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 ― 11 ―


「あの女の子は無事、親元に帰ったよ」
 ブランシュ団長の言葉に、姉さんがホッと胸を撫で下ろす。
「それはようございました。これもすべて、ローズの様のご尽力の賜物ですわね」
 姉さんはうっとりとした眼差しで、ローズを見つめる。その視線を受けて、ローズは慌てて胸の前で両手を振った。
「そんなことないわよ、私は何もしていないし……」
 言いながら、ローズの頬がピクピクと引きつる。
 あの場では頭が一杯一杯だったのだろう。しかし、冷静になってみれば、オレを踏み台に飛び蹴りを繰り出した事実にローズは気づいたらしい。
 幾らなんでも、自称乙女がすることかっ! ――と。
 王宮に帰って来てから、ローズは散々オレに()びてきた。
 詫びるくらいなら、人を踏み台にするなと言いたかったが、過去に自分が犯した罪を思い出せば、オレは脱臼しかかった肩の痛みをこらえながら、
「大したことはなかったから」
 と、首を横に振った。
 心の内側で、今回も姉さんを助けるという役目をローズに奪われたことに号泣していたことは内緒にしておく。
「いいえ、そんなことありませんわ。ローズ様があの者たちを相手に、千切っては投げ、千切っては投げの大活躍があったからこそ敵は恐れをなして、すべてを白状したのではありませんか」
 ……千切ってないし、投げてはいない。
 いつの間にか、姉さんのなかではローズは大活躍だったらしい。
 実際は一人の悪党に飛び蹴りを食らわせて伸した後、ローズは二人の騎士が叩き伏せた悪党たちを前に、仁王立ちして啖呵(たんか)を切った。
『私の目の前で、悪事ができるなんて思ったら、大間違いよっ!』
 ローズの後ろで、凍えるような冷たい青い瞳と殺人光線を放つ翡翠の瞳に睨まれたら、誰だって降伏したくなっただろう。
 オレだったら、やってもいない罪を捏造(ねつぞう)して白状し、許しを請うところだ――って、あれ? 何か、間違っている……か?
 そうして明らかになった誘拐事件は、何故かローズが解決したことになり、王宮内ではローズの活躍がもてはやされた。
 話を広げたのは他でもない、姉さんだった。
 ローズの武勇伝は一日を置かずして、瞬く間に王宮内に広がっては、

『さすがは、陛下っ! 悪を許さぬ、その正義。我らが女王に相応しい!』
『誠っ、我らが陛下の御目が黒いうちは悪ののさばる余地なしっ!』
『正義の鉄槌は我らが陛下の手にっ!』
『……ああっ、オレも陛下に蹴られたかった! 陛下のおみ足に踏まれたいっ!』

