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 ― 10 ―


「ローズ様が小学六年生を迎えた年の学芸会のことを覚えていますか、グリシーヌ殿」
「勿論、覚えておりますっ! あの日ほど、歯軋りした日はございません」
「まったくですっ!」
 二人が高らかに叫び出すのを聞いて、ブランシュ団長とヴェール団長がローズに「何のこと?」と、問うような視線を向ける。
 ローズはヒクリと頬を引きつらせて、首を振った。
「耳を塞いでっ!」
 そうローズが懇願(こんがん)するより先に、ディアマン様が声を張り上げた。
「そう、よりにも寄ってローズ様をワカメ役に推挙(すいきょ)するなど、まったく地球人の見る目のないこと」
 ……僅かに、さっきのスカウトマンとやらの話と矛盾を感じるんだけど、いいのか?
「本当に、信じられません。ローズ様は間違いなく乙姫であるでしょうに。私は緑色の衣装を()いながら、悔し涙をこぼしてしまいました」
「ああっ! 私もです、グリシーヌ殿。ローズ様が舞台の端でクネクネと身をよじらすだけのワカメ役に(てっ)している姿に、私も涙がこぼれました。ローズ様は舞台の中央で輝くお人だと言うのにっ!」
 多分、ローズ以外のオレたち三人は緑色の服を着て、身をよじらすローズを想像したのだろう。
 どんな舞台の内容かはわからないが、二人の騎士団長はちょっとだけ不憫(ふびん)さを感じてしまったらしく、
「……………………」
 場には微妙な沈黙が停滞する。
 うん、まあ……色々とあったんだな、ローズ。
 同情混じりの視線を差し向けられて、ローズは慌てて取り繕うように口を開いた。
「そろそろ、戻らない? 何だか、あれ以上、二人に会話をさせちゃいけない気がするの」
 当初の目的とは違う方向で盛り上がりを見せる二人に、ローズは恋仲への進展を諦めたらしい。
 二人の間にローズという存在が不動のものとしてある限り、多分……今以上の関係へは進まない。
 まずはローズ中心の会話を打ち切らせる必要性をひしひしと、オレたちは感じた。
「――ちょっと待って、ヴェール。気づいている?」
 ブランシュ団長が横目で尋ねれば、ヴェール団長がひょいと顎をしゃくった。
「ああ、あっちに二人。向こうに一人、怪しいのがいる」
 不機嫌な顔つきで呟くそれに、オレとローズは首を揃えて示された方向に目を向けた。
 緑豊かな公園の木々の間に隠れるように、人影があった。頭だけだして周りを(うかが)っている様子からみれば、明らかに怪しい。
「もしかして、私?」
 ローズが緊張に強張った声で言った。
 女王であるローズが命を狙われていたのは記憶に新しい。……暗殺計画に、一枚噛んでいたオレは当然ながら、忘れることなんてできないんだが。
「いや、多分違うよ。彼らの視線の先はあの子だ」
 ブランシュ団長は、ローズ話に花を咲かせる姉さんとディアマン様の間で、無心にプリンを食べている女の子を指差した。
「違和感があったんだ。どう見ても、良家の子女だろうに付き人がいない。あんな幼い子供が一人でこんなところにいるのはおかしいね」
 ブランシュ団長が微かに目を眇めながら、唇をなぞる。
「洋服が汚れているわね。転んだにしては、泥のつき方がおかしい。まるで……」
「スカートの裾を擦ったみたいな、だね」
「そう。そうして、何だかお腹を空かせていたみたいに、プリンを食べている。子供だからって、良家のお嬢様ならあんな食べ方はしないと思うんだけど、これって私の偏見かしら?」
「いや、人目を気にする作法は教えられていると思うよ。……今は人目を気にしていられないほど、お腹が空いているということだろうね。つまり、食事を長く取っていない」
「私……一つの可能性に気がついたんだけど」
「多分、僕も同じ答えを出すよ」
 ローズとブランシュ団長は視線を交わし合い、二人で納得したようだった。
 どうにも、オレとヴェール団長は置いてきぼりを食らっている。まあ、頭脳系は二人に任せよう。人間には向き不向きがあるからな。……うん。
「《白鳳》」
 ブランシュ団長が小さく囁くと、白い小鳥がどこからともなく現れた。ああ、その小鳥をオレは知っている。ブランシュ団長の魔法が顕現(けんげん)したものだ。それで離れた相手との連絡に使ったりする。いわゆる伝書鳩みたいな役割を果たす。
 その鳥は小さな翼をはためかせると、空を滑るようにディアマン様の元へ向かう。
 自分の肩に停まった鳥に、ディアマン様はローズ語りを止めて、口を(つぐ)んだ。
「ディアマン、気づいているかい? 君たちの周りに怪しい影があることを」
 ブランシュ団長の声は本来なら魔法を介すことなく二人に届くのだが、ローズの魔法がオレたちの姿を消していることで、声も遮断されている。けれど、向こうからの声はブランシュ団長だけではなく、オレたちの耳にも届く。
「はい、二人」
「ディアマン様のお背中の方に、もう一人いますわ」
 二人向かい合っている姿勢なので、視線の方向は一方向しか確認できない。ディアマン様が気づかなかった残りの一人を姉さんが補足する。
 何事もないような表情の二人に、さっきの会話は怪しい奴らにこちらが気づいていないと思わせる芝居だったのではないかと、オレは一瞬考えた。
 それにしては熱が入り過ぎていたので、疑わしさは拭いきれないけれど……。
「狙いは君らが保護している女の子ではないかと思う。恐らく、身代金を目的として誘拐されたのではないかな。その子が五体満足であるところ、犯人たちはまだそれほど悪党ではないようだね」
