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 ― 9 ―


 真剣な茶色の瞳。常日頃から実直な人で、生真面目な表情が崩れることはないその人の端正な面が緊張の色を浮かべて、姉さんを見つめる。
 オレは息を呑んだ。この緊張感は――ローズが期待するように、ひょっとして、ひょっとするのか?
 心臓が興奮で激しく鳴り出す。
 何で、こんなにドキドキしているんだよ、オレ。
 ローズのマンガで読んだ告白される女子高生でさえ、こんなにドキドキしねぇだろ?
 ああ、興奮しすぎて思考がおかしな方向に走り始めているのを自覚するが、しょうがない。
 だって、もしかしたら、姉さんの一生が決まるかも知れないんだ。
「行け行け、告白しちゃえ。プロポーズしちゃうのよ、お父さんっ!」
 グッと拳を握って、ローズが叫ぶ。一応、魔法で姿を隠しているから、声もあちらには届かないはずだ。
「――グリシーヌ殿」
 大きく一息吸って、ディアマン様は静かに声を吐き出す。
「はい」
「貴女に謝らなければなりません。覚えていますか? ローズ様が七つの誕生日を迎えられた日の夜、腹痛でうなされたことを」
「ええ、覚えております。あれは私が作ったケーキが生焼けだったから……」
「いいえ、そうではありません! 実はあの日、グリシーヌ殿がケーキを焼いている間、ローズ様を連れ出していた私が……つい、ローズ様にねだられて、チョコレートパフェを食べさせてしまったからなのです!」
「まあっ!」
「グリシーヌ殿が自分のせいではないかと悩んでいらしたのに、私は己の甘さを告白できずに口を(つぐ)んでしまいました。まったく、申し訳ないっ!」
 ディアマン様は敷布に額をこすりつけんばかりに、頭を下げた。
「そんな、ディアマン様が気になさることではありませんわ。あの日、ローズ様がお腹いっぱいになっているのに気づかずに、ケーキのお代りを切り分けてしまった私が母親失格だったのですっ!」
 激しく(かぶり)をふるって、姉さんは叫んだ。
 そんな姉さんに、ディアマン様がこちらも激しく首を振って、叫んだ。
「グリシーヌ殿がご自身を責められることはありません。責められるべきは、私なのですっ! ローズ様の愛らしさに屈してしまった私が……ローズ様につい大人用の特大パフェを与えてしまったのです」
「ディアマン様、それは致し方ありませんわ。ローズ様の愛らしさを前に、屈しない人間は一人もいませんものっ!」
 いや、過去に一人は確実にいたが……。
 っていうか、何か方向性を間違っていませんかっ? ディアマン様っ!
「――あれ、何の告白だ?」
 ヴェール団長が珍しく、まともな突っ込みを入れてくれたが……オレとローズは言葉を返す気力がなかった。
 というか、火がつけられたように熱弁をふるう姉さんが……遠い。
 目の前にいるはずなのに、何だか果てしない距離を感じるんだが。
 元々、姉さんはガキの頃に苛められていたところをローズに助けられてから、ローズへの傾倒ぶりが甚だしい。一時は、ヒーロー視していた感さえある。
 もしかしたら、本気でローズが男だったら良いと考えていたのではないかと、勘ぐりたくなるくらいだった。
 まあ、ローズが……その期待を裏切らない、男前な性格だったことも要因していると思う。
 しかし、ローズが赤ん坊になって、姉さんがローズの母親役を始めてからは……さらになんて言うのか、親バカ? それに拍車がかかったような気がする。
 そして、それは姉さんだけかと思ったが……。
「ああ、その通りです、グリシーヌ殿。ローズ様があの愛らしいお顔で「お父さん」などと私を呼びますれば、私は父である威厳(いげん)を失ってしまうのですっ!」
「わかります! わかりますわっ、ディアマン様!」
 力強く頷き合う二人して、同志か……。
「小さい頃のローズか。それはきっと可愛かっただろうね。二人には妬けるな。空位を守るという役目がなかったら、地球に覗きに行ったのに……」
 至極残念そうにブランシュ団長が呟けば、無言でヴェール団長が頷く。
 ……ここにも、二人。同志がいるぞ……。
 王宮に帰れば、それこそ山のような同志がいる。
 いっそ、「生足同盟」ならぬ「薔薇同盟」を結成したらどうだ。オレはやけっぱちに心の中でぼやく。
 皆して、ローズ、ローズって、姉さんもディアマン様も、自分の幸せを見つめたらどうなんだ。
 話題の本人は居心地悪そうに顔を真っ赤に染めていた。
「か、可愛いだなんて……」
「今もこんなに可愛いんだもの。きっと花開く前のつぼみのような、愛らしさがあっただろうね――君には、僕たちだけの薔薇姫でいて欲しいのだけれど。独占すれば、世の男たちから恨まれるのかな? もっとも、君が許してくれるのなら、僕らは幾らでも彼らと戦うつもりでいるけれどね」
 ローズに向かって微笑みかけて、茶目っ気たっぷりに片目を瞑るその仕草も、嫌みがなく決まる。
「ぶ、ぶ、ぶ、ブランシュは天然っ? そ、そんな恥ずかしいセリフは心に思っても、口にしちゃいけないのよっ!」
