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 7,時のきずな


 ヴェールが案内してきた二人は、ある程度予測していた人物だった。
 だけど、実際に目にすると、心に衝撃が走る。
「――お父さん、お母さん」
 漆黒の肩越しにこちらを見つめて来るのは、私の両親――両親と思っていた人たちということになるのだろうか? ――だった。
 いつもは髪をきっちり撫でつけ、銀縁眼鏡を掛けているお父さん。
 でも今は、自然に流れるままに黒に近い焦げ茶色の髪は梳かされ、眼鏡を掛けていない。瞳は、髪の色と違って淡い茶色。向こうにいた頃と変わらない。
 お父さんの瞳の色が淡かったから、私の明るい茶色の瞳も、生まれついてのものだと学校の先生たちに納得して貰ったのよ。
 服は、ヴェールが着ている詰襟の軍服に似た服を身につけていた。色は違って白い。いつものスーツ姿と違って、背筋がピンと伸びあがり、軍人のように見えなくもない。
 お母さんは、お父さんとは逆にいつもは解いていた栗色の長い髪を、今はきっちり編み込んで後ろで巻いていた。瞳は、菫色だった――あちらでは、黒色をしていたけれど、カラーコンタクトでも入れていたのだろうか?
 服は、昔風の黒のドレス。スカートの下にはペチコートでも身につけているのだろう、きゅっと絞られた腰の後ろがふわりと、緩やかなカーブを描いて膨らんでいる。
 私が知っている二人と、微妙に雰囲気が違う。
 でも、十六年、私と共に暮らしていた人達だ。
 あちらの世界とこちらの世界が繋がる。
 椅子から立ち上がった私を見て、二人はどこかホッとした表情で、床に膝をついた。
「御無事で何よりです、ローズ様」
 (こうべ)を垂れて、そう言う二人を見下ろして、私の頬がひきつった。
 目の前で、私の十六年が壊れていく気がした。
 視界が揺れる。実際、身体が揺れていた。足が震えて、腰が抜ける。
 尻もちを付きそうになるところを、ブランシュが背後から私の肩を抱いて支え、前方から伸ばされたヴェールの腕が私の手を掴んでいた。
「ショックが大きすぎた?」
 耳元で柔らかな声が問う。頭で考えるより先に、頷いていた。
 指先が震える。目の前が暗くなる。そんな暗がりの視界で、こちらを心配そうに見ている二つの顔。
 熱が出たとか、転んで怪我をしたとか、友達との寄り道で帰りが遅くなった日とか、二人は顔色を青くして、傍に駆けつけてきた。こちらが恥ずかしくなるくらいの過保護ぶりは、手を伸ばせばいつだって優しく包んでくれたのに……。
 十六年、私が信じていた家族は、よそよそしくて何だか遠い。
「この人たちは……誰?」
 床に膝をついて、私は自分の身体を支えた。そうして、ブランシュやヴェールの手を振りほどき、膝歩きで床に(ひざまず)く二人に詰め寄る。
「私のお父さん、お母さんじゃないのっ?」
 張り上げた声は、嗚咽(おえつ)にまぎれてかすれてしまった。
 歪んだ視界の向こうで、お父さんだった人が顔を上げる。
「長い間、貴方様を(たばか)りましたことをお許しください、ローズ様」
 他人行儀な口調は、もう私の親ではないのだと、私との距離を知らしめているようで、何も言えなくなった。
 唇を震わせて、押し黙った私の肩をブランシュの温かな手が包み込む。
「彼の名はディアマン。一応、僕の副官ということになるかな」
 ゆっくりとした口調で、ブランシュはお父さんを紹介した。
「……副官?」
 頭が考えるのを拒んで、オウム返しに繰り返した。
「「太陽」と「月」はそれぞれ、十数名からなる騎士団を抱えている。彼らが、この城の護衛を務めているんだ」
「――城」
 そわそわと視線を動かす。広い屋敷だろうと想像していたけれど、女王となる「星」の住み家だ。城と呼ばれる規模のものであってもおかしくない。
「彼女の名はグリシーヌ。君専属の侍女だよ。二人には、君と共にあちらの世界へ行って貰った。そのせいで、一気に老けたね。お転婆娘の世話は気苦労が多かっただろう?」
 セリフの後半は、お父さんたちに向けられていた。からかうようなブランシュの声を私は耳元に聞いて顔を上げる。
 お転婆娘って、私のこと?
