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 ― 13 ―


 ――結婚はできません。

 ディアマン様の言葉がオレの内耳で反響する。
 余生を過ごすには最良のパートナーだと言っておきながら、どうして姉さんとの結婚を拒否するのだろう?
 姉さんに問題がないとしたら……オレか?
 呆然とするオレに代わって、ローズが声を荒げた。
「どうしてよっ?」
 多分、ヴェール団長が魔法でオレたちの声を遮断してくれているのだろう。そうでなければ、ドア一枚で今の声は遮れない。
 それでも《白鳳》を通じて、こちらの声がブランシュ団長に届けば、
「結婚し、女性は家庭を守る……世間に根付いているそれを覆すのは、さすがに難しいだろうね」
 ローズの問いかけに返すように呟いた団長の言葉に、オレは答えを見つけた。
 三十を過ぎて結婚をしていない姉さんを行き遅れだと揶揄(やゆ)した、この国の古い固定観念は姉さんがディアマン様と結婚した後、王宮で侍女を続けることを良しとしないだろう。
 騎士の奥方となればなおのこと、家庭に入らない姉さんを異端と見なすだろう。
 前みたいに姉さんは冷遇(れいぐう)されていないけれど、女が家を守るというそれは、庶民の間でも深く根付いている観念だ。
 庶民は、生活に困っていない奥様なら、家で優雅に過ごしているのが当たり前だと思っている。貴族の奥方は社交界で、華やかに装っているから。
 結婚した後も女があくせく働くのは生活のためで、そうでないのなら道楽にしか見られない。貴族主義によって根付いた観念はこんなところにも現われる。
 実に馬鹿馬鹿しいことだけれど、こちらの世界ではそれが定義だ。
 地球では、結婚した後も女が働くのは珍しくないらしい。結婚せずに、働くことを選ぶ女の人もいるとのこと。
 そんな世界を姉さんは既に知っているから、自分を押し曲げてまで結婚にこだわったりしないだろう。
 でも、働くことを生きがいとするのは男だけの特権だと思い込んでいる世界で、結婚後も侍女を続けるとしたら……姉さんを見る目は、また冷たくなる。
 ディアマン様はそれを理解して、そんな境遇(きょうぐう)に姉さんを追いやることを心配すれば、出て来る答えは一つだ。
「ローズ様の侍女であることを誇りとされているグリシーヌ殿から、そのお役を奪えば、私はグリシーヌ殿に恨まれるでしょうね」
 ディアマン様の声が穏やかに笑って告げた。
「グリシーヌ殿とはそのことで話もしております。ローズ様が退位なされたおり、互いに独り身であったのなら共に過ごしましょうと」
「君が他の誰かを選ぶことは?」
「ないと思われます。私もグリシーヌ殿と同じですから」
「ローズの傍にいることを選ぶ?」
「はい。ローズ様が私どものことを要らないと言われるまで、お傍でお仕えしたいと思います。それが私にとって、グリシーヌ殿にとって、もっとも重要なことなのです。ブランシュ様、私たちの娘の成長をどうか、傍で見守らせてください」
 結婚とローズを選べと言ったら……多分、姉さんはローズを選ぶ。
 でなければ、陰口を叩かれても王宮に留まっていたはずがない。ローズと一緒に地球なんて未知の世界に向かえたはずがない。
 姉さんにとって、ローズは希望だ。誇りだ。それを捨てろと言う方が酷だろう。
 ディアマン様もブランシュ団長も、それを理解している。
 一年前のオレは、理解していなかった。ローズと関わらない方が、姉さんのためだと思った。誰かと結婚して家庭を築くのが、姉さんの幸せにつながると思っていた。
 ……けれど、今は。
「――私たち……形にこだわり過ぎていたのね」
 ローズがポツリと呟く。
 姉さんが不幸せになる結婚なら、しなくてもいいと思っていたのに、幸せな家庭に手が届きそうな気がしたら、ディアマン様と結婚するのが、家庭を持つのが、姉さんにとって一番の幸せだと思い込んでしまった。
 行き遅れなんて馬鹿にされないように、形にはまるのが一番いいと勘違いしてしまった。
 でも、ディアマン様と結婚して家庭におさまっても、そこに姉さんの幸せはない。
 騎士の奥方となって、家を切り盛りするのは姉さんのやりたいことじゃない。
 他人からすれば結婚し家庭におさまったほうが幸せに見えるかも知れない。でも、それは他人が決めつけた幸せの形だ。姉さんが欲している幸せの形とは違う。
 多分、姉さんは王宮でローズのためにお菓子を作ったり、服を見立てたり、そんなことがすごく楽しくて、幸せなんだと思う。
 今回、外に出かけることで作ることになった昼食のメニューを姉さんは楽しそうに考えていた。
 その幸せそうな笑顔をオレは見なかったふりなんてできないし、もう取り上げたりしたくない。
「私、グリシーヌには幸せになって欲しい」