 あわあわと慌てたように、ローズは口をまごつかせた。
 これが猪突猛進で男前な、あのローズかと、驚くくらいの狼狽(ろうばい)ぶりだ。
「何故? 愛の言葉は口にしなければ伝わらないよ? 君が誰を選ぶのかは自由だけど、その選択肢の中に僕たちがいることを忘れないで欲しいんだ、ローズ」
「伝わっているから、わかっているからっ! っていうか、忘れたりしないからっ!」
 熟れた林檎のように赤い頬を両手で覆って、ローズは叫ぶ。常に傍についている二人を意識の内から外すなんて、できるはずもないと思うんだが……。
「本当に?」
 真摯な青い瞳がローズに問う。ヴェール団長の翡翠色の瞳も何かを訴えるように、じっとローズを見つめる。まるで、飼い主を恋い慕う犬のような目だ。
 二人の視線を受け止めて、ローズは首を千切らんばかりの勢いで頷いた。
「だから、乙女の心臓を爆発させるようなことを言わないで。私、そんなに免疫がないんだから――そんなに一足飛びに、前進できないのよ……」
 激しい狼狽から涙目になりつつ、もごもごと言い訳する。
 フライパン片手に町のガキたちとの喧嘩(けんか)を買っていた女が、どの口で「乙女」と言うんだ? オレは突っ込みたくなった。乙女っていうのは、オレの姉さんのようなタイプにこそ相応しいだろうが。
 それにしても今オレの目の前にいるローズは、孤児院で一緒に育ったローズとは本当に別人みたいに、違う。
 何だよ、その慌てぶり。何だよ、まるで乙女みたいな態度は。
 昔のままだったり、全然違って見せたり。どっちが本当のローズなんだ。
 ……多分、ローズが二人の騎士を特別視していることの現われなんだろうが、その変貌ぶりに、オレは疎外感を覚える。
 第一に、姉さんとディアマン様の盛り上がりは尋常(じんじょう)ならないほどの弾けっぷりだ。
 ……これ以上、ローズに踏み込んじゃいけないと思っているオレには、理解しちゃいけない領域へと入りつつある。
「ローズ様が十のお年を数えたときのことは、覚えておられますか、グリシーヌ殿?」
「ディアマン様、ローズ様のことでしたら私はどんな些細なことも忘れません! きっと、お話しなさりたいのは、ローズ様が芸能プロダクションにスカウトされたときのことですわね?」
「何と頼もしい。グリシーヌ殿とお話するのは細かな説明が省けて助かります。ええ、ローズ様にテレビアイドルにならないかと、スカウトマンから声を掛けられたときのことです」
「あのスカウトマンさんの目の付けどころは確かでした」
「はい、ローズ様がヴィエルジュの女王という宿命を背負っていらっしゃらなければ、私は是非ともローズ様を芸能界デビューさせたかった!」
 理解不能な単語がゴロゴロと出てきて困惑しているところへ、ローズが「嘘ぉ」という悲鳴のような声を発した。
 さっきの動揺から立ち直って、姉さんたちの会話に耳を傾けば、ローズにも驚愕(きょうがく)の事実があったらしい。
「お父さんって、芸能界とか嫌いなタイプだと思っていたわ」
 そんなローズのセリフの被せるように、姉さんの声が響く。
「私もそうです。テレビや雑誌で、アイドルたちが可愛いとちやほやされているのを見て、私は心で叫んでいました。ローズ様の方が断然、可愛らしいのにっ! と」
 いつもは物静かな姉さんの声は、今や燃えたぎる溶岩のような……手に負えない熱っぽさを持っていた。
 思わず、ポカンと口をあけてしまったオレに、ヴェール団長の突っ込みが入る。この人は基本的にボケ担当と思っていたが……。
「グリシーヌって、ローズ馬鹿?」
 否定しません。できません……。
 ど、どこで、道を間違えたんだ姉さん。やっぱり、姉さんにとってローズは有害人物か?
「……グリシーヌもテレビとか、嫌いな方だと思っていたわ。あまり、家ではテレビとかつけない方だったから」
 戸惑い交じりのローズに、ブランシュ団長が答えらしきものを提示する。
「多分、テレビで活躍するアイドルたちを見て、衝動的に叫ばないように自制していたんじゃないかな?」
 オレにはテレビやらアイドルというのがよくわからないんだが――ブランシュ団長は、地球文化に精通しすぎじゃないかと思うくらいに詳しいから――さっきの姉さんの言葉を反芻すれば、納得するような説得力があったらしい。ローズの顔が微妙に歪む。
「私、芸能界とか……全然、興味ないんだけど」
「そうなの?」
「派手な顔立ちで向こうでは浮いていて、容姿はコンプレックスだったのよ。テレビに出て、目立つなんて考えたこともなかったわ」
「君が女王で良かったね。でないと、二人の熱意に推されて、もしかしたら国民的アイドルになっていたかもしれないよ」
 そもそも女王でなければ、ローズは命を狙われなかっただろうし、地球に行くこともなかったんだが。その辺は問題にすべきところではないんだろう。
「――それ、……かなり嫌」
 心底、嫌そうな顔をするローズの背後で、姉さんとディアマン様の会話はさらに盛り上がろうとしていた。




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