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 9,私の決心


 一言で言うと、温泉?
「汗でも流しませんか」と、お母さん――グリシーヌに案内されたお風呂場はどこぞの温泉施設か? と、目を見張るものだった。
 二十五メートルプールぐらいはありそうな広大な浴槽には、湯が一杯に張られている。
 湯船には赤い花びらが無数に漂っていた。薔薇の花弁だ。立ち上る湯気に交じって、花の香りが鼻腔をくすぐる。
 いい香りで、何だか一杯一杯だった頭もほぐれて、癒されるけれど。
「……勿体ない」
 思わず本音が出てくる。個人のお風呂ならともかく、この大きなお風呂にどれだけの薔薇を使ったのだろう。他の人も入るのならいいのだけれど、私一人のために用意されたものだったら、今度から止めてもらおう。でなければ、せめて一人用のバスタブでお願い。
 貧乏性が我ながら可愛くないと思う。女の子なら、素直に喜んでいればいいのにね。
 浴槽は床から降りる形で広がっている。洗い場の淵で膝をついて、私は湯船に手を伸ばした。
 やっぱり、こういう場合、女王様はお付きの人間に、身体を洗われるみたいなんだけれど、私は断って一人でここにいる。
 生まれついてのお姫様ならともかく、私は昨日まで女子高生だったのよ?
 お風呂ぐらい一人で入れるわ。第一に、友達と修学旅行の温泉に入ったりするのならともかく、誰とも知れない人に身体を触られるなんて、少し抵抗がある。
 グリシーヌ――お母さんになら、裸を見られても平気だから、脱衣所に控えていてもらっていた。「ローズ」は命が狙われているのだ。何かあったとき、直ぐに助けを求められるように。
 湯を浴びて、身体の汗を流してから、湯船に入る。纏めるのを忘れた長い髪が水面にたゆたう。指先で髪を摘んで、胸元まで身を沈めると、左胸の痣が目に入って来た。
 痣というより、刺青タトゥと言って良いような繊細な薔薇の花。柔らかな肉の上に記された刻印をツンツンと指先で突っつく。
 この痣はやっぱり「ローズ」と関係あるらしい。
 グリシーヌに聞いたら、それは「ローズの魔法陣」ということだった。
『魔法陣?』
 キャミソールを脱いで、ブラから覗く薔薇模様の痣をグリシーヌに見せて、返って来た答えに私は首を傾げていた。
 魔法陣って、円を描いてその内側に星を描いているようなものを想像するんだけれど。
『ローズ様は、薔薇の花を自らの証とされていました。その痣は、巻き戻しの魔法の際に記されたものでしょう。それは間違いなく、貴方様が「ローズ様」である証です』
 まだ現実を受け入れられずにいる私に、言い聞かせるかのような口調だった。
 でもね、やっぱりそうすんなりとは肯定できない。
 十六年間に培われたあちらの常識が、いまだに夢じゃないかと疑っているのよ。
 あちらとこちらが繋がった以上――私の言葉がこちらで通じていることも、何か裏があるのだろうと思う。
 魔法かしら?
 一つ一つ、ご都合主義を潰していけば、これが現実だと認めざるを得なくなるだろうけれど。
 それは同時に、私がこの国の女王になるということだから、おいそれとは認められない。
 だって、国を背負うということは、沢山の人の人生を背負うということでしょ?
 最近の政治家は、国のために働いているのか、私服を肥やすために働いているのか、わからない人たちばっかりで、未来になんて期待できないんだけど。
 それを嫌悪する気持ちが私のなかにはあるのよ。
 もっと良い国を作ってよ、と思う気持ちが、生半可な決意で国を背負ってはならないと、自分自身に跳ね返ってくる。
「ローズは女王になることを選んだの?」
 私は水面に自分の顔を映して、問いかけた。
 浴場は明るくて、水面が静かだと鏡のように――時折、薔薇の花弁が空気に揺れて、波紋を作り出すけれど――私の姿を映していた。
 明るい茶色の長い髪は、少し癖があって、軽くうねり波を描いている。日本人にしては派手な顔立ち。目鼻立ちがハッキリしているせいだろう。とある女優に似ていると友達は言ってくれたけれど、それはお世辞もいいところ。私はあんなに美人じゃない。
 ローズは星界一の美姫という話だったけれど、二年が過ぎれば私もそういう風に言われるのかしら?