 むっ、自覚するほど私は喧嘩っ早いけれど――。
「確かに、剣道や空手を習いたいと言われました時は、肝を冷やしました」
 と、ディアマンと呼ばれたお父さんが口元を苦笑の形に歪めた。
 私の空手や剣道への道が三日で潰えたのは、お父さんだったこの人が顔を青くして反対したからだ。
「まあ、ローズの性格だったら、かなりの腕前を期待できただろうけどね」
 ふふふっと柔らかな声音で笑ったブランシュ。視界の端では、こくこくとヴェールが頷いている。
 ちょっと、その肯定はどういう意味よ?
 私がきつく睨んでいる視線に気づいたらしく、ヴェールはハッとした顔で、言い訳するように首を横に振った。
 いつの間にか、私は私を取り戻している。また、ブランシュに乗せられたんだわ。
 人を操るのが上手い人だ。私の性格を熟知している?
「老けたように見えますのは、実際に十六年が過ぎたからです、ブランシュ様」
 揺るぎのない事実を告げるよう、厳格な雰囲気を漂わせて、お父さんは――ううん、これからはディアマンと呼ぼう。目の前にいる人の態度はそれを求めている――言った。
 十六年――私があちらで過ごした時間だ。
 つまり、ディアマンとグリシーヌの二人は、十六年の月日を費やした。
 一年前に「ローズ」が赤ん坊に戻って、「私」がこちらへと戻ってくる間には、ちゃんと時間が流れていたということだ。
「……あちらとこちらでは、時間の早さが違う?」
 呟いた私に、ディアマンは頷いた。
「貴方様と過ごせました時は、私共にとって宝ものでございました」
 ゆるく微笑む、お父さんの――やっぱり、お父さんと言ってしまう――肩越しで、お母さんも優しく微笑んでくれた。
「彼らは、君の親ではないけれど。十六年間、君の傍で、君を一番に思ってくれていた人達だ。騙されたとは、思わないでほしい」
 ブランシュの優しい声にほだされて、私は頷く。
 本当の親ではなかったという衝撃は大きかったけれど、私を育ててくれたのは間違いなくこの二人だ。
 命を狙われている女の子をどんな想いで、見守ってきたのだろう?
 きっと、傍にいられない時間は気が気じゃなかったはずだ。
 幾ら、ブランシュやヴェールの二人が施した魔法の品があったとしても――ブランシュとディアマンが繋がっていたら、守りの魔法が施された贈り物が調達された先はわかる。
 もしかしたら、空手や剣道に反対されたのは、それのせいかもしれない。
 だって、稽古の度に、その魔法とやらが反応していたら――こちらへ私が連れて来られたのは、魔力を感知した場合ということだったけれど。普通の危険に対しても、守りの魔法は発動するとなれば…………なるほど、お父さんとしては青くなるかもしれない。
 色々考えると、お父さんが提示した門限を厳し過ぎると反発したこと、ちょっと後悔した。
 まあ、十六歳の女の子に、門限五時っていうのも、あんまりだと思うから、ちょっとだけね。だって、五時なんて学校帰りに友達とお茶もできないじゃない?
「…………あの、ありがとう」
 何だか、お礼を言うのが照れた。仲が悪い親子じゃなかった。むしろ、仲が良かったから余計に。
 だって今までは言葉にしなくても、伝わっていると信じていられたの。
 でも、これからは家族という言葉に頼っていられない関係だ。
 それが凄く寂しいけれど……。
 こうして、声を掛ければ届くところにいてくれるのでしょう?
 私たちの家族として培ってきたきずなは、断たれたわけじゃ、終わったわけではないわよね?
 視線で問えば、ディアマンとグリシーヌの二人は、頷くように笑ってくれた。




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