婚なんて形にこだわる必要なんてないくらいに、二人は互いを信頼し合っているのかもしれない。言葉なんて、必要ないくらいに、結びついているのかもしれない。
 だとすれば、オレたちがここで待っていたって、何も変わらないだろう。
 オレはもう戻ろうと、提案しかけたが、ブランシュ団長が「迷子かな?」と呟いた。
「えっ?」
 オレたちが団長の視線の先を追いかけると、五、六歳の女の子が一人キョロキョロと辺りを見回していた。
 フリルがついたワンピースは白。ところどころ、泥に汚れている以外は、真新しさを感じさせる白だ。何度も着古して色が黄色くなり擦り切れるまで着る庶民ではないのが、一目でわかる。どこぞの金持ちの子供だろう。
 オレたち庶民は、あんな汚れが目立つような上品な服は着ない。真新しい服を買う余裕すらないから、古着屋で服を見繕(みつくろ)えば、白いドレスはクリーム色に変色している。
 金持ちの子供がこんなところに一人でいる不自然さに――庶民のガキは、何才だろうと働き手に数えられるから、親の手伝いで、一人でお使いに行かされることも珍しくないことを思い出せば――迷子と推測するのは、難しくない。
 やがて姉さんたちも、迷子に気づいた。二人揃って、子供に近づく。
「こんなところで何をしているの? 誰かと一緒ではないの?」
 姉さんは子供前で膝を折り、目線を合わせた。
 小さな女の子は何かしら言ったようだが、オレたちのところまで声は届かなかった。
「お家はどこかしら、わかる?」
 姉さんの問いかけに、女の子の頭が左右に振れた。それから、心細くなったのだろうか。こちらにも届く泣き声が響いた。
「困りましたね。恐らく、迷子でしょうが、これでは話がきけない」
「あの、三時のおやつにプリンを作りましたの。それをこの子に与えても良いでしょうか」
 プリンという言葉に反応したらしいヴェール団長が、立ち上がって出ていこうとするのを慌ててローズが止めた。
「馬鹿っ! おやつの言葉にヴェールが出て行ってどうするのよ。大体、ここから姿を現したら、私たちが覗いていたのが二人にばれちゃうじゃない」
 あれだけ食っておいて、まだ食べ足りないんですか。団長。
「…………」
「大丈夫だよ、ヴェール。グリシーヌは君の分をちゃんと残しておいてくれるさ」
 本当に? と、問いかけるように黒い眉をびくりと動かす。
「残っていなかったら、君のために作って貰うよう、お願いするよ」
「……わかった」
 ヴェール団長が渋々と言った感じで、腰を落ち着ける。
 ああ、うん。……この人はアレだ。オレより一つ年下だ。年下なんだよ。それに世間知らずの貴族様の間で育てられたんだ。だから、こんなに純なんだ。
 オレはがっくりと肩を落としたい衝動を堪えながら、自分に言い聞かせた。
 上司がちょっと幼くったって、いいじゃないか。こういうときこそ、部下が上司を支えるんだよ。
 でも、何か……ローズの愛人の座を狙っている不埒な騎士たちの半数以上が黒い騎士服を着ている事実を思い出した。
 自分が常日頃着ている黒い騎士服。
 あの事件の後、ローズを守る騎士になるんだと決めたとき、それまでの心意気とは違って、この制服を誇りにしていこうと思った自分が微妙に切ない。
 目の前が暗くなって、膝を抱えたくなってきたが……ヴェール団長が審査会を経て「月」の騎士に選ばれたのは、間違いのない事実だ。魔力も剣士としても優秀だ。
 ただ、人間的に幼いってだけで……。
 多分、そんな団長に選ばれた人選の方が間違いだったんじゃないかと思う。ローズと仲が悪かったオレが女王の騎士団に選ばれた時点で、間違いが明確じゃないか。今さら、どうこう言わないよな?
 まあ、リュンヌ騎士団の人選が多大に問題ありの集団でも、ソレイユ騎士団はブランシュ団長が選んだからさ、間違いはないだろう……。
 ああ、うん、ディアマン様は大丈夫だ。何しろ、ブランシュ団長の片腕だから。
 オレは現実に立ち返って、姉さんたちに視線を戻した。
 女の子を敷布の上に座らせて、プリンを食べさせていた。混乱して泣いていた女の子も菓子の甘い香りに落ち着いたらしい。ちょっとずつ、表情がほぐれていく。
 そんな女の子の様子を優しく見守る姉さんとディアマン様。そこにある光景は、幸せな家族の肖像に見えた。
 小さい頃に両親を亡くして、孤児院に入れられた奴が憧れてしょうがない絵がある。
 女神が本当にいるのなら、頼むから姉さんにそこにある幸せを与えてくれと、願う。
 何も期待しない、と。全部を諦めたつもりだったけれど。
 それでも欲しいと思うものが目の前にあったら、やはり望んでしまう。
「何だか、真姫ちゃんの……ローズ様の小さい頃を思い出しますね」
 姉さんが頬に手を当て、懐かしそうに目を細め、プリンを食べている女の子を見つめる。真姫というのは、地球にいた頃のローズの名前だというのは聞いていた。過去を思い出しているのだろう。
「――本当に、懐かしい」
 感慨深げに頷いて、顔を上げたディアマン様は不意に真剣な表情で姉さんを見つめた。
「グリシーヌ殿、私はずっと貴女に告げなければならないと思っていました」
 その面差しの真摯な瞳に、生垣のこちらでオレたちは固唾を呑んだ。
「もしかして、もしかする?」
 やや興奮した様子のローズが身を乗り出す。つられて、オレも身を乗り出していた。




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