 まあ、多少の成長はあると思うわ。なんてったって、十六歳。成長期なんだもの。もう少し、バストだって欲しいしね。
 けれど、ヴェールが言っていたような美姫になれるなんて思わないんだけど。
 ため息を吐けば、もう一人の私が揺らぐ。
 ローズは「星」に選ばれた。そうして女王となり、ブランシュとヴェールを夫として迎えた。
 そこにどれだけ「ローズ」の意思は組み込まれていたのかしら?
 選ばれたから「女王」になったのなら、私としても拒否権がないような気がする。
 それが習慣だと言われてしまえば――反発はあるけれど――ローズも受け入れたんでしょ? 私だって、我慢して受け入れなきゃいけないことなのかもしれないって思うの。
 でも「ローズ」が女王になることを自ら進んで選んだのなら……「ローズ」はどんな決意で、それを決めたのかしら?
「……まず、そこから知らなきゃダメよね?」
 私が「ローズ」だというのなら、私は「ローズ」を知らなきゃいけない。
 ローズが女王になった経緯――魔力が一番強かったという理由だけで、選ばれるわけでもないでしょうし――そして、二人の騎士をどう想っていたか。
 形だけの結婚かと思っていたけれど、ブランシュとヴェールは「ローズ」が好きみたいだ。
 ブランシュは私をローズと同一視して、好意もあからさまだ――もし、他の女の子にもあんなに馴れ馴れしくしていたら、あの人は女の敵よ。
 それに引きかえヴェールは、私に対しては、まだ疑いを持っているみたいだけれど、「ローズ」に対しては敏感に反応する。
 ――ローズに嫌われるよ? と、何気にブランシュが発したそれに、ヴェールの反応は目に見えて動揺していた。嫌われたくないってことは、好きってことよね。
 二人から明確な好意を向けられて、「ローズ」は何とも思わなかったはずはないと思うわ。
 ……ええ。私なんて、ブランシュには動揺させられまくっているし。ヴェールの縋るような視線には、心がざわめく。
 私がローズなら、二人のことをただの騎士と割り切れない。
 だからって、夫婦になっていいとは思わないわよ。だって、私はまだ十六歳。何度も言うけれど、子供でいいの。恋に恋しているぐらいで、ちょうどいいの。
 少しドキドキして……。そう、今はそれでいい。
 今以上に心臓を動揺させられたら、胸が爆発して、あの世に逝っちゃいそうよ。
 ただでさえ、わけわからない状況に頭も爆発しそうなんだから。
「今は――ローズのこと」
 私は自分に言い聞かせた。
「ローズ」のことがわかれば、必然、二人とどういう関係を結んでいけばいいのか、わかるだろう。
「うん。まずはローズのことだわ」
 彼女が女王になった経緯。彼女のプロフィールも知りたいわね。
 本当の両親とか――両親と言うと、どうしてもディアマンとグリシーヌの顔が浮かんでしまうけれど。
 二人は私をあちらの世界で世話するために遣わされたのなら、「ローズ」には彼女を生んだ本当の両親がいる。兄弟、姉妹とかはいないのかしら?
 そして、忘れちゃいけない。
 誰が「ローズ」を殺そうとしたのか。
 これは、絶対に突き止めなければならない問題だわ。だって、「ローズ」だけじゃない、私も殺されかけたんだもの。
 犯人は記憶がない私も殺そうとしている。
「――冗談じゃないわ」
 私は自らの勝ち気に火を付ける。混乱して、惑ってばかりではいられないわ。
 うん。
 パチンと自分の頬を叩いて、気合いを入れる。
 忘れそうになっていたけど、私は短気で売られた喧嘩は買う主義よ。
 そんな私の命を狙うなんて、上等よね。一応、私には心強い味方がいるようだし、私自身にも魔法の力があるっていう話。
「――この喧嘩、負けてやるものですか」
 見てらっしゃい、私に喧嘩を売ったことを、思いっきり後悔させてあげるわっ!




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