8,新世界 今日はここまでにしようと、ブランシュが私の顔を覗き込みながら言った。 「まだ、君には色々と知らなければならないこと、僕らには君に教えなければならないことがあるけれど、一度に詰め込むと頭がパンクしてしまうからね」 青い瞳で穏やかに微笑む彼に私は頷いた。 実際に、頭の中は一杯一杯だ。知りたいこと、確認したいことは山ほどあるけれど、両親が本物ではなかったという衝撃は、頭で理解したつもりでも心の方が、整理できていない。 まだ、お父さんお母さんと呼んでしまっている自分がいる。割り切らないと、前に進めないのに……。 「それに、実際にその目で見なければわからないこともあるだろう。ローズ、今宵の晩餐には議長を呼ぶから、そのつもりで。グリシーヌもいいね」 ブランシュの言葉に、こくりと頷くグリシーヌを横目で見ながら、私は首を傾けて問う。 「議長って?」 「議会の代表です、ローズ様」 ディアマンの説明に被せるように、ヴェールが声を上げた。 「まだ、こいつが戻ってきたことを隠していた方が良くないか? 第一に、こいつが本物のローズだって証明できないだろう?」 思えば、彼がこの場で発現するのは初めてだ。無口ではないだろうから、口を挟む機会がなかっただけだろう。 まあ、何となくだけど、ヴェールは説明係りには向いていない気がするし。 「どういうこと? 私は偽物だって言うの?」 ここまで来て、その展開はないでしょ? 偽物だと言うのなら、どうしてお父さんお母さんの嘘を暴いたの? 今まで通り、私を騙し続けて、あちらの世界に送り返してくれれば良かったのにっ! 私は怒りに背中を押されるようにズイッと一歩、踏み出した。 ヴェールへと距離を縮め、噛みつかんと口を開けた瞬間、ブランシュに腰を抱かれていた。 抱き寄せられて、彼の胸に後頭部がぶち当たる。 顔を上げれば直ぐ傍に、金髪碧眼の美貌が私を見下ろして微笑んでいる。 近いわっ! 身体中の血が顔へと集中するのがわかった。胸の内側で心臓が踊る。あわあわと、抗議しようと動く唇は結局声を出せずにいた。 男慣れしていないうぶな私の心情など素知らぬふりで、ブランシュは私を抱いたまま言った。 その冷静さが憎たらしい。きっと、女の子の扱いに慣れているのね。 「大丈夫だよ、ローズ。君は本物さ。ヴェールの発言については、怒らないであげてほしい。何しろ、彼ってばお馬鹿だから」 「――なっ? 何だよ、それっ!」 ブランシュの発言に、今度はヴェールがいきり立った。意志の強そうな黒い眉を逆さに跳ね上げる。 「直ぐに熱くなる。まさに瞬間湯沸かし器だね、ヴェールは」 「瞬……何……?」 ヴェールは黒い睫毛を瞬かせた。意味がわからないのね。確かに、こちらの世界に湯沸かし器なんてなさそうだもの。 魔法があるから、必要ないのかもしれないわ。 「おや、お ブランシュは片眉をからかうようにひそめて言った。 この人が「コスプレ」に詳しかったのは、そういう理由なのねと、私は納得した。 こちらの世界にもコスプレイヤーがいるのかと、ちょっと疑っていたのよ。 最も、私から見れば、この部屋にいる私以外の人間はコスプレしているように見えるけれどね。 「言葉が足らないんだよ、ヴェールの場合。だから、要らぬ誤解をローズに与えてしまった。君、そんなことじゃあ、ローズに嫌われるよ?」 ブランシュの言葉に、ヴェールの顔面から瞬く間に血の気が引く。 動揺したように、私を見つめる翡翠の瞳は――例の、捨て犬のような目だ。 嫌うのか? 捨てるのか? 頼むから、嫌わないでくれ――と、そう哀願に満ち問いかける目は、私の良心を引っ掻く。 ああ、もう。そんな目で見つめられたら、私の方が悪い人間みたいじゃない? 無理矢理視線を引き剥がして、ブランシュに問う。 「誤解って、どういうこと?」 「少しね、君の 「えっ? 顔が変わっているの?」 反射的に自分の顔を撫でてみた。特に、何かが変わったという感じはしないんだけれど。 肉付きも特に太った感じはしないし、痩せた感じもない。一応、乙女のはしくれとして肌の手入れには気を使っているから、今のところニキビもない。 ――って、そういう問題じゃないのよね? 「こちらでローズが星に選ばれたとき、君は十八歳だった。今の君は十六歳だからね。多少の変化はいたしかたないさ」 そう言えば、ブランシュは私をこちらに連れ戻す予定ではなかった、と語っていた。 きっと、十八歳になるまではあちらに預けるつもりだったのだろう。 私にとっての二年。 ブランシュやヴェールにとっては一か月にも満たない期間かしら? 「ローズの魔力は昔と変わらない。それが何よりの証さ。これは誰にも否定できない」 「魔力って……私の中にあるの?」 「あるよ。肉体は魔力を収める器。赤ん坊に戻った時、君の魔力は器からこぼれて一度、無になった。それで呪いも解けたわけだけれど、器自体が壊れたわけじゃない。今もまた、君の中には魔力が満ちているよ――それはこの国で間違いなく君が「星」になるほどに」 言い回しがちょっと遠回りなんだけれど、要するにこの国で一番ってことよね? ――それが女王になる条件だという話だったから。 自分の中に何か特別な力があるなんて、ちょっと信じられない。 私は十六歳の小娘であったはずなのに。ずっとそうだと信じていたのに。 …………今、私は新しい世界の扉を開けようとしている。 正直に言うと、怖かった。 |