 さらりと、ブランシュ団長は怖いことを言った。
 確かに、犯罪に手慣れている奴らが計画したのなら、女の子は簡単に逃げられなかっただろうし、誘拐した時点でお荷物になりかねない女の子を殺していてもおかしくない。
 犯罪者っていうのは、非道だ。だからこそ、警察組織は力を持っているべきなんだが、裏組織との癒着(ゆちゃく)が囁かれている現状だ。
 警察組織の抑止力はあてにできずに、こうして突発的な犯罪を生む。
「如何いたしますか?」
「今、僕たちは姿を隠して君たちの後ろに控えている。いつでも跳び出せるよ」
 ブランシュ団長の言葉にヴェール団長は元より、ローズもまたジャケット袖をずり上げ腕まくりしながら頷いた。
 ……ここ、お前が頷くところじゃないと思うが? というか、何でヤル気満々になってんだよっ!
「だから、彼らがこちらへ近づきやすいように君はさりげなく場を離れてくれないか。グリシーヌとその子を囮にすることは抵抗があるけれど、大丈夫。彼女たちには指一本触れさせない。《白鳳》が楯になるよ」
 ディアマン様の肩から、白い小鳥は姉さんの肩へと移る。それを確認して、ディアマン様は腰を上げた。
「グリシーヌ殿、私はこの子の親が辺りにいないか捜して参ります」
 怪しい奴らには聞こえていないと思うが、離れることの合図にそう言った。
 了解するように姉さんが頷けば、ディアマン様が遊歩道を折れて、姿を消す。暫くした後、木陰に隠れていた奴らがじりじりと姉さんたちとの距離を縮めてくる。
「――準備して」
 ブランシュ団長の手にいつの間にか、剣が握られていた。驚いていると、ヴェール団長の手にも剣がある。
 いつの間に? 今日、二人は――二人だけじゃない、オレもディアマン様も剣を佩かせてはいなかったのに……。
 ――魔法か? 魔法で、剣を隠していたのか?
 驚愕するオレに、ヴェール団長の鋭い一瞥(いちべつ)がオレを睨んだ。
「アメティスト、剣は?」
「……すみません。置いてきました。……今日はてっきり」
 本気で、騎士としての務めをしないでいいと思っていたっ!
 オレは冷や汗をかきつつ、ヴェール団長の殺人眼光を受け止めた。心臓が縮みあがって、今にも鼓動が止まりそうだ。
「騎士が剣を持たずにどうするんだよっ! 隠しの魔法が使えないなら、先に言え。お前が魔法に不得手なのは知っているから、こっちでフォローしてやったのに。何も言わないから、持っているものと思っただろ?」
 ごもっともです。申し訳ありません。
 肩身を小さくするオレに、ブランシュ団長がそっとため息をついた。
 ……呆れられた。呆れられたぞ、オレ! 何だか、泣きそうになってしまう。
「アメティストはここでローズと待機して。ヴェール、《黒狼》を護衛に」
 戦力外通告を前に、ローズがいきり立つ。
「――嫌よ、私も戦うわ」
 ローズは肩を怒らせた。勝気そうな眉をさらに跳ね上げ、ブランシュ団長を睨む。
「言ったでしょ! 私は皆を守りたい、助けたいって」
「危ないから駄目って言っても、無駄だね」
 ブランシュ団長は笑いながらローズに確認する。
「わかっているなら、言わないで」
「それでも言ってしまうんだよ、君を心の底から愛しているから」
「――なっ!」
 場違いな愛の告白にローズが絶句した瞬間、二人の騎士は生垣を飛び越えて姉さんたちのところに駆け寄る。
 ほんの一瞬、目が逸れた間に、怪しい奴らが姉さんと女の子を取り囲んでいた。
 そこへ目隠しの魔法を解いたブランシュ団長とヴェール団長が躍り出る。
 突然、現れた二人に悪党たちは――まだ確定したわけではないが、ディアマン様が消えて、女子供になってから近寄ってくる時点でかなり怪しいことこの上ない――慌てふためいた。
 混乱した場を前にして、ローズが叫んだ。
「私も戦うって言ったでしょっ!」
 ブランシュ団長への抗議を口にすると、ローズはくるりと背中を向けた。そうして、生垣から少し離れた場所へ走って行っては、こちらを向き直り、スカートの裾を膝まで持ち上げて憤然と走り寄ってきた。
 助走を付けて、生垣を超える気か、こいつは!
 ブランシュ団長がローズをこの場に止めたのは、ローズを巻き込みたくなかったからだろう。
 割と魔法が使えるようになったからと言っても、まだ意識を集中するなどの手間がかかっている。思考一つで魔法を操れるような、団長たちのレベルには程遠い。
 ローズが国を滅ぼしかねない強大な魔力を持っているとしても、小競り合いの戦闘では武器にはならない。どうせならこの場から魔法で男たちの動きを封じるなどすべきで、現場に飛び込むなんてもってのほかだ。
 ここはローズを止めるべきなんだろう。それができなければ、オレはこの場で本当に役立たずになってしまう。
 瞬時にオレは自分の役割を理解した。
「待て、ローズ」
 オレはローズの前に立ちはだかって、突進を止めようとした。
 ――と、止めようとしたんだ……。
 でも、猪と対決したところで、人は勝てないという教訓を得ただけだった。
 立ち塞がったオレの腕を突進してきたローズが引っ張る。
 勢いに勝るローズの力に屈して、前のめりに倒れ込むオレの肩に掛かった重さ、それはローズがオレを足蹴にして生垣を飛び越えた衝撃だった。
 そして……、

「私のお母さんに、汚い手で触れるんじゃないわっ!」

 編み上げブーツの靴底が悪党の一人に、蹴りを食らわせるのをオレは地面に倒れ込みながら見送った。




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