 例の如く暑苦しいあの人たちを熱狂させた。
 一部、変態発言が聞こえてきたが…………聞こえなかったふりをしておこう。そうしよう。
 なにはともあれ、本気で「薔薇同盟」を結成したらいいと思った。
 そうして思う存分、ローズ談議をしたらいい。熱く語りあったらいい。
 オレは絶対に加盟しないけどっ!
「ローズ様の活躍、私もこの目で見たかったっ」
 現場に乗り遅れたディアマン様は拳を握って、悔しそうに呟く。
 あの場にいたら、絶対にローズを止めていただろうが、過ぎてしまった事象に対しては、ただひたすらローズの活躍が見たかったらしい。
「……ええっと、あの……」
 周りの熱狂ぶりに、ローズは引き気味だ。気持ちはわからないでもない。
 居たたまれなくなったのか、ローズは二人の騎士の腕を取って、まるでカーテンを閉じるかのように、ブランシュ団長とヴェール団長を前に突き出しては、自分は後ろに下がった。
 二人の騎士を壁にして、姉さんとディアマン様の熱視線を遮断する。
 ローズの困惑を察してか、ブランシュ団長が話をそらした。
「それで、女王の市街視察に関しての警備の件だけれど、警察当局に話は通してくれたかい?」
 ディアマン様に問いかければ、生真面目な顔つきで答えが返ってくる。
「はい。しかし、反応はブランシュ様が予測していたように鈍いですね」
 ローズの市街視察は、先だっての誘拐事件を契機に、ローズとブランシュ団長が話し合って、警察の抑止力を上げようと計画したものだ。
 女王の警護は基本、騎士団が務める。しかし、それは王宮内のこと。
 王宮の外に出る行事の場合は、警察の方も警備員を派遣する。
 つまり、ローズが女王として積極的に外に出ることで、警察を動かそうというわけだ。裏組織との癒着(ゆちゃく)が噂され、実際のところ、警察の働きはここ数年鈍いと言っていい。
 貴族街の治安は、貴族がそれぞれ警備を雇っているから比較的良いけれど、下町に行けばひったくりは日常茶飯事、強盗、殺人も未解決が多い。
 そこでローズが外に出ることによって、警察から警備としての人員を引っ張りだし、街に配備させる。それは必然的に街の治安を監視することになるから、犯罪抑止に繋がるだろうというのが、ブランシュ団長の考えだった。
 公園で言葉を交わしながら、ローズとブランシュ団長はこれからの指針を決めて行った。具体的に取り決められていくそれに、ヴェール団長を初めとしてオレや姉さんたちは口を挟めずにいた。
 何だか、自分とは違う次元で世界が動いているのを見ているようだった。
 治安の悪さを、これが現実なんだからしょうがないと諦めていたのが、馬鹿らしく思える。
 変えようと思えば、世界は変えられる。そんな気がした。
『でも、女王がそんなに頻繁(ひんぱん)に外に出て、いいのかしら?』
 ローズが不安そうな顔を見せれば、
『女王が国民と触れ合うのはいいことだと思うよ』
 ブランシュ団長は優しく諭した。
『今まで見向きをしてくれなかった女王が、自分たちの視線に降りて来てくれた。それだけで、彼らは嬉しいと思う』
『……だけど、私はまだ何も変えていないわ。何もしていない。まだお飾りの女王でしかない……。そんな女王が目の前に現れたって、嫌じゃない?』
 ローズは悔しそうに唇を噛む。それを制するように、ブランシュ団長はローズの頬を包んで、瞳を覗く。
『だけど、君はこの国を変えて行くんだよね?』
『変えたいと思うわ。誰もが安心して暮らせる、そんな国にしたいわよ』
『玉座ではなく、皆と同じ高さに立つ女王の存在は、今までとは違う変化の象徴だよ。それは希望を彼らに与えるだろう。希望は、今の生活を耐える活力になるんじゃないかな』
 王宮内での変化を、ブランシュ団長はローズを全面的に押し出すことによって、国全体に広げようとしているのがわかった。
 誰も女王には期待していなかった。女王は国を守るために在って、そこに生きている人間を一人一人見つめるわけではなかった。
 けれど、今度の女王は違う――そう思わせることで、庶民の間に根付いている諦観(ていかん)を払拭しようとしている。
『勿論、外に出ることによって君に危険が及ぶこともある』
『だから、玉座に大人しく座っていていいなんて、言い訳はしたくないわ』
『君は僕たちが守るよ』
『そんなこと、確認するまでもなく信じているわ。うん。私、がんばるから』
 ローズは覚悟を決めたように、ブランシュ団長を、ヴェール団長を。
 それから、首を巡らせてオレたちを見つめて言った。
『――だから、私に力を貸してね?』
 そこにいたローズは、勝ち気な瞳に決意をみなぎらせた女王だった。
 さっきまで、オレの感情を掻き回してくれた女じゃない。
 昔馴染みの憎らしい女じゃない。
 そんなローズを前に、オレはこの国を変えて欲しいと願えば、ままならない感情を胸の奥に封印して、女王陛下に忠誠を誓っていた。




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