 ローズの言葉に、オレも頷く。
「……ああ、オレも」
 そうしたところで、廊下の向こう側から姉さんがワゴンに茶器を載せて運んでくるのが見えれば、ヴェール団長が姉さんの方に身を乗り出しながら声を掛けた。
「グリシーヌ、プリンは?」
 この人は雰囲気を読むということができないのか?
 というか、プリンにそこまでこだわらなくても――と思いかけて、気づく。
「プリン」があの公園で、姉さんたちとブランシュ団長たちとの秘密の暗号だったんだ。
 それを会話に出すことによって、ヴェール団長が二人の間に乱入。計画は台無しになって、お流れ――それが筋書きだったんだろう。
 外出の真の目的が姉さんとディアマン様をくっつけるものではなかったから、計画は失敗させる必要があったんだ。
 だから、公園で二人きりにさせる必要があったのに団長たちはオレを放置した。姉さんはオレを引き止めた。オレがあの場に居残っても、問題はなかったんだな。ローズに計画を断念させたかったから。
 でも予定外の迷子の闖入で、姉さんはブランシュ団長に指示を仰ぐべく、「プリン」を持ち出し――団長は不穏な空気を察して、本来なら間に割って入る予定だったヴェール団長を引き留めた。
 そして、この場でヴェール団長が再び口にしたのは、ブランシュ団長に姉さんの登場を知らせるためかも知れない。
《白鳳》が届ける声が姉さんの耳に入らないように。
「プリン」とヴェール団長がその言葉が口にされた瞬間、ローズの肩から《白鳳》の姿が消えたことから見ても、間違いないだろう。
 姉さんは部屋の中で、自分のことが話題にされているとは思っていないのだろうな。今回の計画がローズにばらされているとも。
 世の中には、知らないほうがいいこともある。
 ブランシュ団長の手のひらの上で、全員が――ヴェール団長はどうやらすべてを知っていたみたいだが――踊らされていたなんて。
「プリンですか? まあ、どうしましょう。今日のおやつはチョコレートケーキを作ったのですが」
 困った顔を見せる姉さんに、ローズが慌てて間に入った。
「チョコレートケーキで充分よ。ヴェール、我がまま言わないの! ほら、行くわよ」
 ヴェール団長の腕をとって、ローズが(にら)む。
 どうやら、ローズもヴェール団長が何食わぬ顔で、こちらを騙していたことに気づいたみたいだ。ヴェール団長は、ブランシュ団長に指示されるままに動いていただけだろうが。
 鋭い視線の一瞥(いちべつ)を前に、ヴェール団長の目に怯えたような気配が浮かんだが、ローズに引っ張られていくその背中を追いかけて確かめるのは、止めておいた。
 団長たち二人は、ローズの機嫌直しに奔走(ほんそう)すればいいと思う。
 幾ら、自分を心配してのこととはいえ、騙されたことをローズは怒るだろう。
 もっとも、真正面から心配すれば、ローズの性格上、きっと「大丈夫だ」と言って聞く耳を持たなかっただろうから、どっちもどっちだ。
 少なくともオレはこれ以上、関わらない。三人の間に割って入るなんて、疲れることはしたくない。
 女王の騎士、……今のところは、それだけで十分だ。これから先は……その時になったら、考えよう。
「……姉さん」
 オレはローズたちの後姿から姉さんへと視線を戻す。
「お部屋にあなたの分のケーキも用意しているわ。頂いていらっしゃい。この後はまた訓練なんでしょう?」
「ああ、うん。……あのさ、一つ聞いていいかな」
「なあに?」
 おっとりと首を傾げて微笑む姉さんに、オレは問うまでもなく答えを見つけた気がした。
「姉さんは今、幸せかな?」
「あなたは?」
 問い返されて、オレは目を瞬かせた。てっきり、「幸せよ」と返ってくると思っていたからだ。
「……オレ?」
「アメティスト、あなたは幸せ?」
 真っ直ぐに見つめられて、問われる。
 オレは少し考えた。それからゆっくりと頷く。
「幸せだよ」
 笑顔の姉さんがいて、傍で見守っていられる。
 流れで騎士になったけれど、今は守る対象を見つけた。
 義兄さん候補がいて、ちょっと怖い二人の上司も、傍で付き合ってみるとなかなか味わい深い人たちだと思う。
 暑苦しい同僚には、ついていけなくなるけれど……眺める分には面白い。
 今もまだ古い因習に凝り固まっているけれど、少しずつ変化の兆しを見せはじめているこの国も、今後を想像すると希望があって、気持ちが軽くなる。
 それらを考慮すると、少し前の不貞腐れているだけのオレに比べたら、今のオレは幸せだ。
「なら、姉さんも幸せよ」
 柔らかく微笑む姉さんに、オレは不覚にも泣きそうになった。
 姉さんの幸せの定義には、オレの幸せも入っていた。
 ローズだけかと思っていた姉さんの中に、ちゃんとオレもいる。
 ――これ以上、何を望む必要がある?
「それならいいんだ」
 オレは姉さんに笑顔を返した。


* * *


 その後、オレは姉さんとディアマン様がローズ談議に盛り上がっているのを何度か目撃した。

「今日のローズ様は相変わらず、お可愛らしかった。やはりローズ様には明るい色のドレスがお似合いですね。グリシーヌ殿が、見立てられたのでしょう?」
「はい。ブランシュ様は白がお好きなようですが、ローズ様にはオレンジなどの色も似合うと思いますの」
「ええ、明るい髪の色と相まみえて、まるで向日葵の花の如く、強烈な存在感を現わすオレンジはローズ様にお似合いの色です。勿論、白百合の清純さを(かも)し出すような、白のドレスもお似合いだが」
「妖艶な赤も、大輪の薔薇の如くローズ様を輝かせて、悩むのですが」
「緑もまた、ローズ様の若々しく、はつらつとした元気さを現わして、お似合いかもしれませんね」
「藍や黒も、ローズ様の華やかさを引き締めることによって、より一層、美しさを強調しますし」
「ハッキリ言ってしまえば、ローズ様はどんな色もお似合いになられる」
「ええ、まったく罪作りなローズ様です。どんなお洋服も似合ってしまいになるんですから、毎日、どのようなお服を用意しようかと悩みますわ。もっとも、それがとても楽しいのですけれど。実は、ローズ様に内緒でドレスを手作りしていますの」
 うふふっと姉さんの幸せそうな笑い声に、ディアマン様が悔しげに言った。
「何と、羨ましい。私にも裁縫(さいほう)の技があればローズ様のためにドレスを手縫いするところですっ! しかし、この武骨な手では針さえろくに操れない。嘆かわしいっ!」
「まあまあ。でも、これは女である私の特権ですから、ディアマン様にはお譲りできませんと言いたいところですが、ディアマン様さえお望みでしたらお針の手ほどきをしてあげますわ。よろしかったら、お手伝いしていただけませんか」
「何とっ! 私などがローズ様の大事なドレスに手を付けてよろしいのでしょうかっ? 生地を傷めやしないかと……ああ、しかし、そのような甘い誘惑を前に断れない自分が恨めしい。グリシーヌ殿、不出来な生徒でしょうが是非とも、ご教授くださいませ」

 熱に浮かされる会話は、聞いている人間の脳をおかしな具合に溶かしそうだった。
 ……っていうか、ディアマン様って……あんなキャラだったか?
 何だか覗いてはいけない世界を前にしているような気がしてくる。自己保身のために、オレはその場に遭遇したら、踵を返して退散することに決めた次第だ。
 そうして、足早に姉さんたちの熱波から逃げながら思うことは一つ。

 ……薔薇同盟は、少人数ながら地味に活動中らしい。


                              「薔薇同盟 